異世界そのへん食事録

石蕗石

ティトとベリージャム/ダルガとパン付き牛テールスープ/ルーナと果実ソースのかき氷

◇ティトとベリージャム


ティトは王都で暮らすウサギの獣人だ。職業は配達員。

王城や貴族街、観光客で賑わう大通りから離れれば離れるほど複雑に込み入った道が多くなる王都で、小柄ですばしっこいティトは優秀な配達員としてそれなりにご贔屓にされている。

特に下町は4、5階建ての建物のあちこちに渡り廊下が付けられて、鳥の配達員も通れないものだから、身軽なティトはしょっちゅう配達を頼まれるのだ。

今日もお得意さんの家を周り、ついでに仲のよい同僚の仕事も手伝ってやって、家に帰ってきたのは午後の遅い時間になってしまった。

途中でナッツ入りのグラノーラバーを食べたものの、動き回る仕事をしていればお腹はすぐに減ってしまう。

皮で出来た丈夫な仕事着からふかふかの綿の部屋着に着替えて、ティトは台所の貯蔵庫をあさった。

買って少し経つ小麦粉に、毎朝届けてもらっている牛乳、それから今日はご近所さんがお裾分けしてくれた卵がある。それからそろそろ無くなりそうなバター。凝ったものを用意するのはちょっと億劫だから、今日の昼食兼夕食はパンケーキだ。


つやつやした白いホーロー製のボールに卵を割り入れ、泡だて器でといていく。ティトは砂糖は少しで、ミルクは多めに入れる派だ。

金属製の小さな小皿にバターをひとかけら入れて、ウサギ族のちょっと体温の高い両手で皿を包むと、バターがとろりと蕩けてくる。これもボールに入れてよく混ぜる。

ティトは生地に小麦粉を少しずつ入れて混ぜる時の、もったりしてくる感覚が好きだ。お腹が空いている時は特に、このもったりをたっぷり焼いてお腹いっぱい食べるんだと思うと幸せな気持ちになってくる。

最近の王都では便利なマッチが量産されはじめて、庶民も手軽に買えるようになってきた。火打石を使うのが苦手なティトには嬉しい話だ。

小さなかまどに火を入れてフライパンを置き、ちょっと考えてから、いつもより多めにバターを入れる。

贅沢だが、今日はお得意さんから貰ったベリージャムがあるので、万全の状態のパンケーキにするべきだ、と思ったからだ。


ティトのパンケーキは小さめの薄めと決まっている。そのほうがなんとなくたくさんに見えて、お得な気がする。

なんでも焼けるからと勧められて買った、ティトの手にはちょっと大きいフライパンで3枚同時に焼けるサイズがベストだ。

生地を流して、フタをして、少し待って表面がふつふつして固まってきたら、フライ返しをゆっくりフライパンと生地の間に入れる。この瞬間は緊張するが、きれいなキツネ色の面を上にして、ぽんとひっくり返せるととても気分がよい。

何枚もパンケーキを焼き、ついでに目玉焼きとベーコンも焼いて、火が消えるまでの間にポットをかける。ティトの好きな花のお茶はぬるめのお湯のほうが美味しく淹れられるのだ。

