第23話 桜木玲とゆかいなクラフターズR
「ああああああああ!」
部屋中に絶叫がこだまする。
俺はマウスをクリックする手を止めて、頭を抱えてのた打ち回った。
「ダイ……ダイヤ装備一式失くした……」
視点を変えて画面に映る自キャラを見る。
そこには薄青色の奇麗なダイヤ装備を纏ったス〇ィーブさんはおらず、元のただのスティー〇さんがいるだけだった。
「なんで……なんであんなところにマグマがあるんだよ」
俺は直前に起こった出来事を思い出し、悔しさに歯噛みする。
確かに地面は掘っていた。けど、直下彫りなんてしてなかったし、何よりマグマなんて出てくる深度ではなかったはずだ。
装備品、持ち物を全部ロストしたという事実が俺を打ちのめしてくる。
ああ、この後みんなが待つ拠点に帰ったら、なんと言われるだろうか。
玲や九条はまあまだそこまで言ってはこないだろう。問題は妹だ。
妹が一番、俺に対して暴言を吐く可能性が高い。このハゲー……と。
「ああ……会いたくねぇなぁ」
俺は拠点から出て、周囲を見回す。まだ、みんなは戻って来ていないようだ。
けれども、俺が死んだことはみんな知っているはずだ。なぜなら、誰かが死ぬと画面の下の方に誰々が死亡しましたと出るからだ。
つまるところ、嘘や言い訳は無駄だということだ。
これは……腹をくくるしかねぇか。
俺は拠点の中に引き返し、みんなの帰りを待つ。
……しばらくすると、拠点の扉が開かれた。
「お、おまえは……!」
俺は目の前に現れた金髪ピクセル野郎(たぶん女)を視界に収めた。
全身をダイヤ装備で固めたそいつは、ダイヤの剣を振り回してこっちに近づいてくる。
「な、なんだよ……九条」
『おほほほほほほ! あらあらマグマ遊泳を試みられた石宮さんですわ』
「ぐっ……ボイスチャットでもわかる。おまえ今、めっちゃ笑ってるだろ」
『いえいえ、そんなことはありませんわよくぷぷ、ぷぷ』
「ぷぷって言ってんじゃねぇか!」
『うるさいですわ。それよりいかがですか? ダイヤモンドをすべてロストした感想は?』
「か、感想もくそもねぇよ……なんだってんだよ、一体。俺を笑いに来たのか?」
『その通りですわ!』
バーン! と効果音が見えそうなほど近くに寄って来る九条。
ちけぇ、超ちけぇから!
「離れろよ」
『仕方がありませんわね』
金髪スティーブはやれやれといった雰囲気を醸し出しながら、ようやくのことで俺から離れた。……つか何だその見た目は。
「どうして俺のとは違うキャラなんだ?」
『キャラとはまた……やはり素人ですわね。トーシローですわ』
「うるせ……それで、どうしてなんだ?」
『まあいいでしょう。ええ、わたくしのスキンはあなたとは違う。あなたは何もしていないデフォルトのまま。対してわたくしのスキンは限りなくわたくしに近づけたもの』
聞いてもいないことをべらべらと喋り出したぞ、おい。
『それはつまりわたくしが特別な、選ばれし者だからですわ!』
「な、なんだってー!」
俺は驚いたふりをしてやる。……たぶんそうした方がより面倒が少ない気がするからだ。
『くふふ、素晴らしいでしょう、この姿! 気品に満ち溢れていますわ!』
得意げにぴょんぴょんと跳ねる金髪野郎。俺はなんだか疲れてきた。
「ああ、すごいすごい。それで、それは一体どうしたらいいんだ?」
『それは私から説明するよ』
九条に遅れて登場したのは、玲だった。
玲のスキン? もデフォルトのままの俺のスティーブとは違っていた。
なんだか桃色の、可愛らしい感じのスキンだ。
『二通り方法があるんだけど、簡単なのと難しいいの、どっちがいい?』
「え? そんなの簡単な方がいいに決まってるだろ?」
『そう? だったら公式が出しているスキンを買った方が速いし簡単だよ?』
「買うのか?」
『うん。スキン変えたいんでしょ?』
「変えた……別にいいや」
そういうなんか色々やらないといけないのなら、別にこのままでもいいか。
それに九条や玲たちがスキンを変えて俺だけデフォルトのままなら、これはこれで個性があっていいのかもしれない。うん、そうだそうに決まっている。
俺は半ば強引な感じに自分を納得させる。そうすることで、九条たちをうらやむ気持ちを抑え込むわけだ。
「それでだ。俺はおまえたちに悲しいお知らせがあるんだが」
『ああ、わかっていますわ。マグマ遊泳を試みられたのでしょう?』
『そしてアイテムを全ロストしたんだよね?』
「うぐっ……うん、まあ……その通りだ」
ダイヤ装備一式と諸々のアイテムをすべて失った俺は、しょんぼりと肩を落とすしかなかった。
まあそれもこの世界だと表現するのにはだいぶ骨が折れるんだけどな。
『……まあやってしまったものは仕方がありませんわね』
『だね。また地道に集めるしかないよ。頑張ろう』
「玲……九条」
そんなふうに言ってくれるなんて、なんて優しい奴らだ。こんな、へまをした俺を慰めてくれるなんて、二人とも実は聖人じゃないか?
