第37話 窮地の大統領

 「太平洋艦隊壊滅の責任をどう取るおつもりか」

 「残存戦力でハワイや西海岸の防衛が果たして出来るのか」

 「フィリピンで孤軍奮闘する友軍を救出するための手立てをお聞かせ願いたい」


 議会においてルーズベルト大統領は野党議員からの追及に対して防戦一方だった。

 石油禁輸措置や「ハル・ノート」を使って日本を挑発、連中から宣戦布告を引き出したまでは予定通りだったが、その後の展開はルーズベルト大統領の予想を遥かに超えていた。

 太平洋艦隊壊滅という最悪の形で。


 ルーズベルト大統領はもともと、中途半端な戦力しか配備していない東南アジア方面における苦戦はある程度予想していた。

 しかし、それは太平洋艦隊が出撃するまでのほんの一時のはずだった。

 だが、期待をかけた、もっと言えば勝利を確信していた太平洋艦隊は一方的な惨敗を喫し、上陸部隊の護衛にあたっていた巡洋艦と駆逐艦以外はすべて撃沈されるか鹵獲されてしまった。


 ルーズベルト大統領の手元には一枚の写真があった。

 三隻の「ヨークタウン」級空母が舳先を並べる横にそびえる鉄の城。

 「大和」型戦艦だ。

 見る者に、まるで看守と囚人のような印象を与えるそれは日本から送られてきたものだ。

 合衆国海軍の中でも、見た目だけなら「レキシントン」級に次ぐボリュームを持つ正規空母の「ヨークタウン」級が、「大和」型の前では軽空母にしか見えない。

 この屈辱的な写真は米政府だけでなく、マスコミ各社にも送られ米国民の多くがすでにこれを目にしている。

 だから、ウェーク島に脱出した艦上機や水上機の搭乗員からマーシャル沖海戦の真相を聞かされた関係者以外は、太平洋艦隊の一二隻の戦艦を屠ったのはこの「大和」型戦艦だと思い込んでいる者も多い。


 一二隻の戦艦に一四隻の巡洋艦、それに四四隻の駆逐艦が沈められ、五隻あった空母も二隻が撃沈され三隻が鹵獲された。

 なにより、三万人が戦死し、二万人が捕虜になるという人的被害はあまりにも甚大だ。

 日本が送ってきた資料には戦死ではなく行方不明と記されていたが同じことだ。

 さらに二万人の捕虜のうち、一〇〇〇人近くが戦闘終了時点で重篤な状態にあり、このうちの半数がすでに死亡、日本本国の病院に収容された者も死亡が相次いでいるという。


 日本政府が送ってきた太平洋艦隊の将兵五万人が記された名簿が米政府と米国民に与えたインパクトはあまりにも強烈だった。

 マーシャル沖海戦で息子を失った共和党の議員は「息子はルーズベルト大統領に殺されたようなものだ」と言って舌鋒鋭く民主党を、大統領を突き上げてくる。

 なによりまずかったのは「ハル・ノート」の存在を日本政府が米マスコミに暴露したことだった。

 試案かあるいは叩き台程度にしか過ぎないものだったとはいえ、それは合衆国が日本に手交した外交文書だ。

 その「ハル・ノート」はあまりにも相手国に対する配慮や譲歩に欠ける一方的な要求であり、日本に対する挑発と受けとられても仕方のない内容だった。


 当然、共和党をはじめとした野党はそこに付け込む。

 無能なルーズベルト大統領は無謀にも「ハル・ノート」によって日本を挑発し、その結果、日本との戦争となり、マーシャル沖海戦で太平洋艦隊は無残にも壊滅した。

 そこでは多くの合衆国青年が流さなくてもいい血を流し、失わなくてもいい命を散らせた。

 そして、今この瞬間もフィリピンでは若い米兵の命が失われている。

 それなのにルーズベルト大統領は国民や野党に対してフィリピンを救うための具体的な提言ができないでいる。

 そんなルーズベルト大統領を共和党系の新聞はこぞって無謀、無能、無為無策だと批判し、それは国民の間にまたたく間に伝播していく。

 その結果は劇的で、いまや大統領支持率は五〇パーセントを割り込みつつある。

 ルーズベルト大統領が抱いた焦燥は彼の健康を蝕むほどに大きなものだった。


 そして、頭の痛い問題は国内のそれだけではない。

 異様なまでに日本を戦争に引き込むのに熱心だった英国とソ連が、今度は手のひらを返したように日本と講和しろと迫ってきている。

 英国もソ連もすでにフィリピンやシンガポールが助からないことは承知している。

 太平洋艦隊という最大の脅威を排除した日本軍が次に矛先を向けるとすればそれはハワイか豪州、あるいはインド洋のいずれかだろう。


 英国やソ連にとって最も困るのは日本軍がインド洋に進出してきた場合だ。

 インドと英国を結ぶ航路は英国経済にとっての大動脈であり、ここを日本の艦隊に遮断されると戦争経済への打撃にとどまらない。

 大げさではなく、英国は国家存亡の危機に立たされることになる。

 ソ連もまた、インド洋の制海権を日本軍に奪取されればペルシャ回廊という武器援助ルートを絶たれることになるし、英国の弱体化に伴って北海経由の援ソ船団が中断される可能性も否定できなかった。

 ドイツとの戦いが予断を許さないなかで、日本軍のインド洋進出はソ連の、欧州の戦争に致命的な結果をもたらしかねないといっても過言ではなかった。


 それゆえに、英国もソ連もルーズベルト大統領に対して強硬に日本との講和を求めてくる。

 連中からすれば、ルーズベルト大統領が泥をかぶるだけで自分たちの安全が図れるのであれば、それはそれで安いものなのだろう。

 ルーズベルト大統領はそう考えている。

 だが、それは決してルーズベルト大統領としては飲むことができない相談だった。

 そんなことをすれば確実に自身の政治生命は終わる。

 合衆国を日本との無謀な戦争に引きずり込み、そのあげく太平洋艦隊を壊滅に追いやった愚かな大統領として歴史に名前を刻むことになるはずだ。


 だが、そんなルーズベルト大統領に起死回生ともいえる日本側からの通告があった。


 「一九四二年二月、帝国海軍はオアフ島を掃滅する。

 一般住民の避難はこれを一月いっぱいで済ませておくように。

 繰り返す。

 一般住民の避難はこれを一月いっぱいで済ませておくように。

 一九四二年二月、帝国海軍によってオアフ島は紅蓮の海に沈む」


 このことは、米政府だけでなくマスコミにも同様のものが日本政府公式発表として送られてきている。

 この日本側からの通告はフィリピン救援のための具体策もなく、艦隊決戦の望みも潰えた手詰まりのルーズベルト大統領にとって一縷の望み、起死回生のチャンスに思えた。

 オアフ島に来襲した日本の艦隊に大打撃を与えて撃退すれば、まだ自身の政治生命は保たれる。

 もし、日本軍がハワイに来なければ、それはそれで連中を嘘つき呼ばわりして米国民の日本に対する敵愾心を煽ればいい。

 ルーズベルト大統領は陸軍ならびに海軍に厳命する。


 「オアフ島を絶対死守、日本艦隊に痛撃を与えこれを撃退せよ」

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