第四章 脱落者
投票結果が発表されようが、レッスンは変わらずある。
レッスンに現れたアリサの服装は昼間見た時と大幅に変わっていた。現れた彼女を思わず目で追ってしまうほどだ。栞だけじゃない。周りの反応も似たようなもの。そこまでする? というような格好。
昼間はラフなパンツスタイルだったのに対して、今は上が水着と見紛うようなチューブトップ、下がこれまた水着と見紛うようなデニム生地の黒のホットパンツ。スタイルだけは良い為、こんな服を着ていれば色んなところがはみ出そうで、はち切れんばかりである。
「うはー。露骨っすねー」
「あん?」
轍の素直な言葉にアリサが突っかかる。聞こえようによっては煽りに聞こえたかもしれない。というより、煽っているのか。その真意は分からなかった。
「さて」
パンパンと。
そんな二人を無視して、広田が手を叩いた。
「今日は君たちのデビュー曲『ポイント・オブ・ノーリターン』を聴いてもらおうと思う」
「うっそ!? 遂に!?」
アリサの態度が変わった。轍のことなど、もうどうでも良さそうに広田に向かって身を乗り出す。前かがみである。その姿勢だと広田に対し、かなり胸の谷間を強調したような格好になるが……ひょっとしてわざとやっているのか。
ようは何とかして最下位だけを回避すればいいわけだ。ここにだってカメラの目は当然あるし、それなら少しでも露出を大きくして、男性票の獲得を狙いにいくべきと考えたのか――スタッフ側の人間を抱え込もうとすることだって考えているかもしれない。アリサの性格を思えば穿ち過ぎ、ということもないだろう。
前者はともかく、後者にどれだけ意味があるのか疑問ではある。
「それにしても……ポイント・オブ・ノーリターンって……また悪趣味というか……」
「どういう意味?」
轍が呆れるように言い、由利穂が訊いた。
「もう引き返せない一点。そこを過ぎたら二度と戻れなくなる、引き返せなくなる一点を差す言葉……元は航空用語っすね。飛行機が積み込んだ燃料から計算して、離陸した空港にもう後戻り出来なくなる場所のことを指す言葉っす」
「引き返せない一点……」
思うところはあるだろう。
後戻りできない。まさしく今の自分にぴったりの言葉だ。それは栞や由利穂だけじゃないだろう。恐らくこの場にいるみんなが、何かしら引っかかることのある言葉なはず。
「そんなんいいよ。それより早く曲聴かせてよ」
「ほいよ」
アリサの言葉に広田が曲の再生を始めた。
果たしてどんな曲調なのか。ロック調の方が栞としてはやる気は上がるのだが――。
最初はシンセから始まった。すぐにイントロを飾るギターの音色が響く。タイトル通り、どこか危機迫るものを感じさせるメロディライン。ベースも地味に目立っていた。なんとなくコピーしたくなるベースだ。
思ったよりも格好良い曲だ。栞は思わず頬が緩んでしまう。どうせ流行りのエレクトロ路線だろうと思っていたから。
自然と薫子と目が合った。気持ちを共有しているようで嬉しくなる。薫子はロックバンドのボーカルなのだ。今はアイドル候補生に身をやつしていても。
曲を聴き終わる頃には、投票結果発表でどこか暗かった皆の表情も、明るくなっていた。
「じゃ、歌詞渡すから。歌ってみようか」
「いいですか? 広田さん」
愛が歌詞を眺めて尋ねる。
「なんだい?」
「これ、誰が何のパートって……ほら、アイドルってソロパートとかあるでしょう?」
見れば渡された歌詞には音符と歌詞のみで、誰がどこを歌うなどといった表記は一切記されていなかった。
「だってほら。そこは今決められないじゃない。脱落しちゃうかもしれないし」
「そ、そうですよね」
「とりあえず全員に覚えてもらって一ヶ月後に調整するから。ま、頑張ってよ」
明るかった皆の顔が一気に引き締まる。
投げやりにも聞こえる広田の言葉に、いつも以上にアリサは気合の入った歌声を聴かせていた。
翌日。月曜、昼。
部屋で一人、ベッドでスマホを見ながら考える。
画面に表示されているのは、このPOTアイドル企画をまとめた個人サイトだ。最近増えてきており、今見ているのは検索して、トップに表示されていたサイトである。
『第一回投票結果発表! 元ザ・セスタのアリサがまさかの最下位! そしてアリサの行動はどんどんエスカレート!』
