だから私を追放しなさいって言ったのに。悪役令嬢でもないのに王妃の座から追放されましたが、平和の為なら許します。でも裏切ったら……今更後悔しても、もう遅い。

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燦爛の魔女

 

燦爛さんらんの魔女、カレン! 今この場で、貴様との婚を破棄させてもらおう!!」

「な、なんですって……!?」


 荘厳な雰囲気が漂う、白亜の大聖堂。

 今日の婚姻の儀結婚式を見るために、多くの民衆が駆け付けていた。


 だが今の状況は祝福ムードとは程遠い。

 次期皇帝陛下であるジェイド皇子がこの物語の主人公であるカレンに向かって、堂々と婚姻破棄を言い放った。


 当然、カレンは今日の結婚式の主役、花嫁なんかでは無かった。

 身に付けているのは、ドレスではなく、町娘が着るようなみすぼらしいワンピース。

 胸元に光るオレンジ色の小さな宝石だけが寂しそうに光り輝いていた。


 大陸の覇者とも言えるリグド皇国の王妃となるには、確かに彼女は釣り合わないかもしれない。



 だがそれとこれとは話が別だ。

 突然こんな場所で、婚姻を解消なんてされても困る。


「色んな理不尽に耐えて耐えて、ここまでやって来たのに……!」



 この国にやってきてから受けた仕打ちが、一気にフラッシュバックする。


 来て早々に形だけの妻にされ、新人のメイドにすら邪魔者にされた。


 城を追い出された後は、農民としてボロ家でひもじい生活を送る毎日。

 今日だって農作業をしていたら突然、夫が結婚式をすると聞いてすっ飛んできたのだ。



(そもそも夫婦になるつもりが無かったのなら、婚約の時点で破棄しなさいよ……!!)


「残念ながら、貴様よりも我がきさきに相応しい魔女がいるのでな」

「悪いわねぇ~、薄汚れたドブネズミちゃん。アンタは田舎にでも帰って、芋でもかじっていなさい」



 ジェイドの隣りには深紅のドレスを身に纏った妖艶な美女。


 たしかに、女としての魅力は彼女に軍配が上がるだろう。カレンとは違って、胸もお尻も大きい。

 だけどそんな事で引き下がるわけにはいかない……!!



「貴方たちは、魔女の名前が目当てで嫁に引き入れたというのですか!!」

「当然だろうが。我が最強のリグドに、弱者は要らん。まさか魔女協定でやって来たのが、貴様のようなカス魔力しか持たない女だったとはな。まぁ心配するな。貴様の国も直ぐに、我がリグド皇国の領土としてやる。クハハハッ!!」



 魔女協定。

 戦争を繰り返すこの国と和平をするために、とある国の姫であるカレンは嫁に出された。


 燦爛の魔女と呼ばれ、民から愛された彼女は全てを捨ててこの国へとやってきたのだ。

 この男は、笑いながらその協定を無かったことにすると言った。



「分かりました。そこまで言うのなら、私のことをこの国から追放してください!!」





 ――この日より皇国は、燦爛の魔女と呼ばれる本当の所以ゆえんを身をもって知ることとなる。






 ――時は半年前に戻る。


 リグド皇国のとある港町に、異国の帆船がゆっくりと入港してきた。


 見た目こそ良くあるガレオン船だが、両側に大きく異なっている部分がある。船の左右には大きな外輪パドルが設けられ、水しぶきを勢いよく上げながらグルグルと回転していた。


 マストの帆には太陽を表す絵が中央に大きく描かれ、船橋ブリッジにも同じ柄の旗がいくつも立っている。



 これはウェステリアと呼ばれる国の所有物であることを示している。

 この国は地図の極東に位置する小さな島国でありながら、千年間にわたって他国からの侵略を許していない。



 更に他の国との外交を殆どしないので、ウェステリアの実態は謎が多い。


 しかし、魔法技術に関しては他国に追随を許さないということ。


 それを生かした造船技術を導入した海軍は、この大陸最強と名高いリグドでさえ手が出せないということ。


 この二つの事実は、なかば伝説のように大陸中で知れ渡っていた。




 港の桟橋には、沢山の人が歓迎の為に集まっている。


 その中にはこの国の次期皇帝である皇嗣こうしの姿もあった。異国からの客人とはいえ、大陸最強の魔導士とうたわわれる彼が態々わざわざここまでの対応をすることはかなり珍しい。



