第20話 桜木玲と聖夜のできごと

 びゅおおおおおおおおおお、と風が吹き荒ぶ。

 俺は身を縮こまらせて、冷たい風をやり過ごす。

「ぐおおお……超寒いな」

「そろそろ十二月に終わりだからね。あと少ししたら冬休みだよ」

「冬休み……」

 そしたら約二週間、玲とは会えなくなるのか。

「それは……さみ「楽しみだね!」

「お、おう……」

 玲が妙にきらきらした瞳でそう言ってくる。一体何が楽しみだと言うのか。

「クリスマスにお正月……お正月にはお餅を食べて、お年玉もらって」

 それほど楽しみなのか、玲が指折り数える。俺はそんな玲の姿に、はは、と笑ってしまっていた。

「そうだな。……お年玉、何に使う予定なんだ?」

「そうだねぇ……毎年大体ゲームに使ってるかな。少しは貯金しなさいって怒られるんだけど」

「そうか」

 怒られる。……怒られる玲の姿。

 一年前なら、絶対に想像できなかったことだ。けど、今は違う。

 この一年、俺は玲の色々な顔を見てきた。たくさんの姿を知った。

 だから、玲が例えどんな奴だったとしても、俺の気持ちが揺らぐことはないだろう。

「年始にはたくさんゲームが出るからね。今年流行ったのとかがちょっと安くなったりするし。ああ、今から楽しみだよ」

 うきうきと小躍りするようにはしゃぐ玲。まだ年末どころか冬休みにすら入っていないというのに、気の早い奴だ。

 けどまあ……その気持ちはわからなくもない。

「あれ買ってー、これ買ってー、あのゲームで遊んでー」

 考えるだけで楽しいのか、玲はふふふ、とほほ笑んだ。

「もー考えるだけでにやにやが止まらないよ」

「そうか、そいつはよかった」

 何はともあれ、玲が幸せそうで何よりだ。

 俺は玲のもちもちとしたほほを横目に長めながら、間違いなくそう思った。

 

 

                     ◆

 

 

 そしてクリスマスを終え、年末。十二月三十一日の大晦日。

 俺は自宅のリビングでぽけっと紅白を観ながら今年が終わるのを待っていた。

「今年も残すところあと少しか」

 もう残り何時間かしかない今年を振り返る。色々あったような気がするし、そうでもなかったような気がする。実に楽しい一年だったと言えるだろう。

「何感傷的になってんだか。ばかばかしい」

「むっ……どうしておまえはそんなに冷めてるんだ?」

 風呂上りの妹と顔を合わせる。熱いお湯に浸かって体が火照っているらしく、顔が赤い。

「別にあたしは冷めてるわけじゃないよ。ただ、あにきみたいに無駄なことはしないだけ」

「相変わらず可愛くない奴だ」

「あにきに可愛いって思ってもらわなくていいし」

 憎まれ口を叩きながら、妹はバスタオル一枚の恰好で俺の隣に座る。これがもし玲や九条だったら、たぶんそこそこ緊張したんだろう。が、相手は妹だ。

「……何じろじろ見てるの? 変態。興奮してんじゃねーよ」

「おまえの半裸を見て興奮なんかしてねーよ。ただ、その貧相な体付きを哀れに思っただけだ」

「ふん、そりゃあ九条さんや桜木さんと比べたらそうだろうね」

「…………」

 その点について、俺からのコメントは控えさせていただこう。

 俺はあいつらのことよく知らねーしな。

「それよりチャンネル、変えるから」

「帰るから、じゃねーよ! 変えていい? だろーが、普通」

「何? あにきってそういうの気にする人? っていうか見てなかったじゃん、この番組」

「それはそうだけど……」

 確かにこの番組はそれほど見ていたわけじゃあない。ただ何となく、時間をつぶしていただけだからな。

 だからまあ、変えていいかと訊かれてだめと答えることもないんだけど。

 でもなんか妹に勝手に変えられるのは嫌だ。理由はない。

「何? だめなの?」

「ああ、だめだ」

「でも変える」

 ピッピッとチャンネルを変えていく妹。……まあ別にいいけど。

「んで? おまえは何か観たいのがあるのか?」

「特にー……お、あったあった」

 言葉とは裏腹に、目的のチャンネルに到達したらしい妹が満足そうな声を出す。

「うお、今から六時間もあるのかよ」

 それは某大人気アイドルアニメの二作目にあたるアニメだった。

 『愛舞踊! 太陽光線!』とかいうタイトルだ。正直言って俺はアイドルものはあんまり得意じゃないので、こういう系統のアニメはあまり見ないので面白いかどうかは知らない。

「なんだおまえ、今からこれ見るのか?」

「悪い?」

「いや……悪いってことはないんだが」

 まさか一気見するつもりじゃないだろうな? きついだろ、いくら何でも。

 という俺の心配を無視して、妹はさっさと立ち上がる。たぶん、服を着に行ったんだろう。

 ほどなくして、俺の予想通り妹は服を着ていた。ただしなぜかシャツ一枚だ。それも半袖。

「おまっ……! その格好じゃ風邪引くぞ」

「別にあにきに心配されなくてもわかってるよ。つーかもう寝たら?」

「……ったく、他人がせっかく心配してやってるってのに」

「そんな心配、いらないし」

「あっそーですか」

「お母さんたち、とっとと寝ちゃってるじゃん」

 はいはい、と俺は立ち上がる。

 大晦日だってのに、うちの両親はさっさとぐーすか眠ってしまっていた。全く、情緒もくそもねーなぁ、うちの家族は。

 俺はぽりぽりと頭を掻きつつ、歯磨きを済ませて自室へと引っ込んだ。

 その際、妹にもっと厚着をしろと注意したのだが、既にアニメのオープニングが始まっていたのでたぶん聞いてないだろう。

「全く……」

 体つきだけじゃなくて精神的にもまだまだ子供だな、と俺は自分のことを棚に上げてそう呟いた。

 クリスマスの夜に起こった、あの出来事を思い出しながら。

 

 

                          ◆

 

 

