59 理由

「あっ!! いっけね!! おい、アグ、さっそくで悪いが、手を貸してくれ!!」

「はあ? もちろん構いませんけど……」


 完全に力は抜けきっているも未だギリギリで生きている菜園技師の腰からカードタイプのキーを抜き取ってアグを開放すると、ヨーコはそこで総理の事を思い出して一気に顔を蒼褪めさせた。


「総理さんが管制室で1人で戦ってるんだ。その射撃の腕でちょいと総理さんの撤退を支援してやってくれよ!!」

「いやあ……、あの人なら意外と1人で何とかしてしてませんこと?」

「んなわけあるか!! いいから来い!!」

「はいはい……」


 アグの手を引いて牢のあった部屋から出るとちょうど何者かの足音が聞こえてくる。


 明らかにこちらに近づいてくる足音から察するに人数は1人のようだが、2人は振り返って暗い通路で目を凝らしてみると、顔を紅潮させ息を切らせて駆けてくるのは背の低いがグラマラスな女性であった。


「キヨ……。生きていたのですね……」

「キヨ? ……げっ、あのテルミナートルのパイロットかよ!? ああ、もう無視していくぞ!!」

「そうですわね。あの様子では私たちの方が足は速いでしょうし」


 その豊満な肢体に、ウエストに絞りの入ったパンツスーツにパンプスという服装はあまりにも走り難そうで2人はキヨが追い付いてくる事はないだろうとまた走り出す。


「ま……、待ちなさ……、っ!? 菜園ッ!?」


 脱兎の如く駆けだしていく2人にキヨは腕を前に出しながら酸欠の金魚のように口をパクパクとさせながら追おうとするものの、先ほどまでアグが囚われていた部屋を傍目で見て足を止めてしまった。


 床にうつ伏せの状態で倒れていた菜園技師にゆっくりと近づいて、まだ息があるのを見て抱き起す。


「お、おい!!」

「す、すいません。不覚を取りました……」

「いいから喋るな! 今、メディカル・ポッドに」

「もう……、間に合いませんよ……」


 肩を抱き、起こしてから担ぎ上げようとするものの、キヨの体力では枯れ木のように細い老人ですら担いだ状態で立ち上がる事もできず、菜園は震える手で「もういい」とばかりにキヨの頭を軽く叩く。


「すいません。貴女への報酬の支払いができそうもありません。お嬢様にも逃げられてしまいましたし……」

「いい! いいから!!」


 何度も自分をおぶって立ち上がろうとして失敗し、しまいに嗚咽を漏らし始めたキヨの負担にならないようにという事か、菜園は自分からキヨの背から降りて床の上で仰向けになる。


 おそらく、それが菜園技師の最後の力であったのだろう。


 彼の声はか細く、キヨが口元に耳を近づけなければ聞き取れないようなものへとなっていた。


「本当に……、報酬は支払うつもりだった……んですよ……? 金払いがいいのがABSOLUTEの良い所です……からね……」

「そんな事、疑っちゃいないわよ!!」


 思わず怒鳴ってしまったキヨに菜園技師は震えながら口角を上げてみせる。


「貴女は……、逃げなさい……。私たちに義理立てする必要もない……。格納庫のどこかにまだ……、HuMoが残っているでしょ……」


 まだ怒鳴るだけの元気があるなら大丈夫だろうと菜園は一安心したかのような穏やかな表情でキヨを見上げている。


「貴女の……、テルミナ……、惚れ惚れするような腕前でし……。貴女が10人いたら……、私たちは……」


 最後の言葉を言い終える前に菜園技師の両の眼からは完全に光が消え去っていた。


 キヨは震える手で菜園技師の両手を胸の前で組ませて、それから開いたままの両目を閉じさせてやろうとして上手くいかず四苦八苦していると、そんな彼女に声をかける者がいた。


