第22話 桜木玲と狩猟者の心得

な、何が起こったんだ?

 俺はコントローラーを持ったまま、呆然となった。画面にはリスポーンの文字が躍っている。

 一瞬のできごとだった。たった一撃、モンスターの攻撃が直撃して、俺の操るキャラが死亡した。

 俺は半笑い状態で持っていたコントローラーを下ろした。画面の左端には、今現在俺とともにクエストに挑んでいた仲間たちからの叱責のメッセージが映し出される。

「……う、うるせーよ、仕方ねぇだろ!」

 キーボードを使ってメッセージを打ち込む。と、画面の左端にさっき俺が打ち込んだメッセージが映し出される。

 このメッセージを相手側も読んでいるはずだ。数秒と経たない内に、また仲間の内の一人からメッセージが返送されてくる。

 ナインフォーム――やかましいですわ! いいからさっさと戻って来なさい!

 レイ・チェリー――そうだよ。はやくしないとこれ以上は抑えておけないよ! けん……ストーンメイジがこのモンスターの素材がいるって言ったんでしょ!

 ゼロ・ハート――あにき、役立たずどころか足引っ張り過ぎ。

「ああもう、どいつもこいつも好き勝手言いやがって!」

 俺はコントローラーを操作して、リスポーン地点から狙っていた獲物のいたエリアまで戻る。右上に見える体力ゲージの下にハートマークがあり、一と書かれた数字が見える。

 後一回しか死ねないということだろう。残基一ということだ。

 俺がどうにかこうにか苦労して元いた場所に戻る。と、さっきまで俺たちが相手にしていたモンスターは影も形も見当たらなくなっていた。

 かわりに、仲間の内の一人から切りつけられる。

「ぐはっ! ……何すんだこいつ!」

 振り返ると、目の前に白い甲冑を着たキャラが立っていた。全身を覆う武骨で鈍い照り返しを見せるそれのせいで、男なんだか女なんだかよくわからない。

 俺は一瞬戸惑ったものの、そのキャラの頭上に浮かぶ名前を見てそれが誰なのかを把握する。

「……いい度胸だな」

 打ち込むと、左上にメッセージが表示される。すると、一秒後には相手側からも返事が返ってくる。

 ゼロ・ハート――あにきが悪い。誰のためにあんな雑魚相手にしてると思ってるの? あんなの、あたしたちだけならこんなに時間はかからないのに。

「う、うるせーよ。仕方ねぇだろ、俺は初心者なんだ」

 今度はメッセージを打ち込むことなく、一人吐き捨てる。

 妹……ゼロ・ハートは再び切りかかってくる。キャラの伸長の二倍はあろうかという大きな

剣を振りかざし、その切っ先を俺の方へと向けてくる。

「おおわぁ! 危なねぇだろうが!」

 俺は何とかその剣撃をかわし、反撃を試みる。

 本当は別に食らったところでダメージ判定なんてないのだけど、それはそれだ。無駄に切りかかられるのはなんか嫌だ。

 ゼロ・ハートは俺の攻撃を難なくかわした。くそ、何なんだよ。

 俺は言い知れぬ悔しさに歯噛みした。すると、左上にメッセージが流れてくる。

 ナインフォーム――遊んでいる場合ではありませんわ。はやく奴を追わないと、今頃寝蔵で回復している可能性がありますわよ。

「おっと、そうだった」

 妹となんかけんかしている場合じゃない。

 俺はキャラを操作して反転させる。が、別エリアへ移動する前にふとしたことに気がついた。

「俺、一回死んでるから場所がわからないぞ……」

 一応仲間の場所はわかるようにはなっているが全員ここにいる……? そういや冷……レイ・チェリーの姿が見えないな。

 俺はきょろきょろと周囲を見回す。が、やはりレイ・チェリーの姿が見えない。

 ナインフォーム――彼女なら先に対峙していると言って行ってしまいましたわ。

 そのメッセージを読み、俺は悟った。

 つまりレイ・チェリーは俺たちが狙っているモンスターの近くにいるのだ。

 俺は画面左下に表示されているマップの全体図を見やる。と、俺たちがいるのとは正反対の場所に仲間を示すマークが点滅していた。

 ここにレイ・チェリーがいるということなのだろう。

「よし、いくぞおまえら!」

 ナインフォーム――言われずともわかっていますわ。

 ゼロ・ハート――あにきこそ、足引っ張らないでよ。

 二人の憎まれ口を流し読みしつつ、俺たちはレイ・チェリーの元へと向かう。

 待ってろよ、今行くからな……!

 

 

                   ◆

 

 

 結果から言えば、クエストは成功した。目的だったモンスターを見事狩り終え、元の村へと帰還する。そこで素材を換金したり、新しい武器や防具の材料にできるわけだが。

 しかし俺は、がっくりと肩を落としていた。

 ナインフォーム――いつまでいじけているのですか! 仕方がないでしょう、あなたを待っていてはレイ・チェリーがやられてしまっていたのですわ。

「べ、別にいじけてなんかねぇよ。ただ……ちょっと悔しいだけだ」

 本当は俺が殺すはずだったんだがな。何だかなぁって感じだ。

 俺は自分の不甲斐なさ、ゲームの腕の未熟さに落ち込んでいた。どうして俺はこんなにこのゲームが下手なのだろう。そう不思議に思わずにはいられないほどだ。

 俺はさっきのクエスト中の事を思い出して、再び溜息を吐いた。

 さっきのクエストの終盤。俺たちがレイ・チェリーのいるエリアに着くと、既にレイは件のモンスターと戦闘をしていた。ナインフォームが雑魚と言っていただけに、玲のHPはさほど削られていなかった。それに比べて相手側は後少しで倒せるというぎりぎりのラインだったがたぶんとどめを俺に刺させるつもりだったのだろう。ずっと仕留めずに待っていてくれたのだ。

 このゲームはただたんに強い武器や防具を手に入れればいいというものではない。どれだけ装備が充実していようとそれはいわばただの延命装置でしかなく、プレイヤースキルこそがこのゲームではもっとも大切な要素なのだ。

 だからこそレイは最後の一撃とそこに至るまでを俺に託そうと雑魚敵を倒さず待っていてくれたのだ。

 俺が意気揚々と出ていくと、レイは後のことを俺に任せ、モンスターの前から退く。

 すると、なぜか今まで戦っていたレイではなく俺に照準を合わせるモンスター。突然の事に戸惑ったが、相手は雑魚敵な上に瀕死の状態だ。いくら何でも俺でも倒せるだろう。

 そう、高を括っていた。……んだが。

「……まさかあの敵があんなに強いとはなぁ」

 一方的になぶられ痛めつけられた。その間、誰一人として俺を助けてくれる奴らはいなかった。……まあ俺のプレイヤースキルが向上しない事にはこの先のクエストも厳しいだろうから当然か。レイたち玄人勢によると、この敵はほとんど初心者用と言っても過言ではないらしいからな。

