この状況は、いったい…?!




案の定、マイラにはひどく叱られてしまった。


いつもなら言い訳の一つや二つ……口をついて出てくるものだけれど、今はがまん! エリスティナは心の口をぎゅっと縛って堪える。


だって今日は、もっと『大切なこと』を伝えなきゃならないから——。


「一人で森に行った事は謝るわ、そしてになったのも……。本当にごめんなさい、みんなに心配をかけてしまって」

「馬に振り落とされたなんて! もし大怪我でもなさっていたら……!?」


湯浴みを済ませたエリスティナの髪にブラシを通しながら、マイラはこの世の終わりみたいな溜息をつく。

どうやらメイドたち総出で、皇城内外を探し回っていたようだ。


「姫様がお転婆なのは、マイラは百も承知ですが」

「本当にごめんなさい! とても反省しているから、もうそれ以上言わないで?ちゃんと自分で、わかっているから……。それにね。私……マイラに話さなきゃいけない事があって」


——けものを、連れて帰ってきてしまった。


エリスティナのベッドで寝ているあの子を見れば……マイラは驚いて卒倒するかもしれない。

勝手に外出した事よりも、もっと叱られるってわかっていたけれど。

水の中で気を失ってしまったあの子を、どうしても置いて帰る気にはなれなかった。


「マイラも姫様にお伝えする事があるのです。それで騎馬場まで出向いて、お探ししていたのですよ……!」


騎馬場までマイラが呼びに来るなんて、普段はあまり無いことだ。


「いったい、みんなで何をそんなに慌てていたの?」


気持ちを落ち着かせるみたいに息を吐いたマイラの、眉間の皺が緩んで……いつもの優しい笑顔が戻る。

自分を大切に思ってくれていると心から感じる時に見せる、他のどんな表情よりもエリスティナがいちばん好きな、穏やかな笑顔。


「姫様。いよいよ、お転婆な姫様のままではいられない時が来たようです」


「どういうこと……?」

「陛下と皇后様がお呼びです。大切なお話があると仰って」


「大切な、話?」


お父様とお母様お二人から直々にお話だなんて。いったい何かしら……お二人で長いご旅行にでも出られるのかしら。


呼び出された理由の見当もつかず、エリスティナは首を傾げてしまう。


「ですが……こんな事になっていたなんて。陛下と皇后様には、私の方から事情をお伝えしておきます」



エリスティナが素直に叱られたからか、マイラの機嫌が何故か(?)良かったからなのか。

おそるおそる事情を話して、けものの事を打ち明けたのだけれど……マイラは少し顔をしかめただけだった。


「すぐに森にお返しになってくださいね……」


そんな一言を残し、そそくさと下がってしまう。

この時間は昼食の後片付けやらで、皇宮内は慌ただしいのだ。




寝室を覗けば、小さな白いけものがすやすやと穏やかな寝息をたてて眠っている。

見た感じ辛そうな様子はない。


「……きっと、よほど疲れていたのね?」


獣の隣に、身体をそっと滑り込ませる。

目の前に眠るものが何なのか……まだ得体が知れないけれど、急に噛み付いてくるような危険なものではなさそうだ。


ふわふわの被毛にそっと唇を寄せてみる。

柔らかな感触に触れて、なんともいえない心地よさに背中がぞわりと震えた。


「やだ、キュンキュンしちゃう!」


思わず続けてくちづけた。

頬をすりすりしてみたり、獣の耳の毛で手の甲をくすぐってみたり。ひと通りモフると満足をして、今度は上から横から、その愛らしい寝顔をじぃっと見つめた。


「この子ったら。獣界じゃ、かなりのなんじゃない?」


いくら見ていても飽きないけものの寝顔を眺めているうちに—— 湯浴みの後の心地よさも手助けして、エリスティナはいつの間にか、夢の中へと誘われていた。





「……ん……」


どれほど眠っていただろう。


が頬を掠め、そのままそっと額の髪に触れる—— ……な、に……?


くすぐったさに薄く目を開ければ、窓の外はオレンジ色に染まっていて。

落ちかけた太陽が夜のとばりを呼んでいる。


「私ったら、寝込んじゃって……!」


がばっと身体を起こし、エリスティナはすっかり寝入ってしまっていた事に少しばかり後悔をする……お父様とお母様に呼ばれていたのだった。


変な時間に眠ってしまった気怠さが、覚睡の邪魔をする。

まだまだ眠い……できればこのまま横になって、もう一度甘美な夢の中に潜ってしまいたい!


だけどそんな頭のモヤモヤは、瞬時にふき飛ばされることになる。


「やっと起きた」


突然頭の上から降ってきた、艶のある低い声。



——ぇ……???



視界の右側——獣が寝ていた場所に、ものの気配を感じとる。

首を回すのも憚られるほどの緊迫感……ぇっ、ぇっ、えっっ?!


おそるおそる、顔を向ければ……。


私のそばに静かに座り、膝の上に腕を立てて。

その腕に繋がる男性らしく筋張った手を顎に当て、わずかに頬を緩ませて。


見た事もない男がエリスティナを見下ろしていた。


(きゃ………………)


バッ!


声を上げる間も与えられずに後ろから羽交い締めにされ、手のひらで口元を塞がれた——長い指先がエリスティナの頬まで包む大きな手は、とてもあたたかくて柔らかい。


どうやらここは、夢の中ではなさそうだ。

背中を抱かれる緊張と驚きに鼓動が高まって……心臓が、壊れてしまいそう!!


「驚かせてすまない……何もしないから、私の話を聞いて欲しい」



——なっ、何もしないから……ですって?!

もうじゃないっっ。



あなた何様ですか! というか、誰っっ?! 私の部屋に忍び込むなんて——命知らず、それともっ……??


心の中で思いつく限りの悪態をついてみる。口をふさがれたまま、視線をめいっぱい後ろに向けようとするのがエリスティナにできる精一杯の抵抗だ。


羽交い締めの腕に、更に力が込められた。

エリスティナの身体は完全に男の腕の中に収まっている。


耳元に感じる、熱い吐息混じりの声。


「……皇女エリスティナ。私を助けてくれないか」


た、助けてくれと叫びたいのはこっちですよっっ。

ああ、神様。



———これはいったい、どういう状況でしょう!?




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