56 蜃
視界の全てがノイズに染まる。
「クッソ!! ミラージュがパワー負けだと!?」
黒いテルミナートルに組み付かれたミラージュ。
その巨大な拳が叩きつけられるたびにヨーコはコックピットの中で振られてシートベルトが細い身体に食い込んでは苦痛で苛んでいた。
キヨの黒い大型HuMoは片手でミラージュの肩部装甲を掴んで離さず、残る片手で幾度も握りしめた拳を打ち付ける。
もちろんヨーコも敵を振り払おうと必死に操縦桿やフットペダルを操作するものの、離脱はおろか機体を振る事すらできないでいた。
これはミラージュとテルミナートル、両者の機体特性が原因である。
ミラージュは戦線突破用に開発された陽炎をベース機としているため、大型機ながら速度性能を重視し、移動はホバー機能に依存していた。
対するテルミナートルは対要塞戦や都市攻略戦を念頭に置いて開発されたという設定のため、全高を稼いで高所より敵を撃ち下ろすという戦法を取るために通常のHuMoと同様に2本の脚部を持つ。
カタログスペックで語るならばミラージュの方がジェネレーター出力は遥かに上。
おまけにラジエーターの性能も優れているために長時間に渡ってジェネレーターをブン回す事ができるのだ。
本来であれば、いかにキヨがパイロットスキルを鍛えていようとヨーコのミラージュがパワー負けするなどありえない事だろう。
だが、現在の状況のように組み付かれた状態ともなれば話が変わる。
ホバー・ユニットに機動力を頼ったミラージュでは地に足を付けたテルミナートルを振り払う事ができないのだ。
「ミラージュを援護しろ!!」
「おっと! そうはいくかい!!」
ヨーコの窮地を見かねた火盗改の面々や中立都市から駆けつけてきた傭兵たちが援護のために近づいてくるが、キヨはまるで社交ダンスでも踊っているかのようにミラージュを振り回してアイゼンブルクを背にする位置へと場を入れ替える。
傭兵たちの位置からはミラージュの背部への誤射の可能性があるために撃つ事ができない位置であった。
「絶体絶命だねぇ! ヨーコちゃ~~~ん!! 私は行く事ができないから、地獄でアイツらにヨロシク言っといてくれよ!!」
「ざけんじゃねぇ!! 地獄に行くのはお前だッ!」
密着した状態では大型のクラブ・ガンを振り回す事もできず、またテルミナートルのビーム・バリアーの範囲内にいるせいで胸部ビーム砲を使う事もできない。
それでもヨーコは吠える。
両肩の上から伸びるサブ・アームに取り付けてある50mm機関砲を作動させるが、敵は微塵もたじろいだ様子もない。
跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。跳弾。
「はっは~~~!! 駄目、駄目!! そんなドア・ノッカーじゃコイツの装甲は抜けないって!!」
「ちぃッ……!」
超硬度の弾体をその質量に比しては異様ともいえるほどの大量の装薬で撃ちだす50mm機関砲は単発火力はともかくとして高い貫通力を持っているハズであった。
なのに、その全てが非貫通。
ただ装甲表面の塗料を削り取ってひっかき傷のような痕跡を残すのみ。
「おらよっと!! いくらミラージュの装甲が強固だろうと、こうやってブン殴って装甲をこじ開けてしまえば!!」
「くぅぅ……」
再びテルミナートルの殴打がミラージュを襲い、コックピットのシートでヨーコは振り回されて軽い脳震盪を味わっていた。
大きな黒い拳が振り下ろされる度にメイン・ディスプレーにノイズが奔り、ついには復旧しても画質の荒いものへとなってしまう。
「メ、メイン・カメラがやられたかのか!?」
頭部の破損。
頭部とその周辺の装甲もだいぶダメージを追っているようだ。
先ほどの同型機対決の時にそうしたように、黒いテルミナートルはミラージュの装甲に隙間さえできてしまえば、そこに手を突っ込んでビーム砲を発射するつもりだろう。
だが、その時、得意満面になって操縦桿を押し込んでミラージュに拳の連打を叩き込んでいたキヨはサブ・ディスプレーのレーダー・マップからガングードbisの反応が消失したのを見てしまった。
「
その声は震えていたようにヨーコは感じていた。
だが敵にどのような事情があろうと自分まで感傷に飲まれてやるほどヨーコは甘くはない。
そうでなければ彼女はこれまで生き残ってはこれなかった。
そして、そのような境遇にヨーコを追い込んだ張本人の一人こそが今まさに彼女と戦っているキヨなのである。
理由は分からないが敵は急に動揺の色を見せた。
躊躇している暇は無い。
ヨーコはほとんど反射的にコックピットに増設したサイド・レバーを思い切り引き上げた。
「なっ……? 何がッ!?」
その瞬間、ミラージュの盛り上がった背中が爆ぜた。
