14 グラップラーお爺ちゃん

 マサムネを連れているという事は長身の女もプレイヤーなのだろうか?


「貴様、何者じゃ……?」

「え? 私を知らないと……?」


 女の表情はまったくもって他意の無いきょとんとしたもの。

 まるで自分を知らないという事がありえないとでもいうかのように。


 傲慢不遜。

 そう総理は受け取った。


「ま、マサムネ君ってクローンだったりする?」

「そ、それにしても全く同じ体形、同じ顔、髪型まで同じとはならないのでは?」

「さあてな?」


 買い物に行っているマサムネと全く同じ容姿の人物の登場にヨーコもアグリッピナも困惑して固まってしまう。


 ゆらりとソファーから立ち上がった総理はそんな少女たちを庇うように前に出て、相棒と同型の青年の後ろの女に裂帛の気迫のこもった視線をぶつける。


「貴様、ABSOLUTEとかいうのの依頼でも受けたか?」

「ABSOLUTE……? やはり……」

「ふん……。怪我したくなかったら、とっとと失せろ」


 その次の瞬間、ガレージに乾いた音が響き渡った。


 長身の女が連れていたマサムネが腰のホルスターから拳銃を抜こうとして、それを老人の鋭い前蹴りが制したのだった。


「せいッ!! きええええぇぇぇぇぇッッッ!!!!」


 コンクリートの床を転がる拳銃を総理は蹴り飛ばし、そのまま体を回すようにマサムネの懐に飛び込んで胸板を殴りつける。


 前蹴りから落ちた拳銃を蹴り飛ばしてマサムネを殴りつける。

 その間、僅か1秒にも満たない刹那の動作。

 しかも素早いだけではない。

 痩身の老人と長身の青年。その体重差があってなお胸板を殴りつけられたマサムネは吹き飛ばされて厚い鋼鉄のHuMo用扉に叩きつけられた。


「マサムネ君ッ!?」

「おっと、よそ見なんてしてる場合かの……?」


 総理というプレイヤー、相棒であるマサムネの事は真に親友のように思っていたし、ヨーコの事は孫や曾孫のようにも思っていた。出会ったばかりのアグリッピナに対してもそれは同様。

 この世界がゲームの世界だとしても超高性能人工知能によって生み出された人格たちを偽りの存在だと信じ切れないのは彼が年老いた頭の固い老人だからだろうか。


 だが敵に対しては話が別。

 己の拳が容易に人を絶命せしうるものだと十分に理解していながらも、別にゲームの世界だから問題はないだろうと何の躊躇もなくその力は振るわれる。


 先のマサムネと同様に懐に飛び込み、女の腹部へ砲弾のような拳を打ち込んだ。


 ツー×バイフォーのSPF木材程度なら手打ちですら容易に圧し折る総理が、全身の筋肉と関節を活かした加速を乗せた拳を腹に叩き込まれれば常人ならばそれだけで致命的である。


 ……そのハズであった。


「ぁっっぶねぇ~~~ッ~ス!!」

「ほう……」


 素早く脚を引いた女が摺り足で下がって構えを取る。


 同じく総理も空手式の半身の構えを取りながらチラリと己の右脚を見た。


 痛みは無い。

 少しだけ構えを崩して体重をかけてみても機能に問題は無さそうだ。


「ふん、自前のチート持ちが自分だけだと思ったっスか?」

「というと、やはり今のは狙ってやったのか」


 マサムネが吹き飛んだ瞬間の狼狽した表情から一転、すでに女は戦士の顔となっている。


 先ほど、女の懐に飛び込んで女の腹部に腰の入った拳を叩き込んだ。そう総理は思っていた。


 だが、実際は女の懐に飛び込んだと思った瞬間に老人の脚はぺちりと女の脚に制されていたのだ。


 つまり総理は間合いを完全には詰め切れておらず、腰の入った拳を見舞ったハズがその前の段階、脚の時点で総理の攻撃は潰されていたという事。


 しかも、それがマグレ当たりなんかではなく狙ってやったものだと女は言う。


 目の前にいるのが並々ならぬ相手だと悟り、総理はツナギ服の腰の拳銃用ホルスターを取って投げ捨てる。


 それを見て女もより気を張りつめていた。

 銃を捨てた方が余計に脅威を増す敵がいるという事を知る者が世の中にどれほどいるだろうか?


