第三十一話 追撃
朝を迎え、リオはラスモア率いる騎士団に同行して猿の生き残りの追跡を始めた。
ラスモアが率いてきた騎士団は十五名。山中に馬は入れないため全員が下馬しており、三名ずつの五組にそれぞれ村から案内役としてバルド、カリル、レミニの父など山に詳しい者が同行することになる。
村の裏手から山に入った調査団はすぐに猿の痕跡を発見した。
「よほど慌てていたらしいな」
「巨体なのもあって追跡がやりやすい」
足跡だけでなく、乱暴に折られた枝や鎧代わりの木板の破片などが点々と落ちている。リオ達がいなくても騎士団だけで追跡は容易だっただろう。
だが、猿たちはつたないながらも戦術を使うため、地形情報を持たないラスモアは警戒を怠らなかった。
「リオよ。この先に村を見下ろせる高台か何かはあるか? 巨木でもよい」
ラスモアに質問され、リオはわずかに考えた後で答える。
「村を見下ろせるか断言はできませんが、巨木があります。昨年、川が決壊していくつかの木が流れたので見通しが良くなったんです」
「決壊か。確かに報告があったな。子供が一人流されたとか」
「それ、私です」
「……よく生きていたな」
自分でもそう思う、とリオは苦笑する。
順調に追跡を進め、決壊した川の跡地に到着する。春を迎え、水はけの悪い泥の間にはいくつかの雑草が生えていた。
そのまま進もうとするバルドをラスモアが止める。
「待て。足場が悪い。猿共は村での戦いで飛び道具を学習している。対岸から投石を受けては危険だ」
まともな防具のないバルド達を先行させるわけにはいかないと、ラスモアは数名の騎士に先行させて対岸の安全を確保する。
意外と慎重な動きなのは、猿だけでなく正体不明の人の集団も警戒しているからだろう。
川の跡を渡り、裏山を越える。
相変わらず痕跡だらけで追跡は容易だったが、カリルが難しい顔で騎士の一人に何事かを報告する。
報告を受けた騎士がラスモアまで走ってきた。
「報告です。あの片腕の男が言うには、猿共の恐慌状態が長く続きすぎているとのこと。興奮状態にしては山を知り尽くしているとしか思えない先を見通したルート選択が見られるとのことです」
「ふむ。確かに、昨夜の猿共の知性を考えると追ってもいないというのにここまで逃げ続けるのは妙だな。どこかで指揮を取るボスと合流を果たしたか。だとすると、これは私たちをどこかに誘引する作戦? リオ、この先で奇襲に適した狭い場所、谷などはあるか?」
「山間の谷はありますが、それほど深くはありませんし緩やかなものです。このまままっすぐ行った場合、むしろ奇襲に適しているのはフラウグの群生地だと思います」
「フラウグ? なんだ、それは」
貴族には縁のない植物だからか、興味を引かれたように詳細を聞こうとするラスモアに副官の中年が答えた。
「この辺りに生息する毒をもつ植物です。その実は赤く、甘い芳香を放つものの、熟していなければ触れるだけで肌が腫れます」
「ほぉ。その群生地となれば確かに奇襲もできるか。猿共には毒が効かないのか?」
「フラウグの実を食した跡がありました」
「なるほどな。だが、猿は我々人間にフラウグの毒が効くと知っているのか?」
「それは、多分知らないはずです。ですが、この辺りの動物にとっては総じて毒なので類推できる範囲かと思います」
「ふむ、分かった。それにしても、リオよ。受け答えがしっかりしているな。辺境の村の子供だというのに、誰に教育を受けたのだ?」
リオに興味の対象を移したラスモアを副官が窘める。
「若様、作戦行動中です」
「あぁ、そうだったな。村に帰ってからにしよう」
村に帰ってからもこんな胃が痛くなる相手と話さなくてはいけないのかと、リオは密かにため息をつく。
追跡はさらに順調に進み、フラウグの群生地に到着した調査団は周辺を捜索する。
「猿共は逃げたようですね」
「奇襲が見抜かれていると悟ったか。ここで潰しておきたかったがな」
待ち伏せしていた猿たちが食べたのか、野鳥の骨や羽がいくつか残っている。昨夜からずっと待ち伏せしていたのだろう。
フラウグの群生地そのものを調査すると、実をもぎ取られた形跡があった。群生地に誘い込むのではなく、直接フラウグの実を投げつける作戦だったらしい。
ラスモアがフラウグの群生地を見渡して腕を組む。
「さて、なぜ悟られたのだろうな」
「どこかから監視されていたのでしょう。群生地を前に斥候部隊を展開したのを見て、即座に撤退したと考えれば筋が通るかと」
「リオ、監視場所に心当たりはあるか?」
副官の見立てに頷いたラスモアに質問され、リオは東を指さす。遠くに崖から張り出した大岩があり、この群生地や周辺を見渡すことができるのだ。
ラスモアは遠くの大岩を見ようと目を細め、首を横に振る。
「遠すぎるな。あの場所から撤退指示を出したとなると、猿どもはよほど目がいいのだろう。どこまで追いかけたものか」
「猿共の知性は厄介です。今のうちに叩いておくべきでしょう」
副官の進言にラスモアは曖昧に頷いた。
すでに裏山を越えて辺境の山脈に入っている。ここには二十人の人間がおり、無補給で当てもなく追撃をかけるのは危険だった。
しばし黙考したラスモアは結論を出す。
「撤退だ。村に戻ってオッガンの到着を待つ。猿共が食べた鳥の死骸を回収しておけ。生息地から連中の拠点を特定できるかもしれない」
ラスモアの決断に従い、騎士たちがすぐに鳥の死骸を回収していく。
行きとは異なり、帰りは痕跡を探す必要がないため速度が上がる。山に慣れているリオ達はもちろん、鍛えている騎士たちも疲れを見せなかった。
流石に騎士たちは精鋭だけあって、撤退時でも周囲への警戒は怠らない。
川の跡が見えてくると、ラスモアがリオに話しかけてきた。
「決壊で川の流れが変わったのだろう? 畑仕事などに影響はないのか?」
「別の川を使っているので影響はありません。前の村長が作らせた貯水池もあって、俺――私が生まれてからは渇水にもなっていません」
一人称を言い間違えて背中に冷たい汗が流れるが、ラスモアは気にするなと笑ってくれた。
「追跡を中断して気が緩んだな? まだ山の中だ。警戒を怠るなよ」
ラスモアはリオの肩に軽く肘を当てて茶化してくる。気安い調子で接してくるのは、リオが緊張で疲れないよう気を使ってのことだろう。
次期領主とはいえ騎兵隊の指揮を任されるだけあって、人間ができているようだ。
行きと同じように斥候を先に渡らせて安全を確保した後で川を渡る。ここまでくればもう慣れ親しんだ裏山だ。
日が高いうちに村に帰りつきそうだと、空を見上げて太陽の位置を確認したリオは、どこか遠くから聞こえてくる聞き覚えのある高い音に気付いた。
その音は、耳元で羽虫が飛ぶような――昨夜の奇襲直前に響いた音だった。
反射的に音の方角を見る。
リオがそれに気付けたのは奇跡という他なかった。東の方角、樹木の上、枝葉と太陽の逆光の中で何かを投擲しようとする一匹の猿が見えた。
「――っ!」
すぐ横にいたラスモアの腕を掴む。驚くラスモアを支柱に回り込んだリオは剣を収めたままの鞘を振り上げた。
べちゃりと、甘い匂いがする泥団子が鞘に衝突して砕け散る。
フラウグの実を混ぜ込んだ泥団子だと、匂いで理解したリオはラスモアを背後に庇って鞘から剣を抜く。
「猿です!」
「こんな場所で奇襲か。各組に分かれて円陣を組め! 村の者は円の中に入れ!」
ラスモアの命令に騎士たちは一瞬で対応し、森の中で円陣を組む。さりげなく周囲の枝を払う一人と、それを守る二人に分かれており、すぐに剣を振るえるスペースが確保された。
見事な連携と対応力に、リオは息を飲む。騎士である以上集団での戦い方に秀でているとは思っていたが、想像以上によどみのない動きだった。
東からフラウグの実が入った赤い泥団子がいくつも投げつけられる。騎士たちは剣の腹で泥団子を叩き落としていた。
「石が入った泥団子も混ざっている。不用意に受けるなよ!」
騎士の一人が注意を促した直後、西側から雄叫びのような咆哮を上げて猿の群れが突撃してきた。
直前に聞こえた高い音は西側の猿たちへの合図だったのだろう。
ラスモアが目を細め、剣を抜いた。
「数が多いな……」
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