 だが今回に限っては、それも当然かもしれない。


 今日はかの強国ウェステリアと魔女協定を結び、魔法技術の提供を受けることになっているのだから。さらに友好の証として魔女カレンを嫁として迎え入れる。

 そしてウェステリアの姫を伴侶とするのはもちろん、この国の皇嗣であるジェイドだ。



 観衆の期待が高まる中、遂に本日の主役が現れた。


 赤薔薇色レッドローズのドレスを身にまとった少女が小気味良くトントントン、と船に掛けられたステップを歩いてやってくる。


 胸元に提げた太陽石シトリンの宝石がまったネックレスが揺れて、その度にキラキラと輝いていた。




 太陽に似たオレンジ色の美しい長髪を潮風にたなびかせ、大輪の向日葵ひまわりのような笑顔を咲かせている。


 彼女こそが燦爛さんらんの魔女。

 ウェステリアの姫、カレンである。


「ウェステリアから参りました、カレンです。不束ふつつかな娘ですが、末永くよろしくお願いします」


 ジェイドの前にやってきたカレンはドレスのすそを摘まんで、カテーシーの礼をとった。


 それを見たジェイドはフン、と鼻で笑うと「歓迎する」と、思ってもいなさそうな言葉をそっけなく返した。


 カレンはここまで遠路はるばるやってきたのに『それだけ?』と内心思ったが、まだ会ったばかりだ。


 ここで態度を悪くして、協定がご破算にでもなってしまったら困る。





 カレンは馬車へと案内され、ジェイドと一緒にこれから住むことになる皇都へと向かう。



「なぜ、あんな事をした」

「……すみません。あんな事、とは?」


 馬車で移動を始めてから、半日近く一言も発さなかったジェイド。ずっと不機嫌そうな顔をしていると思ったら、急にそんなことをカレンに言い出し始めた。


 カレンも何をそんなに機嫌が悪いのか分からないので、しばらく放って置いたのだが……。



「さっきの挨拶に対してだ。俺の伴侶ともなろう女が、簡単に頭を下げるな!」


 つまり、こういうことだった。

 ジェイドは頭を下げるのは、自分が相手より格下だと認める行為だと怒っていたのだ。


 皇国最強の魔導士と言われるジェイドにとって、強さが全てである。


 弱者は要らない、と遠回しにカレンに言ってきた、ということなのだ。



(はぁ? 普通は初対面の人、それも将来の旦那様になる相手に礼ぐらいするでしょーに!)


 誰に対しても礼を尽くすのがウェステリアのしきたりだ。リグド皇国に嫁いでもそれは変えたくない、自分の芯となる部分だ。


 違い過ぎる価値観に眩暈がしそうだが、ひと言「分かりました」とだけ返す。これ以上の問答は彼を更に怒らせるだけだと察したのだ。



 ふたたび、無言となる車内。

 カレンはこの空気に居た堪れなくなり、馬車の窓から外を眺める。


 だが、そこにも彼女の心を晴らすような光景は無かった。


 彼女の瞳に映るのは、奴隷のようにこき扱われる農民たち。


 ここでは魔力が兵としての基準に満たない民は、人権が認められないらしい。

 他国を攻め滅ぼし、強大化してきた弊害が自国の民にこうして向かってしまっているのが良く分かる。


 ネックレスのペントップに嵌められた太陽石シトリンを握るカレン。


 この魔女協定によってリグドは戦争をやめた。

 だが国民はどうなる? 虐げられたまま一生を過ごすのか?


 彼女は王妃となってこの仕組みを変えたかった。

 自分一人でどうにかなるとは思ってはいなかったが、それでも実績を積んで発言力を集めれば少しでも変えられるはず。


 (まずは味方を増やすことからよね……)


 その為にはまず、この脳味噌まで筋肉で出来た皇嗣ジェイドをどうにかしなければ……




 しかし国を変えようというカレンの思惑は、あっさりとついえた。



 王城で行われた魔力測定で、カレンには魔力が殆ど無いという結果が出たのである。


 これにジェイドは激怒した。

 カレンの頬を張り、婚姻事態を白紙としてしまったのだ。


 皇帝は魔女協定によるウェステリアからの技術提供を受けるため、カレンを人質としてこの国で飼い殺しにすると言った。つまり、国家間上では二人は夫婦とするが、それは仮初のもの。