「どうっスか? ナナちゃん好みの鬱シナリオってやつは?」

「……獅子吼先輩」


 その声で振り向かなくても分かるが、それでもキヨは振り返った。

 しゃがみ込んだまま身を乗り出して菜園技師の遺体を守るようにしながら、別に獅子吼虎代が今さら菜園技師の遺体に何かしようとしているとも思わなかったが、それでも虎Dはアイゼンブルクに攻めてきた側、敵である。敵の目に菜園技師の遺体を晒す事は何か酷い辱めのように思えたのだ。


 虎Dに勝つためのゲン担ぎに名乗った偽名の「キヨ」でも、またゲーム内での本来のハンドルネームの「ネームレス」でもなく現実世界での名で呼んできた虎Dもまた現実世界と同じ姿であった。


 コンプレックスを隠そうともしない異様に肥大した胸は真っ平。腰回りもボリュームが無く、まるでカカシのように細い長身。


 虎Dがアバターを現実世界の肉体と同様のものへと変更する。

 その意味をキヨこと篠原奈々は良く理解していた。


「本気って事ですね……」

「ま、そうっスね。本物の人間と同じか、それ以上の思考パターンを持つ人工知能AIには幸福になれる選択肢がなければならない。アグちゃんは私たちの不手際でその選択肢が無いままこの世界に実装されてしまった。なら私たちで幸せにしてやるまでっス!!」


 早い話、虎Dは一戦交えるつもりでここに来たのだ。


「名は体を表す」の諺どおり、もし彼女がその気になったのならば数秒で自分は頭蓋を砕かれて再び死亡判定をもらう羽目になるだろう。

 キヨの腰にも拳銃があったが、JKプロレス経験者相手に拳銃1丁で何ができよう。


 もう課金アイテムの「転送装置」は無いし、課金ショップが閉鎖されているために新たに入手する事もできない。


 ここで死ねばもうここへ戻ってくる事はできないのだ。


 それでも何か言わずにおられずにキヨの口からは怨嗟の恨み言が零れていた。


「菜園にはその“幸福になる権利”ってのは無かったって事ですか?」

「ナナちゃん風に言うなら、ナナちゃんに看取ってもらえて幸せだったんじゃないっスか?」


 虎Dの言葉はどこか真剣味の無いテキトーなものであった。


 言われなくともキヨにも分かる。

 菜園たちABSOLUTEの面々は倒されるための存在、敵性NPCとしてデザインされたキャラクター。


 つまり虎Dが言うところの「人間と同等の感情や人格を持つ人工知能」という定義からは外れているのだ。


 もちろんイベントの敵側重要人物という事もあって、それなりに高度な人格を持たされているのだろうが、それでもアグと比べると意図的にレベルの劣ったAIを使われているのだ。


 故に現実の人間に比べれば死を迎えるまで菜園が感じていた恐怖は少ないものであっただろう。


 だからといってそれが許せるだろうか?


「……菜園だけじゃない。烏澤も、烏丸も、烏埼も、私にとっては子供みたいなもんだったんですよ!?」

「え……? こ、こど……!?」


 思わず虎Dは自分を睨みつけてくるキヨと倒れた菜園の遺体の顔とを何度も見比べていた。


 いくらなんでも20代前半のキヨが母性を感じる対象としては特殊過ぎやしないだろうかと思うが、どうやら彼女が言いたい事は違うらしい。


「色んな部署の思惑が入り混じって、私の想定からはだいぶかけ離れた形になったヨーコちゃんや、マンガ版の設定からかけ離れたものにするわけにはいかなかったアグちゃんとも違う。彼らは私の思い通りに作り上げたAIだったんです」


 涙混じりに叫ぶキヨの声に虎Dは自身の記憶を思い起こしていた。


 アイゼンブルクのABSOLUTEの敵側重要人物のデザインについては確かにキヨに一任されていたし、そのために彼女は張り切って目の下に隈を作って残業を繰り返していたものである。


「獅子吼先輩、各プレイヤーに貸与されるユーザー補助AIは先輩の事をある意味で母親のように思っているらしいじゃないですか?」

「えっと、まあ、そうっスね……。ベースのAIのコミュニケーション能力の調整なんかを担当してた縁っスかね……」

「私にとっては菜園たちがそうだったんです! AIが調整を担当した者を母親のように思うのなら、私が菜園たちを子供のように思っていたって不思議はないでしょう!?」


 そこでやっと虎Dの中で得心がいった。


 何故、キヨはアグを連れ出してABSOLUTEに協力していたのか?