 クリスマス当日。夜六時半を少し過ぎた時間。

 俺と玲はこの日、まあ当然のようにデートの約束をしていた。

 冬休みに入る前は確かに会える時間が少なくなるなぁなどと思っていたが、よくよく考えると今の時代、スマホやネットで連絡を取り合うなんて簡単だった。

 なので、俺は自分がいかに全時代的な頭の構造をしているのかを思い知らされて、軽くショックを受けた。

 それかラブコメの読み過ぎだろうか。

 自分の発想力の貧困さを恥じつつ、俺は玲の到着を今か今かと待った。

 それからおよそ五分後。ようやく玲が息を切らせて現れた。

「ごめん――待った?」

 はあはあ、と膝に手を突いて荒い息を整える玲。そんな彼女に対して、俺はぶんぶんと首を振った。

「だ、大丈夫だ。俺も今来たところだから」

「ほんと? ならよかったー。ごめんね、遅くなっちゃって」

「気にするな。何だったら後一時間は待っていたところだからな」

「それは……さすがに気にするかな」

 玲が苦笑する。俺も今の発言は言い過ぎたなと思ったのだが、今更どうしようもない。

「ま、それはいいや。行こうぜ」

「うん、楽しみだね」

「ああ、そうだな」

 クリスマスに恋人とデート。この上ないリア充イベントだったが、俺には一つだけ心配事があった。

 それは玲のことだ。玲は家でゆっくりゲームでもしていたかったんじゃないだろうか。

 もし、俺が誘ったことで予定していたあれこれを全部投げ出してきたというのなら、何だか申し訳ない気持ちになる。

「その……大丈夫だったのか? クリスマスの予定、何かあったんじゃ?」

「大丈夫だよ。健斗とデートする以上に大切な用事なんてないから!」

 にこっとほほ笑む玲。あーもう、可愛いなぁ、ちくしょう。

「それで健斗、今日の予定は?」

「そうだ、今日は映画を観よう」

「映画? ってどんな映画なの?」

「あーと……ちょっと待ってくれ」

 俺は自分の中の記憶を探るため、こめかみに手を当てて唸る。

 何だっけ? なんか九条がいい感じの映画だって言っていたような気がする。きっと玲が気に入るだろうと。

 あーうー、と何度か唸り声を上げるが、一向に何も思い出せない。

「……ま、行ってみればわかるだろ」

 思い出すことを諦めて、俺は肩をすくめた。

 玲はくりっと可愛らしく小首を傾げる。玲にはどんな映画を見るとかは伝えていないので、知らないはずだ。

 俺は玲の手を握り、映画館のある方へと爪先を向ける。

「んじゃ、行こうぜ」

「うん!」

 玲も笑顔で俺の手を握り返してくる。

 

 

                        ◆

 

 

 映画館につくや否や、俺はひくひくと口の端を痙攣させていた。

 絶句する、とはまさに今の俺の状態のことを言うのだろう。

 なぜなら、映画館は人で溢れいていたからだ。右を見ても左を見ても人人人。

 それに上映スケジュールも全て恋愛映画で埋まってしまっていた。唯一特色の違うものといえば、某有名国民的ネコ型ロボットが出てくる子供向け映画くらいなものだ。

 しかしこれは……席が取れそうにないな。

 俺は玲を振り向き、たははと苦笑する。

「えっと……どうする? 別のとこ行くか?」

「そ、そうだね。これはさすがにちょっと……」

 そろそろ夜の帳も完全に落ちようかという時間帯。だというのにこの人の多さはどうしたことだろうか。

 さすがクリスマス。カップルたちの聖夜だ。

「とりあえず何か飯でも食いに行くか」

「そうだね。どこかいいとこある?」

「そうだな……このへんにうまい店があるって真人が言っていたな」

 俺は真人の言っていた店の名前をどうにか思い出す。それをスマホに入っている地図アプリに入力して、大体の場所を探す。

「やっぱこのあたりだな。あんまり遠くないから、そこまで歩かなくていいと思う」

「じゃあそこに行こ」

「お、おお……そうだな」

 玲が俺の腕に自分の腕を絡めてくる。俺は玲から漂ってくるかぐわしい香りや柔らかな感触にどきどきと胸の鼓動が高まるのを感じた。

 こ、こんな人通りの多い場所で、こんなことをしていていいのだろうか?

 きょろきょろと周囲を見回す。が、誰一人として俺たちのことを注視しているような人はいないことにすぐに気がつく。

 それどころか、どっぷりと自分たちの世界にはまってしまって、他人のことなんで路傍の石ころ同然にすら思っていそうだった。

 それくらい、他人には無関心だったというか……。

 などと考えながら、映画館を出る。

 地図アプリの表示に従いながら、道を歩く。やはりカップルが多い。

 俺は身を縮こまらせ、歩道側に玲を歩かせる。……こんな時は変な奴が多いからな。

 トラブルに巻き込まれるのはごめんだ。が、玲が危険な目に合うのはもっとごめんだ。

 だから、というわけではないが、俺は必要以上に周囲を警戒していたと思う。

 それが玲にも伝わったのだろう。苦笑して、とんとんと俺の脇腹を突いてくる。

「私は大丈夫だよ。ほら、もっと肩の力を抜いて」

「お、おお……」

 とは言われても無理な相談である。

 玲は性格こそちょっとあれだが、誰もが認める美少女だ。そんな玲とすれ違う度に二度見三度見してくる輩は少なくない。

 加えて横を歩いているのは俺だからな。居心地が悪い。

「…………」

「どうしたの? 健斗」

「いや、やっぱ玲は可愛いんだなーっと思って」

「ふえっ! 突然何を……」

「玲?」

 俺の何気ない一言に、玲は顔を耳まで真っ赤にしていた。

 何気ない……は嘘だったかもしれない。

 玲の限りない乙女ちっくな反応に、俺もなんだか恥ずかしくなってしまった。

 俺と玲は一旦離れる。すーはー、と深呼吸を繰り返し、心音と呼吸を安定させる。

「よ、よし……行くか」

「うん……」

 俺たちは再び目的地へと向かって歩き出す。

 今度は、ちょっと離れて並んで、だけど。

 

 

                    ◆

 

 

 目的の店へと到着する。が、そこでもまた俺たちを待ち受けていたのは、人の群れだった。

「申し訳ありません、ただいま全席満席でして」

 という店員さんの困ったような顔が俺たちを更に追い詰める。

 確かにここの店はおいしい評判だ。真人も絶賛していたし、何だったらテレビなどでも取り上げられていたほどだ。

 しかし、普段はこんなに混むような店ではないことも俺は知っていた。真人から聞いて。

「……しかも二時間待ち」

 店に入ってすぐ右側に、待合席のようなところがあった。そこには店内で食事をしている人の他に、数十人の人が並んでいた。

 最後尾に備えつけられた電子モニタにはただいま二時間待ちの表示が。

「……出るか」

「そだね」

 俺と玲は店を出る。……が、特に行くアテはないため、ぼけーっと空を見上げるしかない。

 どうしよう……?

