第1問 理不尽な目覚め【出題編】1

【1】


 旅行などに行って宿に宿泊した際、または友人の家などに宿泊した時――とどのつまり慣れた自分の家ではない場所で就寝し、そして目を覚ました時に、見慣れない天井に一瞬だけ自分がどこにいるのか分からなくなる。ただし、それはほんの一瞬だけであり、自分が旅行で宿に泊まったこと、友人の家に泊めてもらったことはすぐに思い出し、自分の置かれている立場を理解して安堵する。ついさっき目を覚ましたばかりの司馬龍平しば りゅうへいは、しかしいまだに自分の置かれた立場が理解できていなかった。まったく身に覚えのない場所で目を覚ましたのだから仕方がないのかもしれない。


 目の先には真っ白な天井。その天井では蛍光灯が輝いている。事態を把握できず、蛍光灯をぼんやりと見上げていたせいか、目がチカチカとする。ゆっくりと半身を起こして周囲を見渡してみる。どうやら、自分はソファーの上で眠っていたらしい。


 まだ司馬は自分の立場を把握できていない。鏡のついた化粧台らしきもの。ソファーの前にはガラス製のテーブルがあり、なぜだかテーブルの上にはおにぎりが置いてある。お皿の上に海苔を巻いたおにぎりが3つと、たくあんとお新香。それを丸ごとラップで包んであるようだった。


 ――解答者様 御食事。


 まだぼんやりとした頭で司馬は考える。ここは果たしてどこなのだろうか。可能な限り記憶をさかのぼってみる。最後の記憶は……いつものように就寝する直前から途切れてしまっていた。察するに、寝ている間にここへと連れて来られたらしい。間違っても、このわけの分からない空間で就寝したなんてことはないだろう。


 状況が理解できず、混乱が混乱を呼ぶ。気持ちを落ち着かせようと無意識に煙草を求めたのであろう。ポケットをまさぐるが、しかしお目当てのものはない。それどころか、財布もスマートフォンもない。あるはずないだろうにテーブルの上を探し、そして改めて辺りを見回す。煙草も見当たらなければ、財布もスマートフォンも見当たらない。それどころか、いつも右手首にしている腕時計もない。ただ、こんな状況にありながら、真っ先に煙草がないことに不安を抱くのは、悲しきかな喫煙家の性なのであろう。


 ふと、テーブルの上にあったそれが目に入ったのは、次の瞬間のことだった。ずっとそこにあっただろうに、どうして目に入らなかったのだろうか。


 司馬はそれ――台本らしきものへと手を伸ばす。表紙には【クイズ! 誰が殺ったのでSHOW】と力強いフォント。察するに、クイズ番組の台本のようである。しかしながら、手に取ってみて分かったことだが、しっかりしているのは表紙と背表紙だけであり、中身がまるでないようだ。例えるならば、ハードカバーだけの小説のような感じ。


 台本のページ数は、たったの1ページ。立派な表表紙と裏表紙を合わせても3ページ。この程度ならば、わざわざ台本として仕立て上げる必要もなかったのではないだろうか。


 司馬は台本になっていない台本へと視線を落とす。そこには、新聞紙をわざわざ切って貼り付けたらしい文字列が並んでいた。


 ――【ルールその1】この建物には8名の解答者が集められています。基本的にそれぞれの楽屋にて待機することになり、楽屋から出ることができるのは、スタジオ収録開始15分前から収録中、そして収録後15分までの間です。それ以外の時間帯に解答者が外に出ていた場合はペナルティーとして、その次のクイズに解答できなくなります。


 思わず司馬は、台本を片手に出入り口と思われる扉のほうへと向かう。ノブにそっと手を伸ばして回してみるが――扉はビクともしない。ノブは回るのであるが、完全に空回りしている感じ。状況から考えて、ここが楽屋であることは間違いなさそうだ。改めて辺りを見回してみると、どうやらトイレやシャワーが完備されているらしい。そこまで確かめると、司馬は無意識に胸ポケットのほうへと手をやる。悲しき喫煙者の習性なのであろう。ポケットに煙草がなかったことは、さっきも確認していたというのに。


 司馬は大きく深呼吸をしてみる。吸えないと分かるとなおさらに吸いたくなるのが喫煙者というものだ。今はまだ小さな欲求で済んでいるが、これが大きくなってしまうと手に負えなくなるかもしれない。お新香付きのおにぎりもありがたいが、今は至福の一本が欲しかった。わけの分からないことが多すぎるし、今は煙草を吸って気持ちを落ち着けたい。


 何度か深呼吸を繰り返していると、ようやく煙草への欲求が薄れる。その隙にと、司馬は改めて台本に視線を落とした。


 ――【ルールその2】クイズは実際に起きた事件を取り扱います。解答者は最初の段階で8人。そして、クイズに出題された事件の犯人もまた、解答者8人の中にいます。正解した方には賞金として1問につき1千万円が進呈されます。ただし、正解者が全体の過半数に満たない場合は、例え正解者がいたとしても賞金は発生しないうえ、解答者の中からランダムで1名が降板となり、そのクイズの犯人だった方は、この番組から卒業となります。逆に過半数以上が正解した場合、犯人だけが番組から降板していただきます。


 尋常ではない。頭の中で本能的な警鐘が鳴らされていた。ただでさえ覚束ない現実味がさらに薄れる。


 クイズに正解するだけで1千万円とは現実離れもいいところだ。確かに、それくらいの賞金を出すクイズ番組も過去にあったが、しかしそれは何問もの難問を突破した一握りに与えられるものであり、たった1問を解いただけで1千万円というのは、あまりにも破格である。ただ、賞金の発生条件がいささか特殊だ。正解者が全体の過半数に満たない場合は、賞金が発生しない。また、クイズとなった事件を起こした犯人は、番組を卒業となる。逆に、正解者が全体の過半数を超えた場合、賞金が発生するうえに、犯人は番組から降板となる。賞金が発生するかしないか――という点は理解できるのだが、卒業と降板ではどんな違いがあるのだろうか。意味合いとしては、どちらも同じように思えるのだが。


 ――【ルールその3】収録の流れは、クイズ出題、シンキングタイム、休憩、解答となります。ただし、状況によっては途中で収録を切り上げ、翌日に改めて収録を再開する場合があります。


 収録。そして台本に書かれているタイトルらしきものから察するに、これからクイズ番組の収録が行われるのであろうか。これまでテレビ業界において、さまざまなクイズ番組が放送されてきたことだろう。それに、素人が解答者となるクイズ番組だって珍しくはない。ただ、その素人の了解もとらずに、なかば強引に参加させられるクイズ番組は史上初であろう。出るところに出れば、まず間違いなく勝てる案件だ。


 ――【ルールその4】正解者ボーナスについて。クイズに正解した方には、ご希望されるものを1つに限り支給させていただきます。なお、ご要望によってはお応えすることができない場合がございます。


 クイズに正解したところで、正解者の人数が過半数を超えなければ賞金は発生しない。しかしながら、正解者はそれなりに優遇されるらしい。司馬は真っ先に寂しくなってしまった胸ポケットへと視線をやる。つまり、クイズに正解すれば、嗜好品である煙草も手に入るかもしれない。


 ――【ルールその5】番組を進行するうえで不備などが発見された場合は、その都度ルールを改定することがあります。それに関して解答者は異議を申し立てないこととします。


 これでは、やろうと思えば番組側のやりたい放題になってしまうではないか。司馬は好き勝手なことを羅列してくれている台本に腹が立って仕方なかった。

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