 いそうにない者がいるものだ。

 総理はあと10年も生きられないであろう己の人生が惜しくなるほどであった。

 10年か20年に1度しか出会えないような強者との出会い。その喜びを思い出してしまっていたのだ。


「惜しいなぁ、強敵ともよ。貴様がABSOLUTEの手先でなければ一晩でも二晩でも拳で語り合いたいところよ!!」


 総理は踏む込む。

 今度は中段の回し蹴りで女の腰を狙う。

 女は長身、しかもファッションモデルばりに日本人離れした長い手足の持ち主。当然ながら女の方が間合いは広いのであろうが瞬間的な膂力ならば自分の方が上回っているだろうという読みからである。


 下段に降ろした腕では防ぎきれず、脚で受ければ受けた脚の方が砕ける必殺の回し蹴り。


 下がって避けるしか選択肢はないハズ。


 だが意外にも女は前へと出てきた。


 蹴りではなく、総理の軸足を足でぺちりと打ち、威力を殺した蹴りを腕で受ける。


 もちろん総理も次の手を考えていなかったわけではない。


 ぺちん。

 だが潰される。


 ぺちり。

 ぺちん。ぺちり。

 ぺちり。ぺちり。ぺちん。

 鞭のように鎌首をもたげた蛇のように振るわれる長い手合いが、老人の肩を、膝を、肘を、胸を打っていく。


 1発1発のダメージはけして大きくはない。

 だが、むしろ連続して叩き込まれる手足のプレッシャーが、なにより反撃の糸目を潰されていく心理的な圧迫感が総理を下がらせた。


「……不思議な技を使う。中華拳法チュウケンか?」

「お爺さんもそれなりに使えるみたいっスけど、基礎ベースは空手っスか? なら問題はないっスよ!!」


 構えをとったまま女が不敵に笑う。


 事実、日本という国においてもっともポピュラーな拳法が空手である以上、誰しもが対空手戦法を確立しているのだ。

 そのため21世紀になって一般化した総合格闘技MMAの世界では空手家は他の格闘技のエッセンスを取り込むのが常態化。純粋な空手家というのはむしろイロモノと化していた。


「お爺さんの時代はどうだったか知らないっスけど、今じゃ中学校や高校の柔道の授業ですら空手家との戦い方を教えているくらいっスよ?」

「そうか……。ならば貴様の敗因は空手を舐めた事じゃ」

「なっ……!?」


 再び総理が前へ出る。

 踏み込むというより跳び込む。


 いや、事実、老人の身体は跳び上がっていた。


 前へと出ていく勢いを乗せたまま老人の身体が沈み込んだかと思った瞬間、その小さな体は跳び上がり一回転、振り下ろされた踵は女の鎖骨へと叩き込まれる。


「ぎぃッッっッッッ……!?」

「貴様が骨法使いだというのは分かっておった。中拳と言ったのはブラフじゃよ。どうじゃ? 骨法で“浴びせ蹴り”が潰せるか?」


 日本の古流武術「骨法」。

 その中にもいくつかの系譜の流儀が存在するが、女が使っていたのは手数で押して相手の機先を制していく流派。


 いくつもの流派が後継者が絶える事で消失した現代の日本においてはこの手の骨法はもっとも主流派といってもいい。


 そして手数で相手の機先を制していく闘法が故、空手の浴びせ蹴りのような全体重に慣性を合わせた半ば捨て身のような技に対応する技は存在しない。


 皮肉にも愚直にポピュラーな空手を使う総理を笑った女の技もまた骨法の中ではポピュラーな流派であったがために対策を取られてしまったという形。


「ついでになんで儂が馬鹿の1つ覚えみたいに空手を使うか教えてやろう……」


 鎖骨を砕かれた女は苦悶の表情を浮かべ総理の話を聞いているのかは定かではない。


「“一撃必殺”、空手の神髄を修めれば荒唐無稽に思えるこの言葉も現実味を帯びてくるというものよ。そして荒唐無稽でなければ“アイツ”は倒せん。……フンッ!!」

「ぴゃっ……!?」

「これがあらゆる格闘技の中でもっとも高い威力を持つという手技、空手の『正拳突き』じゃ」


 傍から見ているヨーコやアグリッピナにはその拳を目に収める事はできなかった。


 一閃。

 鎖骨を砕かれた激痛で姿勢を下げた顔面に叩き込まれた岩をも砕く正拳突きによって女は膝から崩れ落ちる。


「うわっ、あの爺さん、女性の顔を思いっきりブン殴りましたよ!? 頭おかしいんじゃないですかね?」

「いやぁ~、ウチのもあんなお年寄を普通にボコボコ殴ってましたし、キチガイっぷりはお互い様じゃないですか?」


 現実世界でも久しくなかった強敵との戦いを制した余韻に浸っていると、いつの間にか買い物から帰ってきていたマサムネと、先ほどガレージの扉に叩きつけてやったマサムネとが爽やかな笑顔で戦いの寸評を繰り広げていた。


「……なんで2人とも仲良さげにしとるんじゃ?」

「なんでって言われても、ねぇ……?」

「お爺さん、『話し合い』って知ってますか? 便利ですよ?」


 2人のマサムネに総理も途端に脱力。

 マサムネたちが女の脚を引きづってメディカルポッドへ連れていくのをただ黙って眺める羽目となる。

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