第44話 東洋艦隊

 海軍上層部との喧々囂々の議論は自身が持つ権力をもって終わらせた。

 フリート・イン・ビーイングを唱え、インド洋を一時的に放棄してでも日本の第一機動艦隊との直接対決を避けようとする腰抜けの海軍上層部に対し、チャーチル首相は同地の絶対防衛を厳命した。


 チャーチル首相とて、フリート・イン・ビーイングくらいは海洋国家のリーダーなのだから当たり前のように知っている。

 だが、今は戦時、しかも非常時なのだ。

 そのうえ、英国とインド洋を結ぶ航路は英国と米国を結ぶそれとともに決して欠くことの出来ない英国にとっての経済の大動脈だ。

 インド洋を日本軍に抑えられれば英国経済は片肺飛行を強いられる。


 国内だけの問題ではない。

 他国への影響も甚大だ。

 ソ連はペルシャ回廊という米国からの貴重な武器援助ルートを失い、同じように中国も援蒋ルートを断ち切られて苦境に立たされるだろう。

 太平洋とインド洋の東西をおさえられたオーストラリアは恐怖のあまり日本との単独講和に踏み切るかもしれない。

 インド洋の失陥は間違いなく連合国瓦解のきっかけとなりうる。


 そして、何より重大な問題は自身の政治生命が決定的な危機にさらされることだ。

 もし、自分が戦争から退場するようなことになれば、連合国は間違いなく戦力の低下をきたす。

 共産主義のソ連と自由主義のアメリカ、もっと言えばスターリンとルーズベルトという傲岸不遜で我儘な連中をとりまとめることが出来るのは現状、世界で自分をおいて他にはいないのだ。


 だからこそ、インド洋で逃げることは許されない。

 何も日本軍に勝つ必要は無い。

 刺し違えるだけで十分だ。

 消耗戦になれば修理補給ではこちらのほうに分がある。

 そのための戦力も充実させる。

 本国艦隊をはじめ他の部隊から複数の空母と戦艦、それに可能な限りの駆逐艦を引き抜きインド洋へと送り込む。


 空母の搭載機も充実させる。

 特に現地からの要望が強い戦闘機隊を、だ。

 実戦部隊や教育部隊を問わず、母艦勤務の経験のある戦闘機搭乗員を有無を言わせず引き抜き、使えるシーハリケーンをかき集める。

 これによって、「我が艦隊の戦闘機はわずかに三六機しかない」とクレームをつけてきたソマーヴィル提督も納得するはずだ。


 日本艦隊相手に勝てないまでも刺し違えるには十分な戦力だろう。

 もちろん、数的不利の中での戦いだから大勢の将兵が死ぬことになる。

 だが、これも戦争の勝利と大英帝国の未来のためだ。

 残念ながら仕方がない。

 チャーチル首相は自身をそう納得させた。




 昭和一七年三月三一日

 インド洋


 英国の優秀な諜報部門によって日本艦隊がマラッカ海峡を抜けつつあるという情報はすでに得ていた。

 おそらく、明日には東洋艦隊と第一機動艦隊との間で戦端が開かれるはずだ。

 ここ一月余りの間、東洋艦隊は金と油に糸目をつけず猛訓練に勤しんできた。

 それもこれも日本が一カ月以上も前に挑戦状を送ってきてくれたおかげだ。

 これだけのリアクションタイムを与えてもらえれば、いくら台所事情が厳しい英海軍といえどもそれなりの準備は出来る。

 ソマーヴィル提督は従来艦に加え、本国艦隊や地中海艦隊から増援として送られてきた艦艇を速力に合わせて二つの部隊に編成していた。



 高速部隊

 「インドミタブル」(シーハリケーン二四、アルバコア二四)

 「フォーミダブル」(シーハリケーン二四、アルバコア二四)

 「フューリアス」(シーハリケーン二四、アルバコア六)

 重巡「コーンウォール」「ドーセットシャー」

 駆逐艦一二


 低速部隊

 「ハーミーズ」(シーハリケーン一二、アルバコア三)

 「イーグル」(シーハリケーン二四、アルバコア六)

 「アーガス」(シーハリケーン一二、アルバコア三)

