エピローグ

第62話 講和に向けて

 第一機動艦隊が欧州遠征を終え、日本に戻ったのは一二月の初旬だった。

 英国撃滅を目標に抜錨したのが八月の初旬だったから、四カ月ぶりの帰還となる。

 そこで、例によって山本海軍大臣と宇垣軍令部次長による、古賀連合艦隊司令長官のご苦労さん会と浦島太郎解消を兼ねた宴席が海軍御用達の料亭で和気あいあいといった風情で催されていた。


 「古賀さん、長い間の遠征ご苦労様でした。

 英国という強豪国を相手にするのだから、実のところ私は艦隊のうちの半分は被害を受け、少なくない艦を失うのではないかと覚悟していたのです。

 ですが、あなたはわずかに駆逐艦を二隻喪失しただけで、あとはすべて持ち帰ってくれた。そのことについて、まずは海軍組織を代表する者として礼を申し上げたい」


 そう言って深々と頭を下げる山本大臣に古賀長官は頭をお上げくださいと言いながら、一方で感謝の言葉を返す。


 「大臣の言葉はありがたいのですが、一機艦もかなりの艦が傷つきました。

 英艦隊との戦いでは『大和』以下の水上打撃部隊の多くの艦が被弾し、少なくない将兵が死傷しました。

 また、英国との激戦で失った搭乗員は三〇〇人を超えます。私が任務を達成できたのも、遠く祖国を離れ異郷の地で戦ってくれた、そして倒れていった将兵の献身によるものです。

 ですが、山本さんと井上次官、それに米内総長と宇垣君は我々が戦っている間、さらに困難な任務を成し遂げてくださった。貴方たちのおかげで彼らの犠牲は意味のあるものになりました。

