第八章 曝け出していこう
☆
バスタオルで適度に体を拭いてあげて、新垣の体を長椅子に横たえさせる。
素っ裸のままでいさせるわけにもいかないので、万歳してもらってネグリジェを無理やり着させた。
「大丈夫ですか?」
「れすー」
では無さそうだ。
外の自販機で買ってきたペットボトルの水をゆっくりと飲ませてあげて、なんとかまともに喋れるようになるまで十分は掛かった。
「お見苦しいところをすいません」
「あ、いえいえ」
馬鹿丁寧に頭を下げられ困惑してしまう。火照った表情と格好がえっちでギャップが凄まじい。TVS時代天然美人と持て囃されていたようだが、その理由もなんとなく分かってきた。同じ天然でも薫子とは大分違う。薫子は言動全てが適当な癖して、思い切りよく行動するものだから、抑えてないと本当に傍迷惑な暴走列車という感じだが、対して新垣は、人に迷惑を掛けることこそないものの、見ていぬ内に一人あらぬ方向に吹っ飛んで行きそうな危うさを感じる。
今更だが、なんだってネグリジェなんだ。
「なんの話をしていたんでしたっけ」
「そこからですか」
「確か、古今東西世界の人気バンドで、メンバーの誰が一番人気無いのかを論じていたような……次は私の番ですか?」
「記憶が歪んでます。番も何も無いです」
「ビートルズだと……」
「本気でやめて下さい」
「リンゴ」
「由利穂、ガムテープ持ってない?」
「栞のことでしょ。千里さん」
「あ。そうでしたそうでした」
由利穂がドライヤーで髪を乾かしながら言った。
安堵の息が出てしまう。カメラが回っていたらと思うと気が気じゃない。よくこれで今までこの性格を隠し通してきたものだ。
「新垣さんは……その、バンドにお詳しいんですか?」
だったら嬉しい。話が合うかもしれない。
栞の問いかけに新垣はふっと頬を歪めて応えた。
「栞さん――私、実は元バンドマンなんです」
「バンドマン、ですか?」
「栞さんと同じ中学生高校生くらいの頃。少しだけ。担当パートはドラムでした」
「ドラム……」
「似合わないと思ったでしょう? 言っても、栞さんたちみたいにプロとしてやっていたわけじゃありませんよ。やっていたのはコピーばかりでした。なので、詳しいという問いにはそれなりに、と答えておきます。そして、バンドの次に挑戦したのが……アイドルです。これは大学生の頃でしたね」
「バンドから、アイドル?」
そしてアナウンサー。波乱万丈な人生だ。
「え。ていうか、わたし新垣さんのニュースとか出てたバラエティとか割と見てましたけど、そんなこと一言も――」
「ええ。言ってません。アナウンサーはイメージ商売ですから。やっていたアイドルは地下アイドルでしたし、今はともかく、私の昔いた頃は地下アイドルに対するイメージって、あまり良くないというより、みんなよくわかっていませんでしたから。わからないものをマスコミは悪く言い立てます。言わない方がいいと判断しました。週刊誌とかがこぞって食い付きそうなネタでしたし」
『今人気のキャスター新垣千里。大学時代はなんとアイドルとしてファンと秘密の交流をしていた!』なんて記事が一瞬頭に浮かんだ。
「ね? びっくりしたでしょ? 絶対栞と話合うと思ったんだ」
栞が座っていた隣に由利穂が腰掛けてきた。
「二人はどうして?」
「このお風呂で。それとジムかな。よく時間一緒になるから仲良くなって」
ストイックな二人。そして元アイドル。話が合うのも納得できた。
「それで、その、わたしのことを……?」
「そ。栞が悩んでるっぽいからって相談した。辿ってきた道は似てそうだったし。年も離れてるし、同世代よりは相談しやすいかなって」
年が離れていると話しやすいという感覚はいまいち分からなかった。栞は自分の考えは何でもかんでも隠す質だ。教師にも友達にも。話すのは、よっぽどの長い間一緒にやって来たバンドメンバーくらいのものだ。
「栞さん」
「はいっ」
気付けば、新垣が真剣な眼差しで栞を見つめていた。今から何か重要なことを伝えるぞ、と言わんばかりの表情だ。体が強ばるのを感じる。これ、怒られるやつ。
「栞さんの選択は、大いに正しいです」
「――へ?」
予想外の肯定の言葉。
てっきり批判されるか怒られるか窘められるかと身構えていたのに。
だが続く言葉は見過ごせないものだった。
「いいじゃないですか。アイドルからバンドに戻るという選択肢も。それに、似たようなことををしていた私が栞さんに意見出来るはずもありません。ですが」
新垣はにこりと微笑み、
