第20話 動き出す災厄②
時刻は、午前十時過ぎ。
大通りも徐々に騒がしくなる頃合いに、オルバたち四人は朝食を済ませた足で早速『大冒険社・アワドセラス支部』へと向かった。
そして辿り着くなり二階へと上がり、コルク板に貼られた依頼書を意気揚々と吟味し始めたのだが、四人はすぐに眉をしかめることになった。
「御館さま。これは……」
と、あごに手を当て呻くイバラキに、
「……ふむ。中々手頃なモノがないな」
オルバがやれやれと小さく嘆息した。壁のコルク板に貼られた仕事の一覧はどれもこれも難易度も報酬額もかなり低く、あまり芳しいものではなかった。
「う~ん、大物はあたしたち自身が片付けちゃったしね」
両手で頭の後ろを支えてリンダが言う。
ここまで仕事が無いのも珍しい。最近は少々頑張りすぎたのかもしれない。
彼女の隣に立つフィーネリアも苦笑を浮かべて、
「そうですね。小さな依頼を数でこなすしかないのかな」
と、コルク板の張り紙をまじまじと見つめた――と、その時だった。
「お、おい、マジかよ。その話……」
「ああ、マジだ! ガイの奴がその目で見たらしい!」
「じ、実在したのか!? 一体どこで見たんだ!?」
ザワザワザワ、と。
不意に二階の一角が騒がしくなった。
見ると、二階に上がって来たばかりなのか、階段近くで一人の男性冒険者を中心に人だかりが出来ている。今も何人かの冒険者が話を聞こうと集まっていた。
オルバたちは眉根を寄せた。
「随分と騒がしいですな。何かあったのでしょうか」
イバラキがオルバに問う。と、
「――オルバさん!」
一人の男が、オルバたちに声をかけて近付いて来た。
この大冒険社・アワドセラス支部の支部長であるタイチロウ=ヤマモトだ。
普段はにこやかなイメージを持つ壮年の男は、今は険しい表情を浮かべていた。只事でないのはそれだけで分かる。
そしてタイチロウはオルバたちの前に立つと、
「少しご相談があります。お時間よろしいでしょうか」
礼儀正しい支部長が挨拶さえも省き、そう告げた。
◆
「……ドラゴン、だと?」
そうして十分後。
大冒険社の二階にある応接室にて、ソファーに座るオルバは腕を組んでその獣の名を反芻していた。彼の左右にはフィーネリア、リンダが座り、ソファーの後ろには主君同様に腕を組むイバラキの姿があった。三人もまた神妙な顔をしている。
「……はい。二日前のことです。たまたまその村の近くいた冒険者が確認しました。その姿はまさしくドラゴンそのものだったそうです」
と、告げるのは向かい側のソファーに座るタイチロウだ。
「あ、あの……」手を上げてフィーネリアが尋ねる。
「ヤマモトさん。この世界にはドラゴンがいるんですか?」
フィーネリアの故郷、ガーナスでも多種多様な魔獣はいたが、ドラゴンだけは伝承の中だけの存在だった。思わずその実在を疑ってしまう。
すると、タイチロウはかぶりを振った。
「いえ、かつてドラゴンが確認されたことはありません。今回が初めてです」
そう答えてから深々と嘆息し、
「まさか、この世界にドラゴンがいようとは……」
自分でも信じられない思いでそう独白した。
すると、イバラキがあごに手を当てて呟く。
「……ふむ。ドラゴンか。それがしの国でいう『龍』のことだな。それがしも伝承の中でしか知らぬ存在だ」
「へえ、そうなんだ」
リンダがふと後ろに振り向く。
「あたしの故郷にも映画や神話とかには出てくるけど、実物はいなかったな」
「それは……私の世界も同じでしたね」
と、タイチロウが言う。
「まあ、私にとっては異世界の象徴のような存在ですね。本来なら嬉しくもあるのですが……今回ばかりは洒落にもなりません」
そこで指を組み、渋面を浮かべるタイチロウ。オルバたちは支部長に注目した。
そしてタイチロウは語る。
「ドラゴンを確認した冒険者は嫌な予感がして、その村――フフラン村に向かいました。そしてそこで見たのは百人近くいた村人ごと炎で焼き尽くされた跡だったそうです。報告では建屋の残骸さえない完全に焼け果てた更地だったそうです」
「そ、そんな……」
フィーネリアは、口元を両手で押さえて呻いた。
リンダとイバラキは眉をひそめている。
流石に百人にも及ぶ人間が虐殺されたと聞いては、穏やかではいられない。
が、そんな中、オルバだけはただ一人、軽く目を剥いて驚いた顔をしていた。
それは、まるで死者とでも出くわしたかのような表情だった。
「……フフラン、だと?」
そして、とても小さな声でそう独白する。
オルバは唖然とした表情で、タイチロウを見据えていた。
「……オルバさん?」
どうも少し様子がおかしいオルバに、フィーネリアが首を傾げた。
「どうかしたんですか?」
と、尋ねる。
するとオルバは「う、む」と小さく呻き、
「……タイチロウよ」
妃への返答を一旦保留とし、わずかに困惑した声でタイチロウに問う。
「フフランとは少々変わった名前だが、その名に由来はあるのか?」
「由来、ですか? フフラン村の?」
タイチロウは一瞬だけ眉をしかめたが、すぐにあごに手を当て。
「このアワドセラス・シティもそうなんですが、確か、あの村も開拓者が故郷の名前からつけたと聞いたことがありますが……」
少しうろ覚えだったのか、タイチロウは渋面を浮かべていた。
それに対し、尋ねたオルバの方は、神妙な顔つきで紅い双眸を細めた。
(そうか。やはり、やはりそうなのか)
訪れる数秒の沈黙。
そして、
「……そうか」
ポツリと呟き、オルバは不意に優しい表情を浮かべた。それは、どこか嬉しそうで――あえて表現するのならば、愛おしい者に対して見せる慈愛の眼差しだった。
あまりにも優しいその横顔に、フィーネリアは魅入りつつも眉をひそめた。
一体、何なのだろうか?
