第五章 Walking Meat(3)
フランシスコと名乗った男は、僕らの前で鹿を
いらない角を捨てようとしたフランシスコに、アリスは待ったをかけて、それを受け取る。
頭の上に角を乗せて、ふんす。と鼻を鳴らしながら鹿のマネをしているアリスを放置して、僕は鹿の解体作業を映す。そういえば、鹿ではないが、ウサギの解体作業を延々と流す映画があったな。なんだっけ。『新プレデター』だったか。
「無視しないでください! あまりにも悲しいじゃあないですか!」
「いや……面白くなかったから……」
「おもっ……!」
「鹿の解体作業の方が面白そう」
「鹿に負けてしまいました!」
せっかく映画の面白いシーンを撮ろうと……とアリスは愕然とした表情で呟き、持っていた鹿の角を落とす。その考えは殊勝なことだが、面白くはない。可愛くはあった。言わないけど。
鹿の解体が終わると、僕らはレコニング号に乗り込み、フランシスコの案内のもと、彼が住んでいるらしいコミュニティに向かった。彼が持っていた猟銃はアリスに預かってもらった。アリスは既にフランシスコのことを信用しているようだったが、僕はまだ、猟銃を持ったまま隣に座らせるほど信用はできていない。
フランシスコが「ここだ」と言う。目的地に着いたらしい。
深々とした森の手前に、バスとテントと丸太小屋が建ち並んでいた。周りを鉄柵で囲んでいて、『死体』が入れないようになっている。
道には舗装された跡はなく、雑草すら枯れていた。水気がなく、表面に砂がまぶされている。
丸太小屋の前に、レコニング号を停める。外に人の姿はなかった。フランシスコ以外住んでいないのだろうか。と思ったが、バスの窓を見てみると、カーテンの隙間からこちらを覗きみる目があった。フランシスコはレコニング号から出ると、解体した鹿の肉が入った袋をかざしながら叫ぶ。
「帰ったぞ! 鹿の肉だ! 鹿の肉を獲ってきた!」
コミュニティは一気にお祭り騒ぎになった。一人とて外にでていなかった住人たちは、肉に釣られるように外に飛びだしてきて、フランシスコの前に並んだ。
フランシスコは一人一人に肉を渡していき、大きかった鹿の肉は、どんどんと量が減っていく。二十人ほどだろうか。痩せ細った人々の列がなくなり、肉も手のひらだいのものが三切れぐらいになる。
「すまないな。これぐらいしか残らなかった」
フランシスコは申し訳なさそうに手元に残った肉を僕らに見せる。アリスは頭を振る。
「皆さんもお腹が空いていたのですね」
「ああ。申し訳ないことをした。いつもならそこの森で狩りをするんだが、欲をだして、別の場所で狩りをしていたら一週間も断食させてしまった。二人に出会えて、本当にラッキーだったよ」
入ってくれ。というフランシスコに促されアリスと僕は、丸太小屋の中に入る。
丸太小屋の中は、いたって簡素だった。
机と、数個の椅子。
それとバーベキューセットが並んでいるだけだった。
「ここの土地はさ、すごく枯れているんだ」
椅子に座り、小屋の中を見回していると、バーベキューセットの前に立ったフランシスコがそんなことを言いだした。
「近くに森があるのに、不思議だろう。木々はあっても、農作物は一向に育たずに枯れてしまうんだ」
炭に火をつける。パチパチと燃える音が聞こえる。
「だからこのコミュニティの生活は、基本狩猟生活になった。銃を撃てるもの、あるいは、まだ動けるものが狩りにでる」
フランシスコは残った鹿肉を網の上に置く。じゅう。と肉の表面にある水分がとぶ。
「もちろん、外は危険だ。知っての通り『死体』がふらついているからな。狩りに出て、帰ってこなかったやつもいる。それでも、出ないと食う飯が無くなってしまうから」
「別の土地に引っ越そうとは思わなかったのか?」僕は尋ねる。フランシスコは頭を振る。
「二十数人全員で移動は現実的じゃあないな。次の居住先が見つかっているわけでもないし、移動中の食料や安全が確保されているわけでもない。ここでの生活はいっぱいいっぱいだが、けして、気軽に捨てれるようなものではないんだよ」
「なるほど」確かに、その通りだった。
じゅうじゅうと肉の焼ける音。
網の上に寝ていた肉から赤みが消えていく。すう、と鼻で息を吸えば食欲を大いに刺激するあの匂いがする。隣に座っているアリスの腹から、ぐぅ。と虫が鳴く。アリスは恥ずかしそうに、頰を赤らめた。僕は彼女の頭に手をのせる。
「腹の音ぐらいで恥ずかしがるのは今更だぞ」
「痴態はいつでも晒しているとでも⁉」
僕は頷いた。フランシスコが声を出さぬように笑いながら、焼けた肉を机の上に置いた。手のひらだいの鹿肉。
