09-07-兄と妹と幼馴染

 アパートに戻り、鍵を開けて部屋に入ると、電話でもしているのだろうか、澪の声が聞こえた。


 やけに弾んだ声色から、すぐに余所よそ行きの声だと気づいた。家族ではなく学校の友人だろうか。


「はいっ、討伐完了でーす。あっ、お兄さまが帰ってきたので、本日のゲームはここまでっ! みなさま、観てくださってありがとうございましたー♪ 上手だった、他のモンスターやゲームも観たいとお感じになりましたら、チャンネル登録よろしくお願いしまーす♪ ではっ、Mioでしたー♪」


 俺は部屋の入り口に立ち尽くしたまま、妹の様子を見ていた。

 なに、このきゃぴるんとした生きもの。


「おにい、おつー」


 スタンドに立てかけてあるスマホをタップした澪は録画か放送を終えたのだろう、俺のよく知る気だるげな声に戻った。


「なんだよお兄さまって……」


 あまりにも見事なスイッチの切り替えに苦笑する余裕もない。


「……お前、なんで俺のアパートで実況プレイしてんの? 顔出ししてねえだろうな」

「してるよー。しないとPVもチャンネル登録もとれないんだもん」


「危ないだろ。熱心なファンとかが狙ってくるかもしれないだろ」

「おにいは心配性だなー。そんなこと言ってたら、なんにもできないじゃん。……それより、ん」


 部屋の入口で立ち尽くす俺に手のひらを差し出してくる澪。


「お土産。かわいい妹がわざわざやって来たのに、まさか手ぶらで帰ってこないよね?」


 その様子に俺はため息を吐くしかない。トートバッグから紙袋を取り出すと、澪はそれを奪い取って中をがさがさと漁りだす。


「おっ、プリン! しかもちょっといいやつ! やば、おにいのくせにわかってるじゃーん! 彼女でもできた?」

「できるわけねえだろ……」


 バイト帰りに入ったことのない洋菓子店にわざわざ入って買ってきた甲斐があった。しかしなぜだろう、理不尽な攻撃を食らっている気がする。


 澪がよく飲んでいた500mlの紙パック入りのカフェオレをふたつバッグから取り出すと、澪はなおさら機嫌良さそうに跳びはねた。



「その……最近、どうだ?」


 紙パックが載った折りたたみ式の小さなテーブルを挟んで、美味しそうにプリンを口に入れる澪に問いかけた。


「澪はあんまり変わんないなー。前の友達とはネットとかRAINで繋がってるし、新しい友達もたくさんできたし。家から学校までの距離が近くなったのは楽ちんかなー」

「ん……。そうか。……えー、あー、が、学校へはなにで行ってるんだ?」

「自転車ー」

「ん、そうか」


 沈黙が流れる。誤魔化すようにプリンをすくって頬張った。


「なに? おにい緊張してるの?」

「あ、いや、そういうわけじゃ」


 澪がプラスチックのスプーンをくわえたまま、不思議そうに見つめてくる。……だよな。学校へはなにで行ってるんだ? ってどんな質問だよ。


「父さんと母さんは?」

「おとんは知り合いの会社がアキバにあるから、そこで働いてる。給料上がってお母さん喜んでたよ」


 そういえば引っ越す前、そんなことを言っていたかもしれないと、わずかな思い出の残り香が俺に訴えてくる。

 まあそりゃそうだよな。堅実な父さんのことだ。なんのアテもなく急に引っ越すなんて言わないよな。


「お母さんはユアチューブで歌ったりピアノ弾いたりしてる」

「歌? ……あー、そういや昔アイドルだったもんなぁ」


 母さん、藤間塔子──旧姓・月宮塔子つきみやとうこといえば、一世を風靡したアイドルだったそうだ。

 短大に通っているときにスカウトされ、トップアイドルへの道を駆け上がったらしい。


 三年目──二十二歳のときに突如引退し、OLになって父さんと結婚した。

 "あの人はいま?"みたいな番組だと、人が変わったようだとか、芸能界の摩訶不思議、なんて取り上げられたりしている反面、懐かしい曲を紹介する番組なんかだと必ずと言っていいほど母さんの曲が流れてくるし、コンビニの歌詞のないBGMなんかでもメロディが母さんの曲だったりする。