 戦艦「レゾリューション」「ラミリーズ」「ロイヤル・ソブリン」「リヴェンジ」「ウォースパイト」「マレーヤ」

 軽巡「ダナエ」「ドラゴン」「エンタープライズ」「エメラルド」

 駆逐艦一二



 戦艦の増援こそ一隻にとどまったものの、空母は倍増している。

 残念なのはそれら空母が旧式のものばかりであったことだが、それでも彼らが運んできた中身はソマーヴィル提督が期待する以上のものであった。

 東洋艦隊の戦闘機がこれまでの三六機から一気に三倍以上の一二〇機にまで増勢されたのだ。

 ソマーヴィル提督が聞いたところによると、チャーチル首相と海軍上層部はかなり強引なやり方で搭乗員と機体を集めたらしいのだが、その手段が何であれ戦力は戦力だ。

 航空優勢を獲得するための戦闘機戦力の増強はありがたいことこの上なかった。


 一方で、少しばかり期待外れだったのは戦艦と艦上攻撃機だった。

 こちらに新たに送り込まれた戦艦は「マレーヤ」のみで、艦上攻撃機は従来から一〇機と増えていない。

 それでも戦艦は六隻となり、これは本国艦隊と地中海艦隊で稼働状態にあるそれよりも多いから文句は言えなかった。

 東洋艦隊への増勢によってがら空きとなった地中海に二隻の「ネルソン」級戦艦を送り込んだ結果、本国艦隊には「キングジョージV」級戦艦二隻と巡洋戦艦「レナウン」しか残っていない。

 戦艦は他にもあるが、それらはいずれも修理中かあるいは改装中だ。

 わずか五隻の戦艦でドイツ戦艦「ティルピッツ」を牽制しつつ大西洋や北海、それに地中海を守らなければならないのだから英海軍上層部も頭が痛いことだろう。


 このような現実をソマーヴィル提督は知っているから、現状の戦力についてはいささか不満もあったがその一方で納得もしていた。

 不安があるとすれば日本軍がマーシャル沖海戦とオアフ島攻防の際に使用したという無線誘導ロケット弾の存在だ。

 これらを無力化するには妨害電波かあるいはロケット弾を誘導する母機を撃墜するかだ。

 だが、妨害電波の装置をつくるにしても敵が用いる周波数を知らないことにはどうしようもない。

 マーシャル沖海戦の戦訓によってオアフ島では無線誘導ロケット弾の周波数を調べるべく機材と人材が用意されていたらしいのだが、それらはいずれも日本艦隊の規格外の艦砲射撃によって行方不明となってしまったらしい。

 また、マレーでも日本陸軍が無線誘導ロケット弾を使用した例はあったが、連中はその運用を厳しく制限しているらしく、ここ一番の時以外はまったく使用されていないことから周波数の特定には至っていない。


 だが、それでも一二〇機ものシーハリケーンがあれば母機を撃墜することは可能だろう。

 米軍のレポートによれば、マーシャル沖海戦に参加した五隻の米空母にはわずかに一〇〇機あまりのF4Fしか搭載されていなかったらしい。

 それらF4Fの搭乗員らは十分に訓練はされていたはずだが、それでも彼らにとっては同海戦が初陣だったはずだ。

 初陣の兵士は経験が無いゆえにミスを犯す。

 そこを中国との戦争で経験を積んだ日本の搭乗員に突かれた。

 米戦闘機隊が敗北したのも、そこらあたりが大きな理由だろう。

 しかし、こちらは違う。

 英空母戦闘機隊の搭乗員はそのいずれもがドイツ戦闘機隊としのぎを削り、そして生き延びてきたベテランばかりだ。

 一〇〇機あまりの戦闘処女と一二〇機の歴戦の猛者とではその力の差は天と地ほどの開きがあるはずだ。


 戦艦にしたところで、日本は四六センチ砲を持つ「大和」があるが、砲口径が決定的な意味を持たないことはジュトランド沖海戦がそれを証明している。

 当時、三〇センチあるいは三四センチ砲が主流だったあの戦いで破格の三八センチ砲を積んだ「クイーンエリザベス」級戦艦は健闘こそしたものの、決して無双することは無かった。

 戦艦の戦いはその時の状況、それに指揮官の運用の妙、さらに射撃管制装置の性能や砲撃に携わる将兵の練度など様々な要素が相まってその結果が変わってくる。

 決して砲口径の大きさや装甲の厚みだけで勝負が決するような単純なものではない。

 仮に百発百中の射撃照準装置があれば、重巡はおろか軽巡だって「大和」級と張り合うことは十分に可能だ。

 二〇センチ砲弾や一五センチ砲弾とて一定数を命中させれば「大和」型といえども廃艦に追い込めるのだ。

 そして、英戦艦には優秀なレーダー照準装置が搭載されている。


 「航空機と艦の数は敵のほうが勝る。

 全般的な艦と航空機の性能は控えめに見積もって互角かこちらがやや有利。

 だが、将兵の練度と海軍組織の歴史と伝統、なにより経験においてこちらは日本側を遥かに凌駕する。

 そして、最後に物を言うのは人間の力、指揮官の能力だ」


 歴史上、数的劣勢を跳ね返して寡兵側が勝利を挙げた例は枚挙にいとまがない。

 自分もそれに続くのだ。

 ソマーヴィル提督はそう考え決意を新たにした。

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