炸裂する爆薬の轟音に一気に目の前の現実へと引き戻されたキヨだが、煙幕効果を期してもうもうと湧き上がる白煙の中から現れたモノにさらなる驚愕へと追い込まれる。
「よう……。さっきまでミラージュをボッコボコにブン殴って得意になっていたみたいだけどよ……」
ミラージュに起きた爆発はテルミナートルに殴りつけられていた箇所ではない。
そこは原型機の陽炎ではHuMo用の格納スペースとして使われていた場所であった。
当然、そこから現れたのは1機のHuMo。
トヨトミ系を思わせる小型HuMoであった。
だが、ヨーコはミラージュの中に別のHuMoを搭載していたというわけではない。
むしろミラージュの背から現れた深紅のHuMoこそ本当の意味でのミラージュと言えた。
ミラージュの格納スペースに搭載していた
つまりミラージュとはコアHuMoの巨大な外装といえよう。
ミラージュがランク6の陽炎を原型としていながらランク10の機体を超える性能を持たされた理由もこの機構に秘密があった。
パイロットが背部格納スペース内のコアHuMoにいる以上、本来のコックピット・ブロックやそれに付属する生命維持装置などは撤去可能。代わりにジェネレーターやラジエーターを延伸する事ができていたのだ。
「お前が今まで殴っていたのは、ただの
「な、なんだ!? こんな物、私は知らないぞ!?」
「これこそがミラージュの核、『ミラージュ・シン』だ!!」
テルミナートルの肩の上に飛び乗った深紅のHuMoがパイロットの意思を宿らせたかのように鋭い眼光を敵に向ける。
ミラージュ・シン。
その機体を知る者は運営チームの中でも少ない。
仮に、あくまで仮定の話。
ヨーコがプレイヤーたちの敵として中立都市を襲撃した時に、トップ層のプレイヤーが束になっても彼女を止める事ができなかった場合。
運営チームは円滑なゲーム世界の進行のため
だが、そこまで想定された時、待ったをかけた人物がいた。
獅子吼ディレクターである。
獅子吼D曰く、大型機のミラージュではホワイトナイト・ノーブルと戦っても見栄えがしないと言うのである。
どうせビームライフルのチャージショットで一撃で始末してしまうと。
つまり「ミラージュ・シン」というコアHuMoとは、ホワイトナイト・ノーブルのための引き立て役であった。
引き立て役といえど、ホワイトナイト・ノーブルの魅力を最大限に活かすための引き立て役。
当然ながらミラージュ・シンには白騎士の王に肉薄するだけの性能が持たされている。
全高16m級のホワイトナイト・ノーブルと14m級のミラージュ・シンでは機体特性に差はあれど、総合的な性能比は92%。
それも装甲の展開ギミックの考証が間に合わなかったために関節の可動範囲に制限のあるβテスト版のノーブルではなく、フルスペックのノーブルと比較してだ。
「な、なんで……!?」
ミラージュ・シンが敵の肩の上で光剣の柄を取り出すと、白銀に輝く刃が現れる。
「なんで!? テルミナートルのビーム・バリアーはちゃんと作動しているのに!!」
「残念だったな! コイツはビーム・ソードじゃねぇ。フォトン・セイバーだ!!」
今度は相手を振り払おうとするのはキヨの方だった。
腰関節を回して深紅の小型機を振り払おうとし、羽虫を潰す時のように手で払いのけようとする。
だが、ヨーコは迫る巨大な腕を容易く斬り落とし、軽い調子でテルミナートルのバックパックへと飛び移って足元へと深々とフォトン・セイバーを突き立てた。
これまでミラージュの大口径クラブ・ガンやらミサイルの連打、高貫通の50mm機関砲の雨霰を防ぎきっていたテルミナートルが水気の多い泥のように易々と貫かれるのを許している。
これがヨーコが数多のプレイヤーたちと交戦してきていながら無敗でいられた理由であった。
ゲーム内のHuMoのほとんど全ては程度の差こそあれど対ビーム用の防御機構を持っている。
だが対フォトン兵器用の防御機構などゲーム内には存在しないのだ。
大火力と高速力を併せ持つミラージュを倒しても、中から小回りが効いて防御無視の攻撃を仕掛けてくる小型機が飛び出してくる。
オマケにこの手のゲームでありがちな事ではあるが、ミラージュ・シンを倒さなければミラージュを撃破した事にはならないのだ。
「あンの女狐…………」
自身も知らない謎の機体の登場にキヨは虎Dの関与を悟る。
だが、口から飛び出してきた悪態を言い終える前に彼女の仮初の肉体はコックピット・ブロックを貫いてきたフォトン兵器によって光子へと分解されていたのだった。
「昔、ママから古代中国の『
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