「……ちょっと寒いね」

「だな……とりあえずそのへんの喫茶店にでも入るか」

 多少空腹ではあったが、我慢できないこともない。

 俺は玲を伴って、再び街を徘徊する。

 そして、運よく空席のあった喫茶店を発見した。喫茶『らんなうぇい』という店だ。

「いらっしゃませ」

 扉を開けて中に入ると、店主と思しき中年男性のやる気のない声が聞こえてくる。

 ……店の名前の入ったエプロン着てるし、たぶん店主なんだろうな、きっと。

「……禁煙? 喫煙?」

 店主がぶっきらぼうに訊いてくる。おそらく禁煙席か喫煙席かということなのだろうが。

 俺も玲も未成年なので当然たばこなんて吸ってない。ので、、禁煙席を選ぶ。

「禁煙席、でお願いします」

「じゃ、あっちに座って」

 店主がくいっと親指で店の奥側の席を示す。何だこいつ?

 俺はその店主を訝しみながら、示された奥の席へと向かう。

 玲も俺の後に続いて、奥の席へ(店主をじーっと見ながら)向かった。

「……なんだか怖い人だね」

「ん、まあな。本当に接客する気あるのか?」

 席に着くや、俺も玲もひそひそと小声で言い合う。と、いつの間に側に来ていたのか、店主が俺たちのすぐ近くに立っていた。

 そのことに気づくと、俺は飛び上がるほど驚いた。

「うおお!」

 何だこの人。超能力者か!

 俺が内心で驚いていると、店主は実にぞんざいな手つきで一冊の薄い冊子を投げてくる。

 俺はその冊子を受け取ると、表紙に目を走らせた。

「……ええと、 メニュー……ですか?」

「書いてあるだろ」

 言われてみると確かに『menu』と書かれていた。ただし文字は濃い茶色で、表紙の装丁と全く同じ色味だったので目を凝らさないと読めなかった。

 俺はメニューを開く。と、中のデザインもかなりシンプルで、品数もそれほど多くない。

「あの……ここはあなたが一人でやってる店なんですか?」

「ああそうだ。それがどうしたというんだ。さっさと注文しろ」

 店員が店主一人だけなことを疑問に思って訊ねてみると、店主は苛立たしげにそう答えてきた。だったら、この品数の少なさも納得だ。

 しかし店主のこの態度はどうなのだろう? 別に常時にこにこしていろとは言わないが、もうちょっとどうにかならないものだろうか。

 お客さんがいないのも納得だ。

「なんだ? 注文しないのか? だったら帰ってもらおう」

「は、はぁぁぁ?」

 いやいやいやいや、さすがにそれはないだろ。

 俺は店主のありえない言動に苛立つ。帰れってなんだよ!

「なんだその顔は? 文句があるのか?」

「おおありだ! どうしてあんたからそんなことを言われなくちゃ……」

「ちょっと待ってください!」

 ならないんだ、と続けようとして、俺の言葉は玲の慌てたような声で遮られた。

「んあ? なんだ? どうしたと……」

「それって、それって……!」

 わなわなわな、と玲が震える。一体どうしたというのだろう?

 玲の動揺の原因がわからず、首を捻る俺。玲の視線を追ってみる。

 じーっと、玲の視線を追いかけていくと、その先には店主が身に着けているエプロンがあった。そしてそこには、店主のいかつい顔面からは想像だにできないようなかわいらしいイラストが。

「それって……毎週日曜朝にあってる六人組の光の戦士のアニメのキャラですよね!」

「む……」

 ぴくん、と店主のまゆが動いた。もしかしたら、期限を損ねたんじゃないだろうな?

 俺は店主の顔色を伺いながら、ハラハラする。玲、頼むから余計なことは言わないでくれよ。

 というの俺の願いも空しく、玲は更に言葉を重ねた。

「しかもそれって主人公の親友のキャラじゃないですか! すごいマニアックですね!」

 興奮したようにそう言う玲。つかさっき店に入った時、やたら店主のこと見てたのはそういうことだったのか。警戒しているとかじゃなく。

 と、俺が考えていると、店主の顔色がますます険しくなる。

 お、怒ったか? 玲がマニアックとか言うから。

 俺はさっきまでの憤りなどすっかり忘れ、店主の反応に肝を冷やす。

 どうか穏便に事が収まりますように……と心中で祈る。

「……あんた」

 店主の低く、渋い声が店の中に響く。

 や、やべぇ……怒らせちまったか、本当に?

 俺は内心でどぎまぎしながら、それでもいざとなったら玲を守るために拳を握り、自分を鼓舞する。

 大丈夫だ。俺はケンカなんて生まれてこの方一度だってしたことねーけど、大丈夫。このおっさんにきっと勝てる。俺ならやれる。大丈夫だ。

 何度も何度も心の中で大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 だらだらと脇の下に冷や汗を掻きつつ、すぐに立ち上がれるよう中腰になる俺。

「あんた……まさかこのアニメを見たことがあるのか?」

 ――がっくん、とテーブルに突いていた手が滑り落ちる。その勢いで思わず転びそうになる俺。……だって、ねぇ?

「どうしたんだ?」

「……なんでもないです」

 俺は態勢を立て直し、椅子に座る。

 こほんと咳払いを一つして、頬杖を突いた。

「はい。面白いですよね、そのアニメ」

「ああその通りだ。特に俺はこのキャラが好きでね。じゃんけんはいつも負けていたよ」

「私もです。可愛くていい子ですよね」

「その通りだ。変身するシーンなどは特にお気に入りでね」

「私もです。その時のじゃんけんなんて何度挑戦したことかわりませんよ」

 さっきまでの仏頂面はどこへいったのか、店主は楽しそうにアニメの話をしだした。

 え? 何? 何が起こってるの?