 だが……と俺は思う。ちょっと待てよ。俺あの時めちゃくちゃやられてたんだけど。かなり強かったと思うんだど、あのモンスター。

 レイ・チェリー――ま、まあそういうこともあるよ。元気出して。

 レイからのメッセージを読み、くすっとする。ありがたいと思う反面、複雑な気分だった。

 そもそもの原因というか、俺を落ち込ませたのはレイなのだ。俺がそろそろ二度目のリスポーンをしようかという時に、レイが横から切り込んできて敵を倒してしまった。

 その事に、我知らず落ち込んでしまう。

「……強いな、レイは」

 レイ・チェリー――え? そう? えへへ、ありがとう。

「……はは」

 褒めたは褒めた。けど、そう喜ばれても困る。

 俺は画面に映ったメッセージを読みながら、苦笑した。顔が見えないから、何とも言えないが。

「それにしても、みんな強いなぁ」

 さっきのクエスト、死んだのは俺一人だ。後は全員、死ぬどころか一発も食らっていない。どうしたらそんなふうにプレイできるようになるんだ?

 俺は不思議に思い、首を傾げる。やはり時間か? 練習をたくさんすればできるようになるのだろうか?

 はー、大変だ。

 俺は他人事のようにそう思い、すぐに思い直した。

 俺も同じくらい……いや、倍は練習してできるようになるぞ。

 ふ―っと息を吐く。大丈夫。俺にだってできるさ。

「よし。じゃあ次のクエスト行こうぜ」

 メッセージを送信する。と、すぐに返事が返ってきた。

 ナインフォーム――おk。

 ゼロ・ハート――おk。

 レイ・チェリー――いいよ。

「よっし」

 というわけで、決まりだ。さっそく次のクエストに出発だ。

 俺たちはギルドホールを抜けて、いったん村まで帰る。村長に結果を報告した後、再びギルドホールへと立ち返る。

 その際、回復アイテムとかを買い揃えるのを忘れずに。

 ギルドホールの受付のお姉さんにクエストの依頼を訊ねる。お姉さんはいつもの謎言語でクエストを紹介してくれる。そういえば今回、このゲームは謎言語と普通の日本語と選べるようになったらしい。俺は詳しく知らないけど。

「それにしてもすごいよなぁ。モンスターに乗れるようになったとか」

 俺はあまりゲームはしないから何とも言えないが、ゲーム業界も日進月歩らしい。ちょっと前に話題になったVRといい、今時のゲームは凄まじい。

 俺たちは受付を済ませ、ギルドホールから外に出る。自動的に目当てのモンスターの住処付近のキャンプ場へと飛ばされて、クエストが開始される。

 ナインフォーム――さあ、やりますわよ!

 ガチャンッと鎧の揺れる音がする。ナインのキャラが手の平に拳を打ちつけたのだ。

 やる気は十分といったところらしい。俺だってそうだ。

「よっしゃあ、やってやるぜ」

 次のクエストでは必ずいいところを見せてやる。

 俺たちはキャンプ場に着くと、まず支給品ボックスを確認する。

 そこから、おのおのが必要とする道具を一つずつ取っていく。俺は双剣を使っているので、携帯砥石が必須だ。

 全員の準備が終わり、いよいよマップへと繰り出す。まずはどこにモンスターがいるのかを確かめないといけない。

「……つっても、それまでは闇雲に歩き回るしかねぇよな」

 他にいい方法があればいいんだけど。サーチ能力とか。

 なんて考えて苦笑する。まさか、他のゲームじゃないんだからそれはねぇか。

 レイ・チェリー――とりあえず手分けして探そう。見つけたら知らせて。

 ナインフォーム――わかりましたわ。

 ゼロ・ハート――了解。

「わかったぜ」

 レイの提案通り、目的のモンスターを見つけたら知らせる方向で俺たちは頷いた。

 それぞれに分かれて、マップ上の別々のエリアを散策する。

「……とはいえ、一人は怖いな」

 俺は初心者だから、見つけたとしても果たしてうまく対応できるかどうか。

 なんとなくだめそうだなと思いながら探索を続ける。とはいえ、まあ二回までなら死ねるし、そう構える事もないだろう。

 俺が一番最初に訪れたエリアは、何だか鬱蒼としていた。あちらこちらに草木が生え、いかにも密林といった様子だ。

 おっ、蜂の巣を発見。確かあの下をまさぐると蜂蜜が取れるんだったよな。

 俺はさっそく蜂蜜を採集する。この間に襲われたら一たまりもないのだが、そんな事はないようだ。

 取れなくなるまで蜂蜜採集をし、俺は周囲を警戒する。……うーん、ここにはいないようだ。

 次のエリアに行こう――としたところで、ほのぼのとしたものから不穏なものへとBGMが変化する。

 何だ! と周囲を見回す。と、ぐるっと視界を百八十度反転させたところで、一体のモンスターを発見する。

 全身を青い毛で覆われた小ぶりのモンスターだ。熊のようにのっそりとこちらに近づき、熊のように立ち上がって俺を威嚇する。

 前回俺たちが狙っていたモンスターとは違う。かといって今回狙っている獲物でもない。

 チュートリアルで狩ったモンスターだ。初心者ハンターがまず最初に狩る相手としてよく選ばれるのだという。

「くくく……ここで会ったが百年目」

 今回狙っているモンスターではない。ではないのだが、俺としては感慨深いモンスターである事には変わりがない。せっかく出て来たのだ。ここは狩っておくべきだろう。

 俺はキャラを操作し、二本の剣を構える。と、その熊モンスターが襲い掛かってきた。

「うおお、あぶねぇ!」

 俺は間一髪の横っ飛びでかわし、身を反転させる。素早く二本の剣を駆使して攻撃を仕掛ける。

 双剣は行動が素早く小回りも利くため結構便利だ。しかしダメージが少なく、数を当てないと敵を倒し切るに至らない。自然と回避や防御の回数も増える。

 だからこそ、本当に強くなりたい初心者ハンターにはおすすめなのだ。双剣を使いこなす事によって身に着けたスキルは必ず他の武器を使うにおいても役に立つ。

 ……と、玲が言っていた。本当かどうかは知らない。

 けど、俺はその言葉を信じている。だからこうして双剣を使いこなそうとしているわけだ。

 熊モンスターは一向に怯んだ様子がない。やはり、ダメージ量が小さいのが原因だろう。

 俺は熊モンスターの攻撃をかわしつつ、更に攻撃を加える。

 ――と、熊モンスターが一瞬怯んだ。わずかに後退して、態勢を立て直している。

 チャンスだ!

 俺はちらっと右上の体力ゲージの下のバーを確認する。赤く光っていた。これはつまり、ハンター必殺の〝奥義〟が使えるようになったことを示している。

 俺はさっそく、その奥義を使用する。

 俺のキャラが淡い青色に発光する。そのエフェクトを経て、次々と繰り出される技。

 その間断のない攻撃に、熊モンスターは反撃をする暇すらなく後退を続ける。

 いける――そう確信した。このまま押し切れば俺の勝ちだ。

 俺はにやりと口元に笑みを浮かべた。さあ、これで最後だ!