俺が二人の優しさに感動していると、バンッと(実際は違うけど)勢いよく拠点の扉が開かれた。
『……あにき、何してくれてんの?』
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ! と背景に効果音が観えるかと思われるほど、妹はお怒りだった。
「いや、違うんだ、これには深い理由が……」
『貴重なアイテムを持ったままマグマ遊泳を試みるのに理由なんてないし』
「ま、待て……話せばわかる。わかるから……!」
妹はダイヤモンドの剣を構え、切りかかって来る。俺はそれを華麗にかわしつつ、逃げ回るのだった。
「ふ、二人とも助けてくれ」
『いやー、ご兄妹仲がよろしくていいですわね』
『本当に。羨ましいよ』
『わたくし、実は妹か弟が欲しかったのですわ』
『へー、そうなんだ。でもなんかわかるかもしれない』
「何ほのぼのとした会話してるんだよ! 誰かこの暴れん坊将軍を止めてくれ!」
俺が必死に懇願するも、玲も九条も一歩たりともその場を動こうとはしなかった。
ここに俺の味方はいないのか……。
そうこうしている内に、妹に追いつかれてダイヤの剣でズタズタに切り裂かれてしまう。
画面に映ったのは、死亡しましたという無機質な文字だけだ。
そしてまた、リスポーン地点へと舞い戻る。まあ直前に眠ったベッドのところだから、すぐ近くなんだけど。
〇ティーブが目を覚ます。と、他三人が俺を見下ろしていた。
「こえええよ、なんなんだよ!」
『なんでもないよ。失敗は誰にだってあるし』
『ええ、その通りですわ。まして石宮さんはこのゲームを始めてまだ二日。いろいろと不慣れな部分もあるでしょう』
『あにきなんかにダイヤ装備を渡していたのが間違いだったんだ。お陰で全ロスだし』
ヘッドセット越しに聞こえてくる妹の声はかなり苛立っていた。
そりゃあそうだ。さっき俺が持っていたダイヤがあったら、今頃みんなでい別の世界へ行けたんだから。
『だから反対だったんだよ。あにきを荷物持ちにするのは』
『まあまあ。そう言わないで。失敗は誰にでもあるし』
『そうですわよ。第一、ダイヤくらいわたくしがすぐに見つけて差し上げますわ』
『でも……あれだって見つけるのにかなり苦労したし』
『まったく問題ありませんわ。わたくしにお任せなさい』
九条のキャラがぶんぶんと自信たっぷりに手を振っている。
『……まあ九条さんがそこまで言うのなら』
九条の言いようが利いたのだろう。妹は渋々といった様子を滲ませつつ、怒りを収めてくれたようだった。いやー、よかったよかった。
あのままだと、実際の生活にも支障をきたすところだったぜ。
「悪いな、九条」
『この程度、なんということはありませんわ』
『でも大丈夫なの? また地下に潜ることになると思うんだけど』
『ふふふふふふふふ』
九条が不気味な笑い声を響かせる。……一体何なんだ?
『これをご覧なさい!』
「こ、こいつは……!」
バーンと九条がダイヤをあたりにまき散らす。それを見て、俺たちは歓声を上げた。
「す、すげー!」
『さっすが九条さん、このバカあにきとは違うね』
『ふふん、そうでしょうとも……まあ石宮さんの場合は不可抗力でしたけれど』
「うぐっ……」
九条がフォローしてくれるが、俺の胸には傷が残った。
もうね、妹の言い方がだいぶくるよ。
「ま、まあこれで必要な素材は揃ったってことでいいのか?」
『その通りだよ。というより九条さん、結構いっぱい集めて来たね?』
『……その、石宮さんが』
「俺? 俺がどうかしたのか?」
『ああと……申し上げにくいのですが』
九条のキャラがもじもじとし始める。
なんだ? どうしたんだ?
『なんだかんだ言って九条さんもあにきがダイヤをロストするって思ってたんだ』
「……そうなのか、九条?」
『あーと……ええ、まあ』
言いにくそうに九条がちらちらとこちらを見つつ答える。
ああくそ、俺が悪かったよほんとに!
俺は自分の不甲斐なさを感じつつ、九条からダイヤを必要な分もらって装備と武器を作った。
それを身にまとい、歯噛みする。
くそぅ……俺はなんてみじめな奴なんだ。他人から素材を分けでもらい、そして妹に蔑まれる。……なんなんだ、この罰ゲームは。
俺は剣を構え、妹に殴りかかる。妹は華麗に俺の攻撃をかわし、マイクの向こうから微かな笑い声が聞こえてくる。
『あはははははは。あにきごときがあたしに傷一つつけられるわけないじゃん』
「ぐ、ぐぅ……ちくしょう」
妹の高笑いがヘッドセットの向こう側から聞こえてくる。俺は悔しさで歯噛みした。
『まったく……お二人とも何をなさっているんですの? わたくしたちの目的は違うでしょう?』
『そうだよ。健斗も』
『……はーい。ごめんなさい』
「わ、悪かったよ……」
兄妹揃って怒られる俺たち。……ったく、妹のせいで俺まで怒られちまったじゃねぇか。
俺は妹のキャラを睨みつけるが、まあそんな俺の行動など相手に伝わってるはずもないだろうな。
俺は妹に突っかかるのを止め、大人しく次の指示を待った。
「それで? 次は何をするんだ?」
『ええと、次はねぇ……また地下に潜るよ』
「え? 地下に? でもダイヤは十分だろ?」
『いやー、まだまだ。鉄とかスカーレッド・ストーンとか、見つけないといけない物がたくさんあるよ?』
「ま、まだあるのか……?」
『まあ……文明とかない世界観だし』
『だからこそ自由なのですわ。自分たちで何かを作り出す。物作りのすばらしさを伝えてくれるいいゲームですわ』
「そんなもんかねぇ……」
『ま、兄貴はこの手ゲーム苦手かもね』
妹が俺を小バカにしたように言う。けらけらと笑うその笑い声に、俺はムカッとした。
「別に苦手じゃねぇよ」
『だってあにき、物を作るより冒険するゲームとかのが得意じゃん』
「それは……」
『ま、そっちもあんまりうまくないけどね』
「こ、こいつ……言わせておけば」
妹のあまりの暴言ぶりに、俺はムカッ腹を覚えると同時に頭に血が上っていた。
「いいだろう、そこまで言うのなら俺にだって考えがある」
『へぇ? 一体どんな考え?』
「この世界で家を一軒作ってやる」
『どうせ豆腐ハウスしかできないでしょ?』
「この野郎……どこまでも俺をバカにしやがって」
妹は……こいつはあくまで俺のことをゲームにおいてだめだめな奴だと言いたいらしい。いいや、まさしくその通りなのだが。
しかし最近はよくゲームをするようになった。今回のゲームだってそれなりの時間やりこんでいるし、最初の頃と比べて死亡率はぐんと減ったように思う。
建築技術だって……まあまあ上達したと自分では思っている。だから大丈夫だ。
『ま、そこまで言うんだったら新しい世界を作ろうよ』
「は? なんだってそんなことをしなくちゃならないんだ?」
『自信、あるんでしょ? 自分の操作技術が向上したんだっていう』
「あ、あたり前だ」
『だったらできるはずだよね? 最初から』
「ぐっ……わかった。やってやる!」
『ちょ、大丈夫、健斗?』
自分でも軽率な発言だろうとは思う。玲が心配そうに訊いてくる気持ちもなんとなくわかる。
だが、しかし……!
