お誕生日不幸ガール

カゴノメ

序章

第1話 雄鶏が朝を知らせるまで

 月明かりだけが煌々こうこうと照らし出す寝静まった小さな村。

 外を出歩く者はただの一人もいないこんな夜遅くに、一軒だけ灯りのついた家がある。村の中で一番大きなこの家は、この村を牛耳ぎゅうじる村長の家であった。

 

 しかし、そんな村長の家から出てきたのは柔らかなほっぺたを真っ赤にらした六、七才程度の可愛らしい女の子。手には薄い板のようなものを持っている。

 

 少女は、開けたドアを固定するために持っていた薄い木板をドアと地面の間に挟み込んだ。

 それから少女は家の中に戻っていくと、少しして溢れんばかりに服やらの布の入った大きなバケツを持ってきた。

 バケツは少女の身長はありそうなほどの大きさで、幼い体ではよいしょよいしょと蟹歩きになりながら持って歩くのがやっとのことだ。

 少女がもう一度家に戻っていこうとしたところで、とある大きな生き物が家の中に入ってきた。

 

 見てみると、それは少女の頭一つ分はありそうな大きなであった。

 

 少女は「ひぃっ!」と小さく悲鳴を上げた。

 

 六、七才の幼い少女からしたら恐怖そのものだろう。大人でも平気で逃げ出してしまいそうな大きさだ。

 蛾は少女の家の中、玄関の壁に止まっている。

 

「わたしが……、たおさなきゃ……!」

 

 ドキドキと上下する胸を押さえながら、少女は生唾を飲み込み覚悟を決めた。

 先ほどドアと地面の間に挟んだ木板を引っ張り出して構える。ドアはバケツを置いて固定した。

 ぷるぷると恐怖で震える手でしっかりと板を握ってジリジリと蛾に近づいていく。

 

 そして――

 

「やっ!」

 

 小さく掛け声をあげて少女は木板を蛾に向けて叩きつけた!


 勝負あったようで、木板に叩きつけられた蛾はしばしピクピクと痙攣けいれんしたのち、板の下で息絶えた。

 少女は動かなくなったのを確認して、ふうと息吐く。

 すると、蛾の死体から赤い液体が垂れてきた。

 

「うげぇ……」

 

 そのあまりの気持ち悪さに少女は顔を引きらせ、すぐさま死体のついた板を放り捨て家の中に戻っていった。

 ドタドタと足音を立てて戻ってきた少女が手にしていたのは、麻布であった。ぼろぼろになっており、おそらくもういらない布を持ってきたのだろう。

 少女はそれでつとー……と垂れる赤い液体を拭うと、バケツの中に麻布を放り込んだ。ついでに先程放り捨てた木板も一緒に投げ入れる。

 

 倒し切った達成感に、手を腰にやってドヤっ!としたが、まだ仕事は終わっていない。

 

 もう一度蛾が入ってくることを恐れた少女はドアをパタリと閉めて、両手でバケツを抱えながら夜の道を歩き出した。

 腕で支えた方が力が分散して負荷が小さくなることに気が付いたようだ。

 

 ふくろうく声が響き渡る真っ暗な夜道。月明かりがほのかに足元を照らすだけで辺りは闇に包まれて何も見えない。

 明らかに幼い彼女にとっては怖いはずだが、少女は闇を恐れずにずんずん進んでいく。

 人ひとりいないのが幸いか。

 

 その時――

 

「うえー……ヒック! こんなんやってられんかってんだ!」

 

 前からフラフラとした足取りで大人の男性がやってきた。そして、ドスン!と音を立ててその場に倒れてしまった。

 驚いたのは少女で、しばし警戒して距離を取っていたが、何もしてくる様子がないのを確認すると「だいじょうぶですか?」と声かけた。

 しかし少女は知らないのだろうが、この男は酔っ払っているのだ。

 言葉にならない音を発する男に、これはいけないと思った少女はバケツを置いて家へと戻った。

 

 怖くて家に帰ったわけではない。この少女に限って恐怖に逃げ帰るということは絶対にあり得ないのだ。

 

 そう、しつけられてきた。

 

 トテトテと走って戻ってきた少女は、男性に再度「だいじょうぶですか?」と声かけて持ってきた瓶の液体を男性の口元に流し入れた。

 少女の父親がよく真っ赤になって倒れた時に飲んでいたもので、この男性にも効くだろうと少女は思ったのだ。

 効果は覿面てきめんで、男性はむにゃむにゃ言って眠りについた。

 

「こんなところでねたらあぶないですよ」

 

 言って、少女は瓶と一緒に持ってきた小さい掛け布団を男性にかけてやった。大きさは少女の全身が収まる程度のもので、男性には腰までしかかかっていない。

 それで少女は満足したのか、またバケツを持ってえっちらおっちら闇の中を進んでいった。

 

 しばらく歩くと森が現れた。

 木々が生い茂り、月明かりでほのかに照らされた葉っぱたちは少女には化け物のように映ることだろう。

 しかし少女は、蛾を退治した時と同じようにごくりと唾を飲み込んで決心すると、森の中に足を踏み入れた。


 風でカサカサと揺れる音に内心ビクビクしながらも、彼女が足を止めることはない。

 目的のを目指して歩き続ける。

 

 ようやく着いた池は、丸い形をしており池というよりは水溜りと言った方が正しい大きさである。少女は池のほとりにバケツを置いて、中から木板と麻布を取り出した。

 木板を地面に置いて麻布を池の水に漬ける。

 

「ひゃっ!」

 

 季節は冬。雪こそ降っていないもののこの時期の水は凍えるように冷たい。

 少女の小さな手はみるみるうちに真っ赤な紅葉に変わっていく。

 少女は苦悶くもんし表情を歪めつつ、それでも手を動かして麻布をゴシゴシ手洗いする。

 すぐには赤い液体による汚れは取れないのでみるような痛みに耐えながらゴシゴシゴシゴシ丹念たんねんに擦り続ける。

 だいぶ汚れが落ちてきた辺りで少女は麻布を池から引き上げた。そしてそれを地面に置いてしばし乾かすようにすると、バケツの中から更に布を取り出し、また凍えるような痛みに襲われながらゴシゴシ洗っていく。

 

 少女の仕事は、これをバケツの中の布が全て乾き切るまでやることである。

 どう考えてもこんな年端のいかない少女にやらせていい仕事ではない。それをこの真っ暗闇の中で一人、だ。

 それでも、少女は文句を垂れることなくひたすら課せられた仕事をこなしていく。


 それが、自分の罪を償える唯一の方法だと信じて。

 

 ようやく最後の洗い物を終え木板も綺麗にした少女は、これらをまたバケツに戻して帰って終わり……というわけではない。

 あくまでこれは一陣いちじん。もう後一つバケツは残っていて、そっちも同じように洗わなくてはならない。

 少女はひと心地つく間もなくバケツを持って家へと戻り、また二陣目のバケツを持って池まで戻ってくる。

 そして、また手を真っ赤に腫らして洗うのだ。

 

 遂に二陣目まで洗い終え、少女がふうと息を吐く頃には、月が姿を隠し代わりに太陽が姿を見せ始めていた。

 家に着いた少女はようやく眠る時間が与えられる。

 

 雄鶏が朝を知らせるまで――

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