 ラスト一撃が熊モンスターにヒットする。熊モンスターはばたりと倒れ、動かなくなった。

 やったぜ! 一人で、チュートリアルを終えて一人でようやくモンスターを倒した。

 その感慨にふけるように、俺は一人ぼーっとしていた。と、素材を剥がないと。

 このモンスターの素材は特別いい武器や防具になるわけじゃない。けど、多少なりと収入にはなる。だから剥いでおくのだ。

 一通り剥ぎ終わって、俺は周囲を見回した。BGMもいつの間にか、穏やかなものへと戻っている。

 ほっと息を吐く。終わったのだと思った。

 あの死闘をくぐり抜けたのだ。今後、俺は何があっても――

「な、なんだぁ!」

 などと思っていると、再びBGMが変化する。それも、さっきの熊モンスターを相手にした時とは比べものにならないくらいに物騒な音楽だ。

 あたりを見回す。すると、さっきの熊モンスターと同じように青いモンスターがいた。

 ただし大きさは比べるべくもない。有に三倍はあるだろう。加えて口元の牙や全身の棘なんかはさっきの熊モンスターにはなかった特徴だ。

 俺は素早く茂みに身を隠す。見つかったらまずい。そう思ったから。

 そのモンスターは俺には気がついていないようだった。悠然と密林マップ内を歩き回り、近くにいたガチョウっぽいモンスターを捕食している。

 ぐちゃぐちゅ、と生々しい音が響く。

 食べてる? うわぁ……。

 こういう部分はこのゲーム、結構リアルに作りこまれている。だからR指定されてるんだろうけど。

 どうする? 捕食している間に先制攻撃を仕掛けた方がいいんだろうけど。

 しかしあいつを俺一人で殺れるのか? レイも連絡しろって言っていたし、ここ一度メッセージを送っておいた方がいいんだろうか。

 俺は考えあぐねていた。確かに常識的に考えれば、素人の俺が迂闊に仕掛けるよりレイたちの到着を待った方が賢明だ。

 しかそれでは、レイたちに頼り切りになってしまう。まるで寄生虫だ。

 それは嫌だ……よし!

 俺は意を決してペイントボールを構える。じりじりと背後から歩み寄る。

 足音を立てないように……なんて思っていても仕方がないのだが、そう思わずにはいられなかった。

 謎の緊張感を覚えつつ、射程距離まで近づく。

 そして投げつける。ペイントボールを。

「ひぃぃ、こえぇぇよぉ……」

 そのモンスターが俺に気づいた。と同時に全身に電気を纏う。

 咆哮を一つ上げると、俺の元へと向かってきた。

 うおお、やべぇぇ!

 俺は咄嗟に横っ飛びで回避する。直前の熊モンスターとの戦闘がなかったら、たぶんここまでの動きはできなかっただろう。

 俺は熊モンスターに感謝しつつ、ちらっとマップを見やる。

 マップ上には、ピンク色のマーカーが点滅していた。これがさっき投げたペイントボールの効果だ。

 ペイントボールは一度投げたら投げられた側のモンスターの位置を押してくれる。その情報は俺だけでなく、仲間たちとも自動共有されるのだ。

 その効果はしばらく続く。ただし、俺が死んだりしたら一瞬にしてモンスターの居場所がわからなくなってしまうので注意だが。

 だから俺は死ぬわけにはいかない。先制攻撃は失敗したが、ペイントボールの効力を終わらせないためにもここは必死で逃げ回らないと。

 そうしないとレイたちがこのモンスターの居場所を把握できなくなってしまう。そうなったらまた振り出した。

 逃げ回りながらしばらく観察していると、どうやらそのモンスターは電気を使うらしい。

 時折大空へ向かって雄叫びを上げる。すると、奴の頭上に雷が落ちてくる。

 どうやらあれは俺を殺すために使った電気を補充しているらしい。つまりあれにあたるど大ダメージということだ。

 俺は電気による攻撃を避けながら、近づく機会を伺った。

 どうにかして、一撃でも入れられないものかと思ったのだ。

 しかしそのモンスターには隙がなく、全身を雷に覆われているため下手に近づけばダメージを受けてしまう。幸いにして一撃死するほどのものじゃないとしても、それはだめだ。

 今ダメージを受けてしまえば、たぶんなし崩し的にダメージが入り死んでしまう。キャンプ地にリスポーンすれば、このモンスターの居場所がわからなくなってしまう。

 とにかく今はレイたちが到着するのを待つしかない。

 俺はモンスターから距離を取りつつ、必死になる。どうか、はやく来てくれ、みんな!

 という俺の願いが通じたのか、マップ間を移動中だった仲間が一人、やって来る。

 最初にやって来たのは妹だった。ゼロ・ハートという名前が頭上に浮かんでいる。

「や、やっと来たか……」

 俺はへろへろと荒い息を吐いている自分のキャラを立ち止まらせた。

 俺のキャラが息を整えている間、ゼロ・ハートはその雷のモンスターに向かっていく。

 たった一人で、あっという間に角を破壊した。俺は目を見張り、あんぐりと口を開けた。

 ま、まさか……そんな。

 俺が必死こいて逃げ回っていた相手をそんないとも容易く追い詰めるなんて……なんか落ち込んでしまう。

 と、俺が凹んでいると、わらわらと別のマップからレイやナインがやって来る。

 二人はゼロに協力して、雷モンスターを倒しにかかった。雷モンスターの方も殺られまいと必死に抵抗しているから、勝負はほとんど互角だ。

 俺はそんな様子を呆然と眺めていた。

 何だろう……この不思議な疎外感は。

 俺はどうしたらいいんだ? そんな疑問を持ちつつ、周囲を散策する。

 お、これは特産キノコだ。結構な値になるはずだ。

 俺は特産キノコを採れるだけ採った。他にも何かないかと探し回る。

 そうこうしている内に、雷モンスターを倒したらしい。BGMが止み、例のほのぼのとした音楽が鳴り出す。

 後数秒もすれば、ほら貝を吹いたような音がするはずだ。

「あれ? 何もしねぇな」

 期待していた音はなく、画面の中には相変わらず俺たちのキャラが走り回っている。

 どうしたというのだろう。一体何が……?

 とか考えていると、レイからのメッセージが届く。

 レイ・チェリー――これはまずい事になったよ。

「な、何がまずいんだ?」

 ナインフォーム――緊急クエストですわ。

 緊急クエスト? 何だそりゃ?

