魔法具師の異世界スローライフ

谷山 えまる

第1話 異世界へ

 目を覚ますと、目の前には木造の天井があった。体はベッドに横になっているようだ。掛け布団はなかったが、簡単な衣服も着ているし、寒くもなく、暑くもなくという感じだ。過ごしやすい気温でよかった。

 ベッドが寄せてある壁には刷りガラスの窓があり、そこから柔らかく暖かな日差しが差し込んでいる。

 体を起こし、周りを見渡してみると、ここはログハウスに近いような木造の家の中だった。部屋の真ん中にはダイニングテーブルと1人掛け用の椅子が四つ。食器棚や水瓶、石造の流し台、かまども備え付けられていた。

 扉は三つあり、一つは小さな刷りガラスの小窓がついていて、光が差し込んでいた。おそらく玄関扉だろう。

 ベッドから降りて残り二つの扉を開けると両方とも部屋に続いていた。一つは書斎だろうか。本棚や1人用の机と椅子が備え付けられている。大きさは七畳ほど。もう一つの部屋は物置のようで、全ての壁に大型の棚が寄せられている。棚には薪や日ごろ使うであろう日用品、狩りで使うであろう槍や剣、銛や釣竿、簡単な農具などが置かれていた。

 どの部屋にも人はおらず、長い間使われた形跡もなかったので、誰も住んではいないのだろう。ひとまず一安心だ。目を覚ますとそこは人の家でした、なんてことにならなくて良かった。おそらくここは「彼女」が俺に用意してくれたもので間違い無いだろう。


 玄関から外に出ると、半径五◯メートルほどの円形の原っぱが広がり、その真ん中に大樹、その根本に俺の家が建っていた。原っぱの周りには森が広がっている。

 「本当に来ちゃったんだなあ」

 そう呟きながら、俺はここまでの経緯を振り返った。


 俺は天野正道。二九歳。と言いたかったが、あと数分で三◯歳になる。しかも童貞のままで、だ。悲しい。

 そんな俺は、残業の帰り道、鉛のように重くなった体を引きずるように歩いていた。季節は春先。まだ風が少し肌寒い夜だった。

 「はぁ」

 俺は連日の残業の疲れが溢れ出したような、深いため息を吐いた。最近は疲れもピークに達しているようで、頭が回らなかったり、肩凝りや背中の痛み、今日のような体の重みを頻繁に感じるようになっていた。

 「少し休もう」

 そのまま家に帰れそうもなかったので、俺は電柱の下にしゃがみこんだ。すると自然に瞼も落ち、頭もうなだれる。


 「おじさん、大丈夫?」

 「わっ!」

 頭上から若い女性の声がして、気を失いかけていた俺はびくりと目を覚ました。

 顔を上げるとそこには一人のギャルがいた。

 髪は綺麗は金髪だ。長さは胸の辺りまであり、前髪は長くして二つに分けて額を出していた。耳はいくつかのピアスで飾り立てられている。服装は白ニットのオフショルダーとかなり短い黒のタイトなミニスカート、チェーンの肩掛けの着いたカバンという装いだった。若そうだが大人っぽいギャルという印象だ。

 「あ、ああ、すまん。心配してくれてありがとう。大丈夫だよ。」

 「そう?ならいいけど。あ、お腹減ってるとか?これあげるよ」

 彼女は持っていた鞄をがさごそと探りはじめた。

 「はい、アメちゃん。」

 見知らぬギャルにいきなり親切にされて動揺している俺に、構わず飴を渡してくる彼女。

 その飴をつまんでいる彼女の爪を見ると、普通の爪の二倍くらいの長さで、紫色をしていた。ラメもついているようで、街灯の光に照らされてキラキラと輝いていた。

 「あ、ありがとう。」

 彼女から飴を受け取ると、そのパッケージには梅味のイラストと筆で書かれたような渋いデザインで大きく「漢」と書かれていた。

 「おじさん、マジ大丈夫?顔死んでるけど。救急車呼ぶ?」

 「あ、本当に大丈夫。少し歩き疲れて休もうと思っただけだから」

 「そっか。良かったー。じゃあアタシ行くね。」

 「ああ。飴まで貰っちゃって、本当にありがとうな。」

 「ううん、気にしないでー。じゃあ、バイビー。」

 そう言って、彼女は屈託のない笑みで手を振り、歩いていった。

 「めっちゃ良い子だったな。」

 職場は男性ばかり、プライベートでも女性と話す機会がない俺は、久々に女性と話すことが出来て素直に嬉しかった。しかも、可愛くて優しいギャルだ。もう死んでも良いかもしれない。

