10 玩具箱のオモチャ
栗栖川は心理カウンセラーと名乗るものの、実のところあまりそうは見えなかった。
外見が、というわけではない。
私の中で心理カウンセラーという仕事についている者は自分の行動が他者に与える影響を考えて物腰柔らかい大人しい人物を想像していたのだが、栗栖川という女性はそうではないのだ。
栗栖川の白衣の下はパンツルックのスーツ姿。
歳の頃はまだ二十代。カツカツとヒールの音を鳴らして歩く様はモデルばりではあるのだが、その音はどこか苛立っているような印象を受ける。
仕事中だというのに他者にそのような印象を与える心理カウンセラーがいるのだろうか?
「あ~、もう! さっきから全然進んでいないじゃないか!?」
私たちにビジターパスを渡した栗栖川は挨拶もそこそこに格納庫側の窓際の席で計算ドリルに向き合うリョースケの元に行って進捗状況を確認すると大袈裟に大きな声を出していた。
怒鳴りつけているわけではない。
だが、その声には彼女の苛立ちがありありと見て取れ、これではリョースケも委縮してしまうのではなかろうかと心配になるくらいだ。
「……なあ、あの栗栖川って人、ホントに心理カウンセラーなのかよ?」
「一応、その資格も取ってはいるみたいなんだけどね……」
「一応?」
「本業は難病専門の小児科医なのよ」
私はパオングへ顔を寄せて小声で聞いてみたところ、やはり栗栖川は本職のカウンセラーではないとの返事だった。
「栗栖川さんは現実世界では沖縄特定指定小児医療センターに務めている女医さんなんだけど、国とこのゲームの運営会社が『VR療養所プログラム』と始めた時に対象者のメンタル面のチェックをする人が必要になって、その時に普段の私たちの様子を知る栗栖川さんに白羽の矢が立ったみたいなの」
「ああ、ようするに本来は現実世界の子供たちの相手をするために取った心理カウンセラーの資格のせいで本業以外の仕事を押し付けられたわけだ」
栗栖川の事を語るパオングの表情は複雑なものであった。
現実世界での彼女との付き合いがどれほどのものかは分からないが、彼女が悪い人物ではない事は知っているのだろう。その上で私が彼女の事を心理カウンセラーなのかと疑う気持ちも理解できる。
そんな表情だ。
「栗栖川さんはどうやら私たちがゲームの世界に入り浸ってるのが気にいらないみたいなの。なんていうのかな、『どんなに辛い現実が待っていても人は現実と向き合わなくてはならない』って感じなのかな?」
「って言われても、なあ……?」
「言いたい事は分かるけど、なあ?」
パオングの言葉に私とマーカスは揃って顔を見合わせる。
そもそもが空想世界の存在である私にしてもそうだし、マーカスだって困惑したような顔をしていた。
隣でもうずいぶんと温くなったコーヒーを飲むパオングは現実じゃ首から下の感覚が無い状態らしいし、先ほど元気いっぱいに走っていったキャタピラーは両手両足が無くて臓器も悪いそうだ。パス太もマーカスが言うには点滴の管やら心電図やら人工呼吸器やらのコードでベッドの上はまるでスパゲティの皿状態。
リョースケという子も彼らと遠からず似たような状況なのだろう。
なるほど「人は現実と向き合わねばならない」というのはもっともであるし、正しいのだろう。
でも私にはとてもそんな事はここの子供たちには言えない。ここの子供たちだけにはそんな事は言ってはいけないような気がするのだ。
そもそもが仮想現実の世界でのコンパニオンとしての存在である私はそうだし、現実世界で50年前後の歳月を生きてきたマーカスもそれは同様であるらしい。
だが栗栖川のリョースケのお説教はそんなマーカスへも飛び火してくる。
「そら確かに人生、勉強だけではないかもしれないけどね。大人になった時に勉強できなくて困るのは君なんだぞ!? ほれ、あっち見てみろ。平日の夕方6時に家族と過ごすでもなく独りでゲームの世界に閉じこもるような大人になってもいいのか、君は?」
明らかにマーカスを指した言葉。
まだ温かいカフェオレを飲んでいるハズの私の背に氷柱でも突っ込まれたかのような戦慄が走る。
「…………あの、マーカスさん……?」
「ふふ、大丈夫、大丈夫」
「まだ何も言ってない! ってか、何をする気だよ!?」
「ちょ~っと若者に子供との接し方を教えてあげようと、ね?」
まるで共犯意識を植え付けてくるような笑顔。
そら確かに栗栖川の言葉はどうかとは思うが、かといってマーカスが動けば大概ロクな事にはならない事を知っている私としては自分の担当を止めざるをえない。
わたふたと慌てる私を後目にマーカスは立ち上がってゆっくりとリョースケたちの方へと近づいていく。
「大人って、どうせ僕は大人にはなれないでしょ……?」
「希望は捨てちゃいかんよ。異星人が地球を訪れて以降、医学の進歩は日進月歩なんだ。その内、君の病気の治療法だって確立するかもしれないだろ?」