 聞きなれない単語に、俺は首を捻る。

 緊急クエスト。単語をそのままで理解しようとするなら、突然発せられるクエストなんだろうけど。

 などと俺が困惑していると、バンッと画面いっぱいに緊急クエストの文字が浮かぶ。

「何が始まるんだ……!」

 ごくりと唾液を飲み下す。コントローラーを持つ手に自然と力が籠もる。

 パパパパーン、と軽快な音楽が鳴り響き、画面右下に村の女の子の顔が現れた。

 緊急クエストです――とその女の子は言った。例の謎言語で。

 それによれば、現在俺たちがいるマップのどこかに古龍が出現したのだという。

 古龍は年々住処と食べ物を失い、凶暴化の一途を辿っているのだとか。そしてついには人里を襲うようになったという。

 何とかしてその古龍を倒してほしいというのが緊急クエストの内容だった。

 どう……するんだ? 参加するのか、このクエストに。

 俺は各人の反応を伺う。と、何やら乗り気な連中が二人。そわそわとキャラが忙しなく動き回っていた。

「おまえら……やりたいのか?」

 ナインフォーム――何をおっしゃいますか! 別にわたくしはそんな事はないですわ!

 レイ・チェリー――そうだよ。だいいち、これは健斗のためにしていることだから健斗が決めてくれていいんだよ?

「……あっそ」

 つか直接ネット上にログが残るわけじゃないからいいけど、名前で呼ぶなよ。キャラ名考えた意味がないだろう。

 俺は内心で突っ込みつつ、うーんと唸る。

 玲や九条は参加したい様子だ。けど、果たして本当に倒せるのか。

 ぶっちゃけて言ってしまえば、俺が足手纏いにならないか心配だ。さっきの戦闘でもほとんど役に立たなかったし。

 俺が悩んでいると、ピロンッとメッセージの受信を告げる音がした。

 ゼロ・ハート――いいからさっさと行こう。こんな優柔不断野郎に付き合っていたら時間が足りない。

 ゼロからの辛辣なメッセージに、俺は肩を落とした。

 確かにそうなんだけど。けど、そうはっきりと言わなくてもいいんじゃないだろうか。

 言うがはやいか、ゼロは踵を返して別エリアへと行ってしまった。

 レイとナインはまだ決めかねているようだ。俺の反応待ちといったところだろう。

 俺はむむむ、と頭を悩ませる。

 古龍とやらがどれほどの強さなのか俺には想像もできない。もし、一撃でも喰らえば即死レベルの怪物だったならと思うと身震いする。

 けど……もしここで俺が逃げたらどうなるだろう。

 古龍は村を襲うと言っていた。とすると、俺たちのギルドがある村を襲う可能性もあるわけで。このまま放っておくと村が壊滅する危険性も十分ある。

 いくらゲームの中のこととはいえ、それはよくないだろう。

 俺は意を決して、二人にメッセージを送る。

「四人で協力して古龍を倒そう、と」

 送ったとほぼ同時に、二人からメッセージが返ってくる。

 一言。力強い言葉が。

 ――わかった、と。

 

 

                         ◆

 

 

 とはいえ、マップ内は広い。さっきの雷モンスターを見つけられたのは、ほとんど偶然みたいなものだ。

 しかも今度の敵はさっきのとは比べものにならないくらいの強さだとレイは言った。

 俺一人での行動は危険だと。

 だがそんな事は俺にはどうだっていい。今は一人になりたかった。

 二人とは別行動を取る。そうすれば、こっちの様子は向こうにはわからないはずだ。

 なぜなら自分の画面には自分の分のキャラしか映っていないはずだからだ。

 俺は一人、古龍の探索を続ける。このままではいいところが一つもない。だからせめて、古龍を一番最初に見つけるんだ。

 俺は必要もないのに、実際に緊張で身を強張らせた。

 じっとりと手の平に汗を掻く。何だか、マップ全体が雷モンスターの時より静かになったような気がする。たぶん気のせいだけど。

 探索を続けていると、不意に茂美の奥ががさがさと揺れた。古龍か! と驚いてそちらを見やる。が、古龍ではなくただのうさぎ型モンスターだった。名前は確かバニーラとかいったような……って今はそんな事はどうだっていいだろう!

 はやく古龍を見つけないと。時間もないんだから……ってあれ?

 俺は左上にある制限時間を示す時計を見ながら首を捻った。

 時間が……元に戻ってる? どういうことだ?

「……ま、いっか」

 たぶん緊急クエストが入ると、リセットされる仕組みなんだろう。

 時間が戻された事は喜ぶべきなんだろう。

 俺は時計から目を離し、視点を操作して三百六十度全方位を見回す。

 ここには……いないようだ。

 俺はほっと息を吐き、安堵する。

 レイやナインがあれほどの事を言っていたのだ。おそらく古龍とはそうとう強いモンスターなのだろう。そんなモンスターに、素人の俺が勝てる道理なんて少しもあるわけがなかった。

 だから見つけたらすぐに二人を呼ぶことになるんだろう。幸いにしてまだ一度も死亡していないから、まあ一撃くらいならもらってもいいかと思う。その際には報奨金は半額になるらしいのだが、それは今回の緊急クエストに限った話だ。前の雷モンスターのクエストの分は全額もらえるらしいのでそれで我慢してもらおう。

 ……とはいえ、いつまでもこんな場所にいても仕方がない。

 俺は踵を返し、別のエリアに行こうとした。

 ――と、その時だ。

「うおっ! 何だ!」

 どしん、と地面が揺れた。と同時に画面が左右に揺れ、俺は驚きのあまりリアルに声を出してしまった。必要もないのに。

 な、何が起こったんだ、一体?

 慌てて周囲を見回す。一瞬古龍が現れたのかとも思ったが違ったらしい。奴らしき影も形も見当たらない。というか俺、古龍がどんな姿をしているのか知らないな。

 たはは、と自虐的に笑う。と、そこでさっきの揺れの事を思い出す。

「そういえば、何だったんだろう、さっきのは」

 古龍が現れたわけではないのなら、さっきの揺れの正体は一体?

 疑問に思っていると、また揺れた。現実に地震が起こってるわけじゃないから、絶対にゲームの中の事が原因だと思うのだが。

 なんて考えていると、三度揺れた。間違いなくゲームの中でのイベントだ。

 俺はどうしたものかと首を捻る。何が起こってるのか、さっぱりわからない。

 しばらく立ち尽くしていると、今度は雷モンスターが現れた時と同じようなBGMが鳴り響く。……が、一瞬で消えてしまった。

 どうしたのだろうか?