 え、ええ……? と困惑する俺をよそに、玲と店主は至極楽しそうにアニメ談義に花を咲かせていた。

 日曜朝……何時くらいかはわからないが、たぶん俺がまだ寝ている時間なんだろうな。

 俺は一抹のさみしさと疎外感を覚え、ずずず、と運ばれてきたお冷を口に含んだ。

 玲が楽しそうにしている。楽しそうにしているのは、いいことだ。

 いいこと……なんだけど。

 胸の奥にふつふつと沸き起こる不思議な感覚。今までにも、こういう感覚を覚えることはあった。俗に言う嫉妬って奴だ。

「……あの、注文いいですか?」

「ああ、すまんな。それで何にするんだ?」

 俺が仏頂面で言うと、店主はサッと素早く紙と鉛筆をペンを取り出した。

「ええと……じゃあ俺はコーヒーとサンドイッチを」

「じゃあ私はこの店主の今日のおすすめっていうのをください。後コーヒーも」

「サンドイッチと店主のおすすめ。コーヒーが二つだな?」

 店主が紙に俺たちの注文をメモする。それから一言もなく、店の奥へと引っ込んでいった。

「どうしたの健斗? なんだか怒ってるみたいだけど」

「……別に怒ってねーよ」

「嘘だぁ、絶対に怒ってるよ。だって頬っぺたこんなに膨らんでる」

 つんつん、と玲が俺の頬を突いてくる。俺は特に抵抗せず、玲のするがままにされていた。

「あっ、もしかして……」

 玲が何かに気づいたように手の平を合わせた。

「あのおじさんに焼きもち?」

「バ、バカ言うなよ! 誰があんなおっさんなんかに焼きもちなんて焼くもんか!」

 玲に指摘され、俺が思わず声を張って反論していた。が、それがいけなかったのだろう。

 玲はにやりと笑むと両腕の肘をテーブルに突いて、俺を見上げてくる。

「ふーん……へー」

「くっ……やめろ、その顔は」

「どんな顔ー? 自分じゃわからないよ」

 く、くそ……! こいつ、完全に俺の反応を見て楽しんでやがるな。

 俺は今、玲の手の平の上でもてあそばれている感覚にぞくぞくしていた。

 ……悪くない。悪くはないぞ、この感じ。

 これまでの人生の中で感じたことのない甘い感覚に、俺は表面上は不機嫌を装いつつ内心でほくそ笑んでいた。

 もっと俺をいじめてくれ、玲……!

「……はっ」

 と、半ばトリップ状態に陥ろうとした俺は、そこで我に返った。

 玲も俺の態度が変わったことを察したのか、俺をもてあそぶのをやめた。

 そのタイミングで、店主が俺たちの注文した品を運んでくる。

「サンドイッチとコーヒー二つ。今日の店主のおすすめはにがうりとピーマンとアスパラのチーズ和えだ。ちゃんと火は通してあるから安心しろ」

「ど、どうも……」

「ありがとうございます」

 俺は今日の店主のおすすめを聞いて、顔をしかめた。

 いかにもまずそうなメニューだ。こんなので本当に金を取るつもりなのだろうかというほどに、だ。

 だが、玲は意外にも素直に受け取った。顔色一つ変えず、皿の上に無造作に散らばっている緑黄色野菜類とそれをがっちりとまとめているとろけたチーズを見つめる。

 何とも言えないようなにおいが俺のところまで漂ってきて、正直食欲なくすわ。

「ではごゆっくり」

 酸っぱそうな異臭を放つその食べ物? を置いて、店主は店の奥へと戻って行ってしまった。

 いただきまーす、と玲が両手を合わせ、その不可思議な食べ物を口に運ぶ。

「…………」

「ど、どうだ……?」

「ま、ま……」

 ま、と後三、四度はまを繰り返す玲。まずいのだろうか、やはり。

 などと、俺が半分期待を込めて玲の反応を待っていると、玲はその後何度かまと繰り返し、ようやく続きを口にする。

「まあまあ?」

 と言う頃には、皿の三分の一が消えていた。

「まあまあなのか?」

「というか、チーズの味しかしない」

 玲は小首を傾げ、苦笑いする。

 ち、チーズの味しかしないって……どんだけチーズ使ってるんだ、それ。

 俺は自分の頭の中がは『?』で満たされるのを自覚した。なんとなく食べてみたいような気がする。

 俺はまだ一口も食べていない自分のサンドイッチを玲に差し出した。

「ちょっとそれ、喰わせてくれないか?」

「いいよ。はい、あーん」

 玲はチーズをたっぷり絡めたにがうりの切れ端を俺に差し出してくる。やはり独特のにおいが鼻孔をくすぐり、うっ……、とさっき飲んだお冷が逆流しそうになる。

 や、やっぱやめとこうかな、もらうの。

「どうしたの? 健斗」

 玲が無邪気な顔で問うてくる。

 俺は今の心境を正直に吐露するべきか迷った。

「…………」

「あの……健斗? そんなにじっと見つめられると恥ずかしいんだけど?」

「お、おお……悪い」

 俺があまりにじーっと玲のことを見ていたからか、玲は若干顔を赤くして目線を逸らしていた。し、仕方がないだろ。

「た、食べないの?」

「え? ええと……」

 玲の問いかけに、俺はぐっと言葉を詰まらせた。

 正直言ってあまり食べたくはない。けど、一度くれと言ったものをやはりいらないとは言えないだろう。それにせっかく玲があーんをしてくれるのだ。ここは多少まずそうでも行くしかないように思われる。

 俺はむむむ、と悩んだ末、かっと目を見開いて覚悟を決める。

 男が一度口にした言葉を撤回するなんて、そんな格好悪いことができるはずがないだろう!

