07-29-少年が成長する日


  CAUTION!─────────

  今回、残酷な描写が含まれます。

  苦手なかたはご注意くださいませ。

  ──────────CAUTION!


─────────────────────



 リディアが一歩下がり、極めて端正な顔立ちを歪め、空を睨みつけた。


「しゅう、まつ」


 視線の先に、美しいアイスブルーに映すにはあまりにも禍々しい深い紫の渦。

  その隣に、巨大なウィンドウが現れる。



──────────


《強制参加者の追放処理》


………………。

…………。

……。



《シュウマツへの不参加》


高田春美→追放

西岡達夫→追放

室田邦彦→追放


《リンクスイッチオフによる不参加》


大田秀樹→追放


《睡眠拒否による不参加》


鈴木新太→追放



──────────



「……え」


 俺の情けない声は、周囲の悲鳴にあっけなくかき消されてゆく。そして、悲鳴はもう一段階大きくなる。


 いつの間にか、エシュメルデの上空──紫の空に、五人の人間が舞い上がっていた。


 悲鳴をあげながら。

 恐怖に顔を歪めながら。

 涙と鼻水とよだれを垂れ流しながら。


 グバァ……と醜く口を開ける紫の渦へと向かって、舞い上がってゆく。


「あ、あぁぁ……あれは、鈴木くん、だわ」


 七々扇と兼六高校のふたりが悲鳴をあげた。しかし宙を舞う彼はそれよりも遥かに大きな絶叫とともに、高度を上げてゆく。


 姿も見えないほど高所へと連れ去られ、彼らの悲鳴が聞こえなくなったとき、空の様子が変わった。


 こんな残酷があるだろうか。

 紫の空はスクリーンに切り替わり、空へ昇ってゆく五人を映し出し、俺たちに見せつけているのだ。


『ひいぃぃいぃいぃぃいぃっ!』

『ひっ、ひっ、誰か助けてぇ!』

『なんで!? なんで!? 起きてたのに! ずっと起きてたのに!』


 ご丁寧なことに、彼らの胸元にマイクでも刺さっているかのように、そしてエシュメルデの街がスピーカーになったかのように、彼らの悲鳴は爆音となって俺たちの耳にまで届いてくる。


 もはやこの絶叫が、彼らのものなのか、エシュメルデのものなのかすらわからない。わかるのは、彼らがとっくに手の届かない天空にいて、紫の渦に近づいているということだった。