「大丈夫だ、玲。俺だって成長しているんだってところを見せてやる」
『健斗……かっこいい』
「ま、まあな……」
玲の屈託のない言葉に、俺は思わず照れてしまっていた。
な、なんだよ急に。小っ恥ずかしいじゃねぇか。
『……何二人で盛り上がってるの?』
『わたくしたちがいることをお忘れなく』
「わ、わかってるって!」
い、一瞬忘れかけていた。
「んで? 新しい世界で家を作ればいいんだな?」
『そう。ただし誰の力も借りずに一人で』
「はあ……それはいいがなんで一人なんだ?」
『あたしは一人で安土城と城下町を作ったよ。一週間かかった……友達いないから』
「ん、ああ……そう」
またこいつはそういう反応じづらいことを言う。
俺は妹の友達いない発言をどう扱ったらいいかわからず、流すことにした。
「ま、まあんなことはどうだっていいな」
『……うん、まあそうだね。そんなことより勝負だよ』
妹は気を取り直して、咳払いをした後、姿を消した。
『じゃ私たちもいこっか』
「だな」
『ええ、そうですわね』
俺たちも妹に続いて、一旦この世界から姿を消す。
とはいえ、俺のやることなんてほぼない。たぶん他の誰かが新しく世界を作るはずだから、俺はそこに便乗して入っていけばいいことになるのだから。
などと考えていると、すぐに世界は生成された。
新しい世界の名前は……〈ザ・シード〉というらしい。どういう意味なのやら。
まあたぶん、何かのアニメに出てくる名前なんだろうな。VR系の。
俺はすぐにその世界をクリックした。
「おお……」
ワールドが生成されて、現れたのは一面の銀……というよりは真っ白に近いけど。とにかく雪化粧に覆われた大地だった。
「ここが……新しい世界か」
『そうだよ。雪原バイオームって言うんだけど』
「そういやバイオームってどういう意味なんだ?」
『どうって……ええと』
玲のキャラクターがそっぽを向く。どうやら聞いてはいけない質問をしてしまったらしい。
『ま、まあとにかく、今は九条さんと妹ちゃんを待ってようよ』
「あ、ああ……そうだな」
二人が入って来ないことには何も始まらない。
俺と玲はしばらくの間、空条たちが現れるのを待った。
……が、一向に姿を現さない。それどころかボイチャに二人の声は入って来ず、メッセージも送られてこなかった。
「……どうしたんだ?」
『さ、さあ? 何かあったのかな?』
「何かってなんだ?」
『わ、私に言われても困るけど』
俺より機械に強いであろう玲がそれでは、俺になんて本気でわかるはずがなかった。
とにもかくにも、九条はともかく妹が入って来ないのでは勝負が始められない。
それからまたしばらく、俺たちは二人を待ちぼうけることにした。
ほんと、どうしたんだろうな、二人とも。
『……ちょっと待って。九条さんに連絡してみるから』
言って、ごそごそとヘッドホンの向こう側で何やら音がする。たぶん携帯を取りに行ったのだろう。それから少し話し声が聞こえ、また冷が戻って来た。
「どうだって?」
『電話しようとしたらちょうど九条さんからも電話があって、ちょっと用事ができたから今日はもうやめるんだって』
「あ、ああ……そうなんだ。まああいつも忙しいだろうしな」
何せ九条財閥の跡取り娘だ。いろいろとやることがあるんだろう。
金持ちの家のことは俺たち庶民にはわからん。
『それで、妹ちゃんは?』
「そうだな。ちょっと様子を見てくる」
言って、俺はヘッドホンを外して立ち上がった。
部屋を出て、一階にある妹の部屋の前までくる。
コンコンと二度ノックをしてから声をかけた。
「おい、どうしたんだ? さっさと入って来いよ。おまえから言い出した勝負だろうが」
「……ちょっと待って。今忙しいから」
扉の向こうからくぐもった声が聞こえてくる。何してんだ、あいつ?
「忙しいって……一体何やってんだおまえ?」
「ああもう、あにきうるさい! あ、ああああ!」
ヒステリックに叫んだかと思うと、次の瞬間に悲鳴じみた声を出す妹。
ほんと、何やってんだ、こいつ。
「開けるぞ」
一言言って、妹の部屋の扉を開ける。……と、信じられない光景が広がっていた。
「………………」
開いた口が塞がらないとはこのことなのだろうか。
俺は自分の目がおかしくなったのではないかと二度ほど目元を擦った。けど、目前の光景に変化はなく、つまりそれは紛れもない事実であるということだ。
暗い部屋。電気が点いていないのはいつものことなので気にしないとして、問題は妹のゲームスタイルだ。
今、妹は六画面あるうちの一つで、かの有名な狩人を育成するゲームをしていた。そこで激しい攻防を繰り広げつつ、その隣で得体の知れない不気味な怪物と対峙しつつ、更にその隣で今俺たちがやっているゲーム画面を映し出している。
つまりこいつはさっきまで三つ同時に別々のゲームをプレイしていたことになる。
しかも割と集中力のいりそうなゲームばかりだ。これが驚かずにはいられないだろう。
何より俺を驚かせたのは妹の部屋のレイアウトだ。
画面が六枚とパソコンが二台。そして配線やら何やら。
以前にも妹の部屋に入ったことがあったが、あの時よりパワーアップしているような気がするのは俺だけだろうか?