 普段は城で雑用でもしていろ、と言い渡されてしまった。


 カレンはこの城に着た途端、王妃ではなく、使用人として働くこととなった。





 その日からカレンは、王城の清掃から食事の準備といった雑用をこなす。

 果てには農村に降り、自身の食料を確保するために農民と一緒に畑仕事をする毎日。


 とても一国の姫だった者に対する所業では無かったが、カレンは気にしていなかった。


 労働者と触れ合い、この国を知る。


 国民を土台から変えていこうと、彼女は方向転換したのである。



 最初はカレンを怪しんでいた者たちも、彼女のひたむきさと明るさに次第に癒されていく。







 ある日、カレンは午前の仕事を終えて城の食堂へと来ていた。


「おばさん、いつものお願い!!」

「あいよ! 魔女ランチね~」


 使用人や衛兵たちが使う、下級魔力者たちの集う大食堂。

 カレンはすっかりここの常連となっていた。



「さて、どこに座ろうかしら?」


 少しだけ豪華なランチを受け取ったカレンは、トレーを持ちながら盛況となっている大食堂を見渡す。

 空いている席はほとんど残ってはおらず、相席するしかなさそうだ。


 と、そこでこの食堂で初めて見る人物が目に入った。


 アンニュイな表情を浮かべながら、難しそうな分厚い本を片手に食事を摂っている、銀髪の美少年。

 彼は下級の肉体労働者が着るにしては、質の高過ぎるシャツを身に纏っていた。


 カレンはここで働き始めてまだ一ヶ月ほどだが、こんな人は初めてだ。



 興味を持ったカレンは、彼に話し掛けてみることにした。


「本が好きなんですか?」



「ひんっ!?」

「ぷふっ……ひ、ひん?」 


 女の子みたいなリアクションに、不意を突かれたカレンはつい笑ってしまった。


 自分でも恥ずかしい声を出してしまったと思ったのだろう。日焼けの無い白い顔を羞恥心で真っ赤に染め、プルプルと震えながら俯いてしまった。


「ご、ごめんなさい!! 私が急に声を掛けちゃったから……」

「いや、こっちこそ取り乱してごめん。僕も人に話し掛けられたのが久しぶり過ぎて、つい」


 流石に悪いと思ったカレンは、直ぐにペコペコと謝った。


 幸いにも彼は気にしていない様子で、ニコニコしている。


 その上、カレンがトレーを持ったままだと気付き、空いている席に座るよう勧めてくれた。




「僕は今、どうして人々に魔力の偏りが出るのかっていう研究をしているんだ。恥ずかしながら、僕は生まれつき魔力が少なくて……そのせいで、皇子なのに平民以下の扱いをされている……だからディアン日陰石なのさ。」


 ポケットから出したハンカチで眼鏡を拭きながら、彼は自嘲気味にそう語る。


 ディアンと名乗った彼は、なんとリグド皇国の末の皇子だった。

 彼は計測でほとんど魔力が無いと分かった瞬間、軟禁されてしまったらしい。


 だから国民はディアンが居ることも知らないし、城では幽霊のような扱いをされている。



 だが戦うのが嫌いな彼にとって、この境遇は渡りに船だった。

 戦闘の為の魔法ではなく、国民の生活に役立てる魔法を考えたいそうだ。




「どうにかして、万人が魔法を使えるようになれば……今みたいに、魔力の大小で夢を諦める必要が無くなると思うんだ」


 この研究が進めば、自分と同じように虐げられている民達も、簡単に魔法が使えるようになるんじゃないか……ディアンはそう考えているらしい。


 だけど魔法が使えるようになってしまえば、この国のトップたちは兵として前線へ送り出すだろう。


 それはディアンとしても、決して望むところでは無い。あくまでも彼は、暮らしを豊かにするために魔法が使えるようにしたいのだから。



「――周囲を漂う魔力を扱う、補助具みたいな道具を開発出来れば……だから伝説の技術大国ウェステリアに、いつか学びに行ってみたいんだ」


 まるで恋する乙女のように、ディアンは夢を語る。今の彼の境遇のままでは、国を出ることは適わないだろう。

 だが、ここにはその国の出身であるカレンが居る。



「素晴らしい夢ですわ、ディアン様!! 是非とも私にも、その研究のお手伝いをさせてください!!」

「ははは、僕なんかに様付けは要らないよ。でもありがとう。今まで周りにこんな話をしたら、いつも馬鹿にされるばっかりだったから……誰か一人でも助けになってくれると嬉しい」