「味づけなんてものもない、ただの焼いた肉だけど」
アリスは僕の方を向く。既に口元からはだらだらとよだれが出ている。
「江渡木さん。江渡木さん」
「なんだ」
「お肉ですよ。お肉」
「シスターが肉に興奮するな。節制しろ」
「神さまもお肉ぐらい食べますよ。天上で贅沢三昧ですよ。霜降りお肉を侍らして蕩けるようなお肉を口の中で味わっているんですよ」
「あいつは猫だから、肉よりもサーモンの方が嬉しいんじゃあないのか?」
「神さまは猫なのですか?」
アリスは僕の方をがばりと向く。おや、いつもあの姿で現れるから、それが当然なのかと思っていたが、そうでもなかったらしい。アリスはふてくされたように頬を膨らませる。
「江渡木さんの方が神さまに詳しいなんて、ズルいです。私の方がお慕いしている自信がありますのに」
「会ったことないのか?」
「さっぱりです」
「まあ、アリスも神さまに選ばれてるんだから、いつか会う日があるんじゃあないのか?」
「神さまに選ばれたって」
僕らの前に座ったフランシスコが、こちらをじろりと睨む。
「あんたら、怪しい宗教関係の人か?」
「怪しくない宗教関係のものです」
「宗教の全容がさっぱり分からないけど関係者になっているものだ」
「お前は騙されてるんじゃあないのか、それは」
「僕も薄々そう感じている」
「神さまは騙したりしません!」
「ああ。いや、すまない」
前のめりになるアリスに、フランシスコは申し訳なさそうに言う。
「この近くに宗教の信者ばかりで構成されているらしいコミュニティがあってな。どうも閉鎖的というか、きな臭いというべきか。奇妙なコミュニティなんだよ。なんでも自殺をすることを美徳としてるとか……」
「わ、私はそんなこと言いませんよ!」
僕がアリスの方を向くと、ぶんぶんと顔の前で両手を振った。
「まあ、関係ないとは思うがそれでも気にはなってさ。なにを信じるのも自由だが、関わりたくないというのも本心だからさ」
フランシスコは頬をかきながら、申し訳なさそうに呟く。
「さ、食事にしよう。せっかくの焼いたばかりの肉が冷めちまう」
「そうですね。そんなもったいないことできません」
アリスは祈るように両手を組む。お祈りを終えたアリスは手のひらだいの鹿肉をフォークで持ち上げ、大きな口で一気に頬張った。もちもちとリスみたいに頬を膨らませながら、口の中いっぱいに詰め込んだ肉を咀嚼する。ごくんと嚥下。
「あぁ、美味しいです。レコちゃんに感謝ですね……!」
「あーあ、一口で食べたな。他が食べてるのを見て腹減っても知らないからな」
「そんな欲張りさんではありませんよ」
なんて言っていたが、僕が小さく一口食べるたびに――僕は元より一口が小さい。口いっぱいに頬張るというのがどうも苦手なのだ――アリスは、自分のなにものっていない皿と僕の口を交互に見比べて、大口をぽかんと開ける。ぐるぐるぐる……と腹の音。
「江渡木さん……一口だけ……」
「ダメだ。食べた量は変わらないだろう」
僕はアリスの方を向いて、見せつけるように肉を頬張る。彼女は悲痛そうな声をあげて、あごを机の上にのせる。
「食べてしまうと空腹が露骨に分かってしまっていけません……」
アリスは唇を尖らせて、空っぽの皿をじっと睨む。ずっと睨む。なぜ自分の皿に肉がないのかおかしいと言わんばかりだ。食べたからである。
そんなアリスを見たフランシスコは、首を傾げてから椅子から立つ。
「そういえば、まだ残っていたような……」
フランシスコは床に手を伸ばす。床下収納の扉が開き、中から冷気が溢れてくる。
「床に冷凍庫があるんだ。外の発電機で動かしてる」
冷凍庫から、白い霜がかかった、一塊の、赤い肉を取りだすと、薄く切って網の上に置いた。じゅう、と音。
「少し古い肉だけど、まあ焼けば食べれると思うよ」
「い、いえ。そんな、悪いです!」
アリスはぶんぶんと両手を顔の前で振る。
「いいんだよ。二人のおかげで皆に食料を配れたんだから」
「僕も遠慮しておく」
最後の肉を食べてから、僕は言う。アリスは意外そうに、目を見開く。
「それは、そっちで。食べてくれ」
***
「江渡木さん、なにか知っているんですか?」
食事のあと、アリスと僕はレコニング号に戻った。そろそろ日が落ちそうなので、今日のところはコミュニティに泊まることにした。フランシスコも、快諾してくれた。
運転席の背もたれを倒し、アリスに狭いと怒られ、少しあげたところで。
後部座席の掛け布団の上に腰掛けているアリスが、不意にそんなことを言った。
