1 食卓

 プレハブの事務所内に似つかわしくない香りが漂っていた。


 甘味のある香味野菜特有の玉ネギの香りと脂の匂いだけで唾液がいくらでも湧いてくるような和牛が香り高い醤油と合わさった匂い。


 事務所の隅に設けられたミニキッチンでは私の担当プレイヤーであるマーカスがタブレット端末で音楽を鳴らしながらツナギ服の上にエプロンを着て料理をしている最中であった。


 すでに炊き上がった炊飯器からは炊き立ての白米の香りが漏れて仕上げの蒸らしの段階だ。


「サブちゃ~ん、外のゴリラ共にメシにしようって声かけてきて~!」

「お、おう……」


 事前に外注の整備業者の作業員たちへは今日の昼食は振舞うと伝えていたし、すでに事務所内の長テーブルの上には大皿でポテトサラダやらグリーンサラダにきんぴらごぼうなんかが並べられているし、ボウルには人数分の温玉が用意されている。


 普段、出来あいのものばかり食べている私たちNPCのために手料理をふるまってくれるというマーカスの心配りは素直にありがたいと思うし、今日のメインである牛丼ビーフボウルの付け合わせの定番である生卵は私たちトワイライト人は苦手かもしれないかもしれないと温玉を作る手間を惜しまないあたりは素晴らしいと思う。


 ただ……。

 ただ、だ。

 なんでマーカスは暢気に料理しているというのに聞いている音楽はまるでラスボス登場とばかりの壮大で荘厳な物なのだ?


 情感たっぷりにかき鳴らされるパイプオルガンのバックに繊細なシンセサイザーが奏でるハードコア・テクノは聞く者次第ではそれだけで絶望と焦燥感を感じさせるだろうと思わざるをえないものなのだが、当のマーカスは鼻歌なんか歌いながら手慣れた手つきでサッと煮込んだ牛丼の具を仕上げて、冷蔵庫の中から麦茶を冷やしていたポットを出してくる。


 私が外注業者の現場監督に声をかけて事務所に戻るとテーブルの上にはキムチやらきゅうりの醤油漬けといった漬物類やら、高菜炒めに牛肉の時雨煮といった常備菜も並べられていた。

 漬物は買ってきたものなのだが、常備菜は私のためにマーカスが作りおいてくれたものだ。


「う~す! 御馳走になります!」

「おっ、来たかい。なに、大将のトコにはいつも世話になってるからね」

「いえいえ、ありがてぇこってす。ほれ、おめぇらも!」

「「「ウっス! ゴチんなります」」」


 事務所の中に有機溶剤やら機械油の匂いを体中から漂わせている整備業者たちが入ってくるとマーカスはお椀にスープをよそいながら笑顔で出迎える。


 ここだけ切り取ってみたならば、さぞかし私の担当サマは人格者なのだろうと思うところなのだが、彼の本性を知る私からすれば「なんだかなぁ……」といった具合だ。


 それから整備員たちも準備を手伝い、すぐに食事の時間となる。


 見るからに柔らかそうな肉質の和牛をたっぷりと使った牛丼にさまざまな副菜。

 汁物も味噌が苦手なトワイライト人もいるかもしれないと味噌汁ではなく溶き卵スープだ。


 見た目や匂いだけではない。

 普段の出来あいの物や外食だけでは不足しがちな野菜類や食物繊維も副菜から取れるようにと心配りが行き届いた栄養バランスも素晴らしいもの。


 そして味も素晴らしい。

 一口でも味わえばこれらの料理を作ったのが誰なのかを忘れてしまうほどの美味。


 仕事で汗をかいた作業員たちの事も考えてか濃いめの味付けだが、サッパリとした葉物野菜のサラダで中和可能と良く考えられた献立と言わざるとえない。


「それにしても驚いたよなぁ。ホワイトナイト・ノーブルの次は高機能型の陽炎まで持って帰ってくるんだから」

「んだんだ。マーカスさんトコの仕事は若いのの良い練習になりますわ!」

「おいおい! 大事な顧客の前で練習台扱いはマズいだろ!?」

「ハハ、構わんよ。大将には色々と迷惑かけてるからね」

「いえいえ、構いませんよ。年頃の女の子ってのは中々に気難しいものですからね。笑ってゆるしてやるのが大人ってもんです」

「だな!」


 笑い声とともに食卓を囲む皆の生暖かい視線が私に注がれる。


 マーカスと整備員たちが言う「迷惑」だとか「気難しい」というのは多分、アレの事だろう。


 現実世界の時間での2日前の事、ライオネスとの小隊を組んだミッションを終えて私がガレージに戻ると、そこには私よりも一足先に高速チャーター機で帰投していたホワイトナイト・ノーブルの姿があったのだが、その姿が問題であった。


 本来は一般機との最大の外見的特徴である側頭部に付いた羽根飾りを模した金色のアンテナが、「V」の字型に加工された形で額に移設されていたのだ。


 白いロボットの、2つの目のある顔の額にVの字型のアンテナ……。


 さすがにそれはいくらなんでもマズいとごねて元に戻させたのだが、現実世界の存在を知らない一般NPCである整備員たちにはそれが駄々をこねる子供のように見えていたのだろう。


 さらに言えば、ノーブルをマーカスが言う「サブちゃんカラー」に塗装するのも虎代さんの事を考えて反対したのも駄々に見られているのかもしれないし、もしかすると昨日ガレージに運び込まれた事務所用のとは別のプレハブにわんさと私の服が詰め込まれているのもそう見られているのかもしれない。


(うわっ……。私って他人からどう見られているんだ!?)


 そういえば、これまでマーカスは自発的にミッションを受けた事はただの一度として無く、もっぱら私がライオネスと受けたミッションをマーカスが手を貸すという形。


 しかも昨日のトクシカ氏の護衛ミッションでは私が乗っていったパイドパイパーは損傷が軽微だったにも関わらず、マーカスが陽炎を3機撃破後にチャーター機内でノーブルから乗り換えた雷電はほぼ全損一歩手前といった塩梅。


 一応、私は市から委託を受けて個人傭兵の雑事を執り行うコーディネーターという立場ではあるのだが、これではどちらが雇い主か分かったものではない。


 まあ、そんな状況をも整備員たちは「気難しい子供」扱いで済ましているあたり、マーカスが「ゴリラ」と呼ぶだけはある。

 きっと彼らの腕回りや首回りと同じくらい、いや、それ以上に彼らの肝っ玉は太いのだろう。

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