「協力してもらいたくても、知識もお金も足りなくて……」と恥ずかしそうな笑いを浮かべるディアン。

 そんな彼の様子をみて、カレンは自分の胸がドクンと弾むのが分かった。



 最近やって来たカレンとは違い、この国で生まれた彼は幼い頃からしいたげられてきたという。


 にもかかわらず、いまだにこの国の民のことを想い続けている。

 自分の権力と、強い兵力を手に入れることにしか興味がないジェイドとは大違いだ。



 だから、カレンはつい思ってしまう。

 この皇子ディアンこそ、今のこの国に必要な存在ではなかろうか、と。


 なにより、彼の眼はまだこの国のことを諦めてなどいなかった。


 ディアンは自分のことを気弱で情けない男だと思っているかもしれないが、とんでもない。たった一人で戦い続けていた人間の、いったいどこが弱いというのだ。


 たしかに実力主義のこの国では、彼の考えは異端だろう。

 しかしカレンはこの国の出身ではない。

 だからこの国の常識は彼女には通用しないのだ。



 ――ディアンのことをもっと知りたい。

 ――もっと語り合って、この国の未来を一緒に作りたい。


 すっかり彼女は、会ったばかりのディアンに興味津々だった。

 実際には興味だなんて、生易しいものではなかったかもしれない。


 本人も忘れかけているが、元は燦爛さんらんの魔女と呼ばれた一国の姫だ。

 太陽のように明るい可憐な少女も、国の為とあれば獰猛なケモノへと変貌する。




『自分ならこの人の一番の味方になれるはず』


 この国に来て初めて得た同志に、カレンはディアンに対して恋に似たトキメキを感じていた。いや、彼女はもうすでに、この心優しき野心家との恋に落ちていたのかもしれない。




 その後カレンとディアンの二人は魔法の仕組みや民の普段の暮らし、好きな物語などを心ゆくまで語り合った。一緒にこの国を豊かにする約束もした。


 残念ながら短いお昼休憩の間だけであったが、それはお互いに充実した尊い時間であった。



「また……いつかこうして僕とお話してくれるかな?」


 女性を誘うようなことも初めてだったのだろう。

 ディアンは別れ際に、不安そうな声色でそう言った。


 しかしその眼鏡の奥の瞳は真剣で、真っ直ぐ彼女を見つめていた。

 彼なりの精一杯のお誘いだったのだろう。


 なんだか心が温かい気持ちでいっぱいになる。会いたいと思っていたのは自分だけじゃなかった。

 カレンは太陽のような笑顔で、「また、明日」と彼に伝えるのであった。



 こうして二人は城の騒がしい食堂で、ゆっくりと交友を深めていった。

 カレンはいつか、ただの平民としてでもいい、この人と一緒にこの国の為に尽くしたいと思うようになっていった。



 しかし、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。

 突然の皇帝の崩御。

 さらにはジェイドに新たな魔女が輿入れすると言う噂がたったのである。





「この婚姻の儀を嚆矢こうしとし、皆には世界の頂点を見せてやろう。これより我が国は、大陸を手に入れる為に戦争を仕掛ける! 最強の軍と船も手に入れた! 魔力もロクに持たぬ下等民族を、この手で救済するのだ!!」



