第二十一話 秘奥義

 リオはトリグから目を離していなかった。

 しかし、気付いたら目の前にいた。


 リオの身体が反射的に動く。

 八相の構えから袈裟斬りに振り下ろされるトリグの剣の軌道を予測。腰を落としながら後ろに跳んで紙一重に躱した。

 両足を揃えつつ神剣オボフスの鞘を川原に突き刺して支柱にし、突き出されるトリグの長剣を透過して川原の小石を横に蹴り飛ばす。


 シラハへ手を伸ばしていた髭の男がこめかみに迫る小石に気付いて上半身を逸らして躱す。その間にシラハが身体強化を施した身体で遠慮なく髭の男の股間を蹴り飛ばした。

 容姿に恵まれたシラハがリオと一緒に旅に出ると聞いた母がやるときは全力でやれと教えた必殺技だ。

 必殺技のはずだった……。


「小娘が!」


 髭の騎士は堪えた様子もなくシラハの髪を掴もうとする。

 横目で見ていたトリグが小さく笑う。


「騎士なんだから急所は守るって」

「小細工しやがって!」


 シラハを助けに行こうとしたリオの前にトリグが風のように回り込む。

 まただ、とリオは歯噛みする。


 トリグは動き出しが見えない。さらにはリオの動きを数手先まで読んで行動しているのが分かる。

 我流のリオの動きを、先読みしている。


 進路をふさぐように振り上げられるトリグの長剣に神剣オボフスを触れさせ、その脇を抜こうと一歩踏み出す。

 しかし、リオの動きを読んでいたトリグが中段回し蹴りでリオの腹部を狙ってきた。

 強化効率の差が歴然としているのだ。仮に鞘で受けても吹き飛ばされるのが目に見えている。


 リオは後方に飛び退きながら叫んだ。


「チュラス! シラハを頼む!」


 リオの声に応えて、チュラスが身体強化をして小石を前足で投げ飛ばし、髭の大男を牽制する。

 シラハが心の底からの嫌悪感を隠しもせずに髭の大男を睨み、数歩下がった。


 髭の大男とトリグがリオとシラハの間に割り込み、分断する。

 トリグと髭の大男は大した面識もないだろうに、見事な連携だった。腕が立つ隊長格同士だからこそ、何をしてほしいかが分かっているのだ。


 無駄口を叩かず、トリグがリオに突きを放つ。

 躱すのもやっとの鋭い突きがリオをさらにシラハから遠ざけた。

 飄々とした表情で、トリグが長剣を引き戻し、足元の小石を蹴飛ばす振りでリオの視線を誘導しようとする。

 しかし、トリグは小石を軽く小突いて動きを止め、警戒するように目を細めた。


「……おいおい、この状況下でおじさんの技を盗もうとしてないかい?」


 トリグが引き攣ったように笑う。

 トリグの指摘は正しかった。


 シラハの守りをチュラスに任せ、リオは全身全霊でトリグの動きをつぶさに観察し始めていた。

 圧倒的な実力者が目の前で自分の理解が及ばない動きをして――くれている。


 リオの頭の中ではカリルが教えてくれた様々な流派の型とそれが持つ意味、繰り出すべき状況や想定される展開が駆け巡り、トリグの構えに当てはめられていく。

 シローズ流、ガルドラットに教えられた身体構造がトリグに合わせて調整されている。関節の予測可動範囲を考えて当てはめている。

 ミロト流、イェバスに教えられた身体強化の割合に応じた構えと振り方、その類型にトリグの動きを当てはめている。

 旧シュベート国騎士団、邪人コンラッツが一つだけ教えてくれた後の先の剣。その肝である剣を振る際の回転軸を想定し、最適かつ最速の動きを思考し、トリグの体勢を見て回転軸を当てはめる。