 俺は空を見上げた。が、飛んでいるのは小さな翼竜たちだけで、肝心の古龍は見当たらない。

 仕方なく、別マップへと移動する。移動したからと言って見つかるとは思えないのだけど。

 

 

                        ◆

 

 

 密林を抜けると、見渡す限り砂と岩の光景が広がっていた。

 鳥取砂丘を思い起こさせるその光景は、しかし俺に希望を与えてくれるどころか妙な疎外感を与えた。

 端的に言って、熱そう。つか絶対に熱い。

 その光景だけで、俺は額に汗が浮かびそうだった。なんだか本当に熱くなってきたようだ。

 周囲を見回す。けど、ここにも古龍らしき姿は見えない。

 いるのは砂の上を歩く大きめの蟻のような生き物と細身のモンスター。土の中の虫を食べるためなのだろうか。そいつの口ばしは大きく尖っていて、結構鋭利だ。あれで戦ったりもするのだろうか。

 ともかく、俺はそいつらをすべて無視した。目的はそいつらじゃない。古龍だ。

 俺は古龍を探し求めて、視点を操作する。けど、何度見回してもそれらしいものは見当たらない。

 ここにはいないのかもしれない。

 そう思い、別のエリアへ移動しようとしたまさにその時だ。

 デデンッと気を引く音がした。振り返ると、さっき見かけた口ばしの長いモンスターがいた。

 ただし、その姿は他の奴とはかけ離れていた。

 相変わらず口ばしは尖っていた。だが、比翼を持ち、色合いも何となくどす黒い気がする。

 何より体が大きかった。他の奴の三倍はあろうかという大きさだ。

 俺は驚いて、思わず双剣を構える。と、そのモンスターは一つ咆哮をして、襲い掛かってくる。

 俺はその攻撃を避け、双剣による攻撃を加える。何度も加えていると、必殺技のゲージが溜まっていく。後少しで大技が繰り出せそうだ。

 俺はゲージを確認しつつ、更に攻撃を加えていく。そしてゲージがいっぱいに溜まると、必殺技を繰り出した。

 二度、三度と剣戟がそのモンスターを切り裂く。血が飛び散り、悲鳴にも似た甲高い叫び声を出してそいつが後ずさる。

 よし、こいつ程度なら俺一人で何とかなるぞ!

 俺は倒せるという確信とともに、更に追撃を加ええていく。が、華麗にかわされ、距離を取られてしまった。

 それでも俺はめげる事なく果敢に向かっていく。が、何度攻撃を繰り出そうとそれ以降、一撃として当たる事はなかった。

 ど、どうなってんだ、こいつ……!

 攻撃を避けまくられる俺。どうやったら攻撃が届くのかわからなくなってくる。

 さっきまで、俺どうやってたんだっけ?

 頭の中が混乱してくる。くそったれ、と悪態を吐きながら、闇雲に剣を振り回す。

 しかし攻撃は当たらない。更に苛立ちが募っていく。

 これでは、古龍を倒すどころではない。こんな奴に手こずっている場合じゃないのに。

 俺はふーっと息を吐いた。そのモンスターから距離を取り、呼吸を整える。

 そいつは俺の様子を伺っているのか、ゆっくりと後ずさりながらじっとのキャラを見ていた。

 玲の言葉を思い出す。

 ――どうしても攻撃が当たらない場合は無理に戦闘を続けようとしない方がいいよ。別のエリアに行って、それから作戦を立て直す事も大切だから。

 さっと身を翻す。モンスターが追いかけて来ようとしていたが、その前に別エリアへの移動を果たした。

 そこはさっきまで俺がいた密林ではなかった。

 突き出た岩肌。人の手によって整備されたのではない、巨大な空洞。

 その向こう側は真っ暗闇で、俺は思わず立ち竦んでしまう。

 ごくり、と唾液を飲み下す。もしここに古龍がいたら最悪だ。

 こんな狭い場所で、さっきみたいな立ち回りができるとは到底思えない。

 俺はこの空洞に入るべきか否か迷った。

 しかし、そこで更に玲の言葉が脳裏を過ぎる。

 ――恐れていたって何も始まらないよ。ハンターとはただ前進あるのみ。

「そ、そうだ……よしっ」

 俺は意を決して、洞窟の中へと足を踏み入れた。

 洞窟の中に入ると、一気に気温が下がった。ひんやりとした空気が肌を撫でる……ような気がする。

 俺はそろりそろりとゆっくりと洞窟の中を歩く。と、何かが落ちるような多きな音がした。

「な、なんだぁ!」

 俺は驚いて、身を縮こまらせる。が、画面の中のもう一人の俺は少しも驚いた様子がなく、落ち着き払っている。すごいなぁ、おまえは。

 画面の中の俺の分身に関心しつつ、洞窟の中を歩き回る。

 もちろん、あの古龍を警戒することを忘れずに。

「それにしても、一体どこにいるんだろうな」

 俺が古龍を見つけたところでどうにもならないのはわかっている。が、これほど見つからないとなるとそれはそれで困った。一向に帰れないからだ。

 いや、普通にクエストリタイアすればいいだけの話なのだが。しかしそれはそれで俺の中の何かが許さない。後たぶん、レイたちも許さないだろう。

 だから俺は、俺たちは古龍を見つけ出さないといけない。

 そして倒す。絶対にだ。

 俺はそろそろと洞窟内を歩きながら、決意を新たにする。

 と、またあの何かが落ちる音でびくっと肩を揺らした。

「……何なんだよ、さっきから一体」

 俺は鬱陶しく思い、ぐるりと視点を操作する。すると、頭上から石が落ちてきている事に気がついた。

「誰だよ、あんなところから……」

 ぼやきながら目を凝らす。

 よくよく見ると、それは猿のようなモンスターだった。さっきの奴より一回りほど小さいが、凶悪そうな顔は非常に腹立たしい。

 と、BGMが変化する。え? なんで?

 俺が困惑してると、猿は壁伝いに降りてくる。かと思うと、ある程度の高さになると岩壁を蹴り、跳んだ。

「はぁぁ! 何だあいつ!」

 猿じゃなくてモモンガだったか! いやそんな事はどうだっていい!

 俺の目の前にモモンガが着地する。同時に雄叫びを一つ。

「うおお!」

 俺はビビッてコントローラーを取り落としそうになる。

 慌てて掴み直して、双剣を構える。何をすればいいかなんて大体わかってるから大丈夫だ。

 まずは先制攻撃だ。二本の剣で切り込んでいく。

 モモンガの体から血しぶきが舞う。けどモモンガは怯んだりしない。

 そりゃあそうだと思う。前のモンスターだってある程度ダメージを与えないといけなかったしな。

 三度切り込んでから、左に転がる。と、次の瞬間にモモンガの鋭い爪が空を切った。

 あぶねぇ! 今のは神避けだった。ほんとにあぶねぇ!

