深海の歌姫ーAnother storyー
瑞樹(小原瑞樹)
第1話 秘書のお仕事
1ー1
東京、丸の内。
日本でも有数のオフィス街として知られるこの一帯には多くの高層ビルが立ち並び、携帯電話を耳に当てたサラリーマンや、ヒールの音を響かせるOLがその合間を足早に歩いている。
その中でも一際高い硝子張りのビルの前に、一台の黒塗りの車が停車した。白い手袋をはめ、帽子を被った運転手が素早く運転席から降り、後方の扉を恭しく開ける。そこからすらっとした足と白いハイヒールが覗き、次いで白いスーツを着た長身の女性が現れた。ブラウンベージュのセミロングの髪は内巻きにされ、口元には薔薇色のルージュが塗られている。目鼻立ちのはっきりとした顔立ちは美人といってよく、そのスタイリッシュな装いも相まって女優のように見えた。周囲を行き交うサラリーマンやOLは思わず足を止め、まじまじと彼女の姿に見入った。
女性は運転手に礼を言うと、海老茶色のハンドバッグを腕にかけて歩き出した。ヒールがコツコツを音を立て、彼女が通った後には花が咲いたように甘い香りが漂う。何も知らない人が彼女を見たら、どこかの大企業の女社長が高級車を走らせて出勤してきたと思うだろう。
だが、彼女は社長ではなかった。ただし限りなく社長に近い存在ではあった。
彼女は秘書だった。
彼女の名前は
だが、彼女は大学を卒業すると自ら志望して秘書の仕事に就いた。そこには彼女なりの決意があった。
百合が秘書の仕事を知ったのは大学在学中のこと。その大学もやはりお嬢様学校で、在学中に結婚相手を見つけて卒業後に家庭に入るという流れが一般的であったが、一定数は就職する者もいた。そこで彼女達が就職先の選択肢として検討していたのが秘書だった。ただ、彼女達の多くは秘書を腰掛け程度にしか考えておらず、社長とお近づきになってさらなる玉の輿を狙っていることが窺えた。
百合も最初は興味本位で調べていたのだが、秘書という仕事を知るうちに、その仕事内容に魅力を感じるようになっていった。
秘書は決して経営者のお飾りではない。多忙を極める経営者に伴走し、その仕事が円滑に進むようにサポートする重要な仕事だ。お嬢様として、人に尽くされることが当たり前の環境で育ってきた百合にとっては、自分が誰かに尽くす側に回ることはひどく興味を覚えさせるものだった。だからこそ百合は、ただの腰掛けではなく、熱意を持って秘書の仕事に取り組みたいと考えるようになったのだ。
そうして就職して早7年、百合は秘書を天職だと考えるようになっていた。
自分が主役になるわけではないが、それでも誰かにとってなくてはならない存在になる。誰かに頼られ、必要とされている感覚は百合の心に暖かな喜びをもたらした。友人の秘書が2、3年で次々と寿退社していく中、百合は一度も仕事を辞めたいとは思わなかった。家にいて使用人に世話をしてもらうよりも、自分の手足を使って誰かを助けている方がずっと心地よかった。
百合は秘書の仕事に誇りを持っていた。自分は誰よりも優秀な秘書になって、社長を世界で活躍できる存在にしてみせる。そんな野心すらも内心では息巻いていた。
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