第七話 亡国の街道
七十年人の手が入っていないだけあって、旧シュベート国内は荒れ放題だった。
昔の交易路の名残らしき石畳も雑草の侵食に負けて草に埋もれている。それでも木が生えていない一本道は目立つため、リオたちは交易路を避けて森の中を進んでいた。
先頭を行くチュラスが脚を止め、身をかがめる。それを見たリオとシラハ、イオナはすぐに手近な藪に身をひそめた。
しばらくして、ずるずると何かを引きずるような音が聞こえてくる。不思議なことに揺らされた葉や枝がこすれ合う音がしなかった。
藪の中から音の方へ目を凝らす。
牛ほどもある赤紫色の軟体動物がゆっくりと地面を這っているのが見えた。透明な粘液が糸を引いている。触れた葉っぱは粘液が絡み、こすれ合っても音が出ないようだ。
布のような膜に覆われた突起に目がついており、周囲百八十度を睥睨している。
胴体から飛び出したラッパ状の突起が木の幹に張り付いている虫やコケに吸い付き、こそぎ落として体に引っ込んでいく。おそらく、食べているのだろう。
ゆっくりと去っていく奇怪な生物を見送って、チュラスが体を起こした。
「天然物の邪霊であるな。どういった衝動持ちかは分からぬが」
「町から半日であんなのに出くわすんだもんなぁ」
サンアンクマユは危険地帯。その評判は裏組織が抗争を繰り広げる町の中だけを指した物ではないのだとリオは嘆息する。
ここに至るまで、すでに邪獣を三体見かけていた。
聴覚に優れるチュラスが先んじて隠れるよう指示を出してくれるため、見つからないで済んでいる。並のパーティであれば戦闘に次ぐ戦闘で疲弊して、撤退を余儀なくされただろう。
「チュラスがいてよかった」
「何を言う。持ちつ持たれつである」
チュラスはそう言って、シラハとイオナを振り返る。
持ちつ持たれつ、その言葉を聞いているはずのシラハはリオとイオナの間に絶えず陣取り、イオナが話しかけようとすれば睨みつけ、まずは自分が話を聞こうとする。
対してイオナは苦笑しつつも、シラハの対応を甘んじて受けている。この危険地帯でパーティ内の不和は死に直結するという意識があるのだろう。
リオとしても、信用はしないまでもここで争うつもりもない。今は共闘関係なのだから。
「シラハ、最初にホーンドラファミリアとの共闘を言い出したのはシラハの方だ。その態度は筋が通らないだろ」
「協力はしてる。でも、用心もしてる」
「態度が敵対的すぎるって話」
リオに言われて、シラハは不満そうな顔をしながらもイオナから視線を外した。
それなりにプレッシャーがあったのか、イオナがほっと小さくため息をついた。
「チュラス、廃村までどれくらいで着く?」
目指している施設までは数日かかる。
リオ達は廃村を利用しながら進むつもりでおり、イオナが提供してくれたかつての旧シュベート国内の簡略地図などで場所を特定していた。
「もうすぐであろう。だが、忘れてはおるまいな?」
「邪獣のことだろ。大丈夫」
魔玉から生まれた未知の生物は高い知能を有し、群れやすい。群れを成す生き物にとって、人間が住んでいた村は格好の住み家だ。
廃村に未知の生物、特に邪獣が住み着いている可能性は高い。
慎重に歩みを進め、日が山向こうに没する頃、目指していた廃村が見えてきた。
高台から見下ろす限り何かが住み着いている様子はない。
リオはシラハを見る。
「何か感じる?」
「なにも。でも、普通の動物がいたら分からない」
「チュラスは?」
「何も居らぬ。獣の臭いもせぬ故、安全であろう」
リオは最後にイオナを見る。
弓を扱うイオナは視力に優れているらしく、廃村を見下ろしてつぶさに観察しているようだった。
「中央付近の民家がよさそうです。屋根も含めて保存状態もいい」
イオナの勧めに従って、リオ達は遮蔽物に身を隠しつつ廃村の中央付近にある民家へ忍び込む。
唯一近接戦闘を専門にするリオが先頭で民家に入る。他に生き物がいないのを確認しながら各部屋を探索し、安全を確保した。
「何もいないよ。荒らされてもいない」
「多少埃っぽいが、掃除をするわけにもいかぬな」
「魔玉由来の生物が見たら、俺達が来たことがばれるもんね」
あまり痕跡を残さないよう、リオ達は一室だけ借りることにして保存食を取り出した。
煙を上げて周囲に存在を知られるのを恐れ、火も使えない。必然的に冷めた食事だ。
これから数日、この冷たい食事を齧ることになる。帰ったら温かいスープや焼肉を食べようとリオは固く心に誓った。
「シラハ、失せ物探しの魔法を使える?」
「魔玉?」
「そう」
シラハが目を閉じ、鈴を転がすような高音で詠唱する。
「――白紙に走らす記憶の筆先。当てなく旅出た杖の跡。陽と月ひととき交わる在処は?」
失せ物探しの魔法を発動したシラハが瞼を開ける。
「近くにはない」
「隠れ里だけが心配だったけど、大丈夫そうだね」
リオは安心して乾パンを齧り、水を口に含む。
リオとシラハのやり取りを見ていたイオナが声をかけてきた。
「隠れ里を見たことがあるんですか?」
「故郷の村が魔玉の騒動で襲われて、その時に隠れ里に迷い込んだ。死ぬかと思ったよ」
「なるほど。故郷が……」
イオナは呟いて、干した果物を瓶から取り出した。
「故郷は残っているんですか?」
「危ない場面もあったけど、無事だよ」
「それはよかった」
イオナがうっすらと笑う。
話を聞いていたチュラスが咎めるような目でリオを見た。
チュラスの視線に、リオはここがどこかを思い出してイオナに謝る。
「ごめん。無神経だった」
「いえ、祖国とはいえ、私はシュベート国が滅んだあとに生まれましたから、思い出はありません」
イオナはそう言って、シラハを気にするように目を向けた後、リオに向き直った。
「良い機会ですから、我々のことを話しましょう」
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