幕間 普通の令嬢ならば
ユリア・オータムという調子にのった伯爵令嬢を奈落へと突き落とした悪戯少年は、『ざまぁみろ』と言わんばかりに笑っていた。森の木々からは彼らの声しか聞こえてこない。ここは山道からも外れているためか、誰も来ないのであろう。なだれ込むように押し込んだ瓦礫のため、先ほどまでの落とし穴は欠片すら見えないが、それすら気にしていないほど、少年たちは成功を喜びあっていた。
「おいおい、みたか。レオ。あいつ、怒り狂いながら落ちていったぜ!」
「おれに逆らうからこうなるんだ。まぁ、おれはこれでも寛大だからな。数時間後には助けてやらんでもない」
「助けた後のアイツの顔が楽しみだな。きっと泣き叫ぶに決まってるぜ」
「あぁ、あのゴーレムみたいな女もおれに頭を下げ、従い続けるに決まっているさ!」
そう言いながらレオナルドは目印になるように、近くの木にピンク色のリボンを強く結びつける。これで、再びこちらに来た時に、ユリアが落ちた穴がここだというのがわかる。元より、殺すつもりはないため、何時間彼女が保つかという遊びに過ぎない。
「さぁ、レオ。オレらも一度戻ろうぜ!」
「そうだな。アイツは疲れて帰ったことにでもしよう。護衛騎士共はそれで納得するはずだ」
「まったく、ざまぁみろだぜ」
そう言いながら、ここ最近、いつも先回りして怒られることの腹いせを行った少年たちは高笑いしながら元の道を引き返し始める。何度も下調べをしているため、迷うことはない。何よりあまり距離を歩いていないため、すぐにでも戻ることができる。
少年たちが高揚した気分のまま、護衛騎士たちの元に戻ると、未だに休憩を続けていた。もう一人の悪戯仲間であるカッツが足止めをしていたおかげであろう。
カッツは、レオナルドたちが笑顔で戻ってきたのを見て、こちらに駆け寄り、三人でハイタッチをして成功を祝福する。
そんな三人を見て、疑問に思ったのか、護衛騎士の一人がレオナルドの方へと駆け寄ってきた。
「殿下—————。いったいどちらにいらっしゃったのですか? こちらから離れられては困ります」
「なに、ユリアが疲れて帰りたいというのでな、途中まで案内してやっただけだ」
「ユリア様が? お一人で下山なされたのですか?」
「大丈夫。アイツはあれでもそんじゃそこらのことでは死なない。お前も知っているであろう」
急に目つきが鋭くなった護衛騎士に、レオナルドが少しだけ驚く。だが、不敬であると、こちらもにらみ返すと、護衛騎士は静かに矛を収めた。
「殿下—————。ユリア様に何をなされたのですか。正直にお答えください」
「だから、言ったであろう。あいつはこのおれを差し置いて一人で帰ったのだと」
「殿下がお答えにならないのであれば……ガーランド! 答えなさい。事と次第によってはあなたを処罰します」
「俺は……なにも……」
「ガーランド—————ッ!!」
強い口調で言われ、ガーランドの小さな体がビクリっと一度震える。将来の騎士として育てられているが故、護衛騎士たちとは面識がある。そのためその一人が叱責しているのを見て驚いてしまったのである。
「べつに俺はただ……」
「答えなさい。今すぐに—————」
「おい、おれを無視するとはいい度胸だな」
「殿下—————。今、私はガーランドと話をしているのです。無礼とは存じ上げておりますが、少々口をはさむのを止めていただけないでしょうか。さて、ガーランド……答えないというのであれば、あなたは……」
「まって、答える! あいつをゴブリンの巣穴に叩き落としてやっただけだ。道も覚えているし、場所も知ってる。今すぐに助けに行けば間にあ——————」
瞳を見開き、口を震わせ、顔が少しだけ青ざめている護衛騎士の姿を見て、ガーランドの言葉が止まってしまう。護衛騎士は唇を力いっぱい噛みしめながらレオナルドの方へと再び目線を移す。
レオナルドは仕方ない、と言わんばかりにため息を吐いた。
「たしかにそれは事実であるが、アイツであればそう簡単には死なない。どうせまだ生きている」
「殿下—————。それは本気で言っておいでですか?」
「本気も何も事実であろう。ゴブリン程度、あの暴力女ならば簡単に捻り潰す。なにも危険はない」
レオナルドが自身気に鼻で笑っていることを聞きもせず、護衛騎士は仲間たちをハンドサインで呼び集め、即座に各署へ情報伝達を開始し始める。
「おい、貴様。こちらの話を無視するな」
「恐れながら殿下————。ゴブリンは大変狡猾な生き物でございます。誰であろうと関係なく喰らい、そして女ならば孕み袋にする習性がございます。それに、ユリア様はこの度、護衛用の装備を持参しておりません。このままでは命が危うい、とだけ申し上げておきます」
「なにを言っている。あの脆弱なゴブリンだぞ? 本気で言っているのか?」
「暗がりで罠だらけの適地の中で、ロクな装備もなく、無数に襲い掛かる相手に対し、9歳の少女が生きていられると、殿下はお考えでしょうか」
「それは……その……だが……」