という見出しで記事が書かれている。
アリサは――今朝もそうだったが――部屋で極端な薄着でいることが多くなった。
風呂上がりなどはバスタオル一枚で部屋をうろつき、カメラの前でポーズを取ったり、自身が配信しているサービスで、その姿で投票を呼びかけたりといった行動をしている。
着替えなどもわざわざカメラの前で行い、局部を映さないギリギリを攻め、時折『もっと見せて~』などといったコメントにも、積極的に応じているのだとか。
栞も朝方大部屋でアリサと出食わした時には閉口してしまった。
「よくやるなあ」
栞からしてみれば、そんな感想しか出てこない。
自分だって焦りがないと言えば嘘になる。
しかし、現状どうすることも出来ない順位だと思っているし、妥当なんじゃないかとも思っているから特に行動に移す、といったことはしないし、しようとも思わない。
上位三人は元々有名人であるし、敵うわけがない。
ミリオン歌手の愛を由利穂が下したのは、やはりあの自己紹介のインパクトがあったからだろう。切り抜き動画は今や海外の人にまで視聴されていて、由利穂は一躍超有名人だ。
新垣が何故あんなに歌えて動けて頑張っているのかは知らない……が、TVSアナウンサーという狭き門を潜れた人間はそれだけ様々な才能にも恵まれているに違いない。
栞とは違うんだ。
そんな自分は四位。
知菜は……まあ、この中の誰より汚れておらず、ワケアリじゃない、云わば清涼剤みたいな存在だ。周囲は程度の差こそあれ有名人。そんな中まだまだ幼い彼女の頑張っている姿は、一定の人の胸を打つ。愛するママを理由に、学校に通いながらも頑張る。もし栞が視聴者だったら迷わず彼女に投票したはずだ。周りに負けずに頑張ってね、とかそんな想いを込めて。
轍は六位。
「六位……」
前線をひた走る作家が――本人が前に出る仕事じゃないとはいえ――栞みたいなぽっと出のガールズバンドのいちベーシストに、負けてしまったのは意外だった。
だってベーシストだよ?
けれど、その理由もたぶん分かる。
栞も由利穂と同じく初日のインパクトが強かったのだ。
薫子を土下座させ、あまつさえその頭を踏んづけるという行為は、思いの外インパクトがあったらしい。
さらに、薫子の事情を聞き出し、そっと抱きしめるといった行為も、女の子同士の淡い友情を感じさせて良いだとかなんとか、どっかのサイトで長文解説されていた。時折視線を合わせて目で語り合うのも良いんだとか。
そうか?
轍はこもりきり。
歌もダンスも平凡だし、上げる要素が今のところない。投票しているのは元からの彼女のファンが大半じゃないかと栞は思っている。
――かおちゃんは。
やはり、持ち逃げの印象が悪かったのか。
四六時中配信を見ている人ばかりが投票するわけではない。こういった配信サイトの切り抜きを見て投票する者だっている。持ち逃げ、謝罪している場面だけ見て投票する者だっているかもしれない。
――歌の評価は正直、愛さんよりも高いんだけど……。
薫子が脱落するのは嫌だ。
薫子には一緒にいて欲しい。何より薫子がこんな中途半端に終わるなんて栞が許せない。アイドルとしてデビューしてもらえば、絶対に歌で頭角を表すはずなんだ。そこから二人でもう一回バンドで一緒にやれればどんなに素晴らしいことだろう。
当初こそ、栞一人でアイドルからのバンドへの栄転みたいなことを考えていたが、薫子が目の前に現れた今となっては、やはり薫子と一緒がいい。彼女の才能は本物だ。
期せずして、このタイミングでデビュー曲の発表があった。今まではボイストレーニングが中心だったが、ここからは、より曲そのものに力を入れることになる。
――そうなれば、かおちゃんの独壇場。
自分は真ん中。
まだまだ。大丈夫。
そう言い聞かせた。
火曜。
なんとかまともに歌えるくらいのレベルになった栞だが、未だ素人のカラオケの域を抜け出せていない。その日も一人ボイストレーニングで居残り練習をさせられた。
デビュー曲のダンスレッスンも始まった。
長時間に渡るトレーニング。体力的にはまだまだきつい。だが、なんとか付いていけるくらいにはなってきた。
でも、やっぱりきつい。しんどい。終わった頃にはもうへとへとだ。
