第一章 番組スタート

 ☆


 なんか見たことあるな。

 ってのが、入室した瞬間の感想だった。目が痛くなるほどの真っ白な壁と天井に、真っ白なテーブル。腰が痛くなりそうな真っ白い固い椅子。

 右を見れば、家電から何まで白で統一された、調理器具一式揃ったキッチン。

 左を見れば、大型テレビ、その手前に大きなソファとローテーブル。

 そこそこお金を持っている家の小洒落れたリビングダイニングキッチンといった風。

 中学の頃、友達からやたらめったら勧められた男女で共同生活をする、というあの恋愛番組にそっくりだった。第一回を流し見だけして後は見てないけれど。

 落ち着かない空間だ。

 番組スタッフから、下の階には購買もあると聞いていたし、スタジオ、運動場などありとあらゆる施設があると聞いていた。

 自室も用意されている。ずっとここにいろ、というわけじゃないのが救いだ。

 言ってしまえば、ここで全て済ませられるように、外には脱落以外で出さないという、配慮とも呼べない配慮であるが。ATMでさえあると言っていた。いや、仕事に関してと、庭への外出は認められてるんだったか。

「一人……」

 どうやら一番乗りのようだった。

 誰もいない。

 先に自分の部屋を見に行こうか。アパートは既に引き払っている。栞の荷物は二日前に全て運び入れてもらい、引っ越し同然で今ここにいる。昨日はスタッフが手配したホテルに泊まった。とにかく早くベースに触りたかった。

「ん」

 カメラが目につく。

 四隅の天井。さらに共同で使うであろう大きなテーブルの上にもカメラが一台。それとブラックアウトしたモニターが一台。

 さらに、どこのメーカーとも知れないノートパソコンが一台置いてあった。

 番組の趣旨は説明受けている。カメラは初めてじゃないとはいえ、あの時は隣にバンドメンバーがいた。今は一人。スタッフさえここにはいない。

 少し恥ずかしくなる。既にカメラは回っているのだ。

「わっ」

 パソコンに近づいてみた。驚いて思わず声を上げてしまう。リアルタイムに配信しているというのは本当だったんだ。

『かわいー!』『わっwwww』『誰?』『いくつ?』『おいちゃんにおっぱい見して』『覚せい剤やんけ!』『トリーップ!』『まさかの薬中バンドメンバーw』『ワケアリってそういうワケアリかよ』『マ?』『もしかしてガチ系の理由あり?』『※注 先月、覚せい剤取締法違反で逮捕されたRaybacks元メンバーです。逮捕されたのはギター。ちなみにこいつは元ベース』『元ってか現役では?』『実質解散だろ』『てか、活動休止?』

 栞の顔がパソコンの画面にドアップで映り、その横に、たった今呟かれているであろうコメントがどんどん流れていく。配信サイト独自のコメントシステムだろう。

「わたしは……やってない……。知らないよ……。解散なんじゃない? もうよくわかんないよ。みんな、みんないなくなっちゃったし」

 また涙がこみ上げてきた。

 ここまで何度も泣いたのに。他人に突っつかれるだけで泣きたくなってしまう、弱い自分。パソコンの画面には『泣かないで!』『天使』『なーかしたー』という面白がるような書き込みに紛れ、『悲報。解散確定』『やっぱ解散か』『無念』という文字が踊った。

「ちがっ」

 ――これ、下手な発言はマズいんじゃ……。

 その場で言質を取られるのだ。

 最早、この番組――さらにその先――に賭けている栞に取って、Raybacksの解散云々については正直二の次三の次になっていた。しかし、正式発表もまだなのに(そもそもリーダーと連絡が取れない)、今の発言で、どこかで自分たちを信じて待ってくれていたファンたちに、ベースが正式に解散を認めた、と伝わってもおかしくない。

 未だメンバーの口から正式に、これからのことを伝えていないのに。

「えっと、」

 とりあえず、何か弁明しなくては、と思ったところで、間の悪いことに扉が開く音がした。栞が入ってきた入り口だ。

「よろしくお願いしま……って、ありゃりゃりゃ。いきなしとんでも無い現場っすねー。どしたんすか? あ、私、葦玉轍(あしだまわだち)っついます。ペンネームっすけど」

「え。あ、はい。本庄栞です」

 なんだか随分雰囲気の軽い女がやってきた。涙が引っ込んでしまう。

 赤いベレー帽を被り、長い髪を束ねて左に流している。白のノースリーブサマーニット、赤いミニスカートに濃いめの黒タイツ。

 肩から提げた無骨なパソコンバッグが格好から浮いていた。

「お! お! おー! これで配信してんすねー! やっぽー! 葦玉轍ーっす! 作家やってまーす!」

 栞のことなどどうでも良さそうに、ノートパソコンに向かって行った。そして、何の躊躇いも無くパッドを弄くり、画面右端のコメントをスクロールさせる。

「へえ、へえ。なるなる。そういうわけっすね。あー、この前逮捕されたバンドのメンバーさんだったっすかー。駄目っすよー。みんないじめちゃー。んじゃ、そういうわけで! 仲良くやっていきましょーっ、栞さんっ」

