第十六話 模擬戦の申し出
「お前、分かってて入ってくるよな……」
夜、風呂場で汗を流していたリオはシラハの気配を感じて呆れながら声をかける。
シラハが家に来た最初の頃は全裸で風呂場に入ってくるシラハにどぎまぎしたものだが、だんだんと慣れてきつつあった。
それというのも、シラハがこうして風呂場に入ってくる時は色っぽい話でもなんでもなく何か相談や質問がある時だと気付いたからだ。
頭を洗いながら、リオはシラハの言葉を待つ。リオの隣に座る物音が聞こえてきたかと思うと、囁くような小さな声でシラハが質問してきた。
「……カリルと喧嘩して仲直りしたの、なんで?」
「珍しい質問だな」
頭を洗う手を止めて、リオは思わずシラハを見る。白く柔らかそうな膨らみが見えて、リオは慌てて視線を逸らした。
慣れたとはいえ、流石に裸を直視するのは問題がある。
「シラハが人間関係で質問するのって珍しいな。どんな風の吹き回しだよ?」
「リオと喧嘩したくない」
「喧嘩にならないと思う。俺があまりに不利すぎる」
最近は母だけでなく父までもシラハを溺愛している。反抗期の息子より素直な娘が可愛いという人情はリオにも理解できるところだ。
仮に喧嘩をしてみたところで「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」という問答無用の言論封殺でリオの負けが確定している。
勝てないときは逃げる。それがリオの我流剣術の信念の一つである。
「俺と喧嘩したくないなら、体を洗っている時に乱入してくるのをやめろ」
「やだ。ここならリオをじっくり見れる」
「怖っ」
水を被る前だというのに鳥肌が立って、リオはそっとシラハから距離を取ろうとする。しかし、シラハは逃がさないとばかりにリオの腕を掴んだ。
「なんで喧嘩したの?」
「……俺を堕落させようとしたから喧嘩になった。カリルが考えを改めたから仲直りした。それだけ」
「リオが勝ったってこと?」
「勝ったって……」
勝ち負けなんてないのだが、シラハは分からないのだろう。
「人間関係は勝ち負けじゃないよ。上とか下とかもない」
「でも領主様はえらいんでしょう?」
「えっと……」
言葉に詰まったリオは体を洗いながら説明を考える。
「領主様との関係は人間関係じゃなくて、立場の問題だから」
「領主様も人間なのに? 立場って何?」
「勘弁してくれ……」
村の幼児のなぜなぜ期を思わせる。
だからシラハを同じ年の女の子として見れないんだと、リオは頭を抱えた。
風呂から出るまでの間にどうにか説明しきって、へとへとになりながらリオはシラハと一緒に風呂場を出た。
何も知らないだけで理解力は人並み以上にあるシラハだからこそ説明を理解してくれたが、リオは兄弟なんてもういらないと確信した。
薪ストーブに当たっていた父、バルドがリオ達を手招く。
「シダ茶があるぞ」
「苦いから要らない」
「私、それ好き」
「リオの分もシラハが飲んでいいぞ。体にいいから、むしろシラハが飲むべきだ」
本当にリオの分まで飲み始めるシラハをバルドはニコニコして眺めている。
あんな苦いものをよく飲めるなとリオはシラハの表情を窺う。無理して飲んでいるわけではないようだ。
母が台所から声をかけてくる。
「雪は降ってる?」
「今は降ってないよ」
窓の外を確認しつつ答えると、母は鍋の中をかき回しつつリオを呼んだ。
「リオ、お皿を出すの手伝って」
「分かった」
「……私も手伝う」
シダ茶を飲み干したシラハが駆けてくる。
こういうところが気に入られる由縁なのだろう。
リオはシラハと手分けして皿を出しながら、ふと疑問に思う。
「シラハって友達いるの?」
「友達?」
「うん、いないんだな」
反応だけでわかってしまって、リオは困り顔をする。
道場の一件以来、リオも同世代の男子とは交流がほとんどなくなっている。村で唯一道場に通っていないだけでなく、自分一人で剣の練習をしていることでやや敵視されている状態だった。
村の女子たちは男子同士の確執に興味を示さないが、関わり合いになろうともしない。どっちに肩入れしたところで部外者でしかないのだから当然ではある。
だが、リオの問題に巻き込まれるのを嫌って女子がシラハに近づかないのだとすれば、リオに責任がある。
悩むリオにシラハは首をかしげている。
「どうしたの?」
「友達になれそうな子っている?」
「別にいらない」
「……母さん、どう思う?」
