第十七話 撤退

 リオはミュゼの体勢を見つめて、オボフスの柄を握りしめる。

 他の流派ならばいざ知らず、ミュゼは異伝エンロー流の使い手だ。カリルを見てきたリオは、異伝エンロー流が片手でも十分に戦えることを知っている。

 事実、ミュゼは地面に腰をつけているものの、足の裏を地面にしっかりとつけている。限界発動の影響で体が思うように動かせないはずだが、何かを仕掛けようとしているように見えた。

 つくづく、異伝エンロー流は厄介だ。


 リオはミュゼの右側へと回り込もうとする。右腕を失ったミュゼの対応が遅れるとすれば右側だという判断もあったが、リオに注目させる必要があるのだ。

 ミュゼがリオの動きを目で追いながら、残った左手を地面に添える。血を流し続ける右腕に構う様子もない。

 リオが息を詰めた瞬間だった。

 ミュゼが左手を添えた地面が突然隆起し、体勢を崩した。


「――はぁ!?」


 片腕のバランスに慣れていないミュゼが致命的な隙を晒しながらも、リオへと左手に掴んだ土を投げつける。

 リオは肩を引いて土を躱した。

 距離を詰めようともしないリオにミュゼが不審そうな目を向けた時、姿の見えない何かがミュゼの懐に潜り込み、神玉を弾き飛ばし、神鏡リィッペリを盗んで逃げた。

 盗人が人の感触をしていなかったからだろう。ミュゼが目を丸くする。


 宙を飛んだ神玉が空中でキャッチされ、神鏡リィッペリを咥えたチュラスが姿を現す。器用に猫の前足で神玉を持ったチュラスはつまらなそうに鼻を鳴らした。


「他愛もないわ」


 人語を喋る黒猫に、ミュゼは硬直し、肘から先がない右腕を押さえた。


「幻聴とは……血を流し過ぎたかな」


 やっと共感できる反応が見られた、などとリオが益体もないことを考えていると、シラハが目の前に現れた。

 チュラスと同様に邪剣ナイトストーカーの効果を切ったらしい。

 怒ったような顔でリオの手足をペタペタと触診して、シラハはぶつぶつと呟く。


「また無茶したまた無茶した無茶したまた無茶した無茶したまた無茶したまた無茶したまた無茶したいつも無茶する無茶したまた無茶したすぐ無茶する無茶する」

「シラハ?」


 リオが声をかけると、シラハは呟くのをやめてリオの顔を見る。


「ごめんなさい。魔法で援護するはずだったのに距離が近くてできなくて。でも、無茶するのはダメだって言ったのにリオも約束破った。ミュゼが離れた時になんで追いかけたの? 私が魔法で援護する場面だったのになんでまたすぐ無茶するの?」

「……技を試したかったから」


 限界突破した状態で動き回るなど、体の動かし方や力の抜き方を少しでも間違えれば体を壊す。現に、限界発動に失敗したミュゼは体のあちこちにダメージを負っていた。

 シラハに言われるまでもなく、無茶をした自覚があるリオは顔を背ける。

 シラハは表情の抜け落ちた顔でじっとリオを見つめた後、ちらりと神剣オボフスに視線を落とした。


「……わかった」


 なにが、と問えばさらに怒られると思い、リオはシラハから離れてカリル達を見る。

 赤い霧のカーテンの魔法は正体が不明だが、ミュゼがまともに戦えない今、魔法斬りで消すことができる。懸念材料だった神鏡リィッペリによる実体化もチュラスが盗み出した以上は気にしなくていい。

 リオが赤い霧のカーテンへ斬りかかろうと息を大きく吸った時、それは起こった。


「――いくぜ!」


 カリルの大声と同時に、赤い霧のカーテンの向こう側に突如として無数の人だかりが発生したのだ。

 どこか大きな町の通り。祭りでもやっているのか、浮かれた表情で走り回る子供と大声を張り上げているらしい店の人々、盃を掲げる男たちと着飾った娘たちでごった返す明るい道。

 カリルが神剣ヌラを発動し、祭り中のロシズ子爵家の領都を再現したのだ。


 人込みに飲まれた魔法使い二人が援護できずにいる間に、オックス流の重装騎士たちが土のドームに閉じ込められる。ソレインの魔法、鳴窟だろう。

 慌てて土のドームを破壊するための魔法を唱えようとした魔法使い二人が背後からバッサリと斬り伏せられる。

 今の今までずっと息をひそめていたカリルの元パーティメンバー、パナルの奇襲だ。


 カリルがフーラウを伴って走ってくる。行きがけの駄賃とばかりに邪魔な赤い霧のカーテンを魔法斬りで消し去ると、その後ろから邪剣ナイトストーカーの効果が切れたソレインとパナルの姿も現れた。


「リオ、ずらかるぞ!」

「え? 重装騎士は?」

「あれはオルス伯爵家の騎士だ。斬ると問題になりかねねぇ。無視だ、無視!」


 カリルが壁を指さす。いいから脱出を優先しろと言いたいのだろう。

 リオはシラハの手を取って、チュラスに声をかける。


「行くよ、チュラス!」

「まったく、慌ただしい……」


 呟いて神鏡リィッペリを咥えたチュラスがとことこと後ろ脚だけで歩いてくる。前足に神玉を持っているせいで走れないらしい。

 カリル達に先行していたパナルが無言でチュラスを拾い上げた。


「うむ、かたじけない」


 パナルの懐に神鏡リィッペリを入れて、チュラスが肩によじ登る。

 パナルは微妙な顔をしながらもリオ達のそばにやってきて縄を投げ寄越した。

 シラハが縄を掴むと、逆の先端を追いついてきたカリル達に投げ渡す。

 全員が縄を掴んだのを確認して、リオは神剣オボフスを壁に向けて構えた。

 壁へ突入するリオの背中にミュゼが笑いながら声をかける。


「救世種の誕生を託したよ、リオ君!」

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