 私のほうこそ山本さん、それに宇垣君に礼を言わせていただきたい」


 意趣返しでは無いが、今度は古賀長官がさらに深々と頭を下げる。

 そんな山本大臣と古賀長官のやりとりを宇垣次長は微笑をうかべながら見つめている。

 一機艦が欧州から本土へと帰還する頃、遠く離れたここ太平洋でも大きな動きが相次いでいた。


 まず、議会で演説中のルーズベルト大統領が突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

 過労と心労が積み重なったことによる脳卒中とのことだ。

 英国が枢軸国と講和してなお、ルーズベルト大統領は継戦を訴えていた。

 だが、議員も国民もそのほとんどが彼の言葉に耳を貸さなかった。

 英国がドイツやイタリアと講和したことで、欧州解放という米国の戦争参加に対する大義名分が大きく毀損されたからだ。

 さらに、今後も引き続きドイツとソ連の喧嘩に関与しようと思う米国人は、一部の共産主義者やユダヤ系の人たちを除けばほとんどいない。

 そのうえ、多くの米国人は日本との戦争はあくまでもルーズベルト大統領が仕掛けた個人的なそれだと捉えているから士気も戦意もはっきり言って低い。


 それになにより太平洋艦隊を撃滅し、英国までをも屈服させた日本の艦隊がいつまたハワイや西海岸に押し寄せてくるか分かったものではない。

 ルーズベルト大統領は新鋭戦艦が六隻も揃ったから大丈夫だとは言うが、相手は旧式とはいえ一二隻もの戦艦を一度に葬ったバケモノ艦隊だ。

 一方、こちらの新鋭戦艦に配属されている将兵はその多くがルーキーであり、ベテランの数は極めて少ない。

 第一線任務が務まる海軍将兵のその多くがマーシャル沖海戦で失われてしまったからだ。

 このような現状を鑑みれば、日本の艦隊に勝てると思う者はほとんどいないだろうし、実際にそうだった。


 さらに悪いことに、そのバケモノ艦隊はマーシャル沖海戦で鹵獲した三隻の「ヨークタウン」級空母を取り込み一段とその戦力を拡充している。

 また、大型装甲空母である「翔鶴」型の四、五、六番艦が相次いで就役しているという情報もあり、それが事実であればその艦載機の数は一〇〇〇機どころでは済まない。

 しかも、それら機体は米機を性能面で凌駕し、搭乗員はその誰もが獰猛で恐ろしいくらいに腕が立つとのことだ。

 そんな連中が大挙して西海岸に押し寄せてきたら目も当てられない。

 英国で起きた現実を直視すれば誰でも分かる。

 だから、民主党の支持者でさえルーズベルト大統領の言うことを信じなかった。


 国民からの信用を失い、さらに頼りのチャーチル首相を失い、そのうえ仲間であるはずの民主党議員にすら愛想を尽かされたルーズベルト大統領は失意の泥沼にはまり込み、そしてそれが彼の健康に決定的な悪影響を与えた。

 そのようなことを山本大臣は嬉しそうに古賀長官に説明している。

 死者の悪口を言うのはあまり褒められた行為ではないが、それがルーズベルト大統領やチャーチル首相ともなると話は別だ。

 日本を米国との戦争に陥れ、そのことで少なくない日本人が死んだ。

 山本大臣からすれば、まさにざまあ見ろといったところなのだろう。


 そして、継戦派の重鎮であるルーズベルト大統領の死によって日米に講和の機運が生まれた好機を山本大臣は見逃さなかった。

 まずは、国内の継戦派を抑えるため、その最大の勢力である帝国陸軍を取り込むべく動く。

 山本大臣は陸軍に対して、講和の条件を緩和してでも米国との戦争を速やかに終わらせて、今後帝国はソ連を叩くべきだと訴えたのだ。

 山本大臣の提案は陸軍が望む戦略とも合致していたことから、陸軍組織内で割とあっさりと認められることになった。

 陸軍も国民に対する手前、米国との戦争に真面目に取り組んではいたが、それでも本音を言えば彼らはソ連こそを相手にしたくてしょうがないのだ。

 だから、山本大臣の陸軍に対する提案は、陸軍からすれば渡りに船だった。


 そうなれば、あとはお上と国民だった。

 お上のほうは問題無い。

 立場上、本心を吐露することは出来ないが、実際のところは戦争が嫌でしょうがないのだ。

 国民のほうも米国からの賠償云々について言い出す輩がいるが、それについては米国ではなく連合国というくくりで勝ち取ったことにすればよかった。

 英国との講和、実際のところは英国の降伏なのだが、その際にドイツは英国という国ならびに自治体、それに上流階級に属する者たちの資産のそのことごとくを接収した。

 英国が数世紀にわたって世界中から収奪したその富は莫大で、それに比べれば山本マネーなど子供の小遣い銭程度にしか過ぎない。

 英国から接収した資産のうち、その少なくない部分をドイツは気前よく日本に与えると言ってくれていた。

 英国打倒の原動力となり、殊勲甲の働きをしたのは紛れもなく一機艦だったから、ヒトラー総統の帝国海軍に対する贔屓っぷりは尋常では無かった。

 だから、その受け取った資産を米国を含む連合国からの賠償金として日本国民に提示すれば多くの国民は納得するはずだった。


 英国の資産と同時に英軍を武装解除する際に獲得した兵器類についても山本大臣は一計を案じた。

 接収した英海軍艦艇については日本に優先権を与えるとヒトラー総統は言っていたのだが、山本大臣はそれについては固辞し、その代わり英陸軍の戦車をはじめとした軍用車両の提供を申し出た。

 山本大臣としては陸軍の継戦派をなだめるための賄賂に使うつもりだった。

 陸軍大国のドイツは海軍国である英国の陸戦兵器にはさほど興味を示していなかったことから山本大臣の要求はすんなりと通った。

 軍艦に関しては、ドイツが三隻の「キングジョージV」級を、イタリアは建造中の二隻の装甲空母をそれぞれ獲得することで話はまとまっている。

 国内の継戦派を抑えることに成功し、米国との講和交渉も順調なことから山本大臣の表情は明るい。

 そうなると、残る問題はあと一つだけだった。

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