第二章 ゾンビ(4)
三階の好きなところで寝ていい。どうせ生きてるのは自分たちだけなのだから。
ルディがそんな風に言ったので、アリスと僕は家具販売コーナーの中を散策したところ、二つ並んでいるベッドを発見した。生活空間を演出するためか、近くにマネキンが一体置かれている。
僕の前を歩いていたアリス(カメラの画角に入ってと伝えている)は「わあっ」と声をあげると、ベッドに飛び込んだ。
スプリングは未だ健在のようで、アリスの体は一度宙に返されてから、マットに沈み込んだ。
枕に顔を埋めて、大きく息を吸ってから、キラキラとした目をあげた。
「江渡木さん、見てください。ふかふかのベッドですよ。ふかふかの! こんなふかふかのベッドで寝れるのは、産まれて初めてかもしれません……!」
「そうなの?」
「はい。私の家のお布団はぺっちゃんこでしたし、神さまから啓示を受け取ってからは、地べたにそのまま横になってましたし。ああ、幸せです」
どうやら僕が思っている以上に、この世界は困窮しているらしい。ゾンビが歩き回り、社会が回らなくなっているのだろうから、当然といえば、当然なのかもしれない。
アリスがさきの出来事を引きずっていないことに安堵しながら、僕もベッドに腰をおろす。
「僕は正直、ルディたちを信用できない」
「江渡木さん」
アリスは体を持ち上げ、ベッドに座る。
まるで、同級生のことを悪く言う子供を見る母親のような、呆れた表情を浮かべていた。
「人のことを悪く言ってはいけません。出会ったばかりの人なら、なおさらです」
「さっき、ラリーっていう人が殺されたときは激昂してただろう」
「確かにあれは酷いとは思いましたが……生きるためには、仕方ないことでもあります」
僕は目を丸くする。てっきり彼女は、酷いことは許せない。みたいな性格をしていると思っていたからだ。
「江渡木さんがルディさんたちを信用できない理由は、それだけですか?」
「いや、他にもある。どうしてルディたちだけが生き延びたのだろうか」
「え?」
「百人単位のコミュニティだったんだろう。ここは。どうしてルディたちだけが生き延びたんだ?」
「三階まで逃げれたから無事だったとおっしゃってましたけど」
「手すりに血がついていた。まだ新しい血がべっとりと。見たところ、あの五人の誰もケガをしてなかった。つまり、あれは五人以外の血ということだ。ゾンビが三階に来なかったとすれば、どうして流血沙汰が発生して、その流血したやつはどこに消えたんだ?」
「それは」
「それに、彼らが屋上から捨てていた死体はどう説明する? 人がいなくてゾンビもいなかった三階に避難したとしたら、あの死体はどこからでたんだ?」
三階に避難している間に退治したゾンビという可能性は?
それはない。『死体流れ』で流れてきたゾンビたちは、立ち尽くしている僕を見ていた。彼らはまだ動いていた。追いかけてきたゾンビを、殺さずに、わざわざ屋上に持って行って捨てる道理はない。自分から勝手に落ちたという可能性はない。なぜならば、ゾンビは流水を恐れるから。
『死体流れ』は誰かがゾンビを川に落とさない限り、発生し得ない現象だ。
その死体はどこの死体だ?
