5 真相
高度8,000m。
空と大地のちょうど狭間に女は独りいた。
つい先ほどまで機外マイクが拾ってきた飛行用エンジンの回転音と、気流が機体の凹凸に当たって立てる風切り音がコックピットの中を支配していたが、機外マイクのレベルを落としてからはただ低く唸るエンジン音の振動とたまに様々な機材が鳴らすビープ音くらいのものでほぼ静寂の中にいたといってもいい。
コックピットブロックの壁面全周は周囲の映像をリアルタイムに移すメインディスプレーとなり、女はコックピットシートに座って宙に浮かんでいるかのような錯覚を味わう。
そう錯覚するのも無理はない。
全ては女の予定通り。
気が抜けてしまうのも無理もなかろう。
「ライオネスちゃん、今、助けに行くっス~!」
言い終えてから女は気付く。
あまりにも緊迫感にかけた話しぶりじゃなかっただろうか、と。
だが……。
「……いい。マサムネさんは私1人でやるわ」
幸いにして目の前の敵しか見えなくなった妹には怪しまれる事もなかったようで一安心。
それに予想したとおりに妹は女の救援を拒否していた。
今すぐに助けにいくと言いながらも女は乗機である双月を高度を維持するオートパイロットに設定した後はコックピットで足を組んで手にしたタブレット端末を操作していたくらい。
最初から救援に行くつもりなどはなかったのだ。
「マサムネく~ん、それじゃしばらく良い感じに遊んであげてほしいっス!」
「了解しました。今の所、妹さんの脳内物質の値はどうです?」
「う~ん、良い感じに温まってきてる感じっスけど、もう少しっスね。敵も味方もマサムネ君があっという間に無力化しちゃったから半ば呆気に取られてる感じだと思うっスよ」
「なるほど……」
今度はタブレットを通話モードにして自身の担当補助AIへと通信。
妹たちに説明したマサムネの逃亡イベントが発生した場合、本来は向こうから着信拒否にされるために通信などできない。
だが、女はこうして普通に会話していた。
そう。
全ては女が仕組んだ狂言であったのだ。
「それにしても、よく妹さん信じてくれましたよね」
「ほれ、昨日の大型ミッションみたいに、正式サービス開始したばかりのゲームだから不具合が多いって思ってるんじゃないっスかね?」
女が妹たちに説明したとおり、マサムネの逃亡イベントはプレイヤーの所持機体が1機のみの場合は発生しないようになっている。
これは事実であるし、昨日の突発的な大型ミッションような予期せぬ不具合の発生しようがない事項であった。
なにせマサムネたちユーザー補助AIは自分たちがゲームの世界の作られた存在だという事を知っている。
さらに自分たちの存在意義がプレイヤーたちの円満なゲームプレイのためのコンパニオンである事すら知っているのだ。
機体が1機しかいないのにそれを奪われてしまったら、そのプレイヤーに機体を貸してくれるフレンドでもいない限りは取り返しにこれないではないか。
もちろんネット掲示板やSNSを使って協力者を得る事はできるだろうが、それは手間である。とても「快適なゲームプレイ」とは言えない。
そうマサムネは考えるように作られている。
「自分が奪われた機体と対抗できるだけの機体を貸してくれる協力者にプラスして強力なパイロット能力を持つマサムネに対抗できるだけのメンバー」を揃えるよりも「自分に残された機体プラスマサムネに対抗できるだけのメンバー」の方が敷居が低いし、自分に乗る機体があるだけ心理的な負担も小さいのだ。
むしろ自分に残された機体と奪われた機体との性能差、相性差を埋めるだけのメンバーを吟味するという楽しみを提供するというように考えるのがマサムネタイプのAIの思考パターンである。
そのように本来はありえない事も女の妹であるハンドルネーム・ライオネスは普通に信じていた。
これには昨日の大型ミッションの実装の件も、またそれ以前に妹から運営に通報があった件も関係しているだろうか。
ライオネスはとあるミッションの報酬が異常だと運営の通報窓口に報告がされていた。
実の所、そのミッションの最大報酬を狙うための難易度に照らし合わせるとその報酬は妥当なものなのであるが、結果としてライオネスは2日連続で不具合に出くわしたと思っているのであろう。
2日続く事なら3日続いてもおかしくはない。
結果としてライオネスとその仲間たちは女の狂言を疑う事すらしなかったのだ。
「さて、と。ここまでは上々、後はライオネスちゃんを上手く煽って『CODE:BOM-BAーYE』を使わせるっス!」
そう。
全ては昨日の戦闘の終盤でライオネスが見せた、運営チーム内で「CODE:BOM-BAーYE」と呼ばれる事象の再現のためであった。
「はいはい。でも『CODE:BOM-BAーYE』を解析して、それでホワイトナイト・ノーブルに勝てるんですか? そもそもアレはもう1プレイヤーの所有物でしょう?」
「確かにライオネスちゃんじゃ勝てないんじゃないっスかね? でも『CODE:BOM-BAーYE』を疑似的に再現した機体をトッププレイヤーが駆ったらどうっスかね? 当然、そんな疑似BOM-BAーYEなんてノーブルには搭載されてないっスよ?」
正式サービス開始初日にとあるプレイヤーによって奪われたホワイトナイト・ノーブルはプロデューサー判断により設けられた緊急ミッションの後にそのプレイヤーの所有物となっていた。
だが女は未だノーブルを取り戻す事を諦めてはいなかったのだ。
そして、そのノーブル奪還の糸口を妹が持っていると、そう考えていたのだった。
「なにもノーブルを倒す必要は無いっス。いつになるかはまだ分からないっスけど、疑似BOM-BAーYE搭載機が有利なイベントを続けて、イベントランキングを疑似BOM-BAーYE機がズラっと並んでいたらどうっスかね? それからノーブルを奪ったプレイヤーにノーブルと疑似BOM-BAーYE搭載機の交換を申し出るっス!」
熱に浮かされたように話し続ける女にパートナーであるマサムネは呆れ声であった。
「はあ、気の長い話で……」
「もちろん、その時点で実装されてる疑似BOM-BAーYE搭載機より高ランクの機体を用意するっスよ! そうすれば向こうにだって十分に旨味がある話っス! だいたいノーブルは普通の人間が操縦しても本領を発揮できるわけがないんス! だってそういう風に作ってないっスもの!」
なおも捲し立てる担当プレイヤーにマサムネは苦笑した。
そもそも、その疑似BOM-BAーYE搭載機優遇イベントとやら、件のプレイヤーが自前で疑似再現機を取得してノーブルと使い分けてイベントに挑んできたらどうするというのだ?
もしくは自分のようなユーザー補助AIにノーブルを乗せて援護役にさせたら大概のプレイヤーには突破できない強大な壁役の誕生である。
いや、そもそも実装がいつになるかもしれないイベントまでそのプレイヤーがこのゲームを続けてくれると何故そう思い続けられるのだろうか?
ゲーム内世界の秩序を維持する官憲の役割を果たす防衛隊の機体を奪おうという無茶苦茶をするプレイヤーだ。しれっといつの間にか飽きたとか言い出して、それっきりもう2度とログインされる事のないガレージでノーブルは埃を被り続ける運命かもしれないというのに。
「……とはいえ、私は私の仕事をするとしましょうか」
苦笑混じりではあったがマサムネは心を引き締めて、なんども「またぐなよ」と繰り返している観察対象を嘲笑うかのように地に臥した雷電陸戦型をまたがせる。
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