つーかおまえ中坊だろうが。なんでそんなにパソコンとかモニタとか持ってんだよ。
「……何してんだ、おまえ」
「見てわからない? MHHだよバーカ」
「いやいや、そういうことを言ってるんじゃないんだよ俺は」
「は? 意味わかんない。ならどんなことなら……言ってるわけ!」
妹が敵の動きに合わせてくいっと体を捻る。そして大剣を一撃振るうと、よほど効果的な部位に入ったらしい。敵モンスターは横倒しになり、起き上がろうともがき始めた。
そこを一人でバシバシ切りかかっていく妹。あれ? これってマルチゲームじゃなかったっけか?
「いや、おまえから言い出したんだろう、勝負しようって」
「あー待って待って。こいつ終わったらすぐ行くから」
「すぐ行くからって……つーか何そいつ? 見たことねぇ奴だな」
「ちょっと待ってッ。今話しかけるな!」
妹のコントローラーが右へ左へとぐあんぐあん揺れる。その度に敵モンスターが抵抗を見せる。
おい、と俺がまた声をかけようとしたところで、タイミングよく敵モンスターが立ち上がり、妹を押しつぶそうとでもしてくるかのように片足を持ち上げた。
「ま、まずい!」
妹の叫び声が部屋の響き渡る。と同時に、ドシンという鈍いとともに画面が上下に激しく揺れた。
「あ、危なかったー」
「お、おまえなぁ……」
ふぅと冷や汗を拭う仕草をする妹。そんな妹に俺は呆れて何も言えなくなった。
「とにかく待ってっから。終わったらさっさと来いよ」
「まーかせてー」
「……大丈夫かよ、ほんとに」
一抹の不安を残しつつ、俺は妹の言葉を信じて部屋を後にした。
信じてっていうか、他に選択肢がないだけなんだけどな。
部屋に戻り、ヘッドセットを装着し直す俺。
俺が戻った気配を感じたのか、玲のキャラがこちらを振り向いた。
『どうだった?』
「別のゲームやってた。MHW」
『ああ、あれね。私もやってるよ。たまにマルチやるし』
「妹とか?」
『うん。後はなんか知らないとと』
「知らない人って……」
大丈夫なのか、それは? 俺みたいな機械音痴からしたらだいぶ危険な行為に思えるんだが?
『大丈夫だよ。みんないい人ばかりだから』
「そ、そうかのか……ならまあいいんだけど」
MHWに限って言えば、いい人ばかりなのだろう。うんそうだ、そうに決まっている。
俺はそう思い込むことで自分を納得させようとした。まあうまくはいかなかったんだけれど。
ともあれ、妹を待つ間しばらく時間的に暇ができてしまった俺と玲。
さてどうするかと考えていると、玲から提案があった。
『せっかくの雪なんだから雪合戦しない?』
「雪合戦? そんなことができるのか?」
『うん。後かまくら作ったり雪だるま作ったりもできるよ』
「へー、そいつはいいな。やろうやろう」
どうせ暇なのだ。妹が来るまで遊んでいるのもいいだろう。
「それで、どうやって雪玉作るんだ?」
『まず気を切ります』
「ふむふむ」
『そしてツルハシを作ります』
「ほー」
『石を削り出します』
「なるほど」
『最後にまた木を切って石と組み合わせてシャベルを作ったら』
「作ったら?」
『雪を掘ります』
玲がざくざくと雪を掘っていく。と、白くて丸い塊が現れた。
「こいつが雪玉か?」
『まだこのままだと使えないんだけどね』
「え? じゃあどうやって……?」
『この雪玉を四つ集めてクラフトすると……ほら』
玲がポイッと雪の塊を放ってきた。確かに掘ったばかりの雪は〝雪〟としか表示されていなかったが、今は〝雪玉〟と書かれている。
「ほー、すげーな、これ」
『でしょう? だからこれをたくさん作れば、雪合戦ができるよ』
「よっしゃやろうぜ雪合戦」
『やろうやろう』
俺と玲はシャベルを使って周囲にある雪を根こそぎ撮り尽していく。持ちきれないくらい溜まったら、雪玉を作って場所を確保。
そんなことを繰り返しながら、俺たちは徐々に自分の玉を作り出していく。
三スタッグくらい溜まったところでもういいだろうと思い、玲を振り返る。
すると、玲から先制攻撃を喰らった。
「うおっ! いってぇ!」
『ははははは、やったぁ!』
玲がぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいる。それはいいんだが……。
なんか俺、三つくらい体力減ったぜ? 雪玉ってそんなに喰らうもんか?
俺は自分のキャラの体力ゲージを見て、この雪玉を玲に向かって投げるのを躊躇う。
なんだろう、これでもし玲にあたったりしたら、玲も体力が削れてしまうのだろうか。
俺はどきどきしながら、一投だけ放ってみた。けれど玲は俺の投擲など軽くかわしてしまう。
『どうしたの、健斗? そんなんじゃ当たらないよ?』
玲の楽しそうな声がボイチャ越しに聞こえてくる。
ん……まあ玲ならうまく避けてくれるだろう。……大丈夫だ。
俺は自分にそう言い聞かせ、更に連続して雪玉を玲に向かって投げた。
『当たらないよーだ』
玲の小憎たらしい声がヘッドセットを通して聞こえてくる。
俺は更に雪玉を作り、できる限りの速さで投げれるだけ投げた。
が、俺の投球はあっさりとかわされ、玲からの反撃をもらう。
「おお、結構体力が削られるな」
これはかわし続けるのも納得だ。
放り投げられた雪玉に五個ほども当たると、体力の半分が削られる。
雪玉にしてはずいぶんなダメージ量だ。本当に何の細工もないのか疑わしくなる。
「くそ、俺だって……」
雪玉を作っては投げ作っては投げを繰り返す。しかし俺の雪玉が玲にヒットすることはなく、ただ空しく宙を通り過ぎていくだけだ。
俺が下手くそなのももちろんあるだろうが、実際のところは玲の巧みなマウス操作によるところが大きいのだろう。
その証拠に俺と玲のキャラの動きには明確な違いがあった。
横移動の速さだ。
俺が一回移動する間に玲は三回は移動している。そんなんだから、俺みたいなエイムもない機動力もないただの素人が一方的にやられるのは目に見えていた。
けどまあ、ボイチャの向こう側から玲の楽しそうにしている声が聞こえてくるから問題はないんだけどな。
俺は更に雪玉を作ろうとシャベルへと持ち変えた。けど、近場の雪はあらかた掘り尽くしてしまったらしい。俺の足元には緑の葉をデザインしているのだろう。若干汚れたような緑色の正方形が現れていた。
「……あーあ、もう終わりか」
『そうみたいだね。あんまり移動しても場所がわからなくなっちゃうだろうから、ここにいた方がいいだろうし』
俺と同じように、玲もまた残念そうな声を出す。
玲も楽しんでいたからな。雪合戦が終わってがっかりしたのだろう。
「それにしても遅いな、あいつ」
『そうだね。どうしたんだろう?』
「わからねぇ」
まだMHWやってんのか?