どうして彼はこんな優しい顔を――。
と、彼女がそんな疑問を抱いた直後のことだった。
(………え)
――ギシリ、と。
唐突にオルバが表情を消して、強く歯を軋ませたのは。
同時に、ビシリッとオルバの前の大理石の机に大きな亀裂が走る。
フィーネリアたちはギョッとし、タイチロウは目を丸くする。
それは、オルバの怒りによる余波だった。
「あ、あの、オ、オルバさん……?」
と、恐る恐るフィーネリアは彼の名を呼んだ。
明らかに、オルバの様子がおかしい。
恐らく――いや間違いなく彼は今、途轍もなく苛立っている。
先程までの優しい雰囲気は完全に露と消えていた。
「………ドラゴンか」
その時、オルバが不意に呟いた。
フィーネリアは、少しだけ得心がいった。
どうやら彼の唐突な怒りは、ドラゴンに対して向けられたモノらしい。
少し遅れて、ドラゴンの虐殺に苛立ちを感じたということなのだろうか。
しかし、同時に別の疑問が浮かび上がる。
文献や風聞では冷酷非情で知られる《ガーナスの魔王》ではあるが、フィーネリアがこの世界で共に過ごし、その目で見てきたオルバは、穏やかで真っ当な倫理感を持つ人物だ。ドラゴンの凶行に苛立ちを感じても不思議ではない。
だが、こう言っては身も蓋もないが、殺されたのは顔も知らない赤の他人だった。抱く感情としては、憐憫や死を悼む気持ちまでだろう。
けれど、オルバから感じるのは、まるで身内を殺されたかのような激しい苛立ちだ。
彼の無表情な顔を見れば、どれほどの怒りなのかが分かる。
まさに殺意さえ抱くほどの、苛烈な怒りだった。
(……どうしてここまで……)
フィーネリアは訝しげに眉根を寄せた。
が、その疑問を口に出す前に、オルバはタイチロウを見つめて――。
「……タイチロウよ。依頼は、そのドラゴンの退治ということでよいのか?」
「え、ええ。最終的にはそうなります。ですが、ドラゴンとは各異世界においても最強である存在の一つ。《
オルバの威圧感に圧されつつも、タイチロウはオルバたちを順に見やった。
「まずは偵察をお願いします。危険ならば退いてください」
「あ、はい」
フィーネリアは反射的にこくんと頷いた。リンダも首肯した。
イバラキも腕を組んで「心得た」と承諾したが、オルバだけは違った。
「いや、ならば余が一人で行く方がよかろう」
「……え?」「オ、オルっち?」
フィーネリアとリンダが目を瞠る。
イバラキは微かに眉を寄せて主君に目をやった。
「どういうことでしょうか。御館さま。我らでは足手まといと?」
「そうではない」
オルバは表情を変えずに皆に告げる。
「そのドラゴンは空を飛ぶ。それに加え、火炎という飛び道具まで有しておる。討伐ならばいざ知らず、偵察だけならばいざという時に逃走しやすいよう一人の方がよい」
まずは飛翔魔法を使える余が偵察に行く、という話だ。
オルバはそう言って、肩を竦めた。
「なるほど。確かにそれは理に適っていますね」
と、タイチロウが納得した表情で首肯した。
それから改めてオルバを見据えて、
「では、まずオルバさんに偵察を依頼しましょう。そして情報を揃えてから皆さんにお願いするということで」
そう結論付ける。オルバは「うむ」と首肯した。そうしていまだ納得いかない顔をする仲間た
ちに対し、彼は微かな笑みを浮かべてこう告げた。
「そなたらは宿で待つがよい。まずは余が先遣してこよう」
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