「……っしゃあ! 俺って結構成長してるんじゃね?」

 一人呟く俺。メッセージが流れてこないからたぶんまだ古龍は見つかっていない。

 見つかってたらたぶん俺呼ばれてる事だろう。そして一回死亡している。

 ぶーぶー言われるんだろうなぁ、たぶん。いや絶対。

 俺は古龍が見つかった時の事を想像して、はぁと溜息を吐く。

 ――がばぁっと、モモンガが両手で俺のキャラを掴んできた。よそ見していたからまずったな、こりゃあ。

「くそこの野郎!」

 俺はコントローラーをめちゃくちゃに操作して、どうにかモモンガの魔手から逃れようと必死になる。しばらくそうしていると、ようやくモモンガから手を離してもらえた。

 着地すると同時に後ろへと走る。ある程度距離を取ってから、再び振り返った。

 下手に近づくとやられる。そう思った。

 俺は双剣を構えつつ、じりじりと歩み寄る。モモンガの方もゆっくりと俺に近づいてくる。

 そうしてお互いに距離を縮め合う。なんかこういう言い方するとアオハルっぽいな。

 その間に俺は持ち物を変更する。双剣を収めて、オオタル爆弾を設置した。

 さあ、来い。その瞬間がおまえの最後だ。

 俺はモモンガに向かって石ころを投げつける。それと同時に全力で後退する。

 さあ来いさあ!

 くるりと振り返った。そうして素早く手りゅう弾に持ち変える。

 俺はモモンガがオオタル爆弾の前を通りかかった時にこの手りゅう弾を投げつけて爆発させる。……そのつもりだった。

 けど、俺の予想は大外れした。

「はぁぁ! 待て待て、ありかよそんなの!」

 俺は手りゅう弾を持ち変えるのもそこそこに、地面に体を伏せる。

 モモンガが、跳んできたのだ。それも結構な勢いで。

 あのまま当たっていたら、俺は間違いなくダメージをもらっていただろう。

 あぶねぇ……と冷や汗をかく。……くそ、失敗だ。

 悔しさに腹の中が煮えくり返りそうだった。

 そしてオオタル爆弾のもったいなさよ。

 俺はどうにかして再びあれを使えないものかと思案する。もちろん、モモンガの攻撃をかわしつつ、こちらからも攻撃を当てつつを繰り返しながら。

 俺が考えていると、モモンガは間髪入れずにまた飛びかかってくる。

 俺は横っ飛びにかわし、モモンガを睨みつけた。意味がないとはわかっているが。

 モモンガはそんな俺に対応するかのようにこちらをじっと見ている。

 睨み合いが続く。つーっと汗が首筋を滴るような感覚にぞくりとする。

 俺はモモンガの様子を注意深く観察した。そうして、どうにかしてオオタル爆弾のところに来させられないだろうかと思案する。

 じりじりと回転する俺とモモンガ。――と、モモンガが飛び上がり、飛びかかってくる。

 俺は避けようとコントローラーを操作しようとして、やめた。

 かわりに俺も真上に飛び上がる。そうしてモモンガの背中に飛び乗る事に成功した。

「おお! こんな事もできるのか!」

 なんとなく感動だ。

 俺はモモンガの背中に乗って風を切る俺のキャラを見て、多少の興奮を覚えた。

 すげーな。こんな事もできるのか。

 なんて考えている間に攻撃しよう。俺は双剣を使い、一本をモモンガの背中に突き刺した。

 それを支点に、振り落とそうともがくモモンガにしがみつく。そしてもう一方で何度も突き刺したり切りつけたりを繰り返す。

 そうこうしている間にモモンガの飛翔が終わる。

 着地したモモンガは息が荒く、どう見ても体力が落ちていた。

 これは好機だ。俺はモモンガの背中から降り、足元を狙って更なる攻撃を加える。

 すると、ドシンと音を立ててモモンガがひっくり返った。立ち上がろうとじたばたするが、うまくいっていない。

 その間に俺はもう一度オオタル爆弾を設置する。その隣に時限式のコタル爆弾を数個を置き、ダッシュで離れた。

 ドーンッ! とコタル爆弾が爆発する音がする。続いてオオタル爆弾が爆発し、更に大きな音が鳴り響く。

 爆発と爆煙が止むと、その下からぴくりとも動かないモモンガの死体が姿を現す。

「や、やったか……?」

 俺一人の力でモモンガを倒した。その事実を現実として受け入れられず、俺は思わずそう呟いた。しかし俺の問いに答えてくれる者などここにはいない。

 おそるおそる近寄ってみる。が、モモンガは俺に襲いかかってくるどころか起き上がりもしない。試しに切りつけてみるが手応えはなく、どうやら本当に死んでしまっているらしい。

 その事を確認すると、双剣を仕舞ってさっそく素材を剥ぎ取る。

 あらかた素材を剥ぎ終わると、死体はそのままにして次のエリアへと移動する。

 こんな事をしている場合じゃないのはわかっている。だが、古龍が見つかるまでの間くらいは許されるだろう。

 俺はそのエリアを抜けようとして、ふと振り返った。

 何気なく、本当に何気なく……だ。

 しかし、振り返って後悔した。――なぜならそこに、俺たちの探している奴がいたからだ。

 そう。つまりは古龍が、だ。

「な、なんだ……ありゃあ」

 俺は古龍の姿を見て絶句した。

 全長は有に十五メートル以上はあるだろうか。背中に翼を生やし、全身を鱗のようなもので覆われている。

 それだけなら、普通のファンタジーを舞台にしたゲームにでも出てきそうだ。

 けど、そいつは違った。俺の知っているそうしたファンタジーの龍とは一線を画している、とでも言えばいいだろうか。

 おおまかな特徴はその他のファンタジーとさほど違わない。もっとも違うのは奴の首だ。

 長い、非常に長い。全身の半分ほどはあろうかというほどの首の長さだった。

 その長い首を伸ばし、古龍はさっき俺が倒したモモンガにぱくついている。

 むしゃむしゃと。もぐもぐと。そうやって口を動かす様子はまさに王者の風格だった。

 俺はさっと岩陰に隠れて古龍の様子を伺う。それほど早食いな方ではないようで、ゆっくりと時間をかけて喰っている。

 俺はレイたちにメッセージを送った。簡単な特徴を書いて、古龍であってるかどうかを訊ねる。返事はすぐに返ってきた。

 レイ・チェリー――間違いないよ! そいつ、今どこにいるの?

「えっと……ここは」

 ぐるりと周囲を見回す。見渡す限りの岩肌と突出した岸壁。

 マップ的には中ほどにある洞窟だ。

 俺がそれを伝えると、一秒と経たず返事が返ってきた。

 レイ・チェリー――すぐ行く!

 ナインフォーム――大人しく待っていてくださいですわ!

 ゼロ・ハート――死んだら殺す!

「え、ええ……」

 何だこいつら?