俺は段々とイライラしてきた。
自分から勝負を吹っかけてきておいて、これはあんまりだ。
いくら温厚な俺だって怒る時は怒る。
「待ってろ冷。ちょっとビシッと言ってくる」
『え? ええと、私は大丈夫だけど?』
「だめだ。あいつを甘やかすとろくなことにならないからな」
全く、いつもいつも勝手をしやがって。
俺は椅子から立ち上がり、ヘッドセットを外そうとした。
と、その瞬間に耳元から妹の声が聞こえてきた。
『お待たせー、ごめんなさい桜木さん。ちょっと手間取っちゃって』
『えーと、大丈夫だけど、どうしたの? 遅かったけど』
『ジョーさんを狩ってたんだ。いやー、時間かかったよ』
『へー、そうだったんだ。アップデート結構前なのにまだやってなかったの?』
『いや、装備が揃わなくて。ずっとジョーさん狩ってるところなんだよ、今』
『ふーん? そうなんだ。私はもうジョーさんの装備は全部コンプしたよ』
『ほんと? すごい! さすが桜木さんだ!』
妹の喜色にまみれた声が聞こえてきて、俺は背筋がぞわぞわっとなった。
「おいてめぇ、何遅れて来た分際で呑気に話してるんだよ」
『え? 何あにき、妹に対してその態度はないわー、ひくわー』
「なっ……! おまえ俺たちに何か言うことがあるんじゃねぇのか?」
『ん? あーうん、そうだね』
妹は考え込むようにしばし間を置いた。少し経ってから、再び言い放つ。
『雪合戦で二人できゃっきゃうふふしてたんでしょ?』
「……えーと」
妹への怒りなど一気に引っ込んだ。恥ずかしさのあまり、口から火が吹けそうだ。
え? は? なんでそんなこと知ってるんだ、こいつ。誰だ情報を漏らしたのは。
一瞬玲が言ったのかとも思ったが、玲にそんなことをするメリットはどこにもない。
というより、さっきの会話の中にそれらしい単語は一つも出てきてはない。つまり玲が妹に雪合戦のことを言ったはずはないのだ。
とすると、何か別の要因があると思わるのだが一体……何だ?
「お、おまえどうしてそれを……?」
『状況からの推測だよ。まさか当たるとは思ってなかったけど』
「上記用からの推測って……」
『だって雪バイオームにリスポーンしたのに周囲に雪が見当たらないから。このゲーム上で買ってに雪が溶けるっていうのはありないし、なら誰かが掘って雪玉でも作ったんだと考えるのが普通じゃない?』
「あー……なるほど」
確かに言われてみればそんな気もする。
妹の洞察力に舌を巻く。バカだバカだと思っていたが、案外バカではないのかもしれない。
『あにき、今超失礼なこと考えてる?』
「だとしたらどうだと言うんだ?」
『こうしてやる』
妹はいつの間に作ったのか、おもむろに鉄の剣を装備した。
「……何をするつもりだ?」
『何を? こうするんだよぉ!』
「なっ……やめろ!」
妹は剣を振りかざしながら俺に近づいてくる。
俺は妹の攻撃をかわしつつ(とは言っても何回か当たったけど)、雪原の上を走る。
『死んじゃえー、あにきのバーカ』
「バカはおまえだこのバカ! やめろって言ってるだろ!」
『いいじゃん、どうせ復活するんだし』
「合流するのに時間がかかるだろうが、このアホが!」
ベッドを作って寝た後ならその理屈も通用するが、今はまだベッドは作っていない。
なぜなら、玲とともに雪合戦をしていたからだ。
ベッドがなければ、復活した際にどこに落とされるかわかったものではない。
もしかしたら、どこか全く別の場所で復活してしまうかもしれないのだ。
「やめろって言ってるだろ」
バッシバッシと妹が切りつけてくる。
俺は妹のその攻撃をかわすことができず、がんがん体力が削られていく。
そしてついにあの残り半分。あと一撃喰らえば死んでしまうというところで、妹の猛攻が止んだ。
『くくく……まあ今日のところはこのへんにしといてやる』
「な、何おう……」
『雑魚はさっさと牛でも狩ってくるといい。体力が元に戻らないぜ?』
画面の向こう側でどや顔してる妹の姿が目に浮かぶ。
「くそ……なんだって俺がこんな目に」
『あんまり生意気言ってるとあと一発喰らわせるよ?』
「ぐっ……わかったよ。とりあえず食料確保してくるから」
『ふふん、行ってらっしゃい』
くそ、バカにしやがって。
俺は妹の腹立たしげな顔を頭の中に想像しつつ、くるりと背を向けた。
さすがにその状態で切りつけてくるつもりはないようだ。妹は大人しく俺を見送っていた。
『あ、終わった?』
少し歩くと、玲が退屈そうに森林伐採をしているところだった。
うっすらと(とはいってもゲーム内でのことなのでなんとなくそう感じるだけだ)雪の積もった木に何度も拳を打ち、木を切っていく。
「ああ、やっと解放された。玲は何をしているんだ?」
『んー? 木を切ってるんだよ』
「それは見たらわかるけど、なんでまた」
『いやー、退屈だったから家でも作ろうかなって思って』