「栞さんみたいな人にそのやり方はお勧めできません」
断言した。
「……どういうことですか」
「さっき話してくれたみたいなことですよ。自分の生き方を今の段階でそうやって計画立てて思い描いていると後々苦しむことになりますよ。栞さんみたいな人は特に」
「わたし、みたいな人?」
「ええ。思い込みが激しく、自己批判精神が強い人――。例えばそうですね……私も伝聞でしか知らないのですが……栞さん、バンドメンバーの渡来さんが逮捕された時に、まず自分を責めませんでした?」
「それは――」
確か、自分は。
「……責めました。混乱してましたけど……やっぱり、わたしのせいなんじゃないか、とは考えていました」
「そうですか……先程の由利穂さんとの会話をしている時も、今こうして話していても感じますけれど、栞さんはその気が強いようですね。
コンプレックス精神が強いだけなら、それをバネにしてのし上がって来る人を私はお仕事でも趣味でやってたアイドルでも何人も見てきたので特に何も言いません……が、栞さんみたいな、コンプレックス精神が自己批判精神に直結していて、その上夢見がちで、さらに思い込んだら止まらない、なんて人は今の段階で生き方を決めない方がいいです」
「どうしてそこまで」
言えるのか。
分かるのか。
そこまで言われる謂れもないけれど、思い当たる節があり過ぎてとりあえず今は夢見がち&自己批判云々についてスルーして聞いておくことにした。
「答えは簡単です。人生、絶対に思い通りにはいきません。絶対にです。そういう風に出来ているんです。順風満帆に見えてもどこかで必ずトラブルが生じる。夢を同じくしていた仲間が逮捕……なんていうのはなかなか無いことですけれど」
新垣は自身の経験に当て嵌めているのか、つと上を見上げた。
「進学、就職、結婚、病気、死、なんていうものから、事務所メンバー間の金銭トラブル、果ては私や栞さんが思いも寄らないようなとんでもない災難がいきなり何の前触れもなく降って掛かります。人生ってそういうものなんです。
それを、私たちはよおく知っていますよね?」
逮捕、恋愛、喫煙、妊娠。
頭に浮かんだのは、鼎ハウスのみんなのこと。
「そうした折に、描いていた人生設計は崩れ、一旦立ち止まる必要が出てきます。『わたしがあの時、もっとこうしていれば』『どうしてわたしはこんなにできないんだろう』なんて後ろ向きに悩んでしまう栞さんにその生き方は決してお勧めできません。理想と現実のギャップに苦しんで苦しんで潰れちゃいます。断言しても良いです」
進学――は、Raybacks全員が思いを同じくしてクリア出来た道だった。それは世間的に見て、間違った選択だったかもしれないが、あの時は確かに正しい道を選んだつもりだった。
しかしその後、新垣が言ったような思いも寄らないトラブルが待ち受けていた。さらに金銭トラブルも。当時は正しいと信じて止まなかった、高校に進学をしないという選択に、今更になって悩まされたりもした。
夢は脆くも崩れ去り、人生の再考が余儀なくされた。
また同じことが起こり得るというのだろうか。
それは、そんなのは――。
――どうしようもない。
「どうすれば……」
縋り付くように口から出た言葉は、誰に向けて言ったものだったのか。
新垣か由利穂か。栞にさえ分からなかった。
こんな一言で簡単にグラつく己の思考に嫌気が差す。しかし、それを支える者はいない。かつては居た。それも三人も。みんないなくなってしまった。
そんな栞を見て新垣はまた笑みを深める。
「また悩んでる。ね? 私にこんな分かったような口を利かれて、そこで反骨精神を見せて言い返してくるような人ならいいんですけれど……栞さんはそうじゃないですよね。
栞さんは見習うべきは、そうですね――薫子さんや、アリサさんです」
「アリサさん?」
薫子はともかく。
散々やりたい放題やって追放されたアリサを見習えと言うのか。
「アリサさんは凄い人ですよ? 周囲をあそこまで気にせずに自分を貫ける人もなかなかいません。アリサさんがザ・セスタを辞めた理由、知ってますか?」
「同棲してることがバレたんですよね? 恋愛トラブルだって聞きましたけど」
「そうです。その時の彼女、なんて言ったと思います? 『恋人? いるけどそれがどうしたの?』って何の悪びれもせずに言ったんです。当然問題になって解雇されましたけど」
「駄目じゃないですか」
解雇されてたら世話はない。結局ここでも同じことの繰り返しだったんだから。