 だが、「おじさん」か…。確かに俺は元から老け顔ではある。更に今日は一段と疲れた雰囲気を醸し出し、剃り忘れた髭で尚おじさん感が増していただろう。それでもちょっと悲しい。あの子からしたらもう俺は「おじさん」に見えてしまうのか。はあ。


 ギャルからもらった飴を握りしめながら、そんなことを考えていると、足元で何かが足に当たった。拾い上げると、それは紫色のキーケースだった。しゃがみ込んだ時には無かったし、おそらく彼女が飴を出した時に一緒に落ちたのだろう。彼女が向かった方向を見ると、まだその後ろ姿が見える。横断歩道にさしかかろうとしていた。歩行者用の青信号が点滅しているので彼女も立ち止まるはずだ。良し。間に合うな。少し小走りに彼女の元に向かう。

 あれ?妙だ。彼女が一向に止まる気配がない。

 「ちょ!マジか!」

 首が少し前かがみになっているのを見るとおそらく歩きスマホだろう。急いで彼女のもとに走る。久々に走るからか、思うように足が前に出ない。

 「くっそ!」

 持っていた鞄を放り投げ、全速力で走る。

 「ちょっと!」

 「わ!」

 彼女の肩を掴み、グイッと力一杯引く。やはり彼女はスマホを見ていたようだ。

 肩を引いた拍子に彼女の手からスマホがすり抜け、彼女とは逆、横断歩道の方に向けて宙を舞った。

 あれ?おかしい。スマホと俺の進行方向が一緒だ。ああ、勢いを殺せなかったのか。まあ久々に走ったしな。走るのも止まるのも急には出来ないよな。しょうがない。だって、今日で30歳だし。もうおっさんに片足突っ込んでるもん。この子にもおじさんって呼ばれちゃったし。横断歩道に身を出しながら、そんな呑気なことを考えていた。

 しかし、次の瞬間、ドンッと背中に激しい鈍痛が走り、体は宙を舞い、意識も飛んだ。


 意識が戻ると、俺は辺り一面真っ白で煌々と光る空間にいた。ここはどこだ?

 動揺がおさまらないうちに声が聞こえてきた。

 「……し…もし?もし?この声が聞こえますか?」

 透き通る、それでいて柔らかく穏やかな女性のような声が聞こえてきた。声に遅れて、声の主と思しき者の姿がぼんやりと見えてきた。顔はぼやけていて認識できないが、声、雰囲気、柔らかな流線を描く体つきからして女性のように見える。

 「もし?聞こえますか?」

 「あ!はい、聞こえます。」

 彼女の問いかけに返事をしていなかったことを思い出し、咄嗟に返事をする。

 「はあ。良かった。意識ははっきりしていますか?」

 「あ、はい。もう大丈夫かと。」

 「良かった。では、まず私の自己紹介を。私は女神テレア。数多の世界を、その成り立ちから観察、管理する者です。」

 薄々思ってはいたがやはり、彼女はテレア様だったか。と言うことは、やはり俺は死んだのだろう。

 「天野正道さん。今の状況は把握できますか?」

 「えっと、女性を助けようとして、車に轢かれて死んだ…。であってますか?」

 「はい、残念ながら、その通りです。」

 「そうですか。やっぱり。…あ、彼女は大丈夫でしたか?」

 「え?あ、ああ、はい。彼女は無事ですよ。あなたが轢かれた時は動揺していましたが、すぐにあなたの元に駆け寄って救急車を呼んだり、その後の対応も積極的に行っていました。自分の所為であなたが死んでしまったからと…。」

 「え?あ、ああ。うーん。そんなに気にしないで欲しいんだけどな。俺が勝手にやったことだし…。」

 咄嗟に助けたとはいえ、文字通り命をかけて助けた相手が無事助かったと言うのはひとまず良かった。だが、俺が死んでしまったことで責任を感じさせてしまったと言うのは少し申し訳ない気持ちだ。なんとかならないものか…。

 「優しいのですね。」

 「え?」

 少し考え込んでいると、テレア様がそう言ってきた。

 「人は死んだ時、もう少し自分のことを考えるものかと思うのです。ですが、あなたはすぐに彼女のことを。これまでのあなたのことも知ってはいますが、やはりあなたは優しい方なんですね。」

 「い、いや、そんな、俺は単に自分のやったことが無駄じゃなかったら良いなと思っただけで…。」

 テレア様に面と向かって優しいなんて言われると嬉しいがとても照れくさい。恥ずかしい。

 「ふふ。…良かった。あなたみたいな方なら。」

 「え?」

 テレア様は少し間を置いて、続けた。

 「…本題に入らせていただきますね。結論から言うと、あなたには剣と魔法の世界で人生を続けていただけないかなと思っているんです。もちろん強制ではありません。あなたが望むならで。」