 婚姻の儀が行われると言う噂を聞きつけ、大聖堂に駆け付けたカレンの耳に入ったのは――剣を掲げ、開戦の宣誓をしているジェイドの姿だった。



 当然、これを聞いて黙っていられるはずがない。


「それはどういうことですか!?」

「……誰だ」


 一気にカレンへと視線が集中する。

 町娘が着るようなワンピース姿の彼女は、どう見たって平民のそれだ。


「貴様は……あぁ、出来損ないの方の魔女か」


 ジェイドはカレンが誰のことか分からない様子だったが、彼女の髪を見てようやく思い出したようだ。

 彼女の代名詞である太陽のようなオレンジ色の髪は、今でも健在である。



「ククッ、クハハハハハッ!!」

「何がおかしいのよ! 魔女協定でウェステリアとの和平を結ぶと言ってきたのは、そっちじゃないの! 貴方、今更それをたがえるつもり!?」


 ただでさえ、婚姻の約束も反故ほごにされたのだ。

 放っておかれても戦争をしないのなら、と大人しく引き下がっていた結果がこれとは……そんな事は絶対に見過ごせない。



 しかしジェイドにとって、そんなことはどうでも良かったようだ。


「……よかろう。そんなに不服ならば、まずお前のウェステリアから消滅させてやろう。国が消えれば、協定も消えて一石二鳥だ」

「な、なんですって!?」

「可哀想な女ね~! ジェイド様にフラれたからって、ひがんでいるのかしら? 女の嫉妬って怖いわ~」


 花嫁まで一緒になって、カレンの神経を逆なでして来る始末。


「どうせ技術しかない貧国など、使いみちも無い。土地は我がリグド皇国の領地として有効活用してやろう。もちろん、は要らん」


 つまり女や子どもも、価値が無い。皆殺しだ、という。



 これを聞いたカレンは――遂に



「――いいでしょう。そんなにも戦争で死にたいのなら、魔女である私が相手になって差し上げましょう」

「ふん、魔力も低いクズの癖にまだ魔女などと騙っているのか? ……おい、本物の魔女というのを見せてやれ」

「任せてちょうだい」


 花嫁は一瞬で掌から数十の氷のつぶてを生み出す。

 そして警告も無しに、カレンに向かってそれらを撃ち出した。


(マズい……!!)


 あいにく武装もしていないカレンに、その攻撃を防ぐ手立てはない。


 ギリ、と奥歯が鳴る音がする。

 ここで戦おうとしても、大聖堂の中では周りを巻き込んでしまう。



 慌てて入口へと逃げていく観衆たち。

 残されたカレンは苦肉の策で少ない魔力を使って、どうにか炎の壁を作る。


 ――が、完全にそれらを防ぎきるには程遠い。


 壁を貫通したいくつもの礫が、彼女に向かって飛来する。



「クッ……!!」


 思わず目をつぶるカレン。

 しかし、いつまで経っても衝撃が彼女を襲って来ることは無かった。


「うぐっ……!!」


(えっ……??)


 うっすらと目を開けると、そこには自分を庇うようにして両手を広げるディアンの姿があった。

 全身に無数の傷を負い、ガクッと膝をついた。


 カレンは慌ててディアンに駆け寄る。


「ディアン! どうしてここに!?」


 自分が負傷したことよりも、カレンの無事な姿を見て「間に合って良かった……」とホッとした表情を浮かべる。



「食堂へ行ったらここへ向かったって聞いて、キミを追ってきたんだ……だけど、ゴメン……弱い僕じゃカレンを守ることも……」


 辛うじて致命傷は避けられたようだが、出血がひどい。


 どうにか手当てをしてあげたいが、誰も手を貸してはくれない。最悪なことに、元凶たちが二人のもとへと近寄ってきていたのだ。



「まったくその通りだな、クズめ。貴様が俺と同じ血が流れているだなんて考えたくもない!! おい、誰か!! こいつらをまとめて、牢屋へ連れていけ!」

「ディアンっ……やめてっ、放して!! ディアンがっ!! ディアンが死んじゃうっ!!」


 ジタバタと暴れるカレンを、兵が無理やり羽交い締めにする。

 せめてもの抵抗を、と思ったのか、カレンは両手を伸ばして火球を作り出した。


(せめて、これだけでも……!!)