「家……だったら斧とか使った方がよかったんじゃないか?」
『それだとすぐに終わっちゃうからつまらないよ。というか、すでに八割方は完成しているんだけどね』
「へー、どこにあるんだ?」
玲の作った家というのに興味をそそられて、俺は半ば反射的に訊ねた。
すると玲は得意そうに見える仕草でぶんぶんと腕を振る。
『こっちだよ。ついて来て』
玲に案内され、俺は木の生い茂る森を抜け、少し開けた場所に出る。
そこにも当然雪は降っており、俺たちの足元は白い絨毯で覆われたままだ。
『ここだよ』
「こ、これは……!」
目の前にあったのは真四角または正方形の豆腐ハウス……ではなく、ちゃんとした三角形の屋根のついた一軒家だった。
ええと、俺と妹が切り合い(という名の一方的ないじめ)を行っていたのは大体五分にも満たない時間のはずだ。それなのにその短時間でこれだけの家を作ってしまったというのか。
なんという……建築力。さすがにゲーム好きを自称するだけのことはある。
俺だったらこれだけ作るのにたぶん半日はかかるぞ。
俺が関心していると、玲はガチャッと扉を開けた。
『ささ、ぼーっとしてないで中に入って。結構な自信作なんだ』
「そ、そうなのか……それは楽しみだ」
玲のことだ。何か俺の思いもよらないギミックをたくさん使っていることだろう。
わくわくする。
俺は玲にいざなわれるようにして、玲ハウスの中へと足を踏み入れる。
と、入った直後になぜか玲が左へと大きく迂回した。
「どうしたんだ?」
『なんでもないよー。さあはやく』
「お、おう……」
玲が無邪気に笑い声を上げながら、家の奥の階段のところで俺を待っている。
俺はなんとなく怪しさのようなものを感じながら、しかし玲を待たせるわけにはいかないと真っ直ぐ進むことにした。
それが……いけなかった。
「……ひょっ?」
がくん、と視界が動く。動く、というよりは家全体が急速に上昇していると言った方が正解かもしれない。
いいや、それも間違いだ。
より正確に、正答を言うのなら。
俺が落ちているのだ。穴の中に。真っ逆さまに。
「ぎゃああああああああああああああああ!」
まずいって俺あと体力半分しかねぇのにこのまま床に叩きつけられたら絶対に死んじゃうってどこにリスポーンするかわからないのにやめてくれよまじで俺まだ死にたくねぇよお母さーん、助けてくれー――バシャン。
「ん? ああ、水か」
よかった。水の上に落ちた。
水の上に落ちたから衝撃が全部吸収されて生き残ったのか。
俺は自ら出て、あたりを見回した。けれど、とくに何も見当たらない。
『健斗ー? 大丈夫ー?』
「……ここは、一体どこだ?」
大丈夫ー、じゃねぇよ。突然穴に落としやがってどういうつもりだ。
と、問いただしたいところだったが、今は我慢しよう。
それより、どうやってここを脱出するかを考えないと。
俺は自分の持ち物欄を確認する。が、あるのはさっき玲と雪遊びをしていた時に作った雪玉が三スタッグ分と、妹を懲らしめようと作った石の剣が一つ。
ブロックが一つもない。これじゃあどうやったって脱出は不可能だ。
「玲、ここには何か、脱出路みたいなところはないか?」
『脱出路? ええと……確か階段が奥の方にあったはずだけど』
「階段?」
『ダンジョンを作ってた途中だったら。作業中にブロックを積んだり崩したりするの面倒だから、先に階段を作ってたの』
「へー、そうだったのか」
ん? 待てよ? 今なんつった、玲?
「ダンジョン……って言ったか?」
『え? うん、ダンジョンって言ったよ』
「えーと、つまりはなんだ? 敵が湧くのか?」
『あっ……まあそうだね』
「……あ、そう」
な、なんですとぉー!
俺はびっくりのあまり、言葉に詰まった。
敵が湧くのはだめだ。なぜなら俺は今、体力が半分しかないからだ。
あと一撃でも攻撃を喰らえば死。それすなわち死。
「た、食べ物はあったりするのか?」
『ごめん、食べ物は置いてないんだ。ただ、ツルハシとかならあるんだけど』
「どこだ? どこにある?」
『階段の近く』
「……そうか。それで、階段ってのはどこにあるんだ?」
『ええと、確かその場所から七十マスくらい歩いたところ……だったかな』
「七十マス」
それは広いのか狭いのか、ゲーム初心者の俺にはわからない。
けれど、今はそんなことを言っている場合ではない。さっさとここを脱出しないと、敵に襲われて死。出なくても敵に襲われて死だ。
俺は水から上がると、そっとあたりを見回した。
松明の類はなく、真っ暗な空間が広がっている。
七十マス、という玲の言葉を頭の中で反芻し、とりあえず目の前に進んでみることにした。
進行方向にどれくらいだろう。たぶん十マスは行ったと思う。
気の抜けたような唸り声が聞こえてきた。
「ぞ、ゾンビ……!」
足音も聞こえる。どこだ、どこからくる?