 俺は先輩ハンターたちの反応に困惑した。

 すぐに来るとは言っていたが、それだって時間がかかるだろう。その間にあの古龍が移動してしまえばおしまいだ。

 だから俺の役割としては、古龍を逃がさないよう足止めをする事なのだろうが。

 でもきっと……いや俺が一人で向かって行ったら絶対にやられる。

 そうなると妹に殺されちまうわけか。嫌だな、それは。

 俺はどうしたものかと思案して、結局のところ事の成り行きを見守る事にした。

 どうせ出て行ってもすぐにやられてしまうのだ。このまま静観するのが正解だろう。

 岩陰から半ば身を乗り出して古龍の様子を伺う。

 古龍はまだ食事に夢中のようだった。俺の存在には気づいていないらしく、BGMにも変化はない。

 このまま食事を終えて古龍が消えてしまったらどうしよう。

 俺はペイントボールを投げつけるべきか迷った。でも、そうしたら確実に見つかる。見つかったらやられてしまう。

 だから、俺が出ていくのはぎりぎりまでよそう。別に日和ってるわけじゃないぞ。

 と、俺が考えていると画面の下の方から見知った格好をしたハンターが現れた。

 淡い青色の甲冑に同系色のサファイアの体験を装備したハンターだ。

 これは……ナインフォーム……つまり九条のキャラだ。

 ナインフォーム――遅くなりましたわ。

 ナインは俺の隣に並んで岩陰に隠れる。それからじっと、古龍の様子を伺っている。

 ナインフォーム――かなりの大きさですわね。あのサイズだと相当な体力を持っていますわ。

「そうなのか? ならかなり強いんじゃないのか?」

 ナインフォーム――ええ、その通りですわ。これは迂闊には近づけませんわよ。

 近づいたら即効でやられてしまうという事か。

 俺は戦慄した。玄人ハンターであるナインを持ってここまで言わしめる相手なのだ。俺なんかが出て行ったりしたらそれこそ一撃死だ。

 俺はごくりと唾液を飲み下す。だめだ、それはだめだ。

 リスポーンした自キャラの姿を想像して、きゅっと胸が閉め詰められる思いだった。主に悪い意味で。

 俺とナインが戦慄していると、遠目にこれまた見知った防具姿のキャラが見えた。

 レイとゼロだ。薄い桃色の日本式甲冑をイメージしたと思われる姿は、存外目立っている。

 ゼロは……何というか独特だな。別におかしいというほどではないが、表現しずらい。

 頭全体を覆うフルフェイスのメット。縦に二本ほどラインの入った全身タイツとマント。

 以前に何かのコラボイベントで配布されていた装備らしい。防御力より見た目重視であまり実践向きではないらしいが、ゼロはよくあの格好をしているという。何でも好きなアニメの主人公がしていた格好らしい。どういうアニメなんだ?

 俺はゼロのよくわからない格好から目を逸らし、古龍を見上げる。

 と、ちょうど食事を終えたところらしく古龍は飛び立とうと両翼を羽ばたかせる。

 轟ッと風が巻き起こる。俺たちのキャラがそれぞれに飛ばされまいと防御態勢を取る。

 まずい、古龍が移動する!

 俺は思わず飛び出していた。古龍は俺のキャラに一瞥すらくれず、そのまま飛んで行こうとする。俺は素早くペイントボールを構え、投擲した。

 ペイントボールは古龍に直撃する。するとマップ上にピンク色のマーカーが現れた。

 これで古龍の居場所を把握できる。と思った次の瞬間。

 古龍は羽ばたきをやめて俺を見下ろす。耳をつんざくような咆哮の後、しっぽを使って薙ぎ払いの攻撃を加えようとしてくる。

 かわそうとした俺のキャラを風圧だけで吹き飛ばす。若干のダメージを受けたものの、まだ大丈夫だ。

 レイ・チェリー――大丈夫?

「大丈夫だ。それより古龍を……」

 倒さないと、と言おうとして身を固くする。

 古龍は大きく足を持ち上げると、俺を踏みつぶそうとしてくる。

 ま、まずい……! はやく起き上がらないと!

 俺は起き上がろうとして手元を滑らせる。俺のキャラは立ち上がる事に失敗して地面の上でじたばたしただけだった。

「くそ、まじかよ!」

 俺は慌ててコントローラーを握り直す。今から起き上がっていたんじゃ間に合わない。

 そ、そうだ。横に転がればいいんだ。

 俺はごろごろと横に転がった。間一髪のところで古龍の足を回避する。

「あ、あぶねぇ……」

 お、恐ろしいぜ。

 俺は冷や汗を拭いつつ、今度こそ立ち上がる。

 よ、よっしゃ! 回避成功だ!

 俺は双剣を構え、古龍を睨みつける。古龍はじっと俺のキャラを見ていたが、その視線が不意に横合いへと流れた。

 俺もつられてそちらを見やる。と、ゼロがこちらに向かってきていた。

 何やってんだあいつ! そんな防御力のかけらもない装備で突っ込んでいくんじゃない!

 俺はゼロを止めようとした。けどゼロは俺の真上を飛び過ぎていく。

 つか何だあの運動性能は! びっくりだぜ!

 俺はぽかーん、としばし呆けていた。そんな俺を置き去りにして後からナインも突っ込んでいく。

 どういうことだ? なんであいつあんな装備で……?

 俺が呆けていると、ゼロがどこからともなく剣を取り出す。

 それはこのゲームの世界観には似合わない豪奢な剣だ。まるで人の血を吸ったことがあるかのようなデザインに背筋が凍るようだ。

 ゼロは軽快な動きで剣を構え、古龍に切りつける。

 何度も何度も。なんか別ゲーみたいだ。バーサークヒーラーとか言われそう。

 しかし何度切りつけても古龍は一向に怯んだ様子がない。

 その内に顔の周りを飛び回るコバエを払うように古龍がゼロを払い除ける。

「ゼロ!」

 俺は叫んで、ゼロに駆け寄ろうとした。けど古龍に邪魔をされ、踏み止まる。

 くそ、と舌打ちする。古龍を見上げ、その足元に剣を突き刺す。

 おそらく、古龍にとっては蚊に刺された程度の痛みしかなかっただろう。

 レイ・チェリー――避けて!

 レイからのメッセージを受けて、俺は転がる。

 背後から光の筋が一線通り過ぎる。

 俺は驚いて目を剥いた。

「何が……」

 起こったのかと呟きそうになった。が、口を噤む。

 バターンッと古龍が倒れ込んでしまった。

 ジタバタともがく古龍に群がる俺たち。チャンスとばかりに攻撃を繰り返す。

 やがて、古龍は起き上がる。まだまだ全然ダメージはない様子だった。

 轟ッと古龍が咆哮する。俺たちのキャラの動きが止まった。

「くそ、まだか……!」

 俺は呟いて剣を構え直す。

 古龍はすぅーっと息を吸い込んだと思ったら口から炎を吐いた。

 何とかファイアーブレスを凌ぎ、急いで岩陰に隠れる。

 回復薬を使って体力を戻す。そして……どうしよう?

 ちらりと岩陰から顔を出した。レイたちが果敢に古龍を攻撃している。

 すげーな。どうしてあんなふうにできるんだ?

 レイたちの動きは尋常じゃあない。一体どれだけやりこんだらああなれるんだ?