「え? は、はい」

 コメントを遡って先程のやり取りを見たのだろう。栞だったら勝手にパソコンを弄ってしまっていいのかと躊躇うところだ。

 轍はカメラの前でぎゅーっと一方的に握手を交わしたかと思えば、その手を離し、今度は窓を開け放ち外を眺めて「ど田舎ー!」などと叫んでいる。

 自由だ。

 鼎ハウスは一応東京だ。東京の端っこも端っこ。轍の叫んだ通りのど田舎。奥多摩方面の奥も奥。

 POTテレビが山の敷地を丸々買い、そこに放送局やこの鼎ハウスを建てたのだとか。ハウスというより、七階建てのビルだが。

 山の中腹にそびえ立つビルは、傍から見てかなり浮いている。

 押されっぱなしだ。

 今この瞬間もカメラが回っているんだ。取り戻さなくては、と口を開く。

「あのっ、作家って、」

「や! それはみんな来てからでいいんじゃないっすか? あ、ほら誰か来た」

 手をこちらに向けて、待ったを掛けられた。勢いを挫かれた形になり、多少もやっとしつつも、栞は音のした方を振り返る。

 今度は二人組だ。いや、各個別々か。見たところ年齢も離れている。どちらもどこかで見たことのある顔だった。

 片方はよく知っている。朝方見てたから。もう片方はなんとなくの情報だけ。

「失礼致します」

「あっはー! なんもなーい!」

 丁寧に頭を下げて入ってきたのは、テレビで何度も見た顔。どこかと言えば、主に朝の情報番組だ。最近はテレビだとめっきり顔を見なくなったが、ネット系列の番組では今でも時々見かける。美人な上に物腰も丁寧。根強いファンもいるため、たまに何かのメディアに乗ると、その度にネットで話題になる。

 きりとした目鼻立ち、柔らかい色の茶髪。ピンクの春物のカーディガンに白のロングスカート。年齢は二十半ばだったろうか。

 元TVSテレビアナウンサー。二年前に退社し、現在はフリー。

「はじめまして。新垣千里(あらがきちさと)と申します。どうかよろしくお願いします」

 元気良く入室してきたのは炎上系アイドル、アリサ。

 元アイドルと言うべきなのだろうか? たしか、最近所属していたアイドルグループをクビになったはず。運営に内緒でファンと交流、同棲発覚、度重なるペナルティを犯し、遂にクビが決まったとかなんとか。ウェブニュースで見かけた。

 派手な赤髪ロング。白と黒の丈の短いゴスロリ風ドレス。瞳がやけに大きく、ぎょろぎょろと値踏みするようにその場にいる全員を眺める様に、栞は本能的に恐怖を感じて目を逸らした。

「を! を! マジすかマジすか! 新垣アナにアリサさんじゃないっすか! うはあ。新垣アナのSNSフォローしてますよ! 番組も見てました! アリサさんは、私むかーし、握手会行ったこともあるんすよー」

 轍が跳ねるようにはしゃいでいた。

 新垣が柔らかく微笑み、轍と握手を交わしている。ザ・大人の女性といった感じだ。

 アリサの方は聞いているのかいないのか、部屋中を見渡して、テーブルの上にあったパソコンに目を付けると、手にしていたハンドバッグを放り出し、

「ハロー! アリサだよー!」

 などと、一人やり始めた。この子も自由だ。

 これで全部だろうか、と扉に目を向けると、また扉が開いたところだった。音に気づいて全員が扉の方を見た。

「失礼しまーす」

 幼く舌っ足らずで、それでいて高い、よく通る甘い声だった。

 続けてどっかでよく見た黒い厚底ブーツ。パンクロッカーが好んで履くようなそれ。ぷにぷにした生足。これまたよく見た真っ黒なオーバーサイズのパーカー。パーカーの帽子を深々と被る様は、記憶にある通りで、その隙間からど派手なプラチナブロンドの髪が覗いている。ほぼ白に近い。

「どもですどもです! 悠木薫子です! 今日からよろし……」

「な……!」

 腰を深々と下げてお辞儀した少女の顔がひょこりと上がった。そうして、上げた先にある栞の視線と少女の視線がぴったりと重なる。目と目が合った。いや、通じ合ったと言ってもいいかもしれない。どうしてここにいるのか。何故ここにいるのか。そんな想いが混乱と共にお互いの胸に渦巻いているのが手に取るように分かった。

 それだけ長く、長く、一緒にやってきた仲間であり、バンドメンバーであり、それと同時に大切な友人であると思っていた少女がそこにはいた。

 そう、思っていた。過去形だ。

 今や栞にとってはよく分からない存在。

 バンドのお金を全て持ち逃げし、今の今まで全く連絡が付かなかったRaybacksのリーダー兼ボーカル。

 悠木薫子(ゆうきかおるこ)がそこにいた。


「ああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「いやああああああああああああああああああああああああああ!?」


 声が重なる。音が重なる。

 もう二度と戻らないと思っていた音の重なりがこだまする。約二週間ぶりとなるハーモニーを響かせたのは、思いも寄らない形。

 栞の中では、これが真の番組スタートとなった瞬間だった。

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