俺はマウスを動かして、ぐるりと三百六十度を見回した。
けど、ゾンビの姿は見えない。もっとも、こう真っ暗じゃあ仕方のない事かもしれないけど。
しばらくの間、じっとその場に立ち尽くしていた。けど、ゾンビが襲ってくることはなく、やがて俺は再び歩き出す。
ともかく武器だ。武器になる物が必要だ。
頭の中でそのことばかりを考え、前に進む。
と、またゾンビの声が聞こえてくる。また身構える。
そんなことを何度か繰り返していると、あっという間にあたりが真っ暗になった。
元の水の張ってあった場所がどこかもわからなくなる。
俺は心細いような、不安なような気持ちでいっぱいだった。
体力は後半分。加えて食料も武器もない。
この状況で真っ当に神経を保っていろという方が不可能だ。
緊張で手が汗ばむ。手に力が入って変にマウスを操作してしまわないように気をつけないと。
そう思いつつ、俺は更に進んだ。もう、自分が何マスの地点まで来たのかすらわからない。
「な、なあ玲、まだか? ツルハシはまだ遠いのか?」
ボイスチャット越しに玲に訊ねる。が、玲からの応答はない。
俺は更に不安になって、何度か玲に呼び掛けた。
けど、やはり玲からの応答はない。どうにも返事がこない。
「玲? どうしたんだ玲?」
玲からの返事を促す。が、それでも玲は何も言ってこない。
俺は急激に不安になり、何度か玲の名前を呼ぶ。
けど、玲が答えることはなかった。
どうしたんだ?
「……仕方がない」
このままじっとしててもらちが明かない。
俺は玲の返事を待つのを止め、先に進むことにした。
後六十マス進めば、武器が手に入る。そうしたら、ゾンビと戦うことができるだろう。
だから、それまではどうか出てこないでくれ。
俺はそう願いつつ、更に進んだ。
どれくらい歩いただろう。ス〇ィーブは文句一つ言わないが、俺はといえば文句たらたらだった。
だってそうだろう。いきなりこんなダンジョンに放り込まれて、何も思わない方がどうかしている。
口に出して呟き、時折聞こえてくるゾンビの声にびくりとする。
一向にゾンビが出てくる気配はなかった。けど、いつ襲ってくるかわからないという恐怖に、俺はじっとりと手に汗を握っていた。
「ん? ……なんだあれは?」
七十マス進んだのだろうか。足下にチェストがあった。
これを開けたらいいのだろうか?
たぶん玲に訊ねても返事はないだろうから、とりあえずチェストを開ける。
と、中にツルハシが入っていた。
それを取ると、さっそく装備する。これで戦える。
俺はぐるりと周囲を見回した。
どこだ……どこにいるんだ!
さっきから声は聞こえている。けど、姿が見えなかった。
どこから襲ってくるのかもわからない恐怖。
俺はその恐怖に震えながら、必死で敵を探す。
松明やトーチの類のないこの空間で、ただゾンビの声を頼りに三百六十度に目を光らせる。
「で、出てくるのなら出てこい、俺はここにいるぞ!」
どっくんどっくん、と鼓動が激しくなるのがわかった。
どうしたらいいんだ、これは敵も見当たらないし出口もわからない。
おまけに玲は返事をしてくれなくなっちまった。
何かあったのか? まさか、玲の身に何か!
と、そこまで考えてないなと首を振る。さっきまで一緒に遊んでいたのに、たった数分で一体何に巻き込まれるというのか。
俺は自分の馬鹿らしい考えを追い出し、再び周囲の警戒へと戻る。
すると、奥の方から何かがやってくる気配がした。
なんだ? ゾンビか?
反射的にツルハシを構える。ぶんぶんと何度か振るが、まだ距離があるようだ。全然あたらない。
これは……俺から近づいて行った方がいいのだろうか。
うーむと悩む。どうするべきかを決めかねる。
ツルハシを振り回しつつ進んでいくと、バシッという音とともに手応えがあった。
「い、いたッ!」
聞き覚えのある、ゾンビの声だ。
俺はとっさに更に二度、三度と攻撃を重ねていく。
ゾンビがダメージを受けた際に発する声を聞きながら、追い詰めていく。
よしよし、いいぞ。相変わらず姿は見えないが、うまく倒せているようだ。
何度ツルハシを振っただろう。それすらもうわからないが、とにかくゾンビは倒した。
これで脅威はひとまず退けたというわけだ。
そのことを思うと、俺はほっと息を吐いた。いやー、焦ったぜ。
ふぅ……、と流れてもいない汗を拭う。なかなかに緊張感のある演出だ、これは。
敵の姿が見えないというだけで、これほどまで恐怖に駆られるとは。
これがゲームじゃなかったら、そしてもしばりばりのホラーだったら俺はもう今の時点で心が折れていたことだろう。
さっさとログアウトして、ふて寝をしていたかもしれない。
そう考えると、さすがは玲だ。ゲームバランスもちゃんと考えられているらしい。
まだ作りかけのダンジョンだということだが、今の時点で十分面白い。
「しかし……出口はどこだ?」
というか、今俺はどの方角へ向かっているんだ?
俺は一人、まゆを顰める。
ゾンビを倒していたせいで、方向感覚が狂ってしまったのだ。
俺はぽりぽりと頬を掻く。うーん、どうしようか。
相変わらずあたりは真っ暗。出口はおろか、どこの方向へ向かって進めばいいのかの指針すらないのが現状だ。
なら、このまま進むしかないだろう。。
俺は再びマウスを握ると、キーボードを操作して〇ィーブンを前に進ませる。
またゾンビが出て来たらどうしよう。そういう不安も確かにある。
さっき倒したゾンビは姿が見えなかった。なら、もう一度現れたゾンビもそうである可能性が高い。
そうなった場合、果たして今度はうまく倒せるだろうか。
俺は不安に押しつぶされそうになりながらも、懸命に進む。出口を目指して。
「ま、どこかわからねぇんだけどな」
一体全体、出口はどこだ?
俺はきょろきょろと周囲を見回す……ことはせず、黙って正面を向いて歩いていた。
だってまた方向がわからなくなったら困るし。
などと考えていると、またゾンビの声が聞こえてくる。
「ど、どこだ……!」
ピタッと立ち止まり、周囲の様子に耳をそばだてる俺。
ど、どこから聞こえてくるんだ?
相変わらず姿は見えないが、近くにいることだけは確かだ。
俺は緊張感に身を固くいつつ、ごくりと唾液を飲み下す。
く、来るなら来い! 返り討ちにしてやる!
ぶんぶんぶんぶん、とツルハシを振り回す。が、ゾンビがダメージを喰らった声は聞こえてこなかった。ということは一発もヒットしていないということになる。
くそ、どこだ、どこにいるんだ!
