09-08-異世界への憧憬

 暗号解読のようなRAINを終わらせたあと、澪が七々扇の顔が映った画像を見せろとねだってきた。


 俺がそんなものを持っているはずがないんだが、ふと、シュウマツのイメージスフィアになら間違いなく映っているな、と思い出した。


 澪は俺が七々扇の顔が映っているなにかに思い当たったことを表情から察したのだろう。にやりと口角をあげて、はよ、はよ、とせがんでくる。


 イメージスフィアに映っているのはシュウマツの様子。生々しい戦闘シーンばかりで、ぶっちゃけ澪には見せたくない。

 しかし俺に澪を言い聞かせられる気もせず、教室にいる序盤なら問題ないと判断し、ギアをいじって自分のパーソナルデータからアイテム欄をタップし、そのなかのイメージスフィアを選択した。


 ギアに紫の教室が表示される。

 みな顔を机に伏していて、眠りから覚めるように、ひとりずつ頭をあげていく。


「うわ……趣味わる……。なにここ」

「あー、昨日、シュウマツっていう災害みたいな戦闘があってな。その映像なんだよ」


「シュウマツ? レイドバトルみたいな感じ?」

「……まあゲームで表現するとそんな感じかもな」


 我が妹ながら、相変わらずのゲーム脳である。

 ちなみにレイドバトルとは、オンラインゲームなどで見られる、巨大なモンスターに対して複数人で立ち向かうイベント戦のことだ。

 シュウマツの渦という巨大な災厄に13人で立ち向かう……まぁ、レイドバトルって言ってしまってもいいだろう。なによりも、あまり深くまで説明したくなかった。


「綾音さんだ……うわ、めっちゃ綺麗になってるじゃん!」


 澪は俺の手元の画面から目ざとくポニーテールの大人びた少女を見つけ出すと、嬉しそうな、驚いたような声をあげた。


「あっ、こないだ見たイメージスフィアでおにいと一緒にいた人たちだ!」


 澪は一箇所に固まったアッシマー、灯里、高木、鈴原を指差す。


「そういや、母さんがイメージスフィアを見たとか言ってたな。いつのだ?」

「んー、なんか森? 林? みたいなところで、五人でスライムと闘ってた」


 サシャ雑木林のことだろうか。なんにせよ、なんだか監視されているみたいで落ちつかない。


 ちなみにどうやって母さんが俺の映るイメージスフィアを入手できたのか、についてなんだが、これは学校と生徒、そして保護者のあいだで取り交わされた”契約”に基づいている。


 アルカディアでは、カメラ用マナフライ”メデューサ”が生徒を追尾していて、学校の指示により俺たち一人ひとりを追尾している。これにより、保護者はアルカディアでの子どもの様子を、イメージスフィアを購入して閲覧し、確認することができるのだ。


 これは、現実より自由な世界アルカディアにおいて、生徒が度を過ぎた行動に出ないための見張りであり、また、生徒同士で諍いが起きたとき、善悪の在り処を赤裸々にする保険でもある。


 イメージスフィアが高額であることもあり、四六時中行動を確認されるわけではないが、生徒の様子を親が把握させるため、学校は保護者にひと月にひとつ程度はイメージスフィアを購入するよう推奨している。


 補足だが、マナフライは人々の住居内を嫌う傾向があり、拠点内の様子はうかがい知ることはほとんどできないそうだ。だから寝静まった時間に確認しようとすると、大抵は宿の外観を眺めるだけで終わってしまうらしい。


 脱線したが、ともかく、母さんはたしか、先日はじめてイメージスフィアを購入したと言っていたから、学校の推奨する月一つきいちの定期購入みたいな感じで選択したスフィアが、サシャ雑木林の映像だったのだろう。



