ぼっちだったくせに
小林勤務
第1話 きっかけ
『だいだらぼっちって知っとる?』
『なんそれ?』
三年振りに彼からきたラインのメッセージは、そんな内容だった。
訊きなれない単語に、彼とのやりとりの合間にスマホを切り替えて検索をする。どうやら、だいだらぼっちとは神にも等しい太古の巨人であることがわかった。
『お前が住んどう三鷹あたりに、現れたらしいよ』
巨人伝説は日本の各地に伝わっているが、武蔵野に生息した巨人は、とりわけ壮大で色濃く伝承されているらしい。じゃあ、この巨人は一体何をしたのかと問われれば、平たくいって国造りをしたという。山を運び、その巨大な足跡に水が流れ込み、湖を形成していく。よくある伝承の類だ。暇をもてあそぶように画面をスクロールさせると、井の頭池までこの巨人が造ったことになっている。巨人が歩く度に、その凹凸が窪地や池、山となっては大変だ。足跡だけではない。彼が被っていた笠を置いた場所が笠山になったりもしていた。巨人、凄すぎる。
『どうよ。そっちは神様の御加護はあったりした?』
揶揄い半分の内容が飛んでくる。彼は私が今、どういう状況か知らないのだ。そんな御加護があるなら、三十路手前の女子が、夏の夜風に当たりながら公園で一人缶ビールなんか飲んでない。
六年前に、今まで慣れ親しんだ九州を離れて、就職を機にこの地に移り住んだ。
元々、親元から離れて一人で暮らしてみたいという願望はあった。特に両親と仲が悪かったというわけではない。至って平穏な家庭であった。当たり前のように地元の大学に進学して、古くからの友達に囲まれて、二十数年間を過ごしていた。ようはこの安穏とした生活に倦んでしまったのだ。このまま、然したる刺激のない場所で、社会を全うするより、上京して新生活を送りたい。
地元の友達は上京に対しては二つの主張を持っている。地元派と上京派だ。特に東京帰りの友人と再会すると、彼らは酒の力を借りて常に論争になる。2021年を迎えても、未だにこんな下らないやりとりが、安い居酒屋で繰り広げられることに辟易させられた。
じゃあ、内心冷めた目で彼らを眺めていた私は東京にきて、望むような生活を手に入れられたかと言えば、はいともいいえとも答えられない。
はっきりとしていることは、こんなはずじゃなかった。このシンプルな己への慚愧の念に尽きる。
「今日は来ないのか?」
事務連絡のように軽い口調でそう告げるのは、会社の上司にあたる中年の男だ。上司には家庭があった。同じ九州出身者であり、同郷の誼もあって関係が深くなったと言えば聞こえはいいだろう。だけど、直接的な切っ掛けは違う。最初の出会いは新卒面接であった。何十社も落ち続けて喘ぐ私に優しく声をかけてきた。人事部長の肩書を利用して、ようは採用を匂わせながら近付いてきたのだ。
その頃の私は特に純粋な乙女でもない。ただの無知な存在であった。そんなんで就職して上京できるならば。そんな軽い気持ちが神秘性の欠片もない衣服を脱がせて、採用を勝ち取った。
当たり前の如く誘われて、当たり前の如く彼の元へと足を運ぶ。誘ってきたのは向こうと割り切っていたため、奥さんへの罪悪感もなかったが、ここから抜け出せなくなった。上司は家族を九州に残しており、今は都内のタワーマンションに住んでいる。こんな大層な場所に住めるなんて、一部の成功したお偉いさんは凄いですねと皮肉ったこともある。事実、上司の肩書は人事部長兼執行役員へと順調に出世の階段を昇っており、年収換算で3,000万円はくだらない。
現代の巨人は、首が痛くなるまで見上げないと、最上階が見えないタワーマンションなのではないか。実際に、そこに住む一部の成功者達が社会を造っているのは疑いようもない事実だ。だけど、彼らが造るものの下に、命の煌めきがあるのかといえば疑わざるをえない。
現に、私は一つの命を諦めることになった。
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