大きな皿の上に山盛りのパンケーキを乗せ、端っこにベーコンと目玉焼きを添える。飲み物はいつもの花のお茶だ。

本当はスープも欲しいところだけれど、あいにく昨日作った野菜スープは朝食で飲んでしまった。

でも今日はかわりにジャムがあるのでよしとしよう。


最初は焼きたてのパンケーキをそのまま食べる。塩気のあるバターたっぷりで焼いたので、何もつけなくてもなかなか美味しい。ほんのり甘くてミルクの味もする。

お腹が空いていたので2枚ぺろりと食べてしまったあと、お待ちかねのジャムを取り出す。

きれいなガラスビンに金色のフタをし、上品で可愛いラベルが付いたそれは、なかなか高級感があって期待が高まってしまう。

ぱかりとフタを開けて、ティースプーンでジャムを慎重に掬い出す。

つやつやの真っ赤なジャムは、きっと丁寧にアクとりをして作られているのだろう。窓から入ってくる日差しに透かすと、半透明にキラキラ輝いてとても綺麗だ。

これをくれた雑貨屋の店主によると、なんでもロットベリーとかいう、南のほうで取れるベリーのジャムらしい。

ティトはウサギの獣人らしく森のすぐそばの農園で生まれたから、この辺の野菜や果物には人より詳しいのだけれど、これは全く食べたことのないものだ。

熱心にお勧めされたのできっと美味しいのだろうけれど、最初は試しにちょっとだけをパンケーキに塗る。

ドキドキしながらぱくりと食べると、花のような香りがぱっと口の中に広がった。


「ん!」


バラのような香りに続いて、華やかな甘酸っぱさが口に広がる。

苺のような、桃のような、けれどもっと濃い食べたことのない味だ。

今度はパンケーキの上いちめんにジャムを塗り、口いっぱいに頬張った。濃厚な甘酸っぱさと、パンケーキの優しい甘さ、バターのかすかな塩気が混じり合う。


「おいし!」


小さく歓声を上げ、椅子の上でぱたぱたと足を揺らす。

すぐ2枚目のジャムパンケーキを食べたいところだが、こんなに美味しいのに一気に食べてしまうのはちょっともったいない。

お茶で口の中の味を洗い流し、端に寄せておいたベーコンと目玉焼きをパンケーキに乗せる。

半熟に焼いた目玉焼きの黄身がとろりと潰れ、ベーコンとパンケーキに絡む。零れる前に慌てて口に放り込めば、肉のうまみとの塩気と卵がまろやかにパンケーキと調和する。

食べ慣れた味は、これはこれで仕事で疲れた体に染み入る味だ。油と塩はどうしてこうも小麦の香ばしさに合うのだろう。

そして一回しょっぱさを挟むと、甘さがぐっと引き立つのだ。

再びベリージャムのパンケーキを頬張り、ティトはへにゃりと笑顔を浮かべた。

ビンの中にはまだたっぷりのジャムがある。今日は贅沢な時間をまだまだ楽しめそうだ。



◇ダルガとパン付き牛テールスープ


2週間ほどの航海を終えて、ダルガはトルメーラの港町に着いた。

まずは風呂屋へ行き、少しはマシな服に着替えて、飯屋に行くのはその後だ。

ダルガは平均的な体格のクマの獣人なので、この町に多い人間族よりは頭一つ分は背が高いし横幅もある。

なので人間向けの店に入ると窮屈な思いをすることも多いのだが、それでも船の中で保存食ばかりの食事が続いた後は、温かくて美味い料理が食べたくなる。

特に今回の航行では海が荒れ気味で、船内で火を使えずにぼそぼそとした固焼きパンとチーズ、やたら辛い塩漬け野菜くらいしか食べられない日も多かったので、その気持ちもひとしおだ。


