第18話 君と大切なもの
「ふぅ」
ガラガラに空いている湯船の中で、二人して息をつく。
「やっぱり熱いね。このお湯」
「そうかしら。わたしはこのくらいが好きよ」
立ち上る湯気で、ほんの少し天井はかすんで見える。
「んー…」
「どうかしたの?」
「いや、加々美さん、スタイル良いなぁって。すらっとしてて、足も長いし。胸もそこそこあるから」
「あら、わたしも津深さんの事羨ましいわ。顔はとっても綺麗だし、ウエストも細いじゃない」 「わたしのはスタイルが良いっていうよりは痩せすぎって感じよ。実際、学校来る時の身体測定でも、痩せ気味って言われたから」
「ふうん。でも、どうしてそんな事いきなり?」
「いや、こうして学校来るようになったんだけど、女の子達みんな『可愛い』とかそういう話してるから。少し気になって」
「あら。まあでも、別に急ぐ必要はないと思うわ。確かに、可愛いとか綺麗っていうのは、そうじゃないよりはずっと良いけど、今すぐ手に入るものでもないもの」
「そうだよね…」
なんて、他愛もない会話をしているうちに、時間は過ぎていって、
「もうじきここも混み出すと思うから、もう出ましょうか」
「うん」
二人でお風呂から出る。浴衣に着替えて髪を乾かすのが終わった後、ふと思い立ってわたしは近くの自販機でコーヒー牛乳を買った。
「こんなのあったのね」
「今お金持ってるし、さして高くないから」
栓を抜いて口をつける。コーヒーの風味と、牛乳の味、そして何より甘さが不思議とお風呂上がりの身体に染みた。
「飲み終わったら行きましょ。多分あの二人が待ってるから」
「もちろん」
暖簾をくぐると、ちょうど真太郎と椎崎君が出てくるところに会った。
「お、丁度だね」
「そっちもコーヒー牛乳でも飲んでたの?」
「よく分かったね」
「ちょっと甘い匂いがしたから」
おしゃべりしてると今帰ってきたのか、ずぶ濡れの子達がグループごとに集まってやって来た。
「ここじゃ邪魔になるわね」
「うーん…じゃあさ、俺達の部屋来る?」
「「え?」」
真太郎のこういう所は尊敬するけど、将来とんでもない事に発展しそうだ。わたしは心の中で、根拠はないけどそう考えた。
結論から言ってしまえば、その後わたし達は消灯まで彼らの部屋で時間を過ごした。手始めに、加々美さん主導のお片づけから始まり、後は部屋でニュースやらを見ながらトランプやUNOに興じて、夕食まで過ごした。
途中、彼らのルームメイトが帰って来たけど、ノリのいい人達だったので、わたしみたいな人が居ても、二つ返事でゲームに加わっていた。
夕食が終わっても同じ。みんなで遊んでいれば、時間は本当に早く過ぎる。
「何だよ、また津田が大貧民か」
「だって、アオイさん俺の心読むんだもん」
「別にそんな事してない。ただ君がわかりやすいだけ」
「もう!」
だけど、それよりも。わたしは自分自身の変化に驚いていた。今では、かつて持っていた外への恐怖がほとんど無くなっているように感じられた。
いつの間にか、こんなにわたしは変わっていたのか。そう自覚する度に、驚きと不思議な喜びが胸を満たした。
「もう時間よ。これ以上男子階にいると怒られるわ」
「ん、そうだね」
「またねー、津深さん」
「また明日」
名残惜しそうに手を振ってくれる彼らに、わたしは一度頭を下げて、部屋から出た。
消灯の後、布団に潜りながら、わたし達は昨夜と同じ様に雑談に興じた。
加々美さんは学校の面白い話を聞かせてくれた。真太郎が学校で何をしているのか、どんな活躍をしていたのかを、細かく教えてくれる。
「それで、彼が白雪姫の役をやったときはね…」
「待って、真太郎がやったの?」
「ええ。ドレスを着て、メイクまでして。『アタシは世界で一番美しいのよ』なーんて」
「ちょっと…待ってっ…!笑いが…」
他にも話題は尽きない。学校にいる面白い先生だとか、いろんな事件だとかの話を聞かせてくれる。その度にわたしは腹を抱えて、布団の中でもぞもぞ転げ回った。
そうして、ひとしきり学校の話がひと段落すると、今度はわたしの方から恋愛の話を振った。
「好きな人っているの?」
「いないわ。残念ながら」
加々美さんには、どうやらそういう人はいない様だった。少し残念だな、と思いながらも深追いはしない。
だけど、反撃はやって来た。
「じゃ、次はあなたの番よ」
「え?」
「津田君の話でも聞かせてもらおうかしら」
「ちょっ…」
布団から顔を出す加々美さんの顔は、いたずらっぽく笑っていた。
「べ、べつに真太郎は好きな人とかじゃなくって、その…」
「大切な友達?」
「そ、そう!それ!」
「ふーん?」
少なくとも、彼女とわたしとでは、人と触れ合った時間も量も大きく差がある。まるで小さい子供を観察するかの様な目さんで見つめられて、わたしは恥ずかしくて仕方なかった。
「でも、けっこうベタ惚れって感じじゃない?」
「惚れてるとかじゃなくて…」
舌がもつれて上手く答えられない。それに、わたしは加々美さんのさらなる一面に驚いていた。
「…加々美さんも、そういう女の子みたいな話題で盛り上がるんだね。昨夜は出来ないとか言ってたのに」
「切り返しにしても、もっと上手いやり方があるでしょ。…まあでもそうね、意外にやってみると楽しいから、ついね」
枕で口を隠しながら、ふふふと笑う。それに釣られて、わたしもまた笑みが抑えられなくなってしまう。結局二人して、笑い合っただけで話題は流れてしまった。
少し夜も更けて来た頃。そういえば、と加々美さんが真面目そうに言った。
「津深さん、変わったわね」
「変わった?」
「今までは津田君と椎崎君くらいしか話してるところ見た事なかったから。でも、今日は初対面の人とゲームまで楽しんでたわ」
確かにそうだ。わたしの中にもその自覚はある。
わたしは変われた。今までみたいな、怖がりで疑り深い子じゃなくなった。その思いは、温かい喜びと一緒に湧いてくる。わたしは、素直にそれを加々美さんに伝えた。
「そう、それは良かったじゃない」
「うん」
「だけどね…津深さん」
「ん?」
「それが誰のおかげなのか、忘れないようにね」
「誰のおかげって、それは…」
「いい、津深さん」
加々美さんが、わたしにずいと寄って言った。
「確かに、あなたは変わったわ。友達も増えて、明るくなって。きっとこれから、もっと友達が出来て、それこそいろんな人の中心になれるかも知れない」
でもね、そう言って加々美さんは強く言った。
「あなたにとって、本当に大切なものを見失わないで。一番大切で、かけがえの無いもの。それを失くしてしまわないように」
その言葉の意味を、わたしは帰り道でも考え続けていた。
「それじゃあ、また来週。学校でね」
「うん、じゃあまたね」
家の前。真太郎と別れた時、彼が見せた笑顔。その時にようやく、わたしは加々美さんの言葉の意味が、ほんの少しだけ理解できた。
お土産に買った七味のひょうたん。君も一緒に買ってくれると言ってくれて、とても嬉しかったのはどうしてだろう。
それをかけた豚汁は、辛いはずなのに少し甘かった。
もうじき秋も終わる。わたしにとって、彼にとって。全てを決める、冬が来る。
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