「駄目だなぁ、先生。子供との付き合い方が下手くそ。それじゃ勉強しようって気もなくなるよなぁ。なぁ、リョースケ君?」
栗栖川はリョースケの「大人にはなれない」という言葉を否定はしなかった。現代医学では手の施しようがないリョースケの病も医学の進歩によって治るようになるのかもしれないと言うのみだ。
よくそんな重い話題に割って入っていけるなと思うが、マーカスは私の気など知らずにリョースケの後ろに立って、計算ドリルと窓の外を交互に見る。
「『希望』だとか『期待』だとか、君はそんな言葉には飽き飽きしているのだろう。甘いお菓子だって食べ続ければ飽きてくるというのに、味もしない空虚な言葉を言われ続けたら、そりゃあ辟易するよなぁ……」
「おじさんは……?」
「おじさんが誰かなんてどうでもいいことさ、そうだろう? むしろ大事なのはおじさんが何ができるかさ」
床に膝を付いてテーブルに肘をついたマーカスはリョースケと同じ目線で話をしていた。
子供を同じ視線で話をするというのはあまりにも見え透いた演出ではあったが、それなりに効果はあったようだ。
リョースケの視線は不意に近づいてきたマーカスへと釘付け。
たった今までお説教されていた栗栖川へは目もくれない。
「おじさんは君にはもっと目に見える形のご褒美が必要だと思うんだ。例えば、そうだなぁ。おじさんは
「え……? ホント!?」
「ああ、20年ぶりくらいだけどね。それが仕事だったんだ。君が今日のノルマをとっとと終わらせたら……、どうだい、分かるかい?」
マーカスは立ち上がって窓の外へと指を指してウインク。
リョースケだって特別な待遇とはいえ、キャタピラーたちと同様にHuMoの操縦法くらい記憶させられているだろうと私も立ち上がって窓の外へと目をやると、そこにあったのはHuMoではなかった。
白と黒に塗られた機体の形状はステルス性など微塵も考えられたものではなく。
2基のエンジンはその大柄な機体を飛ばすために大きなものが機体後部へと据え付けられ、そのエンジンに見合うだけのエアインテークも用意されている。
その重量の機体を空に飛ばすための翼は大きく、機首に取り付けられたコックピットのキャノピーは涙滴状で見るからに視界は良好そう。
それは2機の飛行機であった。
それも戦闘機。
ジェット戦闘機の分類でいわゆる第4世代と称される物の典型的な特徴を有したその機体はF-15戦闘機である。
2機のF-15戦闘機の内の1機は単座型であり、もう1機は複座型であるが、いずれも同じく白と黒に塗装されているのは、かつてのマーカスの乗機を模したものであろう。
「うん? ありゃD型じゃなくてE型か? 運営の連中、どっかのフライトシミュレーターからコピペしてきやがったな? ま、大して変わらんだろ」
「ほ、ホントにイーグルを飛ばせるのッ!?」
「おう、ゲームの世界でわざわざ格納庫に飛べない実物大模型なんて置かんだろ? おあつらえ向きに2人乗りの機体もある。飛ばせるヤツもいる。あとは君次第じゃないか?」
俄然やる気になったリョースケは計算ドリルに向き合い一心不乱に問題を解きだす。
その様子を見たマーカスが「ふふん」と口角を上げたのは栗栖川に対する勝利宣言なのか。
「あ~、マサムネ君、格納庫の整備員に頼んでイーグルの複座型に燃料を入れさせてくれ」
「かしこまりました。武装はいかがなさいましょう?」
「いらん、いらん。別に戦闘しにいくわけじゃあないんだ。そのままでいい」
「それではただちに……」
カウンターの奥のマサムネにF-15を飛ばす準備をさせるよう注文すると、いよいよリョースケは顔を真っ赤にして真剣な表情でドリルに向き合う。
「……あ、ここ、『8×8』を62で計算してるね。だからここからズレてる」
「あ、ゴメン……」
「うん、大丈夫。多分、これは急いだ結果じゃなくて、九九を間違って覚えているようだね。ほれ、こっちも同じ『8×8』で間違ってる」
リョースケに付き合って勉強を見ているマーカスの声はゆっくりと落ち着いたものであり、それは彼がこれまでやらかしてきた事を知る私からすれば意外に過ぎる事であった。
途中、窓の外に燃料タンクを積んだトラックやら電源車やらが見えてきた時に一瞬だけリョースケは窓の外に目をやったものの、すぐに自分からドリルに向き合って課題に取り組む。
それからしばらく、事務所で栗栖川と行き違いになった事を聞いたキャタピラーがほうぼうで栗栖川を探しながら戻ってきた頃には数ページは残っていたリョースケの今日のノルマは後は採点を待つだけとなっていた。
無論、マーカスが横についてからはマメに教えてやっていただけに全問正解である。
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