「しおちゃ~ん。終わった~? あそぼ~?」
「むりー!」
「うぇえええ!」
薫子の相手をしている余裕はない。
水曜。
夜のこと。
ボイトレもダンスレッスンも終わり、さあ、これからちょこっとだけベースでも触って寝ようかなと思っていたところ。
トイレに立った栞は、廊下の奥から聞き慣れた声が聞こえてくるのに気が付いた。
「うぇっへ~? も~お~。しょおがないっすね~。ちょーっとだけよ~? かおかおは~、まだまだあ、十六だから~♪」
「駄目に決まってるでしょ」
「しおちゃん!?」
咄嗟に襟を掴む。頭一つ分低い薫子は親猫に咥えられた子猫のような状態になった。
「やっば。真面目ちゃんにばれちゃった」
アハッ、と悪びれもせずにアリサは笑う。
「ちょっと。何考えてるんですか」
「なにって。飲み会やろっかなって思って。視聴者と一緒に。流行りのオンライン飲み会ってやつ?」
そう言って、手に提げていた袋を見せつけてくる。
中には酒類が入っていた。チューハイが数本。ジュースなどは一つもなかった。
「この子、まだ未成年ですよ」
「知ってるよ。十六だから~♪ バレちゃあ仕方ない」
アリサはそう言って薫子の頭を一撫ですると、新垣の部屋に向かって行き、扉をノックする。
「はい」
「千里さーん。飲まなーい?」
新垣の部屋に入って行くアリサを尻目に、薫子に聞かせるように盛大に溜息を吐く。
「怒っちゃ、や」
「……何度目?」
「一度目だよ! や、一度目も無くなったけどお」
「カメラがあるってこと忘れてない?」
天井にあるカメラを指差す。カメラを避ければ良いってものでもないが。
こういう迂闊な行動をしているから投票に響くのではないか。
栞の知ってる薫子は飲酒などしない。
まだ溜まっていたんだろうか。この前のアレで薫子が抱えていた想いは、とりあえず一旦全て吐き出すことが出来たと思っていたのに。
薫子は首根っこを掴まれたまま両手の指をくるくるとさせた。いじけてる時の癖だ。
「……だあってえ、しおちゃん遊んでくんないんだもん。知菜ちゃんとか由利穂ちゃんとかは学校あるし、わだちんは仕事してるし、ちさっちゃんはすぐ寝ちゃうし。愛さんは流石にまだ緊張しちゃうしい」
この子にも緊張という概念はあったのか。
――まあ。たしかに。
レッスンレッスン、寝て起きてまたレッスン。そんな日々に飽いてきたのも事実だ。息抜きも必要といえば必要かもしれない。薫子みたいなのにとっては特に。
「……なにして遊びたいの?」
薫子の顔がぱあっと輝く。
「卓球!」
「ええ……」
まだ動くのかとげんなりする。よりによってあのやたら左右に激しく動く卓球。左右に激しく揺れるという意味ではダンスとさして変わらないように栞には思えた。
「そんなのどこに」
「七階の遊戯室!」
「もっと他にないの」
「いいじゃんいいじゃん。やろうよお」
「わかったよお。もう」
薫子の表情を見て思う。
まあ、たまには悪くないか。
薫子は嬉しそうに栞の袖を引っ張って行く。
木曜。
その日は朝からボイストレーニングだった。
「あー」
濁点が付いていそうな、あ。
アリサはあからさまに酒焼けの声を聞かせて周囲の者を閉口させた。遅刻はしなかったが、気分は悪そうだ。
対して新垣はその日も変わらず調子良さそうにしている。
「千里さん……昨日あんだけ飲んでたのに凄いね……」
「私、お酒は強いんです。……大丈夫ですか?」
「むり」
続くダンスレッスンでもアリサは禄に動けていなかった。
金曜。
明後日には投票の結果が発表される。
その結果如何によっては、アリサが脱落するか、または他のメンバーに脱落の危機が移るのかが決まる。
ここ最近のアリサの様子は目に余った。
服装のこともそうだが、昨日一昨日のような一件もある。行動に一貫性がなく、その場その場で場当たり的に行動しているようで、見ている者を閉口させてしまう。カメラを意識しているんだかいないんだか。視聴者投票を意識するなら、もうちょっと他にいくらでもやりようはあるだろうに。
栞たちも接していてぎくしゃくしてしまう。
もちろんそんな雰囲気は視聴者にも伝わる。
コメントでは、
『アリサうぜえ』『映るな』
といった声も散見されたが、同時に、
『きた!』『このおっぱいの為に見てる』
