第29話「わたしは一つだけ失敗を犯しました」
「それが姉の望みだからよ。そのRにはデビュー作のような彼の内面を吐き出した作品を書いてほしいの。姉はね、悪い言い方をすればビブリオフィリア」
「ビブリオフィリア?」
「愛書家いえ、書物を崇拝する狂信者ね。でも、姉が信じる神は少し偏っているの。そしてそのデビュー作は邪神の一つ」
「……」
なぜか背筋がゾッとする。わたしも本は好きだ。物語を愛している。でも、花音先輩の姉には賛同できない。
「なんでもいいわけじゃないわ。姉が認めた書物でなければ愛せない。彼が書いたヒット作に姉は興味はないのよ」
わたしはもしかしたら、とんでもない姉妹に目を付けられてしまったのかもしれない。
それでも、学校で孤立していじめられるよりはマシだろう。
わたしは根幹的な質問をする。
「なんで、彼は小説を書けなくなったんですか?」
「バカだったからよ」
花音先輩から理由を聞く。デビュー作の売上げ不振、二作目のヒットとそれに伴う炎上。そして心が折れてしまったこと。
わたしと同じ10代だったその人に、そんなつらいことがあったのか。わたしもそうなったら同じように絵が描けなくなるかもしれない。そんな風に同情した。
**
それから月日が経ち、わたしの演技にも花音先輩からのダメ出しがなくなっていった。完璧に小悪魔を演じることができるようになっていく。
演技指導のさいに、花音先輩はこんなことを言っていた。
「この役を演じるにあたって、私は何か脚本を用意するようなことはしないわ」
「え? それじゃ、何を喋ればいいかわからないです」
演技なのだから、そういうものがあると思い込んでいた。
「ある程度、方針は示すわ。だけど、基本的には本音を喋ればいいのよ。今まで抑圧していたあなたの心をね」
「自分の心ですか」
なんだか納得はいかなかった。そもそもわたしは、花音先輩が説明してくれたような女の子とはまったく正反対。
そりゃ、憧れはあった。自分もこんな感じで生きて行けたら楽しいのだろうな、という思いはあった。
「これは失敗が許されないミッションなの。素人のあなたが『台詞を読もう』とすれば、わざとらしくなるでしょう?」
「たしかにそうですね」
そこだけは納得させられる。
「だから、演じるのではなく、そのキャラクターになりきるの。小悪魔的な女子高生という架空のキャラクターに」
「うまくできるでしょうか?」
「そのために、あなたをみっちり指導するわ。高校デビューまでは時間があるから」
「……」
「そのうち、なりきっているキャラに引き摺られて、そちらで考えていることの方が本音になるわよ」
「そんなもんですかねぇ……」
「あなたには表面的にでも、Rという人物を好きになってもらわないと困るんだから」
誰かを欺くのは気が重い。
「でも、わたしはそのRという人の事をよく知りません。本音から好きって思えるかも、わからないです……」
わたしはまだ恋を知らない。うまくできるとは思えない。
「だから、本気で好きにならなくてもいいの。あくまでもフリ。ちょっと年上の男を手玉にとる感じで、もてあそべばいいのよ。あなたのバックには私と姉がついている。それに、Rの弱点も教えたでしょ?」
「お姉さんのことを未だに引きずっていることですか?」
彼は花音先輩の姉が好き。であるならば、わたしには簡単には
「そう。それを存分に使って、あなたは遊ぶのよ。楽しめばいいわ」
まるで洗脳でもされているかのようだ。難しいと思っていたミッションが、わたしにもできるかのように思えてくる。
そして高校デビュー。
言われたとおりにオタサーを作り、取り巻きの男子をはべらかす。中学の時のわたしからは考えられないような行動だ。
最初はとても申し訳なかった。わたしのワガママに振り回される男子たちが、とてもかわいそうに思えた。
だけどみんな、わたしが喜ぶと自分のことのように喜んでくれていた。それがなんだかクセになるようで、どんどんわたしは小悪魔な演技にはまっていく。
花音先輩の予想通り、わたしはクラスの女子に疎まれて虐められることになったのだが、取り巻きの男子のおかげで被害はあまりなく済んだ。こればかりは花音先輩に感謝している。
そして、Xデー当日。
その日、わたしは初めてRと呼ばれる彼に会うことになる。
彼の名前は高月亮。
彼が買い出しに行ったということで、わたしは店の近くのコンビニで待機することになった。
花音先輩からの電話が来る。
「準備はいい?」
「はい。けど、あまり自信はありません」
演技指導を受けてきたとはいえ、本番を前に極度の緊張が襲う。
「そう? でも、あなたはかわいらしい女の子であることは事実よ」
「え?」
「部活の男の子たちを見てもわかるとおり、あなたは魅力的なの。自信をもちなさい。いえ、自信だけで行動しなさい。どんなにそれを否定されても挫けることは私が許さない。ブレない心があなたの唯一の武器になる。それを信じなさい」
「ブレない心がわたしの武器」
そう復唱するように呪文を呟くように、自分に案じをかける。
「もうすぐ彼がそこに着くわ。頑張って!」
わたしは一歩踏み出す。
そして先輩と出逢った。
「小悪魔と契約してみませんか?」
**
「これがわたしの知る全てです」
彼女は振り向いて泣きそうな顔をこちらに向ける。
「黒幕は雪姉なのか……」
呆然とする。
たしかに、よく考えれば不自然なことは多かった。
レンちゃんは豊満な胸が特長的、対して
「雪姉さまは先輩を助けようとしたんです。もう一度筆をとって欲しかったんだと思います。それで先輩が救われるんですから」
たしかに俺は小説が書けなくなったことを悔やんでいた。そして、
「目的は達成されました。けど、わたしの嘘もバレてしまいました。だから、わたしはこれ以上は先輩とはいられません。明日には部屋を引き払います」」
そうか。彼女の目的、彼女への報酬は、雪姉がプロへの道を用意することだ。それが
「けど、そんなに急にいなくならなくてもいいんじゃないか?」
「ダメなんです。わたしはさらにもう一つ、失敗を犯しました。だからこそ、もう先輩の前にはいられないんです」
「失敗? 失敗ってなんだよ?! 嘘がバレたことだけじゃないのか?」
「違います……一番の失敗は……しっぱい……ぅぅ」
「どうした?
「出てってください。先輩なんて、大っ嫌いです!」
そりゃそうだよな。好きでもない俺に演技で近づいていたんだ。そろそろ限界か。
「わかったよ。でも、お礼は言わせてくれ。今までありがとうな」
雪姉の策略は俺の為だった。とはいえ、一人の少女を犠牲にしてしまう。そんなのは後味が悪すぎるだろ。
こんなことなら、俺は一人で立ち直るべきだった。
悔やんでも悔やみきれない。
◇次回「あとのことは知らない」にご期待下さい!
あと二話で完結。最後までお見逃しなく!
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