 俺は意を決して、玲が差し出してきたスプーンの上のよくわかない食べ物を口に含んだ。

 ぱくっと。もぐもぐと咀嚼する。

「どう? おいしい?」

 ごくんと飲み込んだ。

「あー、まあまあかな」

 確かに玲の言う通り、食えないほどまずいというほどじゃあなかった。

 というか普通に食える。ほとんどチーズの味だけど。

「そっか。よかった」

 なぜか玲がうれしそうににこっと笑った。その意味するところはよくわらないが、とにかく玲がうれしいのなら問題はない。

 ただまあ……おかわりとかはいらなねーな。

 俺は玲に礼を言い、自分のサンドイッチを食べるのを再開する。と、玲が何やら物欲しそうな顔でこちらをじっと見つめていた。

「ど、どうしたんだ、玲?」

「私ばっかりあげてずるいなーって」

「あ、ああ、そうだな」

 確かにそうだ。

 俺は自分のサンドイッチのまだ口をつけていない側を玲に差し出した。が、玲はなぜか不満顔で、ぶすっとする。

「ど、どうしたんだよ?」

「……べっつにぃ」

「? ああ、こっちがよかったのか?」

 俺は最初差し出したしゃきしゃきレタスのサンドイッチとは別の、卵をふんだんに使ったサンドイッチを差し出した。しかしこれも玲のお気に召さなかったようだ。やはりぶすっとしたまま、ついにそっぽを向いてしまう玲。

 え、ええ……? 一体どうしたらいいんだよ?

 俺が困惑していると、玲は再度視線を俺のサンドイッチに向けてくる。それからつんつんとさっき差し出したしゃきしゃきレタスのサンドイッチを指さしてくる。

「え? いや、だってさっき」

「こっちから食べたい」

「え? でもこっちは俺が食ってた方で……」

「私もさっきスプーンで食べてたよ」

 うっ……それはそうだ。

 意識していなかったとはいえ、俺は玲と間接キスをしたことになる。うわぁ……思い出すだけで恥ずかしい。

 自分のサンドイッチを見つめる。……どうするべきだ、この場合。

 玲に俺の食った側からサンドイッチを与えるべきか否か。

 玲が俺の食った側からサンドイッチを食べる。それすなわち間接キスどころかディープキスにも等しい所業。ぐぬぬ……。

 俺は考えた末、自分の食べた側からサンドイッチを差し出す。と、玲はエサを与えられた子犬のようにうれしそうに、俺のサンドイッチを頬張った。

「……おいしい!」

 玲が驚いたように目を見開く。やはりしゃきしゃきレタスのサンドイッチはおいしかったらしい。……俺は非常に恥ずかしいが。

 俺が一人赤面していると、玲はその一口で満足したのか、しばらく余韻に浸るように目を閉じてうっとりしていた。

「健斗の味がする」

「やめろやめろ! そういうことを言うんじゃない!」

 玲が突然すごいことを言い出したので、俺はすぐさま止めた。

 何だよ俺の味って……気持ち悪ぃな。

 俺は小さく嘆息して、自分の分のコーヒーをすすった。

 それからちらっと、玲を見やる。

 玲は俺と同じようにコーヒーを飲んでいた。そんな玲と目線がかち合い、にこっとほほ笑まれる。そうするとさっきの玲の言葉と行動が頭の中にフラッシュバックしてきて、玲の顔をまともに見ることができずに顔を逸らしてしまう。

 ……ったく。何だってんだ、玲の奴。

 俺はコーヒーをテーブルに置く。すると、まだ半分くらい残っているにごったの表面が揺れる。

「さてと。ここを出たらどこに行くかな」

 正直、俺の考えていたプランは出鼻をくじかれた感じだったから、もういいかなと思っている。問題は玲の方だ。

 どうする? と視線を向けて玲に問いかける。と、玲はくるくるとスプーンでカップの中を回し、んーっと考えるように唸った。

「もうちょっといようよ。あのおじさんともうちょっとお話したい」

「いや玲、それはちょっと……」

「えー? どうして?」

 どうして、と言われても困る。まあ本当は答えなんて決まりきったようなものだけど。

 その答えを口にするのは憚られる。他に客なんていないから、あの店主以外に聞かれる心配なんて皆無なのだけど。

 それでも、俺はそれを言いたくはなかった。なぜなら、それを言ってしまうのは玲の思惑通りだからだ。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、玲はにやにやしていた。……たぶんほとんどバレてるんだろうな。

