2
薄っぺらい内容の台本には、しかし実に奇妙なルールが羅列していた。どうして自分がこんな目に遭うのだろうか。まるでクイズ番組のようなものを強要されるなんて。これはもう犯罪である。拉致監禁にくわえて強要だ。いいや、きっと罪状はもっと多岐に渡るのであろう。
司馬がソファーの上に台本を放り投げた時のことだった。どこからともなくチャイムが鳴り響いた。鉄琴を叩いたよくあるチャイム。確かディナーチャイムなんて名称がつけられていたと思う。ただ、そのチャイムは全部で6音使っており、また途中で明らかに音を外していた。チャイムといえば【ピンポンパンポン】の4音を真っ先に連想しがちだが、それだと頭が勝手に認識したがゆえに、音の数が多かったり、音が外れていたりしているのが実に気持ち悪かった。それに続いて、まるで作られたかのような女性の声が響く。
『解答者ノ……ミナサン。ジキニ第1回目ノ収録ガ始マリマス。場合ニヨッテハ収録ニ時間ガカカル恐レガアリマスノデ、準備ハシッカリトシテオキマショウ』
くぐもっており、なおかつ途切れ途切れに聞こえてくる機械的な声。これならば、スマートフォンに入っているAIアシスタントのほうがよっぽど流暢に喋る。
『現在、収録30分前デス。収録15分前ヨリ、楽屋ノロックガ解除サレマスノデ、解答者ノ方々ハ収録開始時間までにスタジオ入リシテクダサイ。遅刻ハ厳禁トサセテ頂キマス。繰リ返シマス……』
静まり返った楽屋らしき部屋の中に響く、明らかに作られた機械的な女性の声。楽屋の無機質さと声質の無機質さが相まって、なんとも不気味な後味だけを残してくれた。わざわざ2回も繰り返して案内してくれたわけだが、どうやらそろそろここから外に出ることができるらしい。
素直にクイズ番組の真似事に乗っかるつもりはなかった。ただ、何が起きるか分からない以上、まるで乗っからないわけにもいかない。だから、まず楽屋から外に出たら、スタジオに向かうまでの時間を有効活用する。スタジオの位置だけ把握したら、まずは出口がないか探ってやろう。それでもし出口が見つかれば、もちろんそのまま脱出だ。クイズに正解すれば、とんでもない金額の賞金が手に入るようだが、本当に賞金が出る保証はない。なによりも、賞金が軽々と1千万も出るクイズ番組など、それこそ何か裏があるのではないかと思う。実際、クイズとして取り上げるものが物騒であるし、どうにも信用ならない。
わけの分からないクイズ番組。得体の知れないエンターテイメントに付き合ってやれるほど司馬は温厚ではなかった。そもそも、司馬自身が望んでこうなったわけではない。当たり前のように日常を過ごしていただけなのに、突然こんなことに巻き込まれてしまったのだ。だから、はいそうですかと素直に従うことなんてできなかった。
司馬は時間の経過をひたすらに待った。外に続くであろう扉に鍵がかかっていることを確認し、用意されていた握り飯へと視線をやる。しかし、どうしても手をつける気にならなかった。でも、もしそれが煙草だったら――得体の知れない場所に用意されているものだったとしても、思わず手が伸びてしまっていたかもしれない。あぁ、煙草が吸いたい。渇望感のようなものが体を駆け巡っている。ただひたらすらに、司馬は耐えるしかなかった。ここから脱出したら、警察に駆け込むよりも先にコンビニに駆け込んでしまいそうだ。
さまざまな方向へと思考を展開させるが、やはり根底部分には煙草への依存があったのであろう。随分と長い15分間のように思えた。またしてもチャイムが鳴り、例の作り物の声が響く。
『収録開始15分前ニナリマシタ。解答者ノ方々ハ収録開始マデニスタジオ入リシテクダサイ。繰リ返シマス……』