一階、二階の死体をわざわざ運んだ? それもありえない。
たった五人で、まだゾンビ化してない重たい死体を、盛況であった頃のモールを彷彿とさせる量のゾンビの中をかいくぐって、屋上まであげるのは不可能だし、そんなことをする意味がない。
ならば。
「ならば、あの死体はどこからでたのか。
三階にも人がいた。その人たちの死体を、ルディたちは屋上から捨てていたのだ。
ただし、『死体流れ』の死体が、ルディたちによる虐殺によるものなのか、それとも、彼らが三階に上がった時点で既に死体だらけであり、それを処理したのかは分からない。
「確実なのは、三階で死体が出るようななにかがあり、彼らだけが生き延びたということだ。それはどうして? なぜ彼らは話さなかった?」
彼らは――モールの王は、なにか僕らに隠している。
「隠し事をしている相手を素直に信じることはできないよ」
「……しかし、彼らが神さまの言う困っている方々なのかもしれませんよ?」
「それはない」
どちらかといえば、神さまの用意した悪役っぽい。これはメタ的推察だから、口には出さないけど。むむむむ。とアリスは唸ってから。
「分かりません!」
と言って、ベッドに体を投げ捨てた。スプリングで、彼女の体が跳ねる。
「むごっ」
という声が押し潰されたような声が聞こえた。僕の声でも、アリスの声でもない。声の発信源は、アリスが寝っ転がっているベッドの下。アリスと僕は、顔を見合わせる。
「あ、あのっ。生き延びた方……でしょうか。私たち別に怪しいものではなく、ルディさん。知ってますか? ルディさんに招かれまして」
おっかなびっくりと、アリスはベッドの下に話しかけるが、ベッドの下から返事はない。彼女はベッドから降りて、その下を覗きこむようにしゃがみ込んだ。
「ばっ――!」
僕は思わず声をあげた。ベッドの下の暗がりなんて、殺人鬼やモンスターやゾンビが潜んでいるに決まっているじゃあないか! 僕が叫びきるよりも先に、ベッドの下から腕が伸びてきて、アリスをベッドの下に引きずりこもうとする。僕は咄嗟に、その腕を踏んづけた。
腕は一瞬動きを止め、僕はアリスを引っ張り、ベッドから引き剥がす。ベッドの下から、ゾンビが這いだしてきた。ゾンビは僕を見ていた。逃げられない。ゾンビは僕の肩を掴むと、地面に叩きつけた。持っていたカメラが弾き飛ばされ、床を滑る。
アリスが悲鳴をあげた。彼女と違って僕には抗体はない。噛まれたら一発アウトだ。
とっさにゾンビの首を掴んで、ゾンビの頭を押さえつける。ゾンビの開いた口から粘っこい涎がたれて、僕の肩にかかる。消費期限の過ぎた納豆みたいな臭いがした。
「動かないで!」
派手な銃声がした。耳の奥からきいいん。という甲高い音がして、視界がしばらくぐらぐらと揺れる。首根っこを掴んでいたゾンビから、力が抜けていることに気づいた。銃声の方を向く。痩けた女が銃を構えて立っていた。ラリーと共に階下に向かっていた女である。
「……ありがとう。助かった」
ゾンビから手を離す。死体らしく、地面に落ちた。頭は斜めに削れていた。
そうだ、カメラ。カメラは無事だろうか。さっき滑っていったカメラを探す。カメラはすぐそこに落ちていた。起動してみると、ベッドの下に隠れていたゾンビのアップが映っていた。
「良かった。カメラは無事だ。壊れてたらどうしようかと……ああっ!」
僕が唐突にあげた大声に、アリスと痩けた女はビクリと体を震わせる。
「ど、どうしました?」
「カメラを見てくれ。すごい映像が撮れたんだ」
カメラの映像を観ようと駆け寄ってきたアリスに、僕は小さな声で言う。
「ちょっと大仰に驚いてくれ」
「どうしてですか?」
「いいから。監督命令。迫真の演技で頼むよ」
「は、はい」
アリスは小さく息を吸って。
「わ、わぁ。なんですかこれは~~~~!」
棒も甚だしかった。わーと両手をあげてアリスは驚いた素振りをする。
すわ、失敗かと目だけを動かして痩けた女の方を見る。彼女はなにやら不審がってはいるようだが、しかし、カメラの映像が気になるのか僕のすぐ横まで近づいてきた。ので、僕は彼女に体当たりをかました。
痩けた女はあっさりと転けてしまい、銃を手放した。僕は銃を拾い上げ、彼女に向けた。
「まったく、カメラと手を接合したい気分だよ。大事なときに落としたりしたら、良い映像が撮れなくなってしまうからさ。そうは思わない?」
僕は尋ねる。痩けた女は答えない。
「まあ今回は、弾き飛ばされるカメラ映像が撮れたから良しとするけど。ところで、銃を盗られたこの状況は良い状況?」
痩けた女の汗腺がぶわっと開いた。
「質問に答えろ。あの『死体』は、どうしてここにいたんだ?」
「し、知らない。封鎖しているときに、侵入してきたんじゃあない?」
「このゾンビ、人に殺されてるけど」
僕は銃を構えたまま、カメラの映像を彼女に見せる。カメラに映しだされているゾンビの額には穴が空いていた。ゾンビになってから頭を撃たれていたのならば、もう動くはずがない。
ならば、頭を撃たれたのはゾンビになる前――死ぬ前ということになる。
「この人はどうして殺された? 僕らが来る前に、このモールでなにがあった?」
「教えてください」
痩けた女に、アリスは言う。
「神さまが私たちをここに招いた理由かもしれません」
果たして。
「お――」
痩けた女は。
「お、おおおぉぉ……!!」
決壊したダムのように、涙を流した。
「やはり神さまは世界全てをご覧になられているのですか……っ!」
彼女は胸元からペンダントを取りだす。それは、アリスがつけているものと同じ、祈る手をモチーフにした銀のペンダントだった。
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