 車内での立場が危うくなる可能性だって十分にあるのに。


「ナナちゃんは彼らに会いたかったんスね……」

「会えないかと思っていました……。β版でのイベント実装がポシャって、しかも正式サービス版ではアイゼンブルクイベントができないって言うし……」


 機動要塞アイゼンブルクが舞台となるイベント「風雲アイゼンブルク城」はマンガ版のストーリーを参考としたイベントであった。

 だが正式サービス版ではマンガ版から数年後が舞台となるという事がほぼ既定路線となっていたためにアイゼンブルクイベントの実装は絶望視されていたのだ。


「そんな中でバグか何かでアイゼンブルクが実装されてしまったと聞いた時の気持ちが分かりますか!? 上級AIもプロデューサーもシニア・ディレクターもきっと彼らの味方はしない。なら私が彼らの味方をしてやらなきゃって……」


 虎Dは慟哭混じりの後輩の叫びを聞いている内にいつしか当初に持っていた気が変わってきていたのに気付いた。


「どうだったっスか? 彼らと共に戦って」

「嬉しかった。もう会えないかと思っていた彼らと出会えて、声をかけられるのも、頼られるのも、褒められるのも、全てが嬉しかった」


 キヨに取って、彼らと共に戦う戦場はこれまでにないほどにヒリついた感覚のものであったが、それでも胸が弾む場所であったのだ。


 菜園の指揮の元、3人の中ボス格たちと共に戦場に出る。


 もしかしたら一流のプレイヤーたちにヨーコという特大の厄ネタを相手にしてもせめて彼らの内の何人かだけでも生存させられるのではないかという思いもあった。


 だが、結果は惨敗。


 キヨも知らなかったヨーコのミラージュの奥の手に寝る間も惜しんで鍛え上げたテルミナートルは撃破され、中ボス格の3人たちも次々に戦死。


 ついにはガレージから転送装置を使って戻ってくるまでの間に要塞内部にいた菜園まで死んでしまっていた。


 あまりに惨めな結果である。


「ナナちゃん。私、思うんスよ。良いゲームってのは作っている私たちまで夢中になれる物をそう言うんじゃないかって。ナナちゃんはきっと社内でいっちゃん『鉄騎戦線ジャッカル』に夢中になれてると思うっス。……だから」


 そこで虎Dは僅かに躊躇いを見せた後、自身の身体で塞いでいた部屋の出入り口を開けていた。


「最後にもう一戦、どうっスか? テルミナートルは使えないんじゃヨーコちゃんには勝てないだろうけど、気持ちの整理は付くかもしれないっスよ?」

「い、良いんですか!?」

「守りたかった人は守れず、その仇も討つ事はできない。ナナちゃんの好きそうな展開じゃないっスか! ほれ、とっとと行かないとヨーコちゃんたち要塞の外に出ちゃうっスよ?」


 キヨに道を開けた虎Dは笑顔とサムズアップで後輩の健闘を祈っていた。


 もしかするとABSOLUTEの連中なんかよりもよっぽどこの女の方があくどいのかもしれないとキヨは思いながらも、それでも菜園のリストバンドを外して自分の手首に巻いてから立ち上がる。


 要塞責任者の証であるこのリストバンドがあれば、要塞所属のHuMoを自由に使う事ができる。


 マトモな機体が残っているかは分からないがせめて仇に一太刀と部屋を後にしようとすると、思い出したかのように虎Dが話かけてきた。


「そうそう。最後に1つだけ良いっスか?」

「なんです?」

「カラサワとかカラスマとかあとなんだっけ? それ、誰の事っスか?」

「……飛燕二式やらニムリオンに乗ってた三馬鹿の事ですよ。マンガ版じゃ名前が出てこなかったんで私が名付けました」

「ああ、そうなんスか……」


 それで納得がいったのか虎Dはもう興味の無さそうな顔になったのでキヨは再び暗い通路を走り出していた。

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