「それでも彼女は滅気てません。今なんて個人でクラウドファンディング始めて、曲書ける人に自分で依頼しようとしてますからね。一緒に活動してくれるメンバーも募集してましたよ」
――そんなことを。
驚くと同時に呆れてしまう。そこまでやるならここでもちゃんと取り組んでおけば良かったろうに。それとも、あれは彼女なりに真剣に取り組んでいたとでも言うのか。
しかし、あそこまでやっておいて尚、アリサを迎え入れてくれる事務所があったとは。
「薫子さんだってそうですね。さっきもお風呂で話していましたけれど、あそこまで自分の感情に正直に行動出来る人もなかなかいません」
「……つまり、アリサさんやかおちゃんを真似してなりふり構わずいけってことですか」
「真似はいけません。栞さんみたいな人が誰かを真似しようとすると、自分を卑下して自滅してしまいます」
「ええ……? でも今」
「参考にしろと言ったのです。真似しろなんて言ってません。ああいうやり方もあるんだなくらいに捉えておいて下さい。栞さんは自分を自覚するべきです。
思い出して下さい。バンドをやっていた時の栞さんを。もっと自然体じゃなかったですか? 今より肩の力が抜けていませんでしたか? どうしてあの時は楽しかったんですか?」
新垣は栞の瞳の中を覗き込む。まるで栞の記憶を探るようにして。
理論立てて喋っているようで、感情論もごっちゃになっているからすんなり腑に落ちてこないが、言いたいことはなんとなく分かった。
ようは、真似をせず、自分を知り、自分らしく行動しろということだ。
記憶を探る。
――今と比較して? だって、あの時は……。
「――あの時はかおちゃんがいて、みおちゃんがいて、あきちゃんもいて……みんなが同じ方向を向いてて、心の底から本音で話してて……本当に何でもかんでも話していたから、変に気負わなかったっていうのはありましたけど」
「抱えていなかった? 明日に持ち越さなかったから楽でいられた?」
「楽、じゃなかった……この先どうなるんだろう? このままわたしたち、売れ続けていけるのかな? って不安は常にありました……あったけど……メンバーでちゃんと話し合っていたし、わたしの不安症なところとか、さっき言われた自分を責めちゃうところとかも、みんながみんな、分かっててくれてたから……」
そう。あの時は、本当に楽しかったのだ。良いも悪いもお互い支え合って分かり合って一緒くたで。
「かおちゃんの暴走気味なとことか、みおちゃんの慎重過ぎるところとか、あきちゃんの無口なとことか。全部、全部、お互い分かり合ってフォローしてるつもりだったんです」
つもりだった。
だったのに。
ああなってしまった。
わたしが――違う。そうじゃない。指摘されたばかりじゃないか。自分を責めてどうする。今はそれを話しているんじゃない。
「それですよ」
そして、新垣はまた栞を肯定した。
「へ?」
どんどん俯いていっていた栞の顔が正面へと向き直った。肯定されるようなことを何か言ったか。
「それです。そうやってもっと曝け出せばいいんですよ」
「曝け……出す?」
「不安症なところ、コンプレックスを抱えているところ、自己批判してしまうところ、夢見がちで思い込みが強いところ。アイドルを見下していたことも、バンドとしてもう一度返り咲こうとしていたことも。していることも。全部全部、曝け出して下さい。暗いところも余さず、全てです。私や由利穂さんだけではないですよ? カメラの前で、視聴者のみんなにです」
「そ、そんなことしたら」
ただでさえ低い栞の点数がさらに下がってしまう。
「いいんですよ。アリサさんくらい攻撃的だと少々マズいですが、栞さんはそんなことないですよね。栞さんはね? 今の状態だとよくわからない人なんですよ」
「よくわからない?」
横を見れば由利穂がうんうんと頷いている。
「栞さん。自分のことを話さないじゃないですか。
今でこそ私たちにこうして色々話してくれて、私たちは栞さんの人となりを知ることが出来ましたが、他の人はそうじゃない。同じ鼎ハウスにいるメンバーだってそうなんですから、カメラの前の視聴者の皆さんはもっと分からないはずです。
人を好きになるのには、理由があります。自分を曝け出していかなければ、よくわからない人で終わりです。好きになりようがありません。
投票で言うなら、そういう人は平均点ちょっと下を付けられたっておかしくないです。頑張ってるから高得点を付けよう、とは、私はなりません。
