炎上上等!! ワケアリ人間救済プロジェクト ~あなたの夢を叶えたい~
水乃戸あみ
序章 奈落の底、蜘蛛の糸
ドン底から這い上がる物語は実に美しい。
バンド、アイドル、役者、大企業の社長、ヒーロー。現実でも創作でも構わない。
色々だ。色々ある。
心惹かれる。夢踊る。私もこんな風になれたらと人生の中で一度くらいは、そう、一度くらいは、誰しもが憧れるだろう。
当事者になってみて、初めて分かった。
なるもんじゃない。
違う。違う。わたしじゃない。こんな筈じゃない。どうして。意味がわからない。けれど。でも。なんで。気づいてあげられなくて。やっぱり。わたしのせいだ。全部。全部。
違う! 違う? 本当に? 本当に? 本当に?
本当にそうだって言えるの?
溢れ出てくるのは否定の言葉か、意味をなさない疑問ばかり。
預金残高十二万円の文字列を指でなぞる何の意味も無い作業。
うだるような熱気のこもった部屋。
六畳一間のボロアパート。風呂トイレ付き。エアコン無し。お家賃七万円。高い。高過ぎる。長野の田舎だったらその半分以下でもっと広い部屋に住めるだろう。わかんないけど、わたしには理解る。東京ってのはそんなところだ。厳しい場所なんだ。
それでも憧れの下北沢。何とかここまで頑張ってきたのに。
それなのに。
「そうだ……お母さん」
母に何を言おうとしているのか、栞自身よくわからなかった。けれど、無性に声を聞きたくなったのだ。こういう時に手を差し伸べてくれるのはいつだってお母さんだった。
スマホを持つ手が震えた。
緑の通話アイコン→電話帳→お欄→お母さん→発信。たった五回タップするだけなのに、その行動に三十分以上時間を掛ける。
一、二秒の沈黙の後、ぷっぷっぷと発信音。ぷるるる、ぷるるる、ぷるるる。もうやだ怖い切ろうと赤の通話終了マークを押す間際、
「もしもし」
声が聞こえた。
「お母さんっ! お母さんっ! お母さんっ!」
涙声で叫んでいた。
あれだけ、
「大丈夫だって」
「もうここからは這い上がるだけだから」
「今挑戦しなかったらわたし一生後悔する」
「みんながいるから」
「泣きついたりしないよ。だって、わたしお母さんの子だもん。信じてよ」
とか何とか言ってたのに。
笑える。自分で自分を一番分かってなかったんだ。
お母さんだけが分かってくれてたんだ。
「うわああああああああああああっ。ああああああああああっ、ああああああああああああああああっ、お、お、おか、おかおか、おかあさああああああああああんっ」
「落ち着け」
「ふぃぎゅ」
低い声音でたった一言。
変な声で鳴いてしまった。
声を聞いただけで救いの手を差し伸べられた気持ちになってしまう。こんなに素っ気ないのに。
「だいたいテレビで見て知ってる。でも、栞の口から。ちゃんと聞かせて」
「う、うん。あ、あ、あのね? ひっく」
喉を詰まらせながら、起こったことを洗いざらいぶちまける。
ここ一週間に起こったこと。全てを話す。
デビュー前の自主制作ミニアルバムは即日完売。本人たちが全曲作詞作曲。地方でのライブも精力的に熟す今大注目の四人組バンド。
この春、現役女子中学生(当時)バンドが遂にメジャーデビュー。
地方、長野からの上京物語。
オリコン十位以内にデビューシングルが引っ掛かり、続くセカンドシングルは四位という好成績。次のシングルは、深夜アニメにタイアップも決まっている。
本人たちの容姿と、話題性で、ちょいちょい雑誌、ラジオ、ウェブ、テレビ等で取り上げられ始め、メンバー四人で呼ばれてバラエティ番組なんかに出たりもした。音楽とは全く関係ない地方ぶらり旅。視聴率良かったし、次もどっかで使うから、と番組プロデューサーが言っていたとかいないとか。
順風満帆。まさにこれからって時。
その矢先。
一週間前のこと。
ギターの渡来明奈(わたらいあきな)が覚せい剤取締法違反で逮捕された。
栞の同級生であり、友達であり、幼馴染でもあった。
その明奈が。薬物使用で逮捕。
この時、栞は寝耳に水と言っても良いところだった。ワイドショーを何となく眺めていて、ニューステロップで「Raybacks(レイ バックス)のギター、渡来明奈が覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕」の文字を見た時は、同姓同名の別人かと思った――なんてこともなく、その前に脳がその情報を処理するのをストップして、十分くらいはただぼうっとしていた。
