番外編 エピローグ 前

「ま、だいたいそんなところかの……」


 かつてはハンドルネームを「総理」とし、今は「だいじん」としている老人はいつの間にか熱燗を啜っていた。


 このゲームのβテスト時代の話。

 過去の話であり、そしてありえたかもしれない未来の話。


 老人の膝を枕にして眠る幼児が辿るかもしれなかった壮絶な運命を語るには飲まずにはいられないといったところだろうか?


 それからしばらく老人の話は終わったというのに私たちは何も言えずにいた。


 私はヨーコがβ版で押し付けられた運命の過酷さに絶句し、マサムネさんは最後の最後に彼女の心を癒す事のできた満足感を噛みしめるように思い出し、だいじんさんも目を細めてヨーコの髪を撫でている。

 そしてマーカスは何故か口を半開きにして眉を顰めていた。


「あ、いや……。なんていうか……」

「そういう意味では貴様には感謝しておるよ。貴様のような規格外の男がいなければまた同じ轍を踏むところであったな」

「いや、そんな事はどうでもいいんだけどよ……」

「うん、なんじゃ?」

「いや、話には聞いていたけどよ、やっぱ駄目だわ。総理大臣になれなかったのにハンネが『総理』って、爺さん……」

「えっ……。そこぉ!?」


 マーカスの言葉にだいじんさんもマサムネさんも「ぷっ!」と吹き出し、それで湿っぽい雰囲気が一気に吹き飛んでしまう。


「そこが気になって話が頭に入ってこねぇよ!!」

「いやぁ~、それを言ったら、政治家だったのなんて20年近くも昔の話なのに『だいじん』って名乗るのも控えめに言ってヤバいでしょ?」

「貴様ら……」

「なんかゴメンなぁ。コイツらこんな奴らなんだ。まあ言わなくても分かるだろうけど……」


 これまでにも同じような話は出ていたというのにマーカスとマサムネさんは飽きずにだいじんさんのハンドルネームネタをこすり、それで酒の入っていた老人は一気に顔を紅潮させて身体をわなわなと震わせる。


 だいじんさんとしてはヨーコとその仲間たちをトヨトミの陰謀から救う事ができた事は夢のような出来事であっただろう。

 まあ、マーカスとマサムネさんという控えめに言ってちょっと性格に難のある2人の相手をしなくてはいけないのは夢は夢でも悪夢のほうだろうが……。


「あえ~? わたし、寝ちゃってたぁ~?」


 枕にしていただいじんさんがプルプルと震えだしたせいでヨーコも目を覚まし、テーブルのグラスに残っていたジュースを飲みながら辺りを見渡す。


「お母さんならカーチャ隊長たちと一緒にここの子供たちに囲まれてるよ。ヨーコ君も行ってきたらどうだい?」

「うん!! ありがと~、マーカスさん!!」


 トイ・ボックスここの子供たちは基本的にこのゲームには興味は無いようだが、それでも自分たちのヒーローであるカミュやカーチャ隊長たちの救援に駆けつけた虎瞻月光のパイロットであるヨーコの母親には興味津々のようで、隊長たちとともにリプレイ動画を大型モニターで再生しながらの感想戦を行う羽目になっていた。


 それをマーカスから教えられたヨーコはやはり母親が恋しいのかだいじんさんの膝の上から降りて駆け出していく。


 だいじんさんは淋しそうな目でヨーコの背が見えなくなるまで見送っていたものの、子供が母親を求めるのは当然であるとばかりに温和な表情に戻って軽く溜め息を付いた。


「どうした爺さん? そんな未練がましい顔をして」

「いや、未練はあるが、それ以上に肩の荷が降りたという感の方が強いかの」

「そうですか。それじゃ通報の必要はありませんね」

「止めろッ!! というか、貴様との約束じゃろうがッ!?」


 マーカスとマサムネさんが一緒にいると面倒臭さが2倍になるという知見を得るとともに、この場にだいじんさんがいなければ私がコイツらの相手をしていたんだろうなぁと思うと感謝の念に堪えない。






 それからの数日、私たちはトイ・ボックスで過ごしていた。


 カーチャ隊長とカミュ、それにローディーは中立都市へと帰っていったものの、私たちはトヨトミから譲渡された軽巡洋艦の乗員の選抜や編成のために動くに動けない状況。


 無論、編成作業にかかり切りという事はなく、暇を見つけては日本各地の温泉を再現した大浴場に浸かって疲れを癒し、あるいは様々な店舗の入ったフードコートで舌鼓を打ってはいるのだが。


 また、だいじんさんもマサムネさんとの旧交を温めるというか、ヨーコに粘着するために残っている様子。


 だが、1週間近くが経った頃に私のタブレット端末に1件のメールが届いた。


「うん……? マーカス、これ……」

「どうした、サブちゃん。そんな深刻そうなツラして……」


 ちょうどその時は私とマーカスは湯上りに軽く食事をしているところであった。


 ここ数日の湯治の甲斐もあってかマーカスの顔の皮膚はどことなくツヤツヤでイラッとさせられるが、そんな事よりもメールの内容が問題である。


「え? ライオネス君、体調不良……!? 大丈夫なのかい?」

「お、おう。そこまでしんどいもんでもないみたいだけど……」


 メールの差し出し人はフレンドであるライオネスから。


 その内容はバトルアリーナイベントに参加中であったライオネスが体調不良のためにゲーム機側のセーフティー機構により強制ログアウトさせられるらしいので自分の代わりのチームメンバーを探しているというもの。


「ほれ、前にウチじゃランク4以下の機体だとランク1の雷電しかないとは言ってあるんだけど、お前のフレンドで誰かフリーの奴はいないかだってさ」

「ほう、そこまで頭が回るくらいなら、体調不良とはいえそこまで酷い事にはなっていないのかな?」


 確かに、マーカスがランク4か3の機体を持っていないとしても、マーカスのフレンドで空いている者がいるかもしれないと考えられるだけそこまで深刻なものではないのかもしれない。


 もしかすると完全没入型のVRゲーム機というものは脳内に直接微弱な電気信号を送り込む物のために体調管理が過敏になっているのかもしれないと一安心する。


「とはいえ、お前に他にフレンドなんているわけもないし、今回は役に立てないな」

「うん、何を言っとるんだね? パパのフレンドならそこにいるじゃないか?」

「ああ……」


 マーカスは私が背にしていた方向を顎でしゃくってみせるので振り返ると、そこにはヨーコの姿を求めてキョロキョロと視線を動かしながら歩く不審徘徊高齢者がいた。


「おう、爺さん。良いところに来た! 爺さん、ランク4くらいの機体持ってるか?」

「何じゃい、藪から棒に。ランク4ならニムロッドU2型を持っとるが?」

「そりゃ丁度良い。ライオネス君も確かニムロッドだったよな」


 ライオネスの抜けた穴を埋めるのなら同系統の機体は好都合。

 バトルアリーナイベントも後半戦。アイツのチームメンバーもこれまでの戦闘で形作ってきたチーム内の戦術をそれほど崩さずに戦えるのではないだろうか?


 だいじんさんなら技量も問題はないだろう。


 マーカスがだいじんさんに「借りを返せ」だのなんだの言いながら言い包めているのを横目に私はライオネスからのメールに返信を打ち込み、最後に「お大事に」と添えて送信する。

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