幸いこの港町は大きくて、美味いと評判の店も多く、より取り見取りだ。

日が落ちてきてランプの明りが灯りが始めた大通りをそぞろ歩きしながら、今の気分は何だろうかと考える。

とりあえずは肉が食べたい。でもそれだけというのも味気ない。

あちらのパスタ料理屋は、ごろごろと肉団子が入ったミートソースや、分厚いベーコンのペペロンチーノが美味い。

3軒隣の鳥料理屋も、皮がカリカリになった丸焼きも、叩いて団子にし甘辛いタレをからめた串焼きも絶品だ。

夕飯時でいろいろな店からいい匂いが漂ってくるせいで、腹は減るばかりだし判断力は鈍ってくる。


しばらくうろうろと迷った後、小道に入った先の一軒の料理屋に入った。

ここのメインは肉料理だ。焼いても炒めても煮込みでも、なんでも美味い。

店の隅の席に出来るだけ小さくなって座り、何にしようかとメニューを眺める。

いつも頼むお決まりの肉料理は出てくるまでに少し時間がかかるから、待っている間すぐ食べられそうなものをひとつ頼みたい。

店内を見回してみれば、壁に張られた薄い木の板に書かれた定番メニューのほかに、今日のスープとパン、とだけ書かれたぺらりと薄い紙が画鋲でとめてある。

周りのテーブルを見てみても、深めの皿に注がれたスープを飲みながらパンを頬張っている客が多い。

そういうわけで、好物の豚のあばら肉を焼いたやつと、エールと、牛のテールス―プを頼んだ。

スープと酒はすぐに運ばれてくる。

白濁したスープの中に、よく煮込まれた肉と、刻んだネギがどっさりと入っている。それから添え物に、嗅いだことのない香ばしい香りのパンが二つ。


「給仕さん、これなんだい」

「ああ、チタの実のパンだよ。いまの時期しか採れないやつだからさ、いつもは使わないんだけどパンに練り込んでるんだ。いい匂いだろ?」

「うん、いい匂いだ」


忙しそうに去って行く給仕に礼を言ってから、パンを手に取る。

小ぶりなパンはわざわざ温め直してあるらしく、ほんのりと暖かい。

手で二つに割れば断面からさらに香りが漂ってきて、思わずつばを飲み込んだ。

口に入れれば、思った通り鼻に抜ける良い香りがする。小麦の甘みのほかに、ところどころナッツらしいカリカリとした食感があって、これがチタの実というやつだろう。

美味いパンに満足しながらスープを匙ですくって飲む。濃厚な牛のダシと油の溶けあうスープはこってりしているが、一緒に煮込まれた野菜のうまみが効いているのかくどくははない。

肉はよく煮込まれてほろほろと崩れ、スープと一緒にすぐ喉の奥へ流れて行ってしまう。

一緒に食べるネギも格別だった。煮込まれてくたくたになったネギと別に、ほぼ生のシャキシャキしたネギも入れられていて、それぞれに違う味わいがある。

先程のパンをスープに浸して口の中に頬り込み、ダルガはほっこりと笑顔を浮かべた。

肉と野菜の塩気とうまみが、パンの甘みと混ざり合い、トゲのない優しい味わいになる。


腹は空いているが、勿体なくてちびちびと食べているうちに、メインの肉料理が運ばれてきた。

この店では大雑把に肩肉のハムを焼いたのとかモモを煮込んだのなんて言い方をしても注文が通るので、ダルガはこの豚のあばら肉を焼いたやつが、実際はどういう名前の料理なのかは知らない。

知らないが、こんがりとした焼き目が付いたあばら肉に、甘酸っぱくてしょっぱいソースをかけ、横に揚げた芋と焼いたトマトを添えてあるこれがお気に入りなので、ダルガはこの店に来たときは必ずこの料理を頼んでいる。

骨付きのあばら肉にがぶりとかじりつくと、まず感じるのはソースの味だ。そこにすぐ肉の油の甘みやうまみが混じる。

噛めば噛むほど肉の味が口に広がるのに、飲み込むころになるとソースの酸味で後味が爽やかになり、次の一口がより美味くなるのがいつ食べても不思議だ。


むっしゃむっしゃと肉を食べ、スープを飲み、パンを食べる。時々ソースと絡めて添え物の野菜も食べる。

メインの肉の濃い味がスープで流され、パンに混じり、どんな順番で食べても味わいが変わって美味い。

テーブルの上の皿がからになるまで無言で食べ進めてから、ふうと一息つき、そこでやっとエールをぐびぐび飲んだ。しまった。肉を食べつつ飲めばよかった。

あと何品か料理と酒を楽しんでから、船に戻ろう。

そして次また来たときはいつものあばら肉と、それからもし運良くまたテールスープとパンがあれば、それも忘れず頼むのだ。



◇ルーナと果実ソースのかき氷


ルーナは朝から上機嫌だった。

それというのも、昨日町に訪れた魔法使いが、気まぐれで氷を作って売ってくれたのだ。

魔法使いというのはあまり人前に出てこない人種だから、まず見かけること自体がめずらしい。そのうえ昨日はどうしてか、手っ取り早くこのあたりの通貨が必要だったのだという。