「クハハハ!! なんだそのロウソクのような火は!! 明かりでもつける気か!?」

「「「ハハハハハ!!」」」


 その炎はジェイドの言う通り、とても小さいものだった。それを見た周囲の兵たちはカレンを止めることもせず、大声で笑い始めた。

 だが、彼女の狙いは彼らを攻撃することでは無い。



「ディアン……ごめんね……」

「う、ぐううっ」


 カレンの手から生まれた火球は、ふよふよとディアンへと飛んで行った。


 そして出血していた腹部へと優しく触れると、ジュウウという音を立てて傷口を焼いていく。

 荒療治で苦痛も大きいが、それよりも血を失うのを防いだのだ。



 それをつまらなさそうに観察していたジェイドが、カレンへ最後の言葉を掛ける。



「ふんっ、無駄な足掻きを。よく聞け、ロウソク女。今から貴様の国を我が軍が踏みつぶす。そのしらせを、薄暗い檻の中で怯えて待つがよい」 


 それだけ伝えると、「もう用はない、連れていけ」と部下に手を振って合図する。



 その瞬間――


 一人の魔女が、いた。

 大聖堂にとどろく、怨嗟えんさの絶叫。



「おい、黙れ!!」


 カレンを拘束していたブタに似た体格の兵が、彼女の胸元を乱暴に掴んで怒鳴った。

 そのどさくさで、カレンが大事に身に付けていた太陽石のネックレスが千切れ、床へと落ちた。


「ふん、無駄に良いものを……ん? 消え、た……?」


 ボーナス代わりに自分のモノにしようと、床にあるネックレスを拾おうとした瞬間。宝石はサラサラと砂へと変わってしまった。

 そして変化が訪れたのは、宝石だけでは無かった。



「ふふっ、ふふふふ……」

「ん? どうした、恐怖で気でも狂っちまったか?」


 突然、壊れたかのように笑い始めるカレン。

 そして顔を上げたかと思えば、気味が悪いほどの笑みを浮かべていた。


 兵士たちも思わず、それにはギョッとして後ずさりしてしまう。




「――ありがとう、自分じゃ封印を解けなかったの」



 さっきまでのひ弱そうな態度も、泣き喚いていた悲壮さも無い。

 まるで別人となった彼女のオーラに、周囲は騒然となる。



「な、なななっ!? なんだ、誰だオマエは……!!」

「私は燦爛さんらんの魔女よ。もしかして知らなかったかしら?」

「燦爛……ま、魔女!?」



「なら、自己紹介ついでに教えてあげるわ……融けよメルト



 カレンは構わず、呆然としていたブタ男の顔にそのまま手を伸ばした。


「は? や、やめ……あ、熱い!! ぎゃああああっ!!」



 ジュウウと肉の焼ける音がする。

 周りにいた彼の仲間は突然の事に、大口を開けたまま固まってしまっている。


「ゆ、許し……やめ、て……!!」

「そうやってあなた達は、この国の人たちの尊厳を奪ってきたのでしょう? だから、今度は私の番」

「ひっ、ぎああああっ!!」


 制止の声を無視し、さらに火力を高めたカレン。彼女はブタ男をあっという間に、素手で焼き豚へと変えてしまった。


 ドサリ、と床に落ちる焼き豚の音で、フリーズしていた残りの兵たちが正気を取り戻す。



「お、おい! 貴様、そんなことをして許されるとでも思っているのか!?」

「ふふっ、何を言っているのかしら? 最初から許すつもりなんてない癖に」

「や、やめろ……く、来るな!! う、うわっ、あああああっ!!」


 手入れもロクにされていない安物の剣をブンブンと振り回すが、カレンには当たらない。

 陽炎かげろうのようにゆらり、ゆらりと避けていく。

 そしてやっと当たったかと思った時には――



「さようなら。今までお勤めご苦労様でした♪」




 すべてが終わるまで、ものの数分も掛からなかった。


 ここにはもう、息をしている兵は一人も居ない。カレンはツカツカと歩いて行き、呆然と立っている新郎新婦の前に立つと、



「だから、早く追放しておけば良かったのに……」




 それだけ告げるとカレンは、両手で二人の頭を優しく掴んだ。







 ジェイドが引き起こした戦争は、リグドから出ることなく終戦となった。



 新郎新婦は戦犯扱いとなり、囚人のように枷を付けられたまま牢へと連行された。


 当初は消し炭にしようとしたところを、意識を取り戻したディアンが止めたのだ。決して情けを掛けたのではなく、それにはとある理由があった。



 一度始めてしまった戦争をキチンと幕引きするためには、この男の命が必要だった。


 個人の魔力の大小に固執し、大陸を恐怖で支配しようとした者は最期にどうなるのか。それを国民たちにも自分たちの目で見て、分からせるのだ。