「どうしたのー? 言ってくれないとなんでかわからないにゃー」

 急に猫なで声になる玲。こんな状況じゃなかったら、素直にかわいいと思えただろうに。

 俺は自分の心の狭さを痛感しつつ、しかしここは毅然とした態度で臨むべきだと気をしっかり持つ。

 俺は玲の彼氏だ。いつまでも彼女に主導権を握られたままでいられるか。

「よし、玲。さっさと次に行くぞ」

「ん? でもまだコーヒーが」

「そんなのはいいから。さあ」

「う、うん……」

 俺がテンション高めに言うと、玲はどこか不安げにしながらも立ち上がった。

 清算を済ませ、店を出る。相変わらず店主は不愛想だったが、そんなことは気にしない。

 あんな店、いつまでもいられるか。もしかしたら玲があの店主になびくかもしれないし。

 そんなしなくてもいい心配を玲に悟られたくなくて、俺は玲の手を引いて足早になる。

「ちょっと、どこに行くの! ねぇ健斗!」

 どれくらい歩いただろうか。ふと立ち止まり、周囲を見回す。

 そこは公園だった。たくさんの緑が生い茂る、森林公園。

 あるのは簡素なベンチが一つ。滑り台もなければブランコもない。そんな場所。

 俺はその公園にある唯一のベンチに近寄り、腰を下ろした。玲にも同じように促す。

「え? ……ええと、じゃあ」

 玲は困惑した様子で俺の隣に座る。ベンチがかなり冷たかったのか「ひゃっ」と声を上げる玲。まあこのベンチ、超冷たいしな。俺もかなり我慢している。

「ね、ねぇ健斗……別のところに行かない?」

「まあまあ。落ち着けよ」

「落ち着くのは健斗だよ。なんでこんなところに……」

「もうすぐだ。もうすぐ」

「もうすぐ……?」

 玲が怪訝な顔でベンチに座り直す。やはり冷たかったらしく、再び声を出す。

 が、今度はどうにか座ることができた。ただそれだけのことだが、なんとなく俺は得意な気分になった。

「それで……何が始まるの?」

「まあ待てって。あと少しだ」

 俺はスマホで時刻を確認する。残り五分といったところだ。

「何が始まるっていうの……」

 玲は不満たらたらで泣き言を呟いていた。もしかすると、俺に対する好感度はかなり下がったかもしれない。

 俺は一抹の不安を覚えつつ、その時を待つ。

 残り十秒ほど。七、六、五、四、三……。

 心の中で秒読みをする。と、突然ぱぁっと視界が明るくなった。

「えっ……?」

 玲が意外そうな声を出す。さすがの玲も、ここまでは予想できなかったらしい。

「……どうだ?」

 俺は満足のいく手ごたえを感じ、得意になる。

 俺たちの目の前には、これでもかというほどの光の森が現れた。

 それは毎年、クリスマス限定で一部のボランティアの人たちが飾りつけを行ったイルミネーションで、クリスマスの夜にこうしてライトアップされる。

 もちろん、プロが計算の末に行ったイルミネーションとは違い、荒と雑さが目立つものの、それが逆に一生懸命さと何より、計算や生産性を度外視した感じが感動を誘うと評価はネットなどでの評価は高い。

「すごい……」

「だろ? 本当は今日の最後に持ってくる予定だったんだけどな」

 まあ俺の計画がだいぶポシャッたからもういいだろう。

 俺はむしろ開き直り、玲のこの光景を見せることにしたのだ。

「おまえ、あんまりこういうの見ないだろ?」

「うん。ネットなんてゲームのレビューか2chかYouTubeかニコニコ動画を見るくらいにしか使ってなかったから」

「うん……もうちょっと活用しようぜ」

 この手のタレコミは結構はあるし、穴場のデートスポットを調べたりするのに役に立つんだけどな。……ま、そんなところも玲らしいと言えばらしいか。

 俺は思わずくすりと笑う。と、玲が不満そうにぷくーっと頬を膨らませた。

「何? 何がそんなにおかしいの?」

「いや、別におかしくはねーよ。ただおまえ、わかりやすいなって思っただけだ」

「わかりやすい? 私が?」

 意外だ、とでも言いたそうに目を見開く玲。ああ、そんなところとか特にな。

 普段は成績の優秀さや抜群の運動神経なんかに圧倒されてわからないことが多かったが、ともすれば玲はすっごくわかりやすい奴なのかもしれない。

「ふーむ……わかりやすい、私が……この私が!」

 何をそんなに悩む必要があるというのか。

 玲はあごに手をあて、イルミネーションから視線を外して考え込んでしまった。

 ……ええ。なんでぇ?

 俺は玲の心境の変化についていけず、困惑してしまう。

 一体俺の発言のどこに、悩む要素があったというのだろうか?

 よくわからない。

「な、なぁ……別にいいだろ、そんなこと」

「まあ……そうだね。じゃあもうこの話題は気にしないよ」

「ああ、それがいい」

 じゃないと、せっかくのイルミネーションが台無しだからな。

 俺は玲に頷く。すると玲も俺に頷いてくる。

 よかったよかった。これでとりあえずは安心だ。何が?

 自分で考えたことだろうに、自分で首を傾げてしまう。

 うーん……ま、いいか。

 頭の中から芽生えた疑問を追い出す。と、玲がスマホを取り出し、ぱしゃぱしゃとカメラ機能を使って景色を撮影しだした。

「ほんとに奇麗」

 感動したようにそう呟く玲。その瞳はきらきらと輝いていて、何だかこっちまでうれしくなってしまう。

 連れてきてよかったと、本気で思った瞬間だった。

 ひとしきり写真を撮った後、玲はふとスマホの時計を見て訊ねてきた。

「これからどうするの?」

「あ……」

 そうだ。これからどうするか、何をするべきか。それを全く考えていなかった。

「……どうしよう」

「まさか、何も考えてなかったの?」

「……まあ、そうだな」

 責め立てるような玲の視線を浴びて、俺は冷や汗をかく。

「まったく……しょうがないんだから」

 言って、玲はスマホの画面をカメラからマップへと切り替える。

「何かいいデートスポットがないか調べてみるよ」

「わ、悪いな……」

「いいよ、別に。健斗がそんな用意周到な人間じゃないっていうのはわかってたし」

 にこっとほほ笑む玲。なんだかかなり気恥ずかしかったが、玲の言っていることはたいてい当たっているので言い返すに言い返せない。

 玲の周辺検索を待つ間、俺は特にすることもなく、イルミネーションに視線を巡らせた。

 俺が誘っておいてなんだが、イルミネーションとは詰まるところ電飾を散りばめただけに過ぎない。だから、玲があれほどはしゃぐ意味が俺にはまるきり理解できなかった。

 まあ玲が楽しそうだから、俺もうれしいんだけどな。

「……どうしたんだ?」

「うーん……どうしたものかと思って」

 玲は悩ましげに目を細めると、スマホの画面とにらめっこする。

 その横顔はひどく奇麗で、イルミネーションなんかよりよほど見ていたいと思う。

「よし、決めたよ!」

 玲はスマホから顔を上げると、ニッといたずらを思いついた子供のような笑顔を俺に向けてくる。……不覚にもどきっとしてしまった。

「じゃあいこっか!」

「いくって……どこに行くんだ?」

「それは行ってからのお楽しみだよ」

 パチッとウインクする玲。やべ、超かわいい。

 俺はぽーっと思考力が欠落していく感じを覚えた。

 それがまた心地よくて、気持ちがいい。

 玲は俺の手を引いて歩き出す。俺は玲に連れていかれるがまま、どこかを目指す。

 玲の考えたデートプランを開始する。

 

 

                 ◆

 

 

 まず俺が連れていかれたのは、とあるホテルだった。

 そこは俺たちの住んでいる街で唯一のホテルで、屋内温水プールと巨大な劇場シアターを有する複合施設としても人気を博している場所だった。

 けど、今日俺たちがここを訪れたのはそういう施設で遊ぶことが目的ではなく、そこで行われているとあるイベントを観覧することだった。

 そのイベントというのは、過去最大級のプロジェクションマッピングだ。

 ホテルの各部屋を子供のいる家として見立てて、各部屋をトナカイが引いたそりに乗ったサンタクロースが巡っていく、という内容だ。

 周りを見回すとカップルや家族連れが多く、なんとなく居心地の悪さを感じる。

 お、俺も彼女ときているはずなのにどうして……?