 灯里も高木も鈴原も七々扇も天から目を背ける。



 なのに、お前はどうしてそんなにどんくさいんだよ。



 なんで呆けた顔をして空を見上げてるんだよ。



「見るんじゃねえッ!」


 俺の叫びが届いたかどうかなんてわからない。

 アッシマーの後ろから、両手で大きな瞳を覆い隠した。脇を締めて、アッシマーの耳に入る音を少しでも小さくしようとした。



 そして──



『がぼげばばばがばぶびびぼべばびびばぷべぶばべびばぼぼびぼぶがびぐべべぶばべばべべべばが!!!!!!』



 もしも悲鳴で人が殺せるのなら、エシュメルデは全滅だっただろう。

 そんなおぞましい絶叫が、この街のすべてを絶望に変えた。


 手足が切り刻まれ、胴体から離れてゆく。

 胴が下から寸刻みにカットされてゆく。


 というのに、まだ絶叫は止まない。



 頭まで刻まれ、彼らから痛みの表情が物理的に消えたとき、ようやく悲鳴は止まり、今度はエシュメルデの叫びがこだまする。



 それなのに、スクリーンは消えない。



 まだ足りない。まだ足りないと、人間だったものをみじん切りにし、渦がミキサーとなってミンチにし、なおも刻み続ける。



 大きく開いた渦が回転を止め、ギチギチとしぼんでいったとき、誰のものかも分からぬ骨粉となった人間が、血液ともはや液状となった肉体を吸って、エシュメルデに降り注ぐ。



「「「うわぁあぁああぁあァああアアッ!」」」


 血風が霧となり、エシュメルデを紅く化粧づけてゆく。


 俺も、アッシマーも、灯里も、七々扇も、鈴原も、高木も、リディアも、祁答院も、全身にスプレーを噴きつけられたように紅く染まった。



 それでも空を睨みつけているのは、リディアと祁答院のふたりだけ。



──────────


《追放処理完了》


参加者再確認


………………。

…………。

……。


参加者 13名

うち強制参加者 7名

うち希望参加者 6名


………………。

…………。

……。



OK



参加者の転移を開始


──────────



 浮遊感。

 慟哭どうこく坩堝るつぼで、今度は魔法陣に乗った俺たちの身体が浮いてゆく。


 高度が上がるにつれ、街から、俺たちの身体から、モンスターを倒したあとのように、紅が消えてゆく。



「勇者さま、なにとぞ……なにとぞ、お願いします!」

「無理させてすまねぇ! 頼んだぞ!」

「私たちを助けてください!」


 足元からは、哀しみに染まった声援が聞えてくる。


「透ゥ! 死ぬんじゃねえぞ!」

「勇者さまがた! ご武運を!」


 二十人ほどのホビットたちが広場の一隅を占めていて、俺たちに向けて拳を突き上げている。



「透」


 彼らの声も聴こえなくなったとき、再びサンダーバードに跨ったリディアが、舞い上がる俺たちを追いかけて飛んできた。


「透、わすれないで」


 リディアは顔を俺の耳元に寄せてくる。


「透のぎせいでたすかっても、よろこぶ人は、透のまわりにもういない」

「……ああ」


「それだけ。うちもらしたモンスターは、わたしが全力ではいじょする」

「……ああ」


「透はなにも言わなくてもむりをする。だから、透のペースでがんばって」


 そう言って、かつては照れもしなかった甘い香りを一瞬だけ残して俺から離れてゆく。


「リディア! ココナと女将を……!」

「わかってる」


 ココナと女将を頼む。

 祁答院にあんなことを言った俺の、あまりにも身勝手な依頼を最後まで口にする前にリディアは頷いて、地上へと戻っていった。



「ちょ、これ、俺らバラバラになったりしねーよな⁉」

「直人あんた怖いこと言うんじゃねーよ!」


 渦が近づいてくる。



「ふ、藤間くん」


 宙でもなお、俺に両目を押さえられたままのアッシマーが口を開いた。


「ふ、藤間くんは、いなくなったり、しません、よ、ね? わたし、怖い、です。藤間くんが、わたしの代わりに、い、いなくなってしまうのでは、ないか、って」


 大きな瞳に、あんな光景を映させたくなかったから、両目を塞いだ。


「……ああ。お前らが消えちまわないかぎりな」


 でもいまは、俺の両手を濡らすものの正体を知りたくなくて、両手を離せずにいる。


「や、約束、ですよ? 絶対、ですよぅ?」


 アッシマーはそう言って、目を塞がれたまま、震える小指を立ててみせた。


「ああ、約束する」


 きっとアッシマーは、俺が消えたら泣いてくれるだろう。

 それがたまらなく嬉しく、たまらなくあたたかく、たまらなく哀しく、たまらなく切なかった。


「指切りげんまん。嘘ついたら槍千本ぶーっ刺す」


 アッシマーの小指は虚空で立ったまま、両手を離せない俺は慣れない唄を口ずさむ。


 俺の腹にくっついた小さな背中が震えているのがわかる。アッシマーの嫌いな理由が、俺の手のなかに溜まってゆく。


「ぐすっ……キレわるっ……」

「うっせえよ」


 アッシマーは悪態をつきながらも小指を仕舞ってくれた。


「そのうえ音痴です」

「んがっ……ばっ、この野郎、いまは適当だったんだっつの。ひとりカラオケだったら大したもんなんだからな」


 ひとりに限定するところがなんとも俺らしい。


「藤間くんは、ひねくれてて、口が悪くて、無鉄砲でむこうみずで、隙あらば胸を見てくるし、あとあと──」

「見てねえよ。見てねえから。……見てないよな?」


 この上なくボコボコである。

 恐怖の坩堝にいるというのに、こんなことで涙目になるなんて誰も思わないだろう。



「──でも、世界一、優しいです」



 …………。



 だから、アッシマーはダメなんだ。



 弱いかと思ったら強かったり、



 強いかと思ったらやっぱり弱かったり、



 臆病だと思ったら勇敢だったり、



 なんでもないように言い放ったいまの言葉が、手のなかで分かる顔の温度変化から、かなりの勇気を振り絞って口から出たということを教えてくれていたりする。



 そうやって、俺の心を揺さぶりながら、



 いまみたいに、


 あたたかく、

 やわらかく、


 すっと、

 そっと、

 ずっと、


 いつまでも、

 どこまでも、


 俺に沁みてゆく。



「お、おすそ分け……ちょうだい?」


 宙空で灯里が俺の裾を掴み、自らの身体を俺に寄せてきた。


「え、な、なんだよ、おすそ分けって」

「はわわ……あ、灯里さんっ、これはなんでもないんですっ! そ、そうっ、これは目隠しプレイですっ」

「馬鹿野郎お前余計誤解されるようなこと──って、うおおおお」


 アッシマーの後ろから、両手で目を隠す俺。

 そんな俺の腕にしがみつき、身体を密着させてくる灯里。


 灯里は自分からこんなことをしておいて、俺が焦るくらい真っ赤になっている。



 なんだよこの緊張感のなさ。

 たったいま、五人が追放されて、恐ろしい光景を目の当たりにしたばかりだろ。

 そしてもうすぐ、俺たちも恐ろしい場所に到達するんだろ。



 なんだよ、これ。



 ──でも。



 恐怖を、塗りかえられるのなら。

 俺たち三人みたいに、哀しみを、絶望を、小っ恥ずかしい赤面に変えられるのなら。



 アッシマーも、灯里も。

 鈴原も、七々扇も、まあ、その、ついでに高木も。


 リディアも女将もココナも。

 ダンベンジリとかサンダンバラとかホビットたちも。



 彼ら彼女らの絶望を、塗りつぶしてやる。



 これは、絶望のはじまりじゃない。




「これは、俺の挑戦だッ!!」



 だって、そうだろ?



 挑戦なら、100%負ける気で挑まない。



 俺は、シュウマツを否定しない。



 でも、この世界に、終末は要らない。



 シュウマツの渦が、俺たちを飲み込むかのように口を開く。




 見せてやるんだ。




 この世界に、そして現実に。




 小っ恥ずかしくても、赤面しても、




 哀しみも絶望もない、週末を。




(了)

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