 ギアに映るシュウマツの映像ではすでに全員の自己紹介が終わっていて、画面には渦の場所が表示され、いままさに戦場へと向かおうとしているところだった。


「なあ、もういいだろ」


 この先は血なまぐさい闘いが待つ。そんなものを妹に見せたい兄がいるはずがない。

 しかし澪は俺がギアを仕舞うのを腕を掴んで止め、画面から目を逸らさぬまま、


「見ておきたい。来年からは、澪もここに来るんだから」

「……は? アルカディアに?」

「あたりまえじゃん。ゲームみたいな異世界なんて、澪が憧れるにきまってるじゃん」


 ヘヴィゲーマーの澪ならば、そう言うだろうとは思ってはいたが、実際に澪の口から聞くと、兄としては喜ぶことなどできない。


「やめとけよ、危ないから」

「危ないって……べつに死なないんでしょ?」


「死にゃしないけど……かなり怖い目に遭うし、アルカディアに行ったことで性格が変わったとか、恐怖のせいで引きこもりになるとか、ニュースで聞くだろ」

「へーきだって。澪、引きこもりでも稼いで生きていけるようになるから」

「そういう問題じゃないんだよなぁ……」


 澪の言う引きこもりとは、ゲーマーとしてスポンサーをつけるとか、動画配信で得た収益で食べていく、ということだろう。

 このご時世、頑張ればそれも可能かもしれないが、俺が言いたいのはそういうことではなく、アルカディアに参加したことで恐怖を受け、藤間澪という人間が変わってしまうのではないか。そういう心配をしているのである。加えて言えば、澪が恐怖するかもしれないというところから俺はすでにいやなのだ。


「だいたい、父さんと母さんが許さんだろ」

「ひとり暮らしをしないって条件ならいい、って言質げんち取ってある。だめなら北海道の高校に行くって言ったら一発だった」

「相変わらずだな……」


 昔から両親は澪に甘い……というか、弱かった。

 とくに母さんは澪にべったりで、よく一緒に買い物に行っていたし、澪が友達と遊びに行く日はすこし寂しそうにしていた。

 そんな母さんにべったりな父さんは、澪の機嫌を損ねると母さんに冷たくされるので、澪、母さん、父さんというごく小さなピラミッドが形成されていた。


 小学校高学年までは俺もそのピラミッドのどこかにいたのは間違いない。習いごとの合間に水族館や動物園、外食なんかにも四人でよく行ったものだ。


 俺が落ち込んで、出かけることすら俺が拒否するようになってからは、そういうのもなくなったわけだが。


「気分が悪くなってもしらねえぞ」

「大丈夫だってー。おにいは心配性だなぁ」


 両親が納得しているのならばしかたない。兄として最後の忠告をするが、澪は大して気にもとめず、ギアに視線を落とした。



 それにしても、イメージスフィアってのはすごい仕組みだと思う。とくにシュウマツやメイオ砦のものは、俺を撮影しているマナフライ──『メデューサ』とは比較にならないくらい高性能だった。