 そこが俺の悪いところなんだろうな、と否定的な自己分析をする。

 と、玲がはしゃいだ声を上げ、建物の外壁に移ったサンタを指さす。

「あれ、この間のアニメに出てきたサンタにそっくりじゃない? ほら、藤岡サンタ」

「藤岡サンタ? 似て……うーん、どうだろう」

 俺たちのいる場所は、マッピングの見物客のちょうど最後尾だ。

 だからだろう。俺からは普通のサンタに見える。玲にはあれが藤岡サンタに見えるらしいけど。

 もしあれが藤岡サンタだったらと想像する。片思いの相手に自分の気持ちが通じず、もっと頑張ってほしいと思う。その反面、爆ぜろと思うが。

 だってあんな美人三姉妹と一緒に飯囲ってんだぜ? 俺には玲がいるから全然悔しくなんてないけどな!

 俺は心の中で誰にともなくそう答える。本当に誰に言ってんだろうな。

 自分で自分が嫌になるぜ。

「健斗、あれ見てあれ! 藤岡サンタが!」

「ん? どうしたんだ……ってなんだあれ!」

 藤岡サンタではないのだが……まあそれはいい。

 藤岡サンタはともかくとして、なんかいきなりサンタが飛び出してきた。

 具体的には一番下の階に到達したサンタが突然消えた。かと思えば次の瞬間には3Dの藤岡サンタが飛び出してきた。

 金髪の……いい人オーラ全開の若いサンタが。

「やあ君たち。今年はいい子にしていたかな!」

 藤岡サンタがハツラツとした声で言ってくる。はーい、と家族連れできていた子供たちが返事を返す。

 そこに交じって玲も元気に返事をした。恥ずかしいからやめてほしいんだけど。

 ま、でもまあいっか。楽しそうだし。

 俺は玲の笑顔は見て、自然と笑顔になっていることに気づいた。

 今日はとことんまでよくない日だと思っていた。俺の考えていたプランはだめになるし玲には迷惑をかけるしかわりのデートプランは用意してもらうしで、さんざんな日になったもんだと真鍮で溜息を吐いていた。

 けど、玲はそんな俺を見て不甲斐ないとか頼りないとかどうしようもないとか思わずに、一緒に笑ってくれるのだ。

 すごく……すごくうれしい。

 いつしか、俺は玲と一緒になってはしゃいでいた。本当なら今日はもっとクールな感じでいくはずだったのに、全部がおじゃんだ。

 でも、それでいいんだ。俺は玲と一緒に今という時を楽しむ。そうでなかったら、たぶん玲に失礼だろう。

 俺たちはパフォーマンスを続ける藤岡サンタを前に、ハイテンションで騒ぎまくる。

 それはもう、他の観客たちから白い目で見られ、その場からつまみ出されるほどに、だ。

「……はは、怒られちゃったね、私たち」

「まあそうだろうな、あれだけ騒げば」

「でもま、楽しかったらからいいけど」

「だな……俺も楽しかった」

「そう? ならよかったよ」

 玲は心の底からうれしそうに、にこっと笑う。

 俺はその笑顔を見て、きゅっと胸が引き絞られる感覚を覚えた。

 俺がこうして失敗しても、俺のために行動してくれる玲。

 ああ、やっぱ俺は玲が好きだなぁ。

 改めてそう思う。そう、確信する。

 それこそ阿良々木みたくいろいろな言葉を用いて今の気持ちを言い表したいが、あいにく俺の語彙力じゃ何一つとして思いつかなかった。

 俺は阿良々木くんみたいに『不動なる寡黙』とか呼ばれたことねぇし。

 しっかしあれすごいよなぁ。友達を作ると人間強度が下がるとは言っていた阿良々木くんがハーレム建設一歩手前までいくんだもんなぁ。

 撫子ちゃん……最後あんなことになって。残念だ。

「……どうするか。そろそろいい時間だな」

 俺はスマホの画面を見て、時刻を確認する。と、十時半を過ぎていた。

「帰るか、玲?」

「うん……そうだね」

 きらめく星空を見上げ、玲が白い息を吐く。

 その横顔は、少し寂しそうだった。

「玲? どうした?」

「……ううん、何でもない」

 玲が首を振る。ゆっくりと、目を伏せる。

「私は……もうちょっと一緒にいたいかな?」

「え……?」

 玲が伏せていた目を開ける。ほんのりとほほを上気させ、流し目で俺を見てくる。

 なんだか色っぽい……ちょっとえろい。

「な、なななななんだよ、もうちょっと一緒にって。これからどっか行こうってか?」

「……健斗がそう言うんだったら、私はいいよ?」

「いいっておまえ何言って……」

「だって……せっかくのクリスマスだよ?」

 何がせっかくのクリスマスだよ? だ。一体どんな理屈だってんだそれは。

 俺は玲の言っている言葉の意味がわからず、おろおろする。

 いや、本当はわかっているのかもしれない。でも、それを明確に俺の中で言葉にしてしまえば、俺はきっとそのまま歯止めが利かなくなってしまうだろう。

 それは、きっとよくないことだ。俺たちはまだ高校生。学生なんだから。

 そんな言い訳を自分の中で繰り返す。

 本当はわかってるんだ。俺に度胸がないだけだってことくらい。

 手をつないでキスもした。でも、それから進展がないのは俺の方にまだそこまでの覚悟がないだけだって。

「クリスマスだからってそんなに特別なことはなくていいだろ」

「……うん、まあそうなんだけど」

「だったら……」

「でも、ちょっとくらいなら……いいんじゃない?」

 玲はかわいらしく小首を傾げ、問うてくる。

 その表情がとんでもなく魅力的で、俺は全身がかーっと熱くなる。

 今日は……どれだけ玲にどきどきさせられていることだろう。

「いい……のか?」

「いいと、思うよ?」

「いい、んだろうか……」

 どうなんだ? いいんだろうか?

 このまま、先に進んでしまっていいんだろうか?