砂漠にほど近いこの町では、当然のことながら氷というのは高級品だ。

ルーナの父親を含むこのあたりの商人は、この機を逃さずに、それぞれが大きな木箱いっぱいの氷を手に入れた。

これを朝一で近隣の貴族や隣町の大店へ売りに出かけているので、今町の中はいつもよりも閑散としていた。

ひと儲けした商人たちが戻ってくるころには、きっと次の商売の算段を話し合う声で逆に騒がしくなるのだろう。

ルーナはそれらの出来事自体にはあまり興味がない。気にかけているのは、父が店で食べようと置いて行ってくれた氷のほうだ。


氷がめずしいのだから、氷菓というのはこのあたりでは勿論輪をかけてめずらしい。

かといってメニューが無いわけでもない。

新年にはミルクと蜂蜜の滑らかなアイスクリームが振舞われるし、ルーナの誕生日には、高い山にある氷室に保存した冷凍果物を持ってきて、削って食べさせてもらった事もある。

どちらも特別な時にだけ食べられる、特別な食べ物だ。

こんな素敵なものが突然現れたのだから、ルーナに限らず、今日は屋敷の誰もが少しだけ浮かれ気味だ。


しかしなにせ氷菓である。

じっくり時間をかけてメニューに悩み、手の込んだものを作っていては、食べられる量が減ってしまう。

今回はせっかくだからと店の従業員達にも振舞うことになったから、溶ける前に出来るだけ大勢で食べられるようにと、メニューは削り氷に果物を煮詰めたシロップをかけたものに決定した。

使うのは今が旬のシュイユの実と、蜂蜜だ。

シュイユはレモンにミントを足したような風味の柑橘なのだが、レモンよりもずっと実が大きく食べ応えがある。

しかも蜂蜜や砂糖と煮詰めると、とろとろに溶ける性質があるので、これでシロップを作ると絶品なのだ。

ルーナの家のレシピでは、たっぷりの蜂蜜で煮詰めたシュイユのシロップを冷ました後、細かく切った生の果実を合わせる。


薄く削った氷がガラスの器に盛られ、その上から、目の覚めるような黄色くて透明なシロップをとろりとかける。

どきどきしながらスプーンをさしこみ、お行儀悪く山盛りに掬い取る。

口に入れて最初に感じるのは鮮烈な冷たさと酸味だ。

それから蜂蜜の濃厚な甘み。

それらが口の中ですっと溶け、喉へと滑り落ちていく。


「んー!」


おいしい!

ルーナは頬を掌でおさえ、満面の笑顔を浮かべた。

またひと匙掬い、口に含む。今度はもぐもぐと噛みしめる。

氷のぎゅっとした独特の歯ざわり、そしてシロップの中に入っていた果実の張りのある食感。

甘酸っぱくとろりとしたシロップに、果実から染み出した果汁がまざり、より清涼感のある味わいになる。

普段食べているドライフルーツやジャム、焼き菓子とも違う、この独特の甘さ。

年に数度しか食べられないという特別感も、この美味しさを倍増してくれる。

冷たくさっぱりとした甘味を口いっぱいに頬張っていると、普段は嫌気のさす真夏の眩し過ぎる太陽の日差しも、どこか爽やかなものに感じられて楽しい。

じっくり味わいたいのにじわじわと溶けてしまう氷菓を、慌てて口に頬り込むと、キーンと口内が冷えて頭が痛くなってしまった。


「んん!」


眉をしかめて口をへの字にするルーナに、馴染みの女中がくすくすと笑う。

冷たいものを急いで食べるとこうなるとは知っていても、食べ慣れていないから仕方がないではないか。

暑さとは別の原因で赤くなってしまった頬をふくらませ、ルーナはぷいと顔をそむけた。

そうしているうちにシロップのかかった部分を食べきってしまったので、おねだりをしてもう一度氷の上にかけてもらう。

今度は頭が痛くならないように、一口を少なめに。しかしできるだけ早く。

氷菓を食べるルーナの目は、とても真剣だ。それを見て周りの女中たちが微笑ましそうに笑っているなんて、全然気づかない。

最後に皿の中に残った、シロップと氷の解けた冷たい水もしっかり掬い、飲み込む。

冷たさが喉を通っていくのを名残惜しく感じながら、ルーナは笑顔を浮かべた。


「とっても美味しかったわ!」


周囲を照らすようなぱっと明るい笑顔と、掲げられたガラスの器が、真夏の太陽の光を受けてきらきらと輝く。

思いがけないごちそうにご満悦のルーナは、その日一日をとても幸せな気持ちで過ごしたのだった。

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