 レイたちの華麗なキャラ操作を目の当たりにして、俺は軽く落ち込んだ。

 わかっている。あいつらとは頭のできもやりこみの量も違うのだから当然だ。俺が落ち込むのは筋違いというものだ。

 俺は岩陰からレイたちの攻防を見つつ、さてと首を捻る。

 これからどうするか。一体何をしたら、俺もあいつらの役に立てるのだろう。

 必死に頭を動かす俺。だが、名案を閃くよりはやく勝負は決してしまいそうだった。

 古龍のしっぽが切れる。それと同時に古龍の体が横倒しになって倒れこんだ。

 何が起こったんだ、一体?

 俺がよくよく目を凝らすと、どうやら部位破壊を成功させたらしい。見逃していたが、両翼の方もぼろぼろだった。

 そろそろ倒し切る事ができるか?

 俺はそう思い、ぐっと拳を握る。がんばれ、レイ。

 ……ってな事を考えて、俺ははっとした。

 何ががんばれだ。俺だってがんばらなきゃならないだろう。

 俺はぱんぱんと自分の顔を張る。そうしてから「よし」と意を決した。

 双剣を構える。じりじりと古龍に歩み寄る。

 古龍はまだ起き上がる事ができないらしく、じたばたしていた。

 その隙を突いて、一気に駆け出す。

「おらぁぁ!」

 古龍の頭目がけて剣を振るう。当然、さほどダメージは入っていないようだ。

 だが、それでもいい。ただ三人に寄生しているだけよりはよほど。

 俺は何度も技を繰り出す。そうこうしている内に古龍が立ち上がった。だからといって攻撃の手を休めるつもりはまったくない。

 そうだ。このまま押し切ってしまえ。

 俺はそう考えて、大技を繰り出そうとゲージを溜める。が、古龍はぼろぼろになった両翼を羽ばたかせ、空へと舞った。

「ああ、くそ!」

 一寸遅れて俺の放った大技は空振りになった。

 古龍はばっさばっさと飛び、俺たちの攻撃が届かない高さまで飛翔した。

 くそ、もう少しだったのに。

 俺はくやしさのあまり舌打ちした。そうしてから、三人にメッセージを送る。

「この先の鉱山エリアに行ったらしいな。追いかけよう」

 ナインフォーム――当然ですわ。

 ゼロ・ハート――当たり前。あにきに言われるまでもない。

 レイ・チェリー――もうちょっとで倒せそうだったしね。

 別にお互いの顔が見えているわけでもないのに、俺は三人がうんと頷いたような気がした。

 そうて俺たちはピンク色のマーカーが示す通りに鉱山エリアへと向かうのだった。

 

 

                     ◆

 

 

 鉱山エリアは密林エリアの更に向こう側にあった。まとわりついてくる雑魚を倒しつつ(主にレイたち三人が)古龍のいる鉱山エリアへと足を踏み入れるのだった。

 そこは名前の通り、鉱山をモチーフとしたエリアだった。人の手が入った場所らしく、トロッコやレールなどの人工物がちらほらと転がっている。

 それでも人が来なくなってだいぶ時間が経っているのだろう。荒れた土地にはモンスターと人間の白骨体が転がり、見ているだけで異臭を感じてしまいそうだった。実際にそんな匂いが漂ってくるわけがないのだけど。

 俺は白骨体の上を跨ぎ(何の動物の骨かはわからない)、物陰に身を隠す。

 他の三人も同じようにして、それぞれに古龍の様子を伺っている。

 古龍は鉱山エリアの中央。普段からそこを寝床にしているのだろう。一部分だけ凹んだ場所でぐうぐうと寝息を立てている。

 おそらくはああして体力の回復を図っているのだろう。

 俺はさっそく行って先生攻撃を加えようとした。けどレイに制止されて踏み止まる。

 レイ・チェリー――待って。迂闊に飛び出すのは危険だよ。

 俺はレイの警告通り、待った。確かに迂闊に飛び出せばあいつの事を起こしてしまう結果になるだろう。それは避けなくてはならない。

 ナインフォーム――ではみなさんで一斉にかかりましょう。

 ゼロ・ハート――それがいいと思います。

 レイ・チェリー――じゃあそれでいこう。

 相談し終えると、俺たちはゆっくりと古龍へと近づいていく。

 古龍を起こさないように起こさないようにと気をつけながら。

 そうして、十分な距離まで近づくと、俺たちは一斉に古龍に向かって切りかかった。

 当然、古龍は身を起こす。が、咆哮で俺たちを怯ませる暇さえなく、倒れこんでしまった。

 突如として流れ出す勝利のBGMに、俺はびくっと肩を震わせた。

「え? ええと……終わったのか?」

 狂ったように踊り回るレイとナイン。その様子を少し離れたところで眺めるゼロ。

 何だか妙な絵面だ。

 俺はははは、と乾いた笑いを漏らすだけだった。

 勝った……という気がしない。どうしたというんだろう?

 俺は、確かに古龍に勝利したのだ。だけど。

 だけど最後はあっさりしたものだった。だからだろう。俺にはこれといった達成感がなかったのだ。

 まあほとんどレイたちに助けられたってのもあるかもな。

 どちらかと言えば、あのモモンガやトカゲのようなモンスターの方が倒した、という印象は強い。古龍に関しては横合いからちょこちょことちょっかいを出していただけのような気もする。

 だからといって勝ったという事実がなくなるわけではない。レイとナインのようにはしゃいだっていいはずなのだが、どうしてもそうする気にはなれなかった。

 ……今度は俺が中心となって……いや何だったら一人で古龍を倒してやる。

 あらかたの素材の剥ぎ取りを終える頃にはそんなふうに思うようになっていた。

 そして勝利のBGMが消え、報酬画面へと移行する。

 俺はほとんど機械的に報酬を受け取っていた。

 そうしてから、ギルドホールへと戻るのだった。

 

 

                       ◆

 

 

 レイ・チェリー――はー、楽しかったね。

 ナインフォーム――ですわね。またみなさんと遊びたいですわ。

 ゼロ・ハート――その時にはあにきは絶対に今より強くなっていてよ。

「……ああ、わかってるよ」

 無機質なフォントからでも伝わってくる、ゲーマー三人の楽しそうな感じ。

 俺は特に理由もなく疎外感を覚えた。俺だけがこのゲームを楽しめていないような気がしたからだ。……なんか悔しい。

 だから、というわけじゃあないがまだまだ談笑している三人に俺は背中を向けた。

 ……今日はもうだめだ。さっさと帰ろう。

 ギルドホールから出て、オンラインを切る。

 何だろうこの感じ。すごく嫌だ。

 俺はもっとこう、玲や九条たちとわきあいあいとできるものだと思っていた。

 しかしどうだろう? ふたを開けてみればこの有様だ。

 ちくしょうと言うより他にない。……どうしたらよかったんだ?

 ネット接続を切ったため、他の三人とはゲーム内では連絡が取れなくなった。

 けれども、ゲーム自体は起動している。このゲームは一人で狩りに行く事も可能だ。

 この悔しさを紛らわせるために、俺はクエスト受注場へと赴く。

 この後、一人でめちゃくちゃゲームした。

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