 「なるほど。もし、望まない場合はどうなるのでしょう?」

 「その場合は、本来の摂理に則ってあなたの魂は分解され、こちらの世界の新たな魂の材料になります。肉体が朽ち果て、土に帰り、新たな生命の肉体へと循環するように。」

 「…な、なるほど、それはちょっと勿体無いですね。ちなみに、今回なぜ俺を異世界に?」

 「はい。実はその世界のある魔法使いが一人、あなたの世界に転移したのです。転移者が現れた場合、双方の世界のバランスを保つために、魂と物質が多くなった世界から少なくなった世界に希望者を送ることになっているのです。そして、今回、こちらから異世界にお送りする候補に挙がったのが正道さんだったと言うわけです。正道さんが選ばれた理由は、直近で人助けをして命を落とされた方だったからです。」

 「な、なるほど。そんな理由で異世界に行けてしまうんですね…。

 わかりました。俺ももう少し人生は生きてみたいですし、魔法には憧れがあったので、ぜひ異世界への転移?をお願いします。」

 「あら、お早いご決断ですね。ありがとうございます。まあ転移といっても、元の体は死んでしまっているので、魂と、肉体に必要な必要な物質を送り、向こうで構築し直すのですが。あ、容姿は魂に紐付くものなので変えられませんが、そこは理解してもらえると。」

 「あ、はい、それで大丈夫です。」

 まあ、生き返られるだけありがたいし、なんだかんだ三◯年使った自分の見た目だ。少なからず愛着もある。イケメンになれないのは残念だが良しとしよう。

 「その代わりと言ってはなんですが、向こうでの能力を補正しておきましょう。どんな生活をしたいとかはありますか?それに合わせて補正しますよ。」

 「え、いいんですか?それじゃあ…。」

 生前は好きでもない仕事で心も身体もすり減らしていたからな。できれば好きなことで生計を立てたい。それにできれば、綺麗な小川のそばでゆったりとした生活がいいな。

 「では、魔法を使ったり、ものづくりで生計を立てたいですね。あと、綺麗な小川のそばでゆったりとした生活を送りたいです。…できますかね?」

 「うーん、そうですねー」

 テレア様は目を閉じて少し考え込むと、

 「はい。大丈夫みたいですね。では、魔力と魔法具を作る能力を高めておきましょうか。」

 「魔法具?」

 「魔力と効果を付与した道具の総称です。向こうでの魔法の行使は基本的に魔法具と魔力が必要になるんです。例えば杖。杖は術者が魔法のイメージを思い描いきながら杖に魔力を流すと魔法を発現させる魔法具です。あとはスクロールとかもありますね。魔法陣や詠唱を描いた紙に魔力を付与して作ります。これは魔力を込めてあるので、魔力を持っていない方でも使える魔法具ですね。

 これらの魔法具に関する知識も記憶に詰め込んでおきますね。知りたくなったら思い出せるようにしておきます。あ、これらの知識を利用して自分で新しい魔法具を作ったりもできると思いますよ。

 魔法具を作る魔法使いを向こうでは魔法具師なんて呼ばれていたりします。魔法具は需要も大きいですし、十分稼ぐこともできるかと思います。」

 「は、はい。なるほど…。」

 憧れてはいたが、これまで虚構だと信じていたものの存在をこうもするすると肯定されてしまうと変な感じだ。

 「ほかにも身体能力や生活で必要な基本的な知識も詰め込んでおきましょう。あ、住む場所も良さそうなところがありました。整えておくので自由に使ってください。」

 「あ、ありがとうございます。」

 「他に何か要望はありますか?」

 「そうですね…。あ!俺が助けたあの子が自責の念で押しつぶされないようにしてあげてくれませんか?」

 その言葉にテレア様は驚いたようで一瞬の間があった。

 「…ふふ。ええ、わかりました。彼女のことは私に任せてください。」

 「何から何までありがとうございます。」

 「いいえ。こちらの都合でもありますし、私としてもあなたのような方には、心置きなく良い人生を続けていただきたいので。少しでもそのお手伝いができれば幸いです。」

 テレア様の顔は相変わらず見えないが、声色や雰囲気から優しく微笑んでいるように感じられた。


 「では、そろそろ…。」

 「…はい、お願いします。」

 その言葉の直後、徐々に俺は強い光に包まれ、意識が少しずつ遠のいて行く。

 「天野正道さん、ぜひより良い人生を。」

 そのテレア様の言葉を聞いて、俺は完全に意識を失ったのだ。

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