Summer Inspiration

きさらぎみやび

第1話


 歓声。飛び散る汗。日差し。振動。音楽。土と潮の臭い。

 日常とは異なる要素が一斉に交じり合ったそのただ中で、くらくらと眩暈めまいのするような衝動にただ突き動かされていた。


 この瀬戸内に浮かぶ島で夏フェスが行われるのは今回が初だった。

 どこまでも突き抜けていきそうな気持ちの良い夏空の下で、ステージに設置された巨大なスピーカーから重低音が鳴り響く。白く輝く太陽に熱された大気をびりびりと震わせる振動は、そこに集まった大勢の人々の体の芯まで震わせるかのように響き渡っていく。観客は思い思いに体を揺らし、腕を振り上げ、脚でリズムを刻みながら真夏の音楽に浸っている。


 たちばな 七海ななみもその中にいた。


 その動きは周りと比べて随分とおとなしめで、体を揺らす振幅もよく見ないと分からないほどに小さい。それでも彼女の表情を見れば十分音楽にその身を浸していると分かる。元来あまり動き回るのが得意ではないし、夏もどちらかといえば苦手な彼女は、それでもお目当てのバンドである「FineVineファインバイン」が初めてこの夏フェスに参加すると知って、いてもたってもいられずにこのフェスのチケットを手に入れていた。


 次がいよいよファインバインの出番だった。有名なバンドと比べればやはりファンも少ないようだったが、それでもステージ前は人でいっぱいだった。普段の屋内で行われるライブでは客席の前の方に陣取ったりもするのだが、初めてのフェスという事もあり、気持ち後ろめの観客エリアにポジションを取っていた。


 満を持してステージにバンドメンバーが現れる。


 心なしか緊張しているようなメンバーの顔。初めてのフェス参加に戸惑っているのは七海だけではないようだった。それでもいざ演奏が始まれば、あとは彼らの世界だ。心地よいリズムと普段よりも遠くまで響いていくメロディ。

 普段のハコと違って反響するものがないぶん、音は遥か先まで奇麗に抜けていく。

 最初は慣れないステージに戸惑っていた彼らだったが、次第により遠くまで、より強く届かせようと演奏にも熱が入っていく。ドラムをたたく手元の加減やギターを弾く勢いも一層力のこもったもののように七海は感じていた。

 彼らのボルテージにつられるようにして、気がつけば七海は元居たところよりも随分と前方、ステージ近くのエリアにいた。最初はファンとそうでない人たちのテンションには明らかに違いがみられたものだったが、短い出番の中でもいつの間にか七海のいるエリアでは誰もが夢中になって彼らの音楽に浸っており、バンドの面々もそれに対して思いをぶつけるようなエモーショナルな演奏でラストのフレーズを締めくくった。


 ジャンッ!!!と最後の一音が鳴らされて、七海は思わず「イェーィ!!」と、普段の彼女ならなかなか上げることのない歓声を両手を空に高く突き上げて叫んでいた。


 そうして初めて、彼女は自分が全身汗だくになって音楽に身を浸していたことに気がつく。我に返るとこの短い時間で水分をかなり消費してしまったのか、少々足元がふらついていた。


 あ、これちょっとまずいかも。


 そう思った時にはくらりと体が傾いていた。妙に冷静な頭で地面が近づいてくるのを見つめる。


 ぽすっ、という感触と共に地面に倒れ伏す途中で体の傾きが止まった。首を捻って見上げた視界には心配そうに七海を見つめる女性の顔があった。


「あの、大丈夫ですか?立てます?」


 どうやら彼女が倒れそうになった七海をとっさに支えてくれたらしい。彼女に支えてもらいながら、七海がどうにか体の軸を正常に立て直したところで首筋にひんやりとしたものが押し当てられた。見ると、彼女が自分の首にかけていた保冷剤をくるんだタオルを七海の首にかけてくれていた。


「少し首元を冷やすといいですよ。あと、これ飲んでください」


 持っていた保冷バッグに包まれたペットボトルを差し出してくる。

 すいません、ありがとうございますと七海は彼女にお礼を言って、冷えたスポーツドリンクを喉に流し込んだ。無意識に失われていた水分が補給されたことでようやく少し体調を取り戻す。ふらついていた足元も、どうにか歩けるくらいまでには回復していた。


「すいません、ちょっと汗をかきすぎたみたいで」


 恐縮しながらお礼を述べる七海に対して、その女性は笑いながら、「もしかして、フェスは初めてですか?」と話しかける。


「はい。初めてなんですけど、ちょっと油断しちゃいましたね……」

「歩けそうですか?」

「大丈夫そうです。すいません、助けていただいて。もう自分のテントの所まで戻るので」

「あ、じゃあテントの所まで一緒に行きますよ」


 申し訳ないと思いながらも七海は彼女についてきてもらうことにした。


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