「……なにが?」
「江渡木さんがああいう態度を取るときは、なにかを知っているときです。モールのときも、そうでした」
僕はアリスの方を向く。彼女は真剣な眼差しで、僕を見ている。
「映画になにか似た話があったのですか?」
「いや。違うよ」僕は頭を振る。「ただ警戒しただけだ。知らない人から食べ物を貰ってはいけません。映画よりも、日常での常識だ」
「でも料理してもらったお肉は食べましたよね?」
「あれは僕らが轢いた鹿だからセーフ」
適当言ってません? みたいな表情を浮かべるアリスに、僕は煙を巻くように手のひらをヒラヒラと振って、背もたれに体を預けて、眼鏡を外す。
運転席と助手席の間にある小物置きに眼鏡を置こうと、体を傾けたら、助手席になにかが座っているのが見えた。小さな黒い塊。眼鏡がないと見えない。かけ直す。黒い猫が座っていた。
金色の目で僕を見据え、猫は人間みたいに話す。
『えいがを、うけとりにきた』
「それは」僕は息を吐きながら言う。「遠路はるばるご苦労さまで」
僕は後部座席を見る。神さまに会いたい! と言っていたアリスは、既に寝息をたてていた。
せっかく神さまがこんなに近くに現れたのに、タイミングの悪いことだ。
いや、そのタイミングを、神さまが狙っていると考えるべきなのかもしれない。
どうもこの神さまは、彼女に言葉をかけはするも、姿を見せようとはしないきらいがある。僕はカメラを取りだす。
「お前好みの、バッドエンドばかりになってるよ」
『よいことだ』神さまは舌なめずりをして、カメラに前足をのせる。
『いきるものは、しねばおしまいだ。しんでしまえば、なにもできない』
神さまは言う。
『ふくしゅうはできない』『こいはかなわない』『かぞくでいられない』『そうはおもわんか?』
神さまは僕の心うちを覗き込むように言う。バレたか。と小さく呟く。
今まで撮ってきた話はどれもこれも、神さまが好きなバッドエンドで、僕の否定されるようなハッピーエンドではなかった。
彼女たちは復讐を果たしてモールを取り戻すことは叶わなかった。彼や子供がゾンビになっても、なんと彼らは偶然にも助かって。なんてこともなく、二人で幸せになることも、今まで通り家族でいたりすることも、叶わなかった。
そんな作りものめいたハッピーエンドは撮れなかった。それでも、復讐は果たせたし、結婚式は挙げれたね。と。完璧に幸せとは言えないけれども、不幸せというわけでもないね。みたいな、そんなオチに持ち込めないかなと。そういう風に撮っていた。しかし神さまには、そんなこともお見通しだったようだ。
『わたしは』
神さまはカメラを前足で押しのける。僕はカメラを持ち上げる。神さまは小さなビデオテープを口に咥えていた。古いものがお好きなようで……。
『えいががすきだ』『だから、このせかいをつくった』『えいがをりあるにあじわえるからだ』『しにんがあるくせかいでいきるにんげんをみるのはたのしい』『おまえもそうだろう?』
「……否定はしない」
僕もゾンビ映画は好きだ。
この世界にやってきたとき、少しばかり、ワクワクしたことを否定はできない。
『おまえはいった』
『おもしろいえいがをとるといった』
――面白い映画を、撮ってやろう。
神さまは、にぃ。と笑う。
『わたしはまんぞくしている』『とりかたにふふくはあるがな』『ゆえに』『これからも』『きたいしているぞ』
「……任せてくれよ」
神さまは助手席の窓をあける。
『わたしはしばらく、ここにいる』
『ようやく、たべてくれたからな』
神さまは外に飛びだそうとする。僕はそれを引き留めるように、尋ねる。
「ひとつ質問があるんだけど」
『なんだ?』
「アリスは一体、どんな名前の、どんな宗教を信じているんだ? そこらへんの掘り下げがないだろう?」
『かのじょは』神さまは振り返る。『しゅうきょうなぞ、しんじていない』答える。『
***
運転席のドアをノックする音で、僕は目を覚ます。
背もたれから背を離すと、窓からレコニング号の中を覗き見る、フランシスコの姿が見えた。彼の顔は、焦っているようにみえた。僕は目をこすりながら、窓を開ける。カメラを起動して、彼の方を向ける。
「おはよう」
「おはよう。昨日から思っていたことだが、お前はどうしてカメラを回してるんだ?」
「映画を撮っているんだ」
「エイガ?」
「面白いものだよ」
それで。と僕は続ける。
「なにかあったのか? 焦ってるみたいだけど」
「『死体』が出た」
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