第20話
では善は急げだ!と父が何やら部屋を飛び出して行ったが、私は内心それどころではない。
「‥‥ノア‥その、結婚‥‥というのは、」
どう切り出せばいいのか分からずに、言葉をぶつ切りに落としていく。
「結婚に抵抗があるの?」
ソファに座り、いつの間にか長くなった足を組むノア。ノアはまだ14歳だが、この世界では14歳から結婚できる為法的には問題はない。
「‥‥ノアは、私を‥女として見てる、のか」
質問しようとしたのだが、いやそうなんだろうな普通に、と脳内で解決してしまった為、語尾はハテナではない。自分で口に出して勝手に納得した形だ。
「‥‥‥」
ノアが氷の視線で私を見ている。美少年の無言の怒りとは、怖い物だな、うん。ガタガタ震えてきたぞ。
「あ、そのっ、いや、なんというか」
ここまで狼狽える自分に驚きだ。ノアの顔を見れないまま、ずっとノアの足首を見ている。視線を上げたら喰われる気がするのだ。大蛇に睨まれた野うさぎのような感覚だな。
「アデルは、俺を男として見てないと?」
ひっ。声が、声が氷点下だ。ちなみにもちろん私の視線は足首のままだ。
男として‥ではなかった。うん。間違いなく。だって私は愛息子と思って見ていた。歳の差4歳を考慮して百歩譲ったとしても愛弟子だ。
「そ、その、だな。好きだぞ。間違いなく。この世で一番好きだし、愛しているし、信頼している」
「‥‥‥」
ノアが発していた冷気が少し収まった気がする。
「お、お、お、男、というのは。つまり、男性と、いうことか?」
「は?馬鹿なの?」
冷気が復活した。
「‥‥その、ノアが言っているのは、れ、れ、恋愛、か?」
言った瞬間にボシュンッと顔から湯気が出た‥気がする。
「‥‥恋愛ですけど?」
あ‥。ノアの口調が、ほんの少しだけ弱くなった。いや、おそらく他の人は気付かないほどの些細な変化。表情は見てないけど、たぶん少し口を尖らせていることだろう。怒りの中に、寂しさが混ざっている。
きゅぅっと、心臓が痛くなった。私まで眉が下がりそうだ。いや、恐らく下がっている。
「‥‥‥‥私は、恋愛を知らない」
「人妻だったのに?」
「‥それは前世だ。前世はオズバーン家に嫁ぐことは宿命だった。恋愛という感情は必要なかったのだ」
「‥‥‥俺は」
「‥ん?」
「‥‥‥俺は、同じ気持ちを持ってるんだと思ってた」
ノアの声色に、もうほとんど怒りはない。
あるのは寂しさと悲しみだ。流石に視線をノアの顔に向ける。
しゅん、と眉を下げているノアがそこにいた。
「その‥。私はお前とずっと一緒にいたいし、本当に好きなんだ。ただ、家族愛や恋愛の気持ちの違いが分からないだけなんだ」
「‥‥ドキドキするかどうかじゃない?」
「ドキドキ‥?」
「例えば‥自分の父や母にハグされて、もし唇にキスされたらどう思う?」
「‥ハグはまだしも、キスは‥気が触れたのかなと」
「じゃあ俺は?」
そう言ってジッと目を見つめられると、途端に毛細血管が騒つく気がする。何故だ。ハグは、どうだったかな‥この間。謎に号泣した時なんかは、そんなことを意識する余裕がなかったな。その少し前にハグした時はどうすればノアの顔が乳に埋もれないかを考えていたし‥
キ、キ、キ、キスは。うん。したことがないから分からないな。
結果、ほんのり顔を赤らめながらも「さぁ?」と首を傾げてみせた。
ノアはあからさまにイラッとした。そんなに怒らなくてもいいじゃないか。最近思春期真っ盛りだなお前は。
「‥ちょっときて」
ソファで足を組みながら、ノアは私を呼ぶ。ちょっと傲慢じゃないか?何故行かねばならないのだ。‥と思いつつも腰をあげる。
ノアの前までついた。
「なんだ」
腕を組んでそう言うと、ノアはパッと立ち上がるなり私の腕を引いた。
「うぉっ?!」
すっぽりとノアの腕の中に収まる。
あ、これは‥初めてかもしれない。理由付けのないハグ。
母の愛を伝える!でもなく、泣いてる私を抱き締める、でもなく。
ただただ、ノアに呼ばれて抱き締められている。
「‥‥暴れないで」
耳元でボソッと落とされた言葉。
「あ、暴れてなどいない!」
少し動揺しただけだ。
あと、耳元で話さないで欲しい。くすぐったいし、息が止まるし、心臓が痛い。おかげでまた不整脈だ。
私の額はちょうどノアの鼻あたりの高さなのだが、ノアが顔を少しズラしたせいで、瞼に何かが触れた。たったそれだけで、全身の毛が逆立ったような気がした。ノアの、唇だ。
恐らく、ノアはキスを落とそうとしたわけじゃない。顔をズラしたらたまたま触れたのだ。たぶん。
その証拠にノアの白い肌は真っ赤に染まり、ドクンドクン、と大きな鼓動が私の耳にまで聞こえてくる。私も、打ち付けてくる心臓があまりにも痛くて、でもなにも発言もできなくて、ノアが解放してくれるのを待つしかなかった。
瞼が疼いて、熱を持って、そして、それから‥
「ドキドキ‥する‥」
私はこの日、自分の感情が知らぬ間に進化していたことにようやく気付いたのだった。
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