 教わった、学んだ、体験した、すべての理屈をトリグに当てはめながら、リオは思考する。

 理解が及ばない動きを脳裏に叩き込んで理屈を後回しにそこにある事実だけを受け止める。

 自分には剣の才能がないのだから、達人の動きを理解する前に覚えるべきだと知っていた。

 受け止めた先に、自分が強くなる手掛かりがあると確信し、貪欲にトリグを観察していた。


 かつて、村に来たばかりのシラハがリオに向けていた目と完全に同種のそれを、リオはトリグに向けていた。


 トリグがゴクリと喉を鳴らす。


「道場でもなかなか見ないよ、そんな目……」

「――あ、分かった」


 リオが呟いた瞬間、トリグが後ろに飛び退く。

 その動きはちょうど横を流れる川のように、抵抗を感じさせない流麗な動きだ。


 トリグは背筋を駆け上る悪寒に頬を引きつらせる。

 リオは一切動いていなかった。無感動に無感情にトリグの一挙手一投足と重力や風力、魔力の流れを見つめていた。

 トリグは悟る。

 リオの言葉は、トリグの心情――怯えを見抜いた上でのブラフ。それも、自らが得た確信のない閃きを実際に動きに照らして正解かを探るための物だ。


 リオが嬉しそうに笑う。

 リオが動くと、トリグは長剣を握る手を振り上げる。

 リオは動き出す。


 身体の可動範囲、強化割合による最適な構えと振り方、自らの回転軸を意識する。

 そして、トリグの動きを――筋力以外の力の動きを認識する。


 神剣オボフスが川原に消える。腰だめに構えながら極端に下がった切っ先が地面に透過していた。

 上半身が重力に引かれて、筋力以上に加速する。

 風を背中に受け、体の正面に押し出した重心が重力に引かれるのも利用して加速する。


 ……いつのことだったろうか。

 シラハが、リオの動きを読んでタオルを取ってきたことがあった。

 リオの動きの最初の起こりを見てその後の行動を、シラハは読んだ。


 武術の心得がないシラハが読めたのならば、達人の域に達しているトリグが読めないはずはない。

 リオのこの動きも、トリグは見るまでもなく読んでいる。


 ――読むしかない。


 動きのすべてをトリグが予測していると見抜いて、リオは身体強化を限界以上に発動し、魔力が作る陽炎に包まれた。

 行動の起こりを読ませないその動きを、リオは完全にはまねできない。

 達人の域に達しているトリグの技を見て盗むことなどできないのだ。リオは自分の才能の無さを理解していた。

 リオに剣術の才能はない。


 剣術の才能がないリオが、それでも築き上げた我流剣術の根本思想は――勝てない相手から逃げること。


 爆発的に膨れ上がった陽炎はあらゆるものの輪郭を溶かした。


 それでも、トリグは怯まなかった。

 リオの目的も勝利条件も今までの動きから推測して、自らの勝負勘を頼りに剣を横に一閃する。

 右から左へと剣を振りながら、トリグは剣が到達する前に左から吹き抜ける風を感じて思わず笑みを浮かべた。


「久しぶりに負けたな……」


 トリグの呟きなど届かない。

 リオはトリグの左横をすり抜け、陽炎を広げながら、風を追い抜いて神剣オボフスを振りぬく。

 シラハが繰り出す剣を弾いていた髭の大男がぎょっとした顔で陽炎を振り返る。

 姿が見えないリオを捉えようと、ミュゼ同様に後ろに下がった――その刹那、リオは神剣オボフスを振り抜いた。


 異様な打撃音が暗い空を突きあげる。


 衝撃に備えていた髭の大男は後ろに下がった自らの行動を呪う。

 リオが振りぬいた剣は髭の大男の動きを、重心とその移動方向を、力の向きを的確にとらえて、大男を宙へ舞いあげた。


 髭の大男が地に落ちるより早く、川を水飛沫が横切る。

 陽炎と水飛沫が晴れた時、リオに対岸へと運ばれたシラハが邪剣ナイトストーカーを発動し、二人と一匹の姿を闇に消した。

 トリグが夜空を仰ぎ、額を抑える。


「強ぇ……」

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