第22話 終わり

「そこの面積はね、こういう公式があって、それで出た値をこうやって代入すれば…」

「…常々思うんだけどさ、こうアクロバティックに公式使わないと解けない問題ってなんとかならないかな」

「アクロバティック?」

「ええとつまり、一回の計算じゃ解けなくて、そこを踏み台にしてまた計算しなきゃ行けないみたいなやつ」

「ああ、そういうこと。まあでも、その辺りは国語のやり方と変わりないわよ?類推すればいいだけの事だし」

「簡単に言ってくれるけどねぇ…」

 彼がため息を吐く。その辺りの気持ちは、なんとなく分かる。真太郎が簡単に分かる様な事も、時としてわたしには分からない。そして、前者と後者を比べれば、後者がわからないわたしの方が、彼よりもずっと頭が悪いのだろうと、少し思ってしまう。

 そんな風に二人で帰り着いた時、わたしは真太郎にちょっとしたお願いをした。

「面接練習?」

「そう。後、集団討論。今度の試験でやらなきゃいけないから」

「でも、それって俺で務まるかな。あんまり話題とかないし」

「議論することに慣れたいの。一応先生と他の子達に混ざってやってはみたけど、あんまり発言できなかったし…。テーマはいくつか用意してあるから、おねがい」

「ふうん、まあじゃあやってみよっか。二人だから集団とは言えない気がするけどね」

 その週の土曜日。ひとまずは午前中は彼の勉強をみて、午後にわたしの方の練習をすることに話をまとめた。

「あら、ちゃんと二次関数できる様になってるじゃん」

「頑張ったの!」

 十二月に入ってからの彼の進歩は目覚ましく、模試の判定も長いこと低迷していたのが、ついにB判定まで上がり、過去問試験の正答率自体も六割七割をマークする様になっていった。

 抑えとなる公立の問題も順調な様子で、A判定を連発していた。風向きが変わり始めて、色んなことが上向きになって、うまく行き始めていた。

「はーい、おつかれさま。休憩にしようか」

「うーい」

 二人してちゃぶ台のそばで溶けた様に休む。見慣れたというか、日常の一部になっている光景だった。

「お昼ご飯ある?」

「持ってきた」

 そう言って真太郎がカバンから二、三個大きなおにぎりを出して食べ始める。わたしも台所から作りおきのサンドイッチを持って来た。

 お昼ご飯を一緒に食べるのもそう、何というかこれもまた日常だ。

「ご飯食べたら面接の練習始めるね」

「おっけい」

 二人してぱくつきながら、どうでもいい様なことをゆるゆると話す。この時だけは、二人とも受験なんて忘れて、会った時みたいな友達に戻っていた。

 食べ終えて、また少しおしゃべりをした後、面接の練習が始まった。といっても、いつもの真太郎との会話みたいな、悪く言えば馴れ合いではなくて、じっくりと相手を試す様な問答。

 入室の礼から退室、そして時間まで本番にできる限り近づけて、何度も何度も練習する。

 …真太郎には本当に苦労をかけてしまった。後で彼が話してくれたことには、前日に何問も質問を作って、必死で練り上げてきたのだそうだ。

「君の役に立ちたくて」

 そう涼しい顔で言っていたけど、普段よりもずっと眠そうな様子が、何もかも教えてくれていた。

 …面接と討論の練習に夢中になって、窓の外を見るともうとっくに陽が落ちていた。

「おつかれさま…」

 わたしがそう言うと、どさりと真太郎が倒れ込んだ。眠気と疲労が限界を突破してしまったのだろう、たちまちのうちに彼は眠りに落ちてしまう。

 そして、わたしにも深い疲労が絡みついていた。ひりつく様な熱さと、集中が解けた後の重さが頭に残っていて、久し振りにフル稼働した心地よい感覚を伝えてくれている。

 誰かと真面目に向き合って、自分の全部を尽くして話をしたのはいつ振りだろう。天井を見上げながら、わたしはまた薄ぼんやりと考えながら、目を閉じた。

 十二月二十五日。終業式の日、そしてわたしにとっては受験の前日。

 残念ながら、クリスマス・イブにはロマンチックな事は何一つ無くて…ううん、一個だけあったかな。でも、その他には小雪の舞う外をぼんやりと眺めながら、明後日に向けての準備をするほかには何もめぼしい事は無かった。

「昨日の雪が少し残ってるね」

「滑らない様に気をつけないと」

 真太郎が寒さで赤くなった手に息をかけながら言った。制服の上に、こんもりと分厚げなコートを羽織って、首元にはきっちりとマフラーを巻いている。

 わたしは久々、と言うよりほぼ初めてだけど制服用のズボンを引っ張り出して履いてきた。珍しいことに、うちの学校では女子用のズボンがキッチリとある。スカートでは少し冷えるのでありがたかった。

「ちなみに、昨日のクリスマスイブ。何か良いことあった?」

「まさか〜。受験生だし、それにそういう人もいないし…」

「ふーん?ま、わたしはあったけどね。良いこと」

「え!?」

「ふふふ…何たって、優しいサンタさんがクリスマスカードをくれたから」

 わたしはコートのポケットから一枚のクリスマスカードを出して、真太郎に見せた。

 夜空に緑のクリスマスツリー、そして『Happy Merry Christmas』と慣れていない様子のメッセージが書いてある。

「名前は『サンタクロース』ってなってるね。うれしいな〜」

「よ、よかったじゃない。サンタさん来てくれたんだね」

 明らかに挙動不審になる真太郎。もうその様子だけで完全にバレバレなんだけど、まだ白状しようとしない。

「それで、優しいサンタさんへのお返しに、小さいけどカップケーキ焼いたんだよね。喜んでくれると良いなー…」

「……」

 まだか。こっちをチラチラ伺ってるのに、まだ何も言わない。仕方ない、奥の手を使おう。

「でも、このカード。残念だけど英語のスペルがいくつか間違ってるんだよね」

「うそ!?何回もかくにん…」

 言いかけて、わたしの視線に気が付いたのか、彼の顔がみるみる内に赤くなっていく。

「あ、いや、その、これは…」

「ふふっ。…大丈夫、合ってるよ」

 カマをかけるようなやり方をされたと気が付いて、彼の顔に少し怒りが混じった。

「嘘ついたんだ。…ひどい」

「ごめんごめん。だって、君がいつまでも白状しないからさ」

「白状って…違うよ、サンタさんがくれたんだよきっと」

「まあまあ、じゃあそういう事にしとくから」

 わたしはバッグの中から、ちょっとしたラッピングのカップケーキを彼に渡した。

「急ごしらえだから、微妙かもしれないけど」

「…あ、ありがと」

「メリークリスマス。君のおかげで、いい日になったよ。明日も頑張れそう」

「…よかった」

 気がつけば、もうこんな季節になっている。十二月も終わりで、あまりにも時の流れが速過ぎる様に感じた。

 もっと時間が欲しい。心の中では、ずっとそう思っていた。だけど、それは絶対に叶わない。

 翌日、高校の門の前でも同じ事を思った。大切な戦いの前なのに、変な感じだけどね。

 その日は曇り空で、周りを歩く他の受験生達も、どこかかすんで見える日だった。

 十二月二十六日。…わたしの受験は、終わった。

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