4 ヘルスチェック・モニター

 いつもとは違い、視界が不意にブラックアウトしたかと思うと私は急にチームガレージへと戻っていた。


 帰還のために輸送機に乗り込んだわけでもなければ降りたわけでもない。

 そのように機体を操縦したわけでもなければコックピットから降りたわけでもない。


 なのに気が付いたらガレージにいたのだ。


 あまりに急な事で私は慌てて周囲を見渡すが私の背後には膝立ちの状態の愛機、ニムロッドが。そして前方からは中山さんやヒロミチさんにクリスさん、そしてマモル君たちチームメンバーそれぞれの補助AIたちがこちらへ駆け寄ってくるところであった。


「お姉さん! 大丈夫ですか!?」

「あ……、そっか……」


 いつも皮肉ばかり言ってるマモル君もこの時ばかりは心配そうな表情を向けてきていてそれでやっと私は体調不良の実感を得る。


 何しろ試合中に急に視界にメッセージウィンドウが浮かんだかと思うとゲーム機のヘルスチェック・モニターが作動した事がアナウンスされて、それからいきなりガレージに戻されたのだ。


「おい、具合はどうだ!?」

「ごめんなさい、大口叩いておいて負けちゃいました……」

「いいから、そんな事どうでもいいから! お前の具合はどうなんだ!?」

「いや……、それが……、特に実感無いというか……」

「ホントでごぜぇますか!?」


 前に脚を怪我した時にゲームにログインした時は現実世界での鈍痛から解放されたものだっけ。

 おそらくは今もその時と同じ状況なのだろう。


 ゲーム機が私の脳波から苦痛を読み取って体調不良を検知したといっても、ゲーム世界での私は一切の不調を感じていない。


 むしろヒロミチさんや中山さん、それにマモル君やその後ろのトミー君やジーナちゃんの心配そうな表情こそが私に事態を教えてくれているようなものだ。


 セラミックと軽金属のボディーにシリコンと樹脂の顔を張り付けたアシモフですらそんな顔をしているように見えるのだから不思議なものである。


 だが1人だけ、クリスさんだけは怪訝そうな顔をしていた。


「おかしいな……」

「というと?」

「いや、このゲームに使われている完全没入型のVRシステムは医療の現場においても緩和ケアに使われるくらい優秀なものなんだ」

「はぁ……」


 クリスさんの言う「緩和ケア」というのは何なのかよく分からないが、語感や状況から察するに医療で患者さんの苦痛を軽減するとかそういうものなのだろうか?


「おい、マモル。ちょっとタブレット貸せ!」

「あ、はい……」


 マモル君が取り出した折り畳み式のタブレット端末をひったくるようにして受け取ったクリスさんは何やら凄い勢いで端末をタッチやらスライド操作して何かを始める。


「どうしたんですか?」

「おかしいだろ? せっかく苦痛を感じない世界にいるのに体調不良になってなんでログアウトさせるんだ?」

「まあ、そりゃたしかに……」


 やがてクリスさんはお目当ての画面に辿り着いたのか険しい目つきになってその画面を見つめていた。


「軽い脱水状態にもなってるな。前の休憩の時に水分補給してこなかったのか?」

「いや、そんな事はないっスよ? ちゃんとスポドリ飲んできました。それに『にも』って他にもあるんですか!?」

「体温はジャスト38℃、おまけに脈拍もだいぶ上がってる。あとこの脳波パターンだとズキンズキンくるタイプの頭痛もだな」


 クリスさんやヒロミチさんの話だと仕事をクビになったばかりの無職という話である。

 なんかお役人さんのメンツを潰した? とか言っていたような気もするが、そんな彼女の口調に私に向けられる鋭い視線はまるで厳しいお医者さんを相手にしているかのようであった。


「え……、そんな悪いんですか……?」

「まっ、大した事はないさ!」


 クリスさんのその言葉と緩んだ表情で私はホッとした。

「飴と鞭」なんて言葉があるけれど、私はクリスさんの真剣な眼差しに勝手に委縮して、それが緩んで安堵するのを見てこれまた勝手に安心したわけで、もし彼女が医師にでもなったならばきっとやり手になるのだろうと思ってしまう。


「いやいや、お前、そんな簡単に言い切ってしまっていいものなのか!?」

「まあね。こりゃあアレだ……」


 ヘルスチェック・モニターが把握している情報だけで「大した事ない」というクリスさんにヒロミチさんは食い下がり、中山さんやマモル君たち子供組も依然として心配そうな顔のままだ。