 当然そうなれば、皇位は空席となる。


 そこでディアンが、リグド皇国の新たな皇帝となることになった。反対する武闘派や強硬派は、全てカレンが黙らせた。

 たとえ新たに反対派が出てきたとしても、彼には魔女がいる。



 そして本日、その即位式が無事に執り行われた。更にその後に行われる即位を記念する式典で、前皇帝ジェイドを処刑するのだ。



 会場となっている王城前の広場には、今回の顛末を知ろうとした多くの民衆たちが集まっている。


 演説を行う壇上には、軍服ではなく、立派な白の生地で仕立てられた儀式服を着こなすディアンが立っていた。


 彼の横には鎖に繋がれ、魂の抜けたような状態で項垂うなだれているジェイドの姿がある。つい先日までの立場とは真逆の有り様に、民衆たちも戸惑いを見せていた。



「今日は集まってくれてありがとう」


 新たな皇帝となった若き青年が、壇上で堂々と喋り始めた。


 皇帝がまた代わる、とあって「あの最強の魔導士が破れたのか!?」「次はどんな悪魔が皇帝になるのか?」と思う民衆が大半だった。


 しかし、こうして見ると虫も殺せなさそうな、穏やかな人物だった。中にはディアンの存在を知らなかった者も居るだろう。


 ざわざわと、困惑の声が大きくなる。



「見ての通り、こうして我が兄であったジェイドは捕らえられた。その理由は分かるか?」


 自分の名が出たことで、横に居たジェイドの身体がビクリと跳ねた。

 あの傲岸不遜ごうがんふそんな男がちょっとやそっとのことで、ここまで大人しくなるとは思えない。


 集まっている民たちは、新たな皇帝が彼を力でねじ伏せたのだ、と想像した。



 ディアンはなおも優しい笑みを浮かべながら、諭すように語り続ける。


 この国の、根本を変えるために。



「この男は力で恐怖によって、世界を手に入れようとした。力でこの国を富ませようとしたのは分かる。だが、それは間違っていた」


「力さえあれば、他はどうでもいい? 弱き者をいたぶり、尊厳だけでなく命も奪って良いのか?」


「力とは何だ? 強い魔力を持っている者が強いのか? はたして、本当にそうなのだろうか?」



 次第に民衆のざわめきが大きくなる。

 だがそれも当然だろう。今までの魔力主義の皇帝とは全く違うのだから。


「それは絶対に違う。魔力なんてモノ、生まれ持った才能の一つにしか過ぎない!!」


 今まで魔力を持たなければ人として扱われないような生活を送っていた民たちは、彼の言葉で目をみはった。


「これからは私がそれを証明して見せる。王妃となったウェステリアの魔女カレンと共に、其方たちでも使える魔道具を開発した。だから諸君らにも、自身の魔力が少なくても生活を豊かにし、誰かの助けとなる力を身に着けて欲しい。皇帝となるからは以上だ」



 皇帝自らが、認めてくれた。

 生まれてからずっと虐げられていた生活に終わりを告げ、この国の民として生きて良いのだと。


 その事実を、ようやく飲み込めた瞬間。



 ――民衆が大歓声で沸いた。



「「「わぁあああ!! ディアン皇帝! ばんざい!!」」」



 新たな皇帝を称賛する声と拍手に包まれ、ディアンは壇上から降りた。


 傍目には堂々としていたが、相当緊張していたのだろう。ふぅ、と大きな溜め息を吐いた。


 カレンはそんな彼を、見守るようにして待っていた。



「お疲れ様です、ディアン

「ふふ。やっぱりには、演説よりも研究している方が向いているね」



 胸ポケットから眼鏡を取り出すと、震える手で装着する。精一杯頑張る愛しい人を、カレンは微笑ましく見ていた。




 ディアンは一息つくと「さて」とカレンに向き直る。



「さぁ、カレン。場所を移動しようか」

「え? 何処へ?」


 この後の予定は何も聞いていない。

 てっきり城で一緒に政務か研究の続きをするものだと思っていたカレンは、キョトンとする。


「そんなの当り前だろう? 大聖堂で僕たちの結婚式をするのさ」

「えっ……私、が……?」


 何を今さら言っているんだ、と言う顔をするディアン。


「約束しただろう、僕と一緒にこの国を良くしようって。だから……」




 ――僕を照らす太陽になってくれるかい?



「ディアン……!!」



 カレンはまばゆい程の燦爛さんらんとした笑顔で、ニッコリと頷いた。










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