見えない恐怖におびえる俺。
どうしたらいいのかわからずに、あたふたする。
「くっ……このままじっとしていても仕方がない、か」
その場に立ち尽くし、ぶんぶんとツルハシを振っていてもらちが明かない。
俺はツルハシを振り回すのを止め、一歩進んでみる。
と、あっけなく進むことができた。今だに声は聞こえるが、ゾンビが襲ってくる気配もない。
よし、これならいける。
俺は半ばそう確信し、どんどんと前へと進む。
すると、前方で一筋の光が差し込んでいるのが見えた。
あ、あれは……!
「出口か!」
よかった、これで出られる。
俺は急いで光の差し込む方へと向かった。
たどり着くと、なるほどそこには階段があった。上った先にある正方形の穴から青い空が見えている。
やった! これで……と浮かれていたのが悪かった。
勢い込んで階段を登ろうとした、まさにその時だ。
バシッと、背後から何者かに叩かれる音がした。そして次の瞬間には、階段から落ちてしまっていた。
何が起こったのか、わからなかった。ヴォー、というゾンビの唸り声だけが耳に届く。
そして一瞬後には、全く見知らぬ場所で目を覚ます。
……ええと、一体何が?
俺は呆然として、その場に立ち尽くしていた。一体全体、何が起こったというのだろう。
きょろきょろと周囲を見回す。ここは、全く持って暗くはなかった。というか明るかった。
ここは……玲の作ったダンジョン内ではないらしい。
辛うじて、そのことはわかった。けど、ここからどうしたら?
雪バイオームではない。周りを背の高い木々に囲まれ、どこか常夏の島のような雰囲気を漂わせている場所だ。
ま、まさか……! 遠くへ来たわけではないだろうな?
そのことに思い至り、ぞくりとする。
もし本当に全く違う場所に来ていたのだとすると、困ったことになった。
玲たちはどこにいるのだろう。その疑問が鎌首をもたげる。
妹はどうしているだろうか。対決をすると言っていたのだから、待っているんだろうか。
そんなことを考えつつ、二人のいる場所はどっちだろうと左右を見回す。
「……玲、どこだ」
『ん? ああ、健斗だ。ダンジョンからは出れた?』
「まあな」
ダンジョンにいる時は全く会話をしようとしなかった玲から返事をもらい、内心ではほっとする。全く……何だったんだ、さっきのは。
『ええと……あー、死んじゃったんだ』
「ああ、そうだ。うっかりしていたからな。それで、まあ何も持ってなかったからいいようなものの、おまえらどこにいるんだ?」
『え? ええと、ちょっと待ってね』
カタカタカタカタッと警戒にキーを叩く音が聞こえる。何をしているんだ?
『これでよし』
「うおっ! なんだっ!」
ビュンッと、玲のキャラが目の前に現れた。
なんだ、こりゃあ……一体どうなってんだ?
「どうやったんだ、今の」
『へへ、内緒。かなりズルだけど、まあいいよね』
「いい……のか?」
そのあたりは俺に判断できなかった。
「なんなんだ、そりゃあ?」
『これはね、私が作ったプログラムなんだよ。このゲーム限定だけど』
「玲が……作った?」
『そうなんだ。これでゲーム内の好きな座標に移動できるんだよ。すごいでしょ』
玲が得意そうに言ってくる。
いやいや、すごいなんてレベルじゃねぇよ。何だそのプロのプログラマーみたいなこと。
「それがいわゆるMODって奴か」
『厳密にはちょっと違うけど。ともかく、これで合流できたね』
「ああ、そうだな」
あとはこれで妹が到着するのを待つだけだ。
「……それで、玲。そのワープはおまえしか使えないのか?」
『うん、今のところはそう……あっ』
俺の言わんとしていることに気づいたらしい。玲はわずかに口を開け、失敗したという表情をする。
「ま、まさかとは思うが」
『一緒にいたら連れて来られたんだけど……えへっ』
可愛らしく小首を傾げる玲。意味ねー。
まあ可愛いからいいんだけど。
「……あっ」
画面左下にメッセージが表示された。
妹がログアウトしたらしい。……仕方がないか。
「つーか元はと言えばあいつが悪いだろ」
俺のことをバシバシしばき倒してたくせに、いざ自分に何かあるとこうしてログアウトする。
全く……誰に似たんだか。
俺ははあと溜息を吐くと、くるっと玲を振り返った。
「俺たちもそろそろ止めるか。結構な時間やってたしな」
『そうだね。私もまだまだやらないといけないゲームがあるし、今日のところはこのへんにしておこうかな』
「お、おう……」
まだやるのか……飽きないなぁ、ほんと。ま、そこが玲らしいところでもあるんだろうが。
俺は再度玲にさよならを言い、ログアウトした。
PCをシャットダウンさせ、目頭を軽く揉み解す。
「ふぃー、つっかれたなぁ……」
楽しくなかったわけではない。むしろ楽しかった。
特に玲と一緒に雪合戦したくだりは最高だった。
しかし、俺は玲や妹ほどゲームに親しんでいるわけではないので、やはりどうしても肩が凝ったり目が疲れたりしてしまう。
はやく慣れないと、いつまで経っても長時間一緒に遊ぶことはできないな。
ぼんやりとそんなことを考えつつ、俺は椅子から立ち上がった。
部屋のカーテンを開けると、既に西日が差していた。今まで暗い部屋にいたせいか、思わず目を細めてしまう。
「……んにしても、みんなすげーな」
ゲームの後にゲームとか。俺には真似できそうにない。
ンーッと大きく伸びをして、俺は部屋から出た。
喉が渇いた。何か飲み物を求めて台所を目指す。
と、妹の部屋の前を通ると「やあ!」だの「このやろう!」だの罵声と奇声が聞こえてくる。
「ほんと、よくやるなぁ」
俺は冷蔵庫から牛乳を取り出すと、コップに次いでテーブルに着いた。
しばらくの間、ちびちびと牛乳を飲みつつ、その声を聞いていたのだった。
END
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