由利穂さんは初日でぶち撒けてしまいましたし、アリサさんと薫子さんは見てるだけでどんな人なのか分かりますよね。知菜さんも同様です。年相応の子供なんだろう、というのは伝わってきます。それに知菜さんは、ああいった形ではありましたけれど、本心をきちんと愛さんに伝えました。アレも知菜さんの人となりを知るには十分な機会でした。愛さんと轍さんは最近になって色々分かってきたお二人ですね。少なくともこれまでは栞さんと同じように、どういう人なのかいまいち分かりませんでした。それがどういう方向であれ、分からないよりは、私は良いと思えます」
壁に掛けられた時計はもう九時を回っていた。
ここに来てもう二時間は経過している。
視聴者は『幾ら何でも風呂長くないか』とでも話し合ってる頃合いだ。
――ここまで話し込むなんて思ってもみなかった。そんな話すことがあるなんて。
「話せば気持ちが軽くなる。話してくれれば栞さんを理解して上げられる。話し合うことで考えは共有でき、新しい視野が生まれる。
それが、この企画において吉と出るのか、凶と出るのか、確かなことは言えません。が、
……栞さんはまだお若いんです。誰もが自分には無い考えを持っていて、自分なりの信念を貫いて今を生きていると知るべきです。
ありのままの自分を恐れず曝け出していく中で生まれた新たな繋がりは、栞さんにとって必ず掛け替えの無いモノとなります」
ぎゅっと手を握られる。
細く、しなやかな指先だった。
「私も分かるんです。私も、栞さんと同じ根暗な子だったので」
「いえ、決して根暗では」
そうかもしれないが、そうはっきりと言われると否定したくなる。どうしてこう、この人は、肝心なところでこうなのか。
「根暗で地味な子だったので」
「何故付け足し……ひょっとしてわたし、当回しにディスられてます?」
「それこそ被害妄想ですよ。そういうところがいけないのだと、私は声を大にして言いたかったのです」
「そんな話でしたっけ……不安症と被害妄想は違うと思うんですけど……」
「受け入れましょう。根暗で地味な自分自身を」
「張っ倒しますよ?」
聞けば新垣は本人が目立ちたい性分なのにも関わらず、それを隠していたことで、バンドでは希望じゃないドラムを担当、アイドルではメンバーに遠慮していつも端っこの方で踊らされ、ということを繰り返してきたらしい。
そんな自分が嫌になり、アイドルをやっている傍ら、アナウンサーへの道を決意。見事その狭き門を潜り抜け、念願の全国朝の顔にまでなったわけだが、数年務めたところで、もう一度アイドルで、今度は隅っこじゃなくセンターを勝ち取れないかと、この企画に参加を決意。
年齢も年齢、さらに己の知名度もあって、選ぶ選択肢はここ以外に無かったそうだ。
「やりましょう、栞さん。明日からでも――は、はっくちゅっ!」
「だ、大丈夫ですか?」
「寒いです。体が冷えました。もう一度お風呂に入ってきます」
「ええっ!? ちょっと大丈夫ですか!?」
体をぶると震わせた新垣は、再度服を脱ぐとさっさと一人風呂場へと向かってしまった。
話すことは粗方話し終えた気がするが、途中で梯子を外された気分だった。
――はあ。なんていうか……。
新垣のことは、鼎ハウス一の常識人だと思っていたのだが、蓋を開けてみれば鼎ハウス一の変人だった。
栞に今こうしてアドバイスしてくれたのはありがたい限りだが、当の本人は自分の経験則や知識を何より信じていて、人の意見なんて毛ほども耳を傾けなさそうなのは、アドバイスする者としてどうなのだろう。
積んできた経験も違うのだろうし、過去があってこそ、今の新垣千里があるかもしれないが。
「ま、あの人のやってたアイドルグループって人数三人だったらしいから、隅っこも何も無いんだけどね」
ズッコケそうになった。
「三人って……、普通に踊ってれば真ん中になることくらいあるじゃん」
「それでも納得いかなかったんじゃない?」
「なんか、変な人だね。新垣さん」
「局アナ辞めて二十七でアイドルやろうっていうくらいには変な人だね」
「……ねえ、それより由利穂。大丈夫なの? さっきのぼせて沈んでたばかりなのに、あの人。一人で行かせて」
「うーん。でも、千里さん聞かないからね。しょうがない。私たちももう一回お風呂入ろっか」
「のぼせる……」
そうして再度お風呂から上がる頃には夜十時を回っていた。
流石に危険を感じたのか、女性スタッフが様子を見に来たくらいの超長風呂となった。
三人が己を曝け出し話し込んだのは言うまでもない。
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