放送が流れている最中に、扉のほうからガチャリと音がした。どういう仕組みになっているのかは分からないが、鍵が開いたようだ。司馬は扉まで向かうと、やや辺りを警戒しつつ扉を開いた。
扉の外は1本の廊下が伸びているらしかった。廊下を挟んだ向かい側にも、自分の楽屋と同じような扉が見える。恐る恐ると扉から外に出てみた。
真っ白い壁。真っ白い床。真っ白い天井。蛍光灯の電気に煌々と照らされた空間は、やはり1本の廊下だった。司馬の楽屋は廊下の奥に位置しているようだった。なぜ一番奥に位置しているのか分かったのかというと、廊下は司馬の楽屋を最後にどん詰まりとなっていたからだ。その空間には、廊下を挟んで左右に扉が綺麗に5つずつ並んでいる。どうやら、司馬が出てきたような楽屋が全部で10部屋あるらしい。そして、司馬が出てきた場所から見て奥のほう――どん詰まりの反対側となる廊下の先には【スタジオ】と白字で書かれた観音開きの大きな扉があった。
――構造的にはいたってシンプル。1本の廊下が伸びており、廊下の先にはスタジオに続く扉がある。廊下の反対側は行き止まりであり、廊下を挟んで左右に5つずつ扉があり、その先はきっと解答者の楽屋ということなのであろう。これだけ。たったこれだけ。楽屋もそうだったが、廊下にも窓はなかった。
ふと、司馬の楽屋の向かいの扉が開いた。そこから顔を出したのは、髪の毛を結わえた眼鏡の女性だった。化粧がうっすらとほどこされているが、可もなく不可もないといった具合の地味な女性。司馬と目を合わせると「あ、あの……何がどうなっているんですか?」と問うてくる。膝上丈の黒のスカートに、上はワイシャツ。黒のソックスに、しかし足元は完全に油断していたかのごとくサンダルだった。中小企業の――それも、あまり縛りのない緩い会社の事務員といった印象を受けた。
「そいつは俺が聞きたいねぇ。えっと、
司馬がそう返すと、アカリは目を丸くして「どうして私の名前を?」と問うてくる。答えは簡単。彼女が顔を覗かせている扉に書いてあるのだ。芸能人が楽屋を割り当てられているかのごとく。
「どうやら、ご丁寧にそれぞれの楽屋にはそれぞれの名前が記されているらしい。ちょっとした芸能人気分だね」
冗談で言ったつもりだったのだが、しかしアカリには通用しなかったらしい。
「わ、私はただのOLです! どうして私がこんな変なことに巻き込まれないといけないんですか!」
それがきっかけというわけではないのだろうが、やはりこのような状況で冷静でいられるほうがおかしいのであろう。急にスイッチが入ったかのように声を荒げるアカリ。もはや八つ当たりでしかない。
「ま、待った。とりあえず落ち着こう。俺だって同じ立場だ。昨日、普通に就寝したところまでは覚えている。でも、目が覚めたらここにいて――」
多少なりとも、司馬だって動揺していたことだろう。それを見て冷静さを取り戻したのか、アカリは「あ、その……すいません」と小さく頭を下げると続けた。
「私は会社終わりに同僚と飲みに行って――その、2次会に行ったところまでは覚えているんですけど、その後の記憶が曖昧で」
「やっぱり、ここに来たことに関しては身に覚えがないみたいだね」
アカリはこくりと頷いた。彼女も司馬と同じように、自らの意思でここにやって来たわけではないようだ。もちろん、クイズ番組への出演を希望したわけでもあるまい。同じような境遇だからこそ、妙な親近感がわいた。
「俺は司馬龍平。まだこの状況を把握できているわけではないけど、ちょっと調べたいことがあるんだ。木戸さんも協力してもらえないだろうか?」
差し出した司馬の手を、おそるおそるといった具合で握り返してくるアカリ。その手は小さく、また随分と冷たかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます