第十八話 邪人
リオは老人を見下ろして老人を観察する。
見るからに並の腕ではない。今まで見てきた誰よりも強い。
ガルドラットとの試合では勝てないまでも隙をつくくらいのことはできた。
だが、あの老人を相手にするのは無理だ。間合いに入った時点で死ぬ予感がする。
加えて、神剣オボフスの能力も問題だ。物質を透過しすり抜けることができるのなら、建物の陰に隠れようが無駄になる。
リオはシラハに向けて声を張り上げる。
「全力で逃げる。ギルドで合流、先回りされたら町から出る」
「分かった」
シラハが特注の剣の鞘を撫でて魔力を送り込み、周囲に霧を発生させて身をひるがえす。
老人はちらりとシラハを見た後、リオへと一歩踏み出した。
「貴様を捕まえればあれは勝手に寄ってきそうだ。それに、貴様の方が弱いだろう」
「そう見える?」
「確信している」
「そっか」
当然だな、とリオは納得して、足場にしていた出窓から屋根の上に跳び上がる。
老人は鼻を鳴らし、身体強化を発動した。
大通りに老人の踏み込み音が響く。
まっすぐに民家へと突っ込んだ老人は鞘に入れたままの神剣オボフスを壁に突き出し、吸い込まれるように姿を消した。
あれが神剣オボフスの透過能力だろう。
ギルドにあった本には、地面を透過させることで周囲一帯を地面へと埋めるという使い方が書かれていた。
リオが地面から離れたのもこの使い方を警戒したからだが、ごり押ししてこないということは地面へ埋める速度はさほど早いものではないか、効果範囲に限りがあるのだろう。
リオは身をひるがえして屋根の上を走り出す。この町に来てからというもの、屋根の上を走る経験ばかりが増えていく。
老人が纏う昏い気配が追いかけてくる。民家の壁を透過して障害物を無視できる老人は、障害物のない屋根の上を走るリオよりも速いほどだった。
リオは方向を転換し、屋根の斜面をすべって路地を挟んだ向かいの家へと飛び移る。
直後、壁をすり抜けて花瓶が飛んできた。
「――っ」
走る速度を緩めずに花瓶の下をくぐるように身をかがめる。
屋根に落ちた花瓶が割れる甲高い音を無視して、リオは破片を踏みつけて走る。
「……あれ?」
花瓶を踏みつけた瞬間、違和感を覚えて振り返る。
花瓶の残骸の周囲に花や水が落ちていない。
「透過できるものに限りがある?」
数、質量、体積など、何らかの条件があるのなら、神剣オボフスで花瓶を投げた際に内容物である花や水が置いて行かれたとも考えられる。
走りながら、リオは思考を巡らせる。
老人が壁を抜けられる以上、質量や体積の制限に引っかかったとは思えない。
液体を透過できないのであれば、油などをかければ倒せるかもしれない。
「いや、近付くのは無理だな」
投げつけてもあっさり避けられる未来しか見えない。
一応、被せる方法を思いついてもいたが、被害が大きくなりすぎる。
背筋が寒くなる気配がどんどん距離を詰めてくる。圧迫感に苛まれて、リオは身体強化を限界発動した。
瞬時に加速し、リオは追いかけてくる気配を引き離す。
屋根のスレートがリオの踏み込みで割れる。家主に心の中で謝りながら、リオは次々と民家の屋根を飛び移り、路地に飛び降りた。
「――なんだ、このガキ!?」
見回りの途中だったらしい裏組織の下っ端が構える。
「馬鹿っ、避けろ!」
リオは真正面から下っ端へと距離を詰め、振り抜かれた鉄の棒をしゃがんで躱し、下っ端に体当たりして弾き飛ばした。
自身は前回り受け身で減速を最小限に押さえ、再び走り出す。
直後、背後で悲鳴が上がった。
背後を振り返ると下っ端たちが腰を抜かしている。
「邪人コンラッツ!?」
やっぱり邪人だったかと納得しつつ、リオは路地を走り抜ける。
背後から老人、コンラッツが猛烈な勢いで追走してくる。
流石に限界発動で逃げるリオに追いつけないのか、距離は変わらない。とはいえ、向こうは障害物を無視できる以上、この入り組んだ道ではリオも逃げ切れないだろう。
どこかのタイミングで再度屋根に上がりたいところだが、そろそろ冒険者たちの巡回ルートに入る。運が良ければ合流できるだろう。
もっとも、神剣を持つ凄腕の邪人を相手にできる冒険者が何人いるのか疑問だった。
「逃げ足だけは一人前だな」
背後からコンラッツが声をかけてくる。
リオは振り返らずに言い返した。
「勝てないなら逃げるを根幹に置いた我流剣術だからね」
「妙な足捌きだと思えば、我流か。貴様、リィニン・ディアとの関係は?」
「なにそれ? 人?」
言い返しながら、リオは窓を保護するためにはめられた鉄格子を掴んで路地を塞ぐように山と積まれたごみを飛び越える。
着地と同時に目についた陶器の壺を掴んで背後に投げつける。壺はため込んだ雨水をばらまきながらゴミ山に衝突して転がった。
ゴミ山を飛び越えたコンラッツが転がる壺を見て顔をしかめ、神剣オボフスが納まった鞘を壺に振りぬく。
壺が砕け散り、コンラッツが破片を踏みつけて再度加速した。
足止めにはならなかったが得るモノはあったな、とリオは肩越しにコンラッツの状態を確認する。
コンラッツは壺を砕いた際に減速したため、リオとの距離が開いている。加えて、そのズボンに水を被っていた。濡れた布は重く、何より走りにくくなる。
「良い小細工だ、小僧」
「透過したらいいんじゃないの?」
「ふっ」
面白そうに笑ったコンラッツだったが、水を吸ったズボンを透過する様子はない。染み込んだ水だけを透過することができないらしい。
コンラッツが声をかけてくる。
「昨夜、小僧たちを襲撃した白面の集団との関係は?」
「昼間に奴らが人を殺している現場を目撃した。調書が一般公開されてるから確認してよ」
冒険者の巡回ルートである大通りが見えてくる。
ラストスパートをかけるリオに反して、コンラッツは脚を止めた。
「おおよその事情は分かった。我々と積極的に事を構える立場にないこともな。話は終わりだ。ギルドに戻って大人しくしておけ。これ以上、不確定要素を増やされてはかなわん」
背中にかけられた言葉に、リオは疑問に思って肩越しに振り返る。
コンラッツはすでに路地から姿を消していた。
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