 なんせ、どの戦場を映すかをワンタップで、しかも複数選択できるのである。


 現在は第一ウェーブ。

 左画面には西──俺や七々扇、小金井たちが映っていて、右画面には東── 祁答院や三好姉弟が映っている。もちろん国見さんや灯里たちの待つ拠点を映すこともできる。

 それも、角度もある程度自由自在だ。ローアングル対策だろうか、あまり下からの角度は映らないよう配慮されていて、澪が安堵のため息をついていた。


 声だって聴こえるし、戦場別にボリューム調整だってできる。


 澪はこの機能にすごいすごいとはしゃいでいたが、俺は感傷にひたっていた。

 画面のなか、俺の傍にいるコボたろうとはねたろうを見て、愛しさがこみあげてきたのだ。


「おにいは召喚士なんだ。あはっ、このこうもり、おにいになついててかわいー」


 戦闘が始まった。


 コボたろうはユニーク槍”☆クルーエルティ・ピアース”を振り回し、はねたろうは翼でコボルトの喉を切り裂く。


 戦場が血に染まった。

 西も東も鮮血が舞い、武器と武器がぶつかりあって、コボルトの首が飛ぶ。


「うっわ、グロ……」


 先ほどまで意気揚々としていた澪の声は弱々しい。


 ゲームのような異世界。

 しかし、ゲームじゃない。


 敵を倒せばモンスターが消滅する……これはそんなに生易しい世界じゃない。


 闘志を燃やしてぶつかりあい、刃物で貫かれ、モンスターは苦悶の表情を浮かべ、それでも死ねなくて、さらに傷を負って絶叫をあげる。

 倒れ伏しても息は止まらず、動けぬ身体にもう一度刃物を受け入れて、ようやく緑の光となって消えてゆく。


「言っとくけど、これ、モンスターだけじゃねえからな。負ければ、俺たちもこうなるんだ」


 己の血の海に沈むコボルトの姿──これは、明日の我が身かもしれないのだ。


 ……いや、人間ならば、もっと醜いかもしれない。

 己も刃物を向けておいて、勝てないと思えばモンスターに媚びるようにすがり、頭を下げ、土下座の体勢のまま失禁しながら、モンスターに突き殺される。


 担任の西郷に見せられた七年前のシュウマツは、そんな人間の醜い姿がいくつも映っていた。


 きっと、戦士という点においては、人間はモンスターほど立派にできていない。



──



 テレビには、なぜか澪が持ち歩いているという変換器に繋がったギアの映像──シュウマツの様子が映っていた。


 澪は途中から自分のスマホでなにやらメモを取りながら、テレビにかじりついている。


 俺はギアを澪のもとに置いたまま、まさか澪にスティックパンを振る舞うわけにもいかず、昼飯になりそうなものがないかを探し始めた。


 ……というのは建前で、じつは、空になった教室の拠点へモンスターが押し寄せる第四ウェーブがはじまったため、玄関側のキッチンまで逃げてきたのである。


 第四ウェーブで、はねたろうはモンスターの突破を防ぐため爆発する。

 第五ウェーブでは、ぷりたろうが。そして、第七ウェーブでは……。


「ぅ……」


 それを思い出すだけで泣きそうになるくらいなんだ。映像を見てしまえば、俺はきっと、妹の前でわんわんと泣いてしまうだろうから。



 冷蔵庫をチェック。……水と、作ったお茶のみ。

 そりゃそうだよな。俺、自炊したことないもんな。


「澪、昼飯どうする」


 リビングに声だけで問いかけても返事はない。

 そんな気はしていた。集中が深いのだろう、澪はこれまでもゲームやアニメに集中すると反応がなくなることが多々あった。


「澪」

「おにい、しっ。持ってきてるから」


 澪はテレビから視線を外さぬまま、わずらわしそうに音符型のバッグから口内の水分をあらかた持っていく携帯栄養食のパッケージを取り出してテーブルに置いた。


 テレビには、はねたろうを喪って情けなく慟哭どうこくする俺の姿が映っている。


 兄のこんな姿を澪には見せたくなかったが、俺がなにを言っても無駄なのは俺がよく知っている。


「おにいはモンハンでもしてて」


 はあとため息をつき、ゲーム機とスティックパン (アップルパイ) の袋を掴んで狭いキッチンへふたたび戻った。


 そんなこんなで、妹が来ているというのに閉所でスティックパンをはむはむしながらモンハンをやりはじめたわけだが……。


「うっわ、これ無理ゲーじゃん」

「あーもうおにいのばか! そこはつっこむところじゃないでしょ!」

「ちょっ、あぶな……あっ」

「うぅ……コボさぶろう……」


 澪の声がうるさくてひとつも集中できないし、かといってヘッドフォンをつけてしまっていざ澪が俺を呼んだときに反応できないのも申しわけない。


 そしてなにより、ここ数日で一気にゲームへの興味が薄れてしまった。

 ゲーム内で草を集めても金になるわけじゃないし、レベルアップに必要な素材ってわけでもないし、みんなと分けあえるわけでもない。


 現実とリンクするゲームのような世界に身を置いてしまえば、手元に映る世界のなんと味気ないことか。


 アルカディアで採取がしたい。

 早く、コボたろうたちに会いたい。 

 明日は朝からギルドでアイテム分配だ。

 エンデからなにか話は聞けるだろうか。

 分配が終わったらなにをしよう。


 そうして考えるうち、先ほど見たネット掲示板を思い出す。



 『エシュメルデ壊滅\(^o^)/』



 エシュメルデは無事……なん、だよな?

 シュウマツはあったん……だよな?


 己の記憶と、アッシマーの言葉。そしてイメージスフィアはあったと言っている。


 否定するのはネットだけ。

 アルカディアのwikiだって、デタラメばかり。なら、ネットの掲示板だってデタラメだらけだ。


 きっと、管理人がタチの悪いいたずらをしているだけなんだ。



 大丈夫だ。絶対、大丈夫。

 アルカディアで目覚めれば、女将もココナもリディアもいる。

 ダンベンジリやサンダンバラも、鬱陶しいくらい元気で、陽気で、いい匂いがして……。



 シュウマツを否定しているのは、ネットだけだ。



 『シュウマツを否定してはいけない──』



 ふと、紫空に浮かんだウィンドウを思い出した。


 これは、なんという皮肉だろうか。


 あれほど忌まわしく睨みつけたシュウマツを、俺はいま、進んで肯定している。


 シュウマツなど無いと否定する声を、なかったことにして。


 そうして俺は首を振り有象無象を脳内から追い出して、ゲーム機に視線を落とす。



 手元のキャラクターが、俺に動かされるのを退屈そうに待っていた。

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