シラハと話してもらちが明かなそうだと、リオは母に話を振る。
母は皿に料理を盛りつけながらのほほんとした顔で答えた。
「本人が要らないっていうなら要らないでしょ。それに、シラハはまだまだ常識がないから、身に付けてからでも遅くないわ」
「そういうもの?」
「そんなものよ。常識の無さで一度ハブられてしまってから戻るより、ハブられたこともないゼロの状態から輪に入る方がまだ簡単だし、気にしなくていいわ。むしろ、リオの方がまずいでしょ?」
「俺は別にどうでもいいんだけど」
「そういうところがシラハに影響してるのよ」
ぐうの音も出ない正論である。
しかも、このタイミングでシラハはじっとリオに観察する目を向けていた。
言い逃れできず、皿をテーブルに運ぶのにかこつけてその場を離れようとした時、玄関から村長の声が聞こえてきた。
「バルド、リオ、ちょいと話があるんだが、いまいいか? 良い匂いがしてるから、明日に改めてもいいが」
バルドが薪ストーブを離れて玄関を開けに行く。
リオはシラハが無言で出してきた両手に、自分が持っていた皿を託してバルドの後を追いかけた。
玄関で村長と話していたバルドがリオを見る。
「リオ、春祭りでユードと剣の試合をしてほしいらしいんだが、どうする?」
「ユードと?」
リオにとってはサボり魔の印象しかないユードだが、村の中ではラクドイの道場の精鋭ということになっている。
そんなユードと道場に通ってもいないリオが剣で立ち会うことに何の意味があるのかと、リオは村長に疑問の目を向けた。
村長は視線を受けて困ったように眉を下げる。
「春の祭りに道場主のラクドイと元冒険者のカリルで模擬戦をしてほしいと何人かの村人から声が上がってな」
「そこから意味不明だけど」
「実力者の模擬戦を見たいんだろう。ラクドイと並ぶ経歴や実力の持ち主となるとカリルかバルドしかおらん。だが、バルドは剣術はしらんし、使う得物も斧だろう。剣術そのものをよく知らん村の者に啓蒙する意図もあって、カリルにお願いした」
「ふーん。受けたの?」
「渋りはしたが、受けてくれた」
少し意外に思いはしたが、カリル自身が決めたことならリオが横から口を挟むのもおかしいと納得する。
しかし、今の話の流れではますます、リオとユードの試合に繋がらない。
「俺、道場に通ってないんだけど。剣術は知らないよ?」
「だが、我流で剣を振っているだろう。ラクドイ道場の門下生の実力を村の者に見せたいのもあってな……」
「俺を噛ませ犬にしようっていう話? 邪獣が出る山に勝手に入って顰蹙を買ったユードたちの心証を回復するために俺にこの話を持ってくるのって明らかにおかしいよね。なんで俺だけ割を食う形になってるの?」
大人の事情を的確に言い当てて痛いところを抉るリオの言葉に村長があからさまに怯んだ。
目を泳がせながら、村長は言いにくそうに言葉を返す。
「もっともな意見だと思う。ユードが相手に指定したのがリオだったというのもあるが、それ以上にリオの言葉通りの事情がある。付け加えるなら、道場に通わずに自主練をするリオを見て、門下生の中から不平等だという声も上がっていてな」
「道場は義務じゃないんだから、通っているのは本人たちの勝手でしょう? 好きでやっていることに不平等もあるもんか。嫌ならやめて自主練をすればいい。俺はそうしてる」
リオの言葉に村長が唸る。
リオの言葉は正しいのだ。正しさだけで村社会が円滑に回るわけではないという点に目を瞑れば、村長も頷くほどに。
だが、現状はリオの立場をどんどん悪くしている。不満は理屈や正義からではなく感情由来のものなのだから。
ラクドイの道場に通っているのは子供であり、理屈で感情を割り切る術を持っていないからこそ、不満につながっている。
村長に視線で助けを求められたバルドが嫌そうな顔をしながら、リオの頭に手を置く。
「リオ、参加しろ」
「父さん、俺の話を聞いてた?」
「聞いていたから言ってる。お前、道場に通わないって宣言した日になんて言ったか覚えてるか?」
「……それなら我流で剣を振る方が身になるって言ったね。なるほど、試合で証明しろってこと?」
「そういうことだ。とはいえ、自主練を始めて数か月だからな。勝てとは言わん」
「納得した。試合するよ」
あっさりと話を受けたリオに村長が疲れた顔をする。
「理屈さえ通れば納得するのか。この年頃は難しいな……」
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