といった声も目立つ。
最初は逆効果なんじゃないか、と思わないでもなかったが、そういったコメントを見ている内に、一部の視聴者がアリサに高得点を入れてくれるんなら、それもそれで正しいやり方なのかと思い直しはした。後者の声が大きければアリサは生き残れるはずなのだから。
轍は相変わらず大人しい。
ダンスレッスンスタジオで隣、一緒に膝を抱えて休んでいた時には、
「いやあ、投票マズかったっすねー。でも、今山場なんすよー。これ越えられたら、どうにかなるんすけどねー」
と言っていた。まだまだ先は長いらしい。
目立っているのは、他の誰でもない、新垣だ。
栞もやっと体力的に余裕が出てきて、他のメンバーに目を向けることが出来てきた。そうしていてやっと気づいたことがある。
なんと彼女、毎日早朝五時に起きているらしい。
朝方トイレに立った栞は、ちょうど部屋を出てきた新垣とバッタリ出食わした。
「あ、おは……ざいます。トイレですかあ? お先どうぞー」
うつらうつらしながら先をゆずる栞に対して新垣ははっきりと答えた。
「栞さんおはようございます。いいえ。私はこれからジムに行くところです」
「へ? ジム? 今からですか?」
一気に目が覚めた。そういえばジムなんてあったな、と思い出した。
聞けば、新垣はここに来てからというもの毎朝五時前に起きて、ジムで汗を流しているのだとか。
「それでは失礼致します」
――なるほど。
馬鹿丁寧に頭を下げ去っていく新垣を見つめていて分かった。
何故、あれだけのインパクトがあった由利穂に差し迫ることが出来、もう引退して長いとはいえ、国民的歌手の愛に勝つことが出来たのかが。
彼女の、その頑張り故だろう。小学生の知菜の比ではない。
そして、それだけじゃなかった。
この時間、皆が寝ているのだ。起きているのは新垣一人だけ。
つまりは、カメラを独占出来るのである。
早朝、一人、
「おはようございます。今からトレーニングに行きたいと思います」
と、カメラの前で馬鹿丁寧に頭を下げている新垣を想像した。
生配信。
仕事に行く人などはこの時間にしか配信を見れない視聴者だっている。そうした中で、朝から爽やかにトレーニングに励む、元TVS朝の顔。なるほど。今日も一日頑張ろうという気にはなるかもしれない。
土曜。
特にすることもなかったので、ベースをボンボンぺきぺき弾いていた。
弾いていたら薫子が勝手に部屋に入ってきて歌い出した。
Raybacksの曲である。
権利的にマズいと判断したのか、メインカメラがそれまで映していた栞の部屋を急に切り変えた。机上のノートパソコンの画面には愛と新垣が夕飯の支度をしている様子が映し出されている。知菜がちらちらと画面に入る。知菜はいつも率先してお手伝いをしていた。
その姿を横目に、薫子にずっと気になっていたことを訊いてみることにした。
大丈夫。今この瞬間は映されない。
「かおちゃん」
「んー?」
「またバンドやりたい?」
「んー……」
薫子はこてんと首を傾げて腕を組み、やがて口を開いた。
「まあね~。いつかね~。そん時はしおちゃんもやろうね~」
「……そうだよね」
――そうだ。そうなんだよね。
栞だけじゃない。薫子だって同じ気持ちだ。
思い出に浸り、何曲かを通しで終えた頃には、薫子と二人、泣き笑いのような表情になっていた。
日曜。
「はーいっ! どーん! それでは第二回! 運命の! 投票結果発表に移りたいとー思います! 宇津美ちゃんどうぞっ!」
「それでは、第二回目の投票結果を発表していきたいと思います」
カメラが南野からマイクを握る宇津美に変わった。
「第一位、新垣千里さん。得点は九〇点。
第二位、神瀬由利穂さん。得点は八十五点。
第三位、染夜愛さん。得点は七十点。
第四位、染夜知菜さん、得点は六十二点。
第五位、悠木薫子さん、得点は六十点。
第六位、本庄栞さん、得点は五十五点。
第七位、葦玉轍さん、得点は四十五点。
そして、第八位、アリサさん、得点は二十点。
以上、第二回目の投票結果になります。
尚、二週連続で最下位のアリサさんは、本日を持って鼎ハウスを退出して頂きます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます