【NL・片想い】伝えない。……それでいい。

将平(或いは、夢羽)

第1話 伝えない。……それでいい。

 その人は、好きになってはいけない人だった。


 


 もう戻れない。


 しっとりと濡れた唇を離しながら、やってしまった、と思ったけれどもう遅い。ジントニックの香り。彼の、好きなお酒。


 至近距離にあるのに、薄暗がりのせいにして彼の表情を見ることが出来なかった。



「……」



 なんで、とか、どうして、とか。その言葉を紡ぐのが怖かった。空になったチューハイの缶やジントニックの瓶が背の低いテーブルの上に並ぶ。お酒のせい。きっと、そうだ。



「……サラミ、食べちゃいなよ」



 なんでもなかった風に笑って見せた。何もなかった事にしよう。…したい。明らかにしなければ、きっとセーフだ。大丈夫、まだ戻れる。


 テーブルの上の白い平皿の上には食べかけのサラミとチーズが数枚。チーズをひょいと指で詰まんで食べた。彼が、サラミの方が好きなのを知っている。



「………今日、泊まってく?」


「……んなわけないじゃん。帰るよ。ばーか」



 それ以上は誤魔化しが効かない。まるで欲情するような、或いはアルコールの為に潤んだ瞳で見詰められ、私は堪らずに席を立つ。


 二人っきりで。宅飲み。


 なんも起こらない……と思ってた。だって、私達、トモダチだから。僅かな期待はいつも失望と共にあるのだ。だって、彼には常に彼女がいた。


 大学生になっても染めなかった長い黒髪を掻き上げて、出しっぱなしにしていたスマホをハンドバッグに仕舞い込む。



「……送ってく」


「いいよ」


「危ないじゃん。送ってく」



 さっきの口付けはそれとはかなりかけ離れていたくせ、彼は、紳士的な声音でしっかりと告げた。そうなると、私は否定的な台詞を紡ぐことが出来ない。「……ありがとう」と、やっぱり折れてしまう。


 私って、貴方の何なの?


 いっそ、訊いてしまいたかった。



「トモダチじゃん」


 


 返ってくる言葉を予想するのは容易い。


 私は、中学一年生の時から燻っているこの感情を、遂に『過去のモノ』にすることが出来なかった。


 中学三年間、常に傍に居たのは彼だ。


 だけど私達は、付き合っていた訳ではない。友人だ。……男女の友情なんて果たして、本当に存在するのだろうか?私は、その問いに「No」と答えざるを得ない。彼のことが、ずっと好きだった。


 二人で玄関に迎い、慣れないヒールの高い靴を履く。化粧もいつもより念入りにした。服装にも気合いをいれた。ふわりと裾の揺れるロングスカート。彼はこんな服装が好きだっただろうか。そんなことに、姿見の前で一時間近く頭を悩ませた。


 憧れの、宅飲み。二人っきり。密室。


 私達は大学生になってそれぞれ県外の大学に通っていたのに、長期休暇なんかで地元に帰った時には必ず、落ち会っては飲んでいた。宅飲みは今日が初めて。


 高校から別々のところに通っていたくせ、やっぱりその縁は途切れることはなかった。


 彼は中学一年の冬から、彼女を途切らせた事がない。取っ替え引っ替え。長くて二年、短いと、二週間。それだけ聞くととんだプレイボーイを想像することだろう。残念ながら、彼の容姿は特別、整っていると言うわけでもない。


 でも、モテるのはよくわかる。私も、彼のことを好きになった女子の内の一人だから……。


 カツカツと、閑な暗闇の中に私の足音が響く。



「それ、走れるの?」



 街灯でぼんやりと輪郭の見える彼が、恐らくは苦笑しながら訊いてくる。



「その気になればね」



 視線を少しだけ上げると、彼の耳元でピアスが光っていた。ピアスなんて、開けるとは思わなかったな。



(私も開けようか。半分こ、なんて。ね)



 彼と半分こずつ付けるピアスに憧れた。バカみたい。彼女でもないのに。知らず触ってしまっていた自分の耳朶では、お気に入りのイヤリングが揺れている。


 ホテル何処とったの?


 駅前の。


 ああ、あれね。一階にコンビニ入ってるとこ。


 そんな他愛もない会話。もう、先程の口付けのことなんて忘れてしまっているかのようだった。


 彼は決まって、車道側を歩く。横を歩く私との距離は、只のトモダチと言うには近過ぎるし、それでも肌が触れ合ったことがないこの距離は、やっぱり、恋人と言うには遠過ぎた。


 暗がりの道を抜けて、車通りの多い道に出る。行き交う車達がヘッドライトで私達を照らしては通り過ぎた。もう少しで夜の十一時になるが、まばらでも、ポツリポツリと人の姿がある。



「まさか、本当に会いに来てくれるなんてね」


「だって、約束したじゃん。ま、観光も兼ねてだけど」


「うん。でも、嬉しーよ。ありがと。ほんと、ウチに泊まっても良かったのに」


「やだよ。彼女にバレたりしたら修羅場じゃん。浮気とか疑われて、目の敵にされるの御免なんだけど。女の嫉妬、マジで大変なんだから」



 彼女、実家から通ってるから平気だよ。ーーーなんて笑う。何が平気なんだろうか?


 彼は、そんなところがある。ほんと、クズだ。


 私の友人と付き合ったことがあるけれど、その間も私との約束や時間を優先した。そんなところもクズなら、たった二週間で「なんかめんどくさい」と言って彼女に対して素っ気なくなり、遂には別れた。そんなところもクズ。今も、彼女が居ても女友達と二人きりで宅飲みする。抵抗とか無い。ほんと、変わらない。とんでもないクズだ。


 一方で、私も大概のクズだった。でも、救いがあるのは、私には自覚があると言うことだ。


 あの時私は、友人よりも彼をとった。逆恨みしてきた二週間彼女との縁を切り、たった一人の“彼”と共に居ることを選んだ。友人なら沢山いるけど、彼は彼だけだったから。


 私は、絶対に彼に告白なんてしない。この気持ちも、悟られてはいけない。



 『友人であること』こそ、いつまでも彼の傍に居られる為の必須条件なのだ。



 だって、友情には終わりがない。


 彼は熱しやすく、冷めやすい。飽きた、面倒だ、と振られていった沢山の元カノ達を知っていた。


 それまでどんなに、お熱でも。パタリと。手の平を返したように冷たくなる。当然、彼女の方は気が気ではない。不安になる程に、彼にとっては面倒臭いやり取りが増える。その、悪循環。


 今回の彼女は長かった。


 或いは、彼は、会わない間に少しだけ変わってしまったのかもしれない。やっと、運命の誰かに巡り会ってしまったのかもしれない…。


 結婚だっていつかするだろう。誰かと。それが、今の彼女でもおかしいことではない。


 ズキリ、と確かに、胸が痛んだ。


 けれど勿論、私はそれでもこの想いを告げたりはしない。彼が何処かの誰かと結婚したその後も、いつまでも彼と一緒にお酒を飲んで居られる為の条件なのだから。


 チェックインだけ済ませたホテルの一階にある、コンビニの前に着いた。けれど、コンビニに入るでもフロントのある二階の階段を上がるでもなく、私達は示し合わせたように立ち止まる。



「俺さ、お前と付き合ってれば良かったわ」



 突然。


 まるで、「今日の晩御飯、ピザにしたら良かったわ」なんて言う風な気軽さで、彼は言う。



「最近、彼女、なんか面倒臭いんだよね」



 その言葉を聞いて、ホッとした。つい、口の端が歪みそうになってしまって、誤魔化すように「冗談。願い下げなんだけど、アンタみたいなクズ」と笑って見せた。


 ああ、お気の毒様。


 会ったこともない彼の彼女のことを想う。


 彼が「面倒臭い」と言い始めて、次の週まで持った彼女は居ない。きっと、来週には別の女と歩いていることだろう。



「俺、そんなダメ?付き合えない感じ?」


「私だったら、付き合ってる人がいるのに他の女と二人で宅飲みするような男、マジで無理」


「へーぇ?」



 このやりとりの何処にも、私に対する彼からの恋心が見付けられなくて、やっぱり私は『トモダチ』なんだなぁと、落胆するようなホッとするような気持ちだった。



「綺麗になったから。お前」


「……」



 それでも、じっと、瞳の奥にある本心を覗き込むような目をされて、不覚にも胸が高鳴る。熱っぽい眼差し。



「………あのさ、ホテル、俺も泊まっていいかな?」


「良いわけないじゃん。バカじゃん」



 コンビニの入り口で煙草を吸っている人からの副流煙に、眉をしかめた。


 先程のキスと一緒。


 好奇心以上の、意味なんて無い。


 身体を重ねてしまえば、おしまいだ。ポイだ。ーーー私は『トモダチ』だけど、『異性』だから、そう言うところには十分に気を付けなければいけない。絶対に、歴代彼女達と肩を並べたりなんかしないのだ。



 私って、貴方のなんなの?



 改めてその心に問いたくなったタイミングで、「この近くにオススメの店あるんだけど、行かない?」なんて提案。


 相変わらず、行き交う車達が私達を照らしては通り過ぎる。時刻は恐らく、十一時半を軽く越している。


「………いいよ」


 ほら、でも。私に断れるはずがない。


 頷いてまた肩を並べて歩いた先には、凄く感じの良いお洒落なバーがあった。


 アンティーク調の店内。静かなBGM。バーテンはスーツを着ていない。テーブル席には二人以上の客。カウンターにはお一人様がお酒を嗜む。


 あっ、好きだな。と、思った。



「お前、好きだろ?こうゆうとこ」


「うん。……好き」



 彼が。


 私の為に連れてきてくれたことがわかった。


 私達は適当に、空いていたテーブル席に向かう。



「何にする?カシオレ?」



 彼はメニュー表を私に手渡しながら訊く。


 外で飲む時、私は大体一番最初にカシスオレンジを頼む。



「そっちは?ジントニック?」


「んーん。今は、カルーアな気分」



 彼はジントニックが好きだったが、だからと言って、外で必ず頼むと言うわけでもなかった。それが、私達の決定的な違いだと思う。



「いいね。私もカルーアにしよう」



 すみません、とカルーアミルクを二つ注文する様はすっかり慣れきっていて、スムーズでカッコ良かった。ああ、好きだな。ずっと、傍に居たい。或いは、このポジションでいることこそ、本当の意味で『彼の特別』だと思っている。



「ここ、パスタが美味しいんだよ」


「へぇー?流石に、今は入んないかなぁ。お酒だけ飲もっかな」


「だね」



 訪れた沈黙。


 私は元々、あまり喋る方の人間ではない。沈黙さえも素敵な雰囲気に変えるこのバーでなければ、この間を『気まずい』と私は表現したことだろう。


 何の話、しようかな…。


 先の宅飲みで、近況や思い出話、共通の友人の今についてーーー色んな話をした。私の方は、すっかりネタ切れだった。


 彼の方もどうやらそうらしく、頼んだカルーアミルクが来るまで無言だった。



(………アホらし)



 届くなり、彼と同時に口を付けたカルーアは甘ったるさを残して喉の奥へと流れていく。


 目の前で何も言葉を紡がなくなった彼のことを盗み見る。


 もう、どうして好きになったかとが、何処が好きかとか、覚えてない。けど、残念なことに、未だに好きだった。


 彼ほどではないが、私にも『元カレ』が何人か居た。


 彼らのことを好きでいたことはない。本当に申し訳ないのだが、『彼が私のことを気にしてくれるかも』『彼のことを忘れて、この人に夢中になれるかも』そんな淡い期待を抱いて付き合っていた。結局、どちらも叶うことは無かった。


 洋楽のBGMは、話題に取り上げるには頼り無い。


 辺りををこっそりと見回してみたが、「ほんと、感じ良いね」なんてそんな言葉しか口から出て来なかった。


 彼は、ーーーどうしたらこの後、私と『そういう雰囲気』になるのかを考えているのかもしれない。



 願い下げだよ、ばぁーか。



 心の中で、先手を打って悪態を付く。


 ほんと、こんなクズ。なんで好きになったんだろ?きっかけとかあったかな?


 長い間燻っていたこの恋心は、すっかり歪な形になって胸に巣食う。ここまで来ると、最早、病気だ。


 一人、彼と出会った日の記憶をなぞった。ーーーあの頃は、無邪気で可愛げがあったな。


 すっかり、『男』になっちゃって。


 『女なんて、穴が開いてたら良いんだよ』。ーーーいつかの、誰かの小説の中の台詞を思い出す。


 最低。と思ったけど、彼も多分、そんな類いの人間だった。


 ーーーー…或いは、もしかしたら、『貴方を好き』というこの感情に、私はずっと、恋をしているのかもしれない。








ー完ー

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