レオナルドが言いよどんでいると、違う護衛騎士が駆け寄り、業務連絡をし始めた。
「報告します! 冒険者組合に確認したところ、たしかにゴブリンの目撃情報がありました。事実ではないかと思われます」
「巣穴の場所は?」
「それはまだ、発見されておりません」
「ならば、ユリア様が落ちたという穴から行くしかあるまい……」
慌てふためく護衛騎士たちの様子を見て、ようやく自分たちが行ったことに気づいたのか、レオナルドは周囲の音がぼやけて聞こえてしまうほどに混乱していた。そんな彼の不安を悟ったのか、隣にいたガーランドがレオナルドの肩を叩いて現実に引き戻し始める。
「おいおいどうしたんだよレオ。あの暴力女のことをいつも悪く言ってたじゃねーか。たかだか、一人の女がどうなろうと、お前にはもっといいやつがすぐに現れるって」
「おれは……そんなつもりじゃ……ちがうんだ……」
ユリア・オータムが死ぬかもしれないという事実に混乱し、レオナルドは震え続けていた。頭の中で逡巡するのは出会ってからの彼女の言動ばかりだ。確かに、レオナルドに対し、顔を鷲掴みにして脅したり、時に頭を殴られたりはした。だが、その後に必ず、『なぜこんなことをしたのか』『どうしなければならなかったのか』を根気よく話してくれた。その言葉は確かに正しくて、言い返せないことが常であった。
故に、少しだけ嫉妬してしまい、どんどん彼女に対しての嫌がらせがエスカレートしていってしまった。だが、それでも彼女は笑顔のまま、さも当然であるかのように払いのけてしまう。だから、彼はこうも考えてしまった。
『これぐらい大丈夫』と……
脳裏に焼き付くのは、汗まみれになりながらも、スカイブルーの長髪を揺らし、こちらに微笑むユリア・オータムの顔……。彼女のコバルトブルーの瞳を見ていると、こちらを見透かしているようでどこか不快であったはずなのに、今はそれが酷く胸を締め付ける要因になっている。
過呼吸気味に息をしながら、レオナルドはまともに酸素が回らない頭で、どうするべきかを考える。ぼやける視界の中、すぐにでも助け出さねばならないという罪悪感と使命感が入り混じった感情のみで体を動かし、走り出そうとした。
だが、そんな少年の細い腕を、自分の体躯の倍はあろうかという護衛騎士が掴み上げて、逃がさない。
「殿下—————。我々から離れないでいただきたい。何よりも優先すべきは殿下の命です」
「だがそれでは……」
何かを言いかけて言葉が出ず、口を震わせていると、突風が急に吹き荒れ、そして大地が揺れ始める。まるで森が泣いているかのような現象に、誰もが心と体の自由を奪われる。揺れは即座に収まるが、その後には断続的な地響きが聞こえ、それは次第にこちらに迫ってきているように思えた。
土煙が舞い上げられ、視界が狭まっていくのに対し、誰もがその地響きの元へと首を回す。その瞬間に、誰もがさらなる地獄に息を飲むしかなかった。
なぜならば、木々の中から姿を現したのは、葉が全て枯れ落ちた一本の樹木であったからである。枯れ木であるのか、表皮は堅く、命の色を感じないが、それでも、目の間にいる木は、まるで生きているかのようにゆっくりとこちらに向かってきていた。
それを目撃したレオナルドの腕を掴んでいた護衛騎士はあまりの出来事に焦点を合わせることを忘れてしまう。
「エルダートレント……どうしてやつがこっちに……」
「おい、アレは何だ! どうしてこちらを睨んでいる」
「わかりません。エルダートレントはこちらから攻撃をしなければ、静かに生を終えるだけのモンスターであるはずです」
エルダートレントの習性は本来のトレントとは違い、一方的にこちらを襲わない。微動だにせず、静かに自らが息絶えることを待つ。栄養は周囲の木々から吸収するのだが、死亡時にはそれを全て大地へと還すと言われている……。つまりはなにか危害を加えない限りはこちらに敵意を向けることはない。
「おい、レオ……アイツの枝についているリボンって……」
横にいるガーランドが指さした方をレオナルドが目視すると、確かにそこにはピンク色のリボンが括りつけられていた。それは、入り口の目印に使った道具であり、レオナルド自身が結ったものである。
「殿下—————。お下がりください。一度退避し、態勢を整えます。我々だけでは、殿下を護りながら戦うことはできません」
「おい、何をしている。放せ!」
「殿下—————。此度は流石にその命令を受諾いたしかねます」
そう言いながら護衛騎士は両脇にレオナルドとガーランドを担ぎ上げ、向かってくるエルダートレントに背を向けて走り出す。護衛騎士たちもすぐに応対し、荷物を置き去りにしたまま、撤退を開始した。
幸いにしてエルダートレントの足は遅いため、このまま走り続ければ逃げ切ることは可能であろう。ほとぼりが冷めた頃にもう一度山に入れば、もう一度襲われる心配もない。
時間を浪費してしまうという点だけを除けば、何も問題はなかった——————
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