エリスティナの婚約者



「あ……あなたって、女性みんなになの?」


「そんな感じとは?」

「だからっ……その……そうやって、すぐに触れてくるところ、とか……」


エリスティナはやっぱり戸惑ってしまう。なのにリヒトガルドは涼しい顔をしながら、不思議そうに少しだけ首を傾げて見せた。


「わたしだから、許すけれどっ。身分の高い女性に勝手に触れたりしたら、即刻打ち首にだってなりかねないわよ?!」

「勿論、みんなにという訳ではないが。目の前の女性に礼を尽くすのは、男の振る舞いとして当然の事ではないか?」


(——わっ、わたしを押し倒しておいてっ。その口が言いますか!)


呆れ顔で目を丸くしたエリスティナを見遣りながら、リヒトガルドは頬を緩ませ、心の中で呟く。


小さな事でも気になって、手を差し伸べてしまう。

君は私の、『大切な人』だから——。


久しぶりに日差しを見せた窓辺から舞い込む風が、白いレースのカーテンを大きく揺らした。

リヒトガルドの青い双眸を見上げていれば——自分はこの光を知っているような気がしてくる。


「その髪色っ……あなたはもしかして、グルジアの人?」


自国の名が出たのに驚き、リヒトガルドは息を詰まらせた。


「それにあなたの瞳、ブルーグリーン。グルジアの海の色……」

「青い目を持つ者など、どこにでも居るだろう?」

「あなたと同じ色の瞳を、わたし、知っているの——グルジア国のひとよ。わたしの婚約者で、未来の夫……」


エリスティナの頬が微かに紅く染まる。

胸の上にそっと重ね合わせる手のひら、もじもじと照れたようにうつむく様子は、これまでリヒトガルドに向けてきた剣幕とは対照的にひどく儚く愛らしい。


「もしもあなたがグルジアの人なら、きっとのことを知っているわ。だって彼は、グルジアの……」


「グルジアの王太子、リヒトガルド」


つい口を突いて出てしまった言葉に後悔する。

婚約者の名を言い当てられたエリスティナは、驚いて顔を上げた。


「そうよ……リヒトガルド様っ。やっぱりあなたはグルジア国の?!『リヒト』だなんて珍しい名前、に似ていると思ったの」


エリスティナはすがるように詰め寄った。


「ねぇ、あの方は……リヒトガルド様は、元気にされている?! お父様がご崩御なさったのよね……さぞかしお力落としでしょう。私もそばにいて、支えて差し上げたいけれど……今は、それができないから」


美しい瞳を心配そうに揺らして見上げてくるエリスティナに、リヒトガルドは呆気に取られ、言葉を失ってしまう。

視線を落とし、まだ濡れたままの前髪を掻き上げてみたが、込み上げてくる想いを押さえきれずにフッと微笑んだ。


「君は優しいのだな……。王太子は健在だ。君が案じてくれたことを知れば、とても喜ぶだろう」


できる事ならば、自身を案じて瞳を潤ませる彼の婚約者——エリスティナを、今すぐにでも抱きしめたかった。


「あなたは、リヒトガルド様のことをどのくらい知っているの? あなたが平民じゃない事くらいはわかるわ。私たちの婚約の事を知っていたほどだから、もしかして……王宮に仕えていたり、する?」


キラキラと輝く瞳は、リヒトガルドの返事への期待でいっぱい。

聞きたい、そして婚約者である王太子の事をもっとよく知りたい。そんな気持ちが表情に溢れ出ている。

そしてリヒトガルドは、その期待を裏切る事ができないのだった。


「ああ、良く知っている」


——今ここで素性を明かせば、どうなるだろうか。

そんな想いが、刹那の間にリヒトガルドの頭を掠めた。


「わたしは、王太子の……」


素性を明かせば、きっとひどく落胆させてしまうだろう。


エリスティナ——。

君は『私』ではなく、空想の中に存在する『婚約者リヒトガルド』に、想いを寄せているのだから。


「王太子の……従兄弟いとこで、王宮では近衛騎士だ」

「あの方の、いとこ……? どうりで瞳の色が似ているわけねっ」


咄嗟についてしまった『嘘』、そして『偽りの名前』。

いつの日か真実を伝える時が来たら、エリスティナをまた怒らせてしまうだろう。

想いを寄せていた婚約者の正体が、呪詛がかりの無礼な男だったという大きな落胆とともに。


「そういえば今日、皇城にグルジア国の大使が訪ねて来るのですって。縁談の事でお父様に大切なお話があるのだとか。王太子様に近い方なら、あなたのお顔見知りかもしれないわね?」


唐突に知らされた事実に、リヒトガルドの目が大きく見開かれた。


誰だ……グルジアはいったい、誰を寄越すのだ。

是が非でもその者に会って、この理不尽な状況を知らせねばならない。


自らも知る必要がある、そして確かめたい。

王太子である自分が姿を消した今、祖国グルジアがいるのか——。



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