その後、ドラムの岸島美桜(きじまみお)から「嘘!」「やばい!」「どうしよう!」とラインメッセージがしゅぽんしゅぽん連続で届き、ようやく事態を呑み込み始めたが、やっぱりぼうっとしていた。どうしていいかわからなかった。
十分後、所属事務所のマネージャーから緊急の呼び出しが入り、栞は夜十一時にも関わらず事務所へと向かった。
「見られたら面倒だからタクシーを使って」と。
結論から言えば――。
所属事務所からは契約解除が言い渡された。
これは薬物使用した渡来明奈だけではなく、メンバー全員が当て嵌まる。若いガールズバンドということで、売り出していたのに、イメージが悪すぎるという理由だった。
発売していたCDは即回収、出荷停止、ストリーミングサービスについても、明後日には配信停止の処置を行う。今後のスケジュールについても決まっていたものは全て白紙。
最後に、
「これ、餞別」
と、マネージャーに手渡されたどこかのお土産のお饅頭が、やけに印象に残っている。家に着いた頃には失くしていて、どこにやったのかは記憶に無いけれど。
帰りのタクシー代はもらえなかった。
終電も過ぎていた為、仕方なく歩いて帰った。帰り道、餞別の意味がわからなくて、スマホで調べてその意味を知った時、ようやく涙が溢れてきた。
そして、事務所との折衝役その他お金の管理全般を任せていたバンドの顔役であり、半分マネージャーみたいなことをしていたボーカルの悠木薫子(ゆうきかおるこ)は、最後まで顔を出さなかった。
薫子はバンドのお金を全て持って逃げた。
蒸発である。
未だ連絡は付いていない。
筋少の大槻ケンヂがバンドのお金管理は絶対にちゃんとやっといた方がいいよ、と、どっかの本で口酸っぱくして言っていたのをその時になってようやく思い出した。メンバー全員よく分からずに、一旦リーダーの薫子に入れて、そこから均等にしよう! なんてやっていたのは最悪の一言だった。
誰が作詞作曲とか関係無くそうしていたのだから。
いずれ、どこかで歪みは生じていたのかもしれない。
そして、その作曲を担っていた明奈が逮捕されたことで、新しくメンバーを入れ替えて、おいそれと勝手に今までの持ち曲を演奏するということが出来なくなった。
メンバー本人たちが作曲をやっていると言っても、元となるメロディやコードラインは全て明奈が作っており、他のメンバーはアレンジに徹していたのである。今まで作ったCD等にも全てそう明記されている。
著作権的にマズい。それくらいは今の栞にも理解できた。
ドラムの岸島美桜からは、その三日後にラインで、
「ごめん! 他のバンド入ることになった! さよなら!」
と、連絡が来た。
引き抜きである。ドラムというポジションには、ままあることだ。
驚きは無かった。感じる感情も持っていなかった。
ちゃっかりしてるなあ、とその翌日くらいにはようやく思えて、次に、前から声は掛かっていたんじゃないか、と思い始めた。
そうして、今に至る。
「帰ってきなさい」
全てを語り終えた栞に対し、母は言った。
「それだけ貯金があれば、引っ越し費用くらいにはなるでしょう。引っ越し手続きは管理会社の番号が……あの貰った、黄色い封筒の中のどこかに載ってるはずだから。まずはそこに電話して、退去しますって一言伝えて。それで必要な手続きは向こうが言ってくれるはずだから。
残りの生活代と、家賃、光熱費考えればギリギリ足りないくらい…………まあ、行く時は、ああ言ったけど、足りない分は出してあげるから。そしたらまた電話して来なさい。それより、何で今まで電話出なかったの。本当、心配し」
「あの! お母さん!」
遮り、言う。
「やっぱり、帰らなきゃ、駄目?」
せっかく。
せっかく、ここまでやってきたのに。ここまで上手くいっていたのに。こんな終わり方なのか。帰るしかないのか。いや、それより、地元に帰ること事態が嫌だ。今の栞の状態を、知り合いに見られるのが何よりも嫌だ。親も友達も。近所のガキ共にだって。みんながみんな。
なにせ、自分は――。
「当たり前でしょ。中卒で。これからどうするつもりなの」
そう。
栞は中卒だった。
高卒、ですらない。高校には行かなかった。
バンドと進学を天秤に掛けて、バンドを取ったのだ。もちろん周囲からの猛反対を受けた。お父さんは首を頑として振らなかったし、先生も友達も応援はしてくれたけど、進学だけはしといた方がいいよ、と最後には言っていた。
メンバー四人で音楽の道を取ったのだ。あの時はその選択がとても素晴らしく思えた。