「でもピアノなんて弾けたっけか?」

「最近はじめたの。お稽古の様子もユアチューブに投稿してるんだけど、上達早くてすごいの。澪より先に収益化しちゃって……ぐぬぬ」


 澪は悔しそうにスプーンを噛む。

 どうやらユアチューブでのPVかチャンネル登録数だったかは知らないが、澪より母さんのほうが上らしい。

 月宮塔子のネームバリューがあるから、仕方のないことだとは思うけど。


「……ま、そんな感じでみんな楽しくやってるから。だからおにい、謝らなくてもいいからね」


 言いながらカフェオレのストローに口をつけ、器に残ったプリンをすくい集める澪。

 謝るタイミングを失って面食らう俺は、図星を突かれたことをごまかすようにカフェオレのパックを開封した。


「おにいの質問終わり? 今度は澪のターンでいい?」

「あ、いや、待ってくれ。……七々扇って覚えてるか?」

「…………うん、もちろん。綾音さん……だよ、ね」


 澪の表情に仄暗い影がさす。

 昔はよく七々扇、澪、そして俺の三人で遊んでいた。

 しかし小学校高学年の罰ゲーム事件以来、七々扇は澪とも口をきかなくなった。

 ……それが、獅子王から澪を守るためだと気づいたのは、つい最近だが。


「誤解とか、いろいろ解けたから。もう普通に話してるし、あいつもきっと澪とも話したがってる」

「えええええぇぇぇえええっ!?」


 テーブルに両手をつけ、がばりと身を乗り出してくる澪。振動で開封したばかりの俺のカフェオレのパックから茶色の液体が飛び出し、白のテーブルに茶色の染みをつくった。


「なんでどうしてどうやって!? 綾音さんもこっちに越してきたの? 同じ学校なの? なんでそんな大事なコト、もっと早く言わないの!?」

「んあ……わ、わりぃ」


 結局謝ってしまったことに対して、澪はなにも言わず、テーブルを挟んで俺に顔を近づけたまま続きを待つ。


 そんな澪から距離を置くようにあぐらをかき直し、夜の市場で七々扇と再会したことを話した。


「へぇぇ……そんでいま一緒に行動してるんだ。……いつから?」

「えーと……。三日前、か?」

「なんで疑問形なのさ……」


 指折り数えてもにわかには信じられなかった。

 昨日の金曜日、シュウマツがあった。

 一昨日の木曜日、メイオ砦を攻略し、空が紫に染まった。

 驚くべきことに、七々扇と再会したのはその前日──水曜日。あれからまだ、三日しか経っていないのだ。


 いろんなことがありすぎて、もっと長い時間を一緒にいる気がする。


「ねねね、綾音さん、かわいくなってた?」

「ん、まあ。かわいいっていうより、美人な感じになってたぞ」

「あー、でも一年くらい前にちらっと見たとき、もうそんな感じだったかも! おにい、綾音さんの連絡先わかる?」


 澪はテーブルの上のスマホを手にとって、濁った目はどこへやら、きらきらと眩しい視線を俺に送ってくる。


「え、わかるけど、電話すんのか」

「いまはしないよ。澪、泣いちゃいそうだし。あとでするから連絡先教えて」


「や、お前、いくら澪だっつっても、勝手に教えるわけにはいかんだろ」

「んじゃいますぐRAINで澪に番号教えていいか訊いて」


 俺にとって、こちらから女子にRAINを送るというのはかなりの勇気を要する行為だ。

 ごねてみせると澪は「はやく」と言わんばかりにあごで催促し、一歩も引かぬ構えだ。


 ため息をひとつついてギアを手にしたとき、キーンコーンとRAINの着信音が狭い部屋に鳴り響いた。


 俺と澪は揃って澪のスマホに目をやる。澪は手早くスマホを操作して、もう一度あごで、今度は俺のギアを指した。どうやら珍しいことに、俺への通知らしい。


 澪とはうってかわって、慣れない手つきでギアをもたもたと操作する。



──────────

七々扇綾音:

透くん、こんにちは。

昨日はおつかれさま。本当にありがとう。


今日はいいお天気で、お散歩にでも行きたくなるわね。

──────────



「お、ラッキー。ちょうど七々扇からだわ」

「えっ、もうRAINくるくらい仲いいんだ!」


 澪はギアの画面を覗き込んでくる。

 構わずに「澪に連絡先教えていいか」と入力し、送信ボタンを押そうとしたところで、


「そいやっ」

「あいた


 脳天にチョップをくらった。ゴスッと音がした。


「なにすんだよ。結構痛かったんだけど」

「いきなりそれはないでしょ……。んもー、信じらんない。ちゃんと綾音さんとキャッチボールして」


 さっきまで輝いていた瞳はすっかり濁りきって、俺にジト目を送ってきている。うわぁ怖ぇ……。


『うす。澪に連絡先教えていいか』


 ゴスッ。また送信する前に、澪の手刀が俺の頭に刺さった。


「なにすんだよ、ちゃんと挨拶返してるだろ。うす。って」

「おにいのバカ、ポンコツ、ゴミ、虫けら! そんなの返したら、せっかく仲直りできたのに綾音さんに嫌われちゃうって!」


 澪は唾を飛ばす勢いでまくしたてながら俺からギアを乱暴に奪い取る。……こいつ、いくらなんでも口悪すぎない? 泣くぞ?


「……これ、うんともすんともいわないけど」

「そりゃギアだしな」


 ギアは普通のスマホと違い、本人じゃないとロック画面の解除はおろか、タップもスワイプも反応しない仕組みになっている。他人ができることなんて、充電ケーブルを差し込むことくらいだ。


 だから澪がなにをしても無駄。

 ……のはずなんだが、澪は悪いことを思いついたような顔をして早々に諦め俺にギアを押し付けたかと思ったら、テーブル脇からサササッと俺の背後に移動して、上半身を俺に押しつけて後ろから俺の指を掴んだ。


「お前、なにしてんの」

「いいから、動かない」


 俺の胸の前で左手にギアを持ち、右手で俺の指を掴んで画面を操作する澪。俺の入力した文章はあっけなく消去され、俺よりはるかに高速で文字が入力されてゆく。



──────────

藤間透:

うっす、綾音。

おつかれ、こちらこそありがとう。


散歩、いいな。

金沢と千葉じゃさすがに遠いけど、

アルカディアでなら綾音とふたりでできるな。

──────────



「おい、誰だよこれ」

「ぽちっとなー」

「あ、ちょ」


 慌てる俺になんら斟酌しんしゃくすることなく、澪の入力したキザったらしいメッセージは七々扇に送信され、残酷にも瞬時に既読がついた。


「お前なぁ……なんだよこの恥ずかしい文章」

「や、おにいのさっきのに比べたら絶対こっちのほうがいいって! 澪が保証する! 澪印みおじるし!」


 なんだよ澪印って。そもそもお前の書いた文章、澪のこと一文字も書いてないじゃねえか。本末転倒もいいとこだろ。


「下の名前で呼んでるうえに、なに散歩に誘ってるんだよ」

「ん? あれ? おにいも綾音さんのこと、下の名前で呼んでたよね?」

「小学校の話だろ……」


「でも綾音さんはおにいのこと、透くんって……。あれ? んん? 透くん? 綾音さんっておにいのこと、透くんって呼んでたっけ?」


 偶然にも昨日、七々扇とした話だ。

 もちろん澪はそんなことを知らないし、言うつもりもない。

 そして七々扇は俺を下の名前で呼んだあと、俺がどれだけ怖い目に遭ったのかを知らないし、思い出したくもない。


 極めて短い返事は、すぐに来た。



──────────

七々扇綾音:

誰?

──────────



 幸いなことに七々扇は聡明そうめいだった。


「ありゃりゃ……バレちゃった」

「俺がこんな恥ずかしいこと言うわけねえだろ。なにがアルカディアならふたりで散歩できるな、だよ」


 残念がる澪からギアを奪い返し、急いで文字を入力する。



──────────

藤間透:

すまん、澪のいたずらだ。

そんなわけで、澪に七々扇の連絡先を教えていいか?

───

七々扇綾音:

はにる

──────────



「おにい、はにるってなに?」

「さあ」



──────────

七々扇綾音:

はい?

──

七々扇綾音:

いっしょにいるのる

──

七々扇綾音:

一緒にいるのる

──

七々扇綾音:

いるの?

──────────



 どうやらただの打ち間違えだったようだ。

 それにしても七々扇、テンパると早口になって噛むのはRAINでも同じなんだな……。



​──────────

藤間透:

澪がアパートに来てる。

七々扇の話になって、

連絡先を教えてくれって言ってる

──

七々扇綾音:

まて

──

七々扇綾音:

まって

──

七々扇綾音:

ここころのぞんびをしさしてちょぬたひ

──

七々扇綾音:

しにたい

──

藤間透:

おちつけ

​​───────​───



 七々扇はしばらくこんな感じでありえないほどの誤字を繰り返し、ようやく連絡先を交換できたのは二十分後のことだった。

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