 クリスさんもそんな彼らに対して言葉を選ぶように視線をグルリと回してから切り出した。


「こういうのは前にも見た事がある。子供が長時間に渡ってゲームにお熱を上げて具合悪くしちゃったってヤツ?」

「は……?」

「そりゃゲーム止めろって話にもなるわな!!」


 それからクリスさんはもう堪えきれないとばかりに笑いだしてしまう。


 その一方で先ほどまでとは一転、マモル君はなんとも白けた顔を向けてきていた。


「……お姉さん、良い歳こいて知恵熱ですか?」

「ち、知恵熱って……」


 蔑むような悪い笑みを向けてくるマモル君はまるで「心配かけさせやがって」とか「どうすんだ、おい!」とか言外に言っているようである。


 辛いのは私には何も反論できないところ。


「まあ、そう言ってやんなよ! 旧来のゲームなら体調が悪くなりだしたらすぐに気付けるんだけど、VRゲームじゃその実感もない上にリアルな体感で熱中度は上なんだからな! 最悪、命に係わるところだったんじゃないの?」

「そ、そんな事もあるんですか!?」

「さあ? ゲームでそんな事になった奴なんて聞いた事も無いけど、ドスケベな男が長時間にわたってエロ動画観ながら自己と向き合ってたら死んだなんて話はあるだろ?」


 それじゃアレか?

 ゲーム機のヘルスチェック・モニターが上手く作動しなかったら私はそんな恥ずかしい連中と同じ死に方をするところだったのか!?


「さ、サンタモニカさん……?」

「は、はい。何でごぜぇますか?」

「明日、学校に行っても皆に私がテクノブレイクするところだったとか言いふらさないでね?」

「言いませんわよ!? そんなこと!!」


 さすがは生粋のお嬢様育ちと言ったところか。

 中山さんは軽い下ネタで顔を真っ赤にして語気を荒げていた。


 さて冗談はさておき、こうなると今回のイベントは私はここまでという事か。


「イベント残り時間は現実世界換算で2時間……、復帰は無理ですよね?」

「ま、一晩安静にしてたら明日にはころっと治ってるだろうけどな」


 クリスさんは大事でなくて良かったという顔をしているが、私にとっては大問題である。


「スマン、もっと休憩を多く取るべきだったかもしれんな。お前らがまだ未成年だって配慮すべきだったよ」

「やめてくださいよ、ヒロミチさん。それよりイベントが佳境にさしかかるってところで離脱しなくちゃならなくなって私の方こそすみません……」


 私たちのチームのリーダー格であるヒロミチさんは今回のイベントが土曜の12時から日曜の24時までという1日半の長丁場という事もあってマメに小休止、大休止を入れてくれていた。

 睡眠時間だって8時間も取れていたほどなのだ。


 そうやって計画的に休憩を取って、私1人だけ体調を崩すだなんてやはり私のせいなのだろう。


 確かにイベントの上位入賞景品の竜波は欲しかったが、それよりも私にはここでチームメンバーが欠けてしまう事への申し訳なさの方ばかりが気になっていた。


「あ! そうだ……。クリスさん、タブレットもういいですか?」

「おう。でも、どうした?」

「ゲーム内では調子良くても、現実じゃ熱出してんだ。強制ログアウト待たないでとっととログアウトした方が良いんじゃないか?」

「ちょっと試しておきたい事があって……」


 私がゲームから強制ログアウトされるまであと5分ほど。


 無駄にしている時間はないとクリスさんたちへの説明も後回しにして私はメールアプリを起動していた。


 急いでフレンドリストから宛先を選んで本文を打ち込む。


 そして気が急く私の意を汲んでくれたかのように返事はすぐに届いた。


「来た……!」


 急いで返信を確認。

 そこに記されていたのはほとんど駄目元のつもりで尋ねてみたチームメンバーのあてがいるという望外の知らせであった。


「どうしたんだ。なんか嬉しい事でもあったか?」

「私のフレンドに聞いてみたら、まだイベントに参加してないフリーの人がいるらしくて頼んでみたら私たちのチームに加わってくれるらしいです!」

「あん? イベントに参加してない奴? 役に立つのか?」

「私のフレンドの補助AIの話だと腕は立つみたいで、機体はニムロッドU2型を持ってきてくれるみたいです」


 もちろん私のフレンドにその補助AIとはマーカスさんとサブリナちゃんの事だ。


 マーカスさん自身はイベントに参加できるランク4以下の機体はランク1の雷電しか持ってないらしくて参加しないらしいが、彼のフレンドに都合が良い人がいないか聞いたみたら功を奏したのだ。


 正直、そんな人がいるとは思ってなくて本当に駄目で元々くらいのつもりで聞いてみたのだが、サブリナちゃんの紹介で来てくれるという「だいじん」さんは何でまたイベントに参加していなかったのだろう?


 さらにサブリナちゃんから「だいじんさんがそちらに向かった」というメールを受けて、やっと私は安心してゲームをログアウトする事ができたのだった。

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