 俺にはわからない。わからないから、とりあえず玲から視線を逸らす。

 逸らして、それから……それから。

「お、俺何かあたたかいものでも買ってくる……」

 俺は玲に背を向け、その場を去ろうとした。

 が、玲が俺の手を握って、止めてくる。

「れ、玲……?」

「少し……人気のないところに行きたいな?」

「れ、れれれれれ冷静になれ!」

 冷静になれ俺! 何をどぎまぎしているんだ!

 俺はがんがんと自分で頭を叩く。……ふぅ、ちょっと落ち着いた。

「あ、あのな……」

 と、玲を振り返る。が、それがクリスマス効果というものだろうか。さっきの数倍増しで玲がかわいく見えて、俺はやはり顔を背ける。

 俺、今どんな顔してる? へ、変な顔してねぇよな?

 ぺたぺたと自分の顔を触ってみる。……うん、たぶん大丈夫だ。

 てな感じで俺が悠長にも心を整えようとしていると、不意に俺の手を包み込んでくる感触があった。

 それは優しくて、あたたかな感触。柔らかくて、ふわりといい匂いが漂ってくる。

「玲……」

 そこで俺はようやく、玲の顔をまともに見ることができた。

 玲は恥ずかしそうに目を伏せ、俺の手を握ってくる。

 俺もまた、玲の手を握り返す。

 いいん、だな? などという確認は無粋というものだろうか。

「じ、じゃあ……」

 と、俺はスマホの検索エンジンを起動させる。近くの施設を検索し、おそらくは俺たち二人が思い描いているだろう施設を見つけ出す。

 それはいわゆるラブホテルと言われる類いの施設だ。

 空室情報を検索すると、一部屋だけ空いている部屋が見つかった。

 ので、まあそこを目指すことになるだろう。

「じゃあ……行こうぜ」

「うん……」

 俺は玲の手を引いて、歩き出す。

 人通りを抜け、だんだんと人気のない路地へと入っていく。

 時折スマホを取り出して目的地を確認する。ちゃんとそこに向かっているようだ。

 ラブホへの道程を歩みながら、俺は考える。

 俺はこれから、玲と一緒にラブホへと赴くのだ。そして玲とともに道程を捨てるわけだ。

 本当に? 本当にそれでいいのか、俺。

 俺は自分の中に生じたその疑問に、足取りが重くなる。

 俺は……本当にこんなことを望んでいるのだろうか? そりゃあ確かにいつかは玲と一緒にそういうあれこれも視野には入れていたが、それはまだまだ先の話だと思っていた。

 少なくとも、高校生の間はそんなことにはならないだろうと。そう思っていたのだ。

 それは世間一般がどうとかいう話ではない。ただ、俺は今の生活が好きだ。好き、だからこそ玲との時間を大切にしたいと思う。

 では、ここでそういうことをしてしまったとしたら、、俺は今後玲と顔を合わせた時、どんな気持ちになるだろう?

 今夜のことを思い出して、どぎまぎしてしまうんじゃないだろうか?

 そしてまともに玲の顔を見れず、赤くなって顔を逸らす。

 そんな未来がなんとなく思い描けた。

「……それは、だめだな」

「健斗? どうしたの?」

 不意に足を止めた俺を怪訝に思ったのだろう。疑問符に満ちた玲の声が聞こえてくる。

 俺は玲の手を離し、くるりと振り返った。

 俺の中にある、真剣な思いをすべて、ありったけ込めて、玲を見つめる。

「玲……今日はもう帰ろう」

「え? ええと、どうしたの、健斗? 急に……」

「いや……何つーか、やっぱこういうことはまだ俺たちには早いというか」

「早い? そんなことはないよ。だって周りには……」

「……周りがどうとか、周囲がどうとかそんなことはどうだっていいんだ。要は……俺たちの問題だから」

「……! そう、そうだね」

 玲が俺から手を離す。と、そのまま自分の髪を掻き上げ、にこりと笑う。

「私……なんだか焦っていたのかもしれないね」

「ああ、そうだな。クリスマスだからって何も特別なことは必要ない。ただ二人で楽しく過ごせれば、それでいいんだよ」

 俺は玲のほほに触れた。さっきまで緊張していたからか、ほんのりとあたたかい。

 柔らかくて、いい匂いがする。その感触と香りを楽しみつつ、俺は玲に顔を近づける。

 俺の意図を察したのだろう。玲もまた、俺のしようとしていることを受け入れてくれて、目を閉じめてくれた。

 軽く唇を突き出す玲。俺は、その目標に向かって一直線に――

「……ちっ。またカップルかよ、忌々しい。やっぱ今日は場所変えなきゃな」

 ……などという至極不機嫌そうな声音が聞こえてきて、俺と玲は身を離した。

 バッと声のした方を振り向く。と、そこにはぼろぼろの布切れをまとった、ひげ面のおっさんが二人立っていた。

「まあまあ義重さん。そういうもんじゃねぇやな。いいことじゃねぇか。中のいい若者がたくさんいるのは」

「ああん? 半田、てめぇ何弱気なことを言ってんだ? 俺たちはこうして段ボール生活は送ってるってのに、最近のガキはいちゃこらとしやがって。はった押すぞ!」

「止めなさいって義重さん。すまないねぇ君たち。私たちに構わず続けてくれていいよ」

「続けてなんかみやがれ! てめぇのドタマかち割るぞクソガキ!」

「義重さん義重さん、もう行こうや。すまないねぇ、本当にすまないねぇ」

 ぺこぺこと頭を下げながら、義重とか呼ばれていたおっさんは引きずられていく。傍らには段ボールを抱え、二人とも裸足だった。

「……帰るか」

「う、うん……そだね」

 すっかりと興を削がれた俺たちは、そのまま踵を返して帰ることにした。

 いや、確かにキスより先に進むつもりなんて毛頭なかったけど。それにしたってあれはひどい。

 最近のゲームじゃ、あそこまでひどいオチもなかなかないものだ。

 なんだよ、最後にホームレスに邪魔されるって。

 俺はさっきの出来事を思い返しながら、心中で文句たらたらだった。

これがあれかなぁ、事実は小説よりって奴かなぁ。

そんなことを考えながら、俺は玲と一緒に夜の街をとぼとぼと歩くのだった。

何か、釈然としない気持ちを抱えながら。

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