お母さんだけは何も言わなかった。
必要なことだけ言って、「頑張れ」と、ただ一言。それだけ。
なのに。
「別に今から高校行ったって良いでしょ。普通の高校が嫌なら通信制だってあるし」
通信制。
友達はなんて思うだろうか。想像するだけで吐き気がする。かと言って今から普通の高校に行っても来年春に受験ということになる。ダブるのだ。この歳にして。死にたくなった。
でも、高校に行くお金は出してくれると言外に言っているように思う。
そんなことを思ってしまっている浅ましい自分が嫌になる。
「このままそっちに居たって何も出来ないでしょ。バイトするくらいが関の山。でも、バイトだとそっちで生活するのに、フルで働かないと割が合わない。それだと何の為に進学蹴ったんだか分からない。ね? それに、栞一人でどうするの? 栞、別に、曲作ってるわけじゃないんでしょ? ベースがめちゃくちゃ上手いってわけでも」
普段あまり喋らない母がよく喋る。それだけ栞のことを心配してくれている。それだけで嬉しい。けれど、語る言葉は身に沁みて痛かった。
そうだ。現実問題、今の状態だとどうしようもない。地元に帰るしかないのだ。
――でも、それは嫌だ。
「今日電話しちゃいなさい。じゃあね。お母さん今仕事してるから。あんまり時間取れないけど。今日の夜、また電話するから」
そう言って、電話は切られた。
厳しいこと――というか、当たり前の現実をただ諭されただけだった。しかし、抱えていた自分の気持ちとこれまでの事情を全て人に話したことで少しは楽になった。
スマホを放った。
部屋の隅に立て掛けられた白と黒のプレジションベース。そういえば、一週間前から触ってもいなかった。ちょっと前なら考えられなかったことだ。自分はどれだけ動揺していたのだろう。ここまで一緒にやってきた相棒なのに。
何だか、申し訳なくなった。これから先も一緒にやれるんだろうか、いや、その前に一緒にやれるような仲間とまた巡り会えるんだろうか。
いいや。今は少し、触ってやろう――そう、手を伸ばした瞬間。
ぴんこん!
そんな栞の行動を邪魔するかのように、スマホが鳴った。
「ん?」
ツイッターのアイコン。ダイレクトメールが届いています、という表示。珍しい。栞のフォロワーが栞に対して、直接メールを送って来たのだ。栞にしか見えない形で。あまり無いことだ。リプライは先日から山のように届いていた為、絶賛放置中。
気になって開いた。
「んん?」
ぱっと見では意味の分からない文字列が並んでいた。
もう一度、冒頭からしっかりと読む。
『本庄栞様。
突然の連絡をお許しください。
私は株式会社POT(ピーオーティー)テレビの企画統括の真下誠司と申します。
POTテレビとは、地上波では絶対に流せない、例えWEB配信であろうとも、今までは存在しなかった番組作りを、という信念の元に、三年前から大手通販会社フォレストとの協力の末に発足致しました。
POTとは、Pursuer Of Truth の意、つまりは真実の追求です。
こちらhttp://~ が、弊社のホームページになります。今後、この場所にて、様々な配信を行っていく予定です。
今回、メールをさせて頂いた理由は、その第一回目の企画に、是非、本庄栞様の出演をお願いしたく、こうしてメール致しました』
続く文言も含めて、全てを最初からもう一度読み終える。
怪しい。間違いなく怪しい。胡散臭いし、そうじゃなくても失礼極まりない内容だった。
だけど。
けれど。
自分は今や崖っぷちどころか、ドン底だ。人生のドン底だ。だったらこれは蜘蛛の糸だ。縋るしかない一本の光だ。これを逃したらまた何時チャンスが巡ってくるのか分からない。
頭の中で考えを巡らせる。
そうだ。挑戦なんだ。
お母さんには申し訳ないけれど。
だって、今更帰れないじゃないか。どんな顔して田舎に帰れというのか。
「ふーーーっ」
正常な判断が下せていないような気がする。自分はまた失敗を繰り返そうとしている。これに出てしまったら、今よりも取り返しの付かない状態になる。何せ、全国に晒される。
だけど、全部、かもしれない、の域。
やってみなくちゃわかんないよ。
「やろう!」
自分を鼓舞するように叫んだ。
ベースを手に取り、立ち上がる。姿見には、涙でぐちゃぐちゃになった不細工な自分が映っていた。
そうだ。
どうせ、失う物など何も無いのだから。
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