第十五話 嫌な眼

 村人を適当に捕まえて、カリルの両親について意見を聞いてみれば、皆口をそろえてこう言うだろう。


『子供を作ってはいけない二人だった』


 カリル自身も同意見だった。

 しかし、不幸なことに、カリルはあの両親から生まれてしまった。

 とはいえ、カリルは父親の顔を知らない。


 物心ついたころには村で母親と二人暮らしだった。

 英雄譚や民話を寝物語に聞かせる両親が多い中で、母はカリルに父と旅して見聞きした様々な地方の食べ物や民芸品、風景や祭りについて目を輝かせて話して聞かせたものだ。

 そしていつも、母は同じ言葉で旅の話を締めくくった。


『カリルが出来なければ、もっといろいろなところに行けたのにね』


 母は父と駆け落ち同然で村を出ていき、カリルを腹に宿して帰ってきたという。

 辺境の村で女手一つ、子供を育てるのは難しい。

 だが、カリルの母が旅先から持ち帰った珍しいハーブの栽培が上手くいき、旅先で教わった編み物の技法や特殊な刺繍柄は町で話題となり、贅沢さえしなければ暮らせる程度に稼げていた。


 自身の生活が村のものではなく旅先のもので成り立っていたからだろう。カリルの母の関心はいつも村ではなく外へと向いていた。

 そんな母だからこその口癖だろう。カリルが生まれなければ村に戻ってくる必要はなかったのだと聞かない日はなかった。


 カリルが初めて剣を握ったのは五歳の春だった。

 子供ながらに一念発起し、カリルは子供用の木剣を携えて母に宣言した。


「オレが母さんを旅に連れていけるくらい強くなる!」


 自分が原因で村に帰ってくるしかなかったのなら、自分が責任を持って旅に連れていけばいい。

 時間はかかるかもしれないが、それでも頑張るからと宣言するカリルに母は苦笑して、おそらくは無自覚に突き放した。


「あの人との旅じゃないと意味ないのよ」


 初めから、カリルにできることなど何一つなかった。

 生まれた時点で両親の旅に終止符を打つ罪を負い、何も求められてはいなかった。


 それでも、カリルは剣を振り続けた。自分は求められていなくても、母は旅そのものをいまだに懐かしんでいると思ったから。

 十歳になった日、山で山菜を取っていたカリルは当時の村長に声をかけられた。


「お前の父親が帰ってきた。何をいまさらと思うかもしれないが、それでも会っておいた方がいい。殴っても、儂らは何も言わん」


 てっきり死んだと思っていた父親が生きていたことも驚きなら、今さら村に帰ってきたことも驚きだった。

 母からは、父のことを何も聞いていなかったのだ。

 半端に山菜が入った木の籠を持って、カリルは山を下り、身体強化込みの全力疾走で家に帰りつき――無人の屋内に残された一通の手紙を見た。


『あの人の商売がようやく軌道に乗ったから、私は一緒に行きます。この家の物は好きにして構いません』


 事情をカリルから聞いて怒り狂う村長たちを横目に、カリルは妙に納得していた。

 最初から最後まで、自分は両親にとって興味のない存在だったのだ。居ても居なくてもいい、連れていく必要もない、そんな存在。

 両親にとって、カリルはこの村と同じなのだろう。


 追いかけて行って吊し上げろと気炎を上げる村長たちをなだめて、カリルは家財道具を売り払って町の道場へ通い始めた。

 両親のことはどうでもよかった。

 しかし、両親にさえ興味を抱かれない自分がここに生きていた爪痕くらいは残したい。

 居ても居なくてもいい存在だが、居た証拠だけは残したいと、剣を振るった。

 いつか領主にでも仕官して、騎士名簿に名前を連ねたい。


 冒険者となって日銭を稼ぎ、フーラウ達とパーティを組み、カリルは自分に剣の才能がないことを理解した。

 初めて剣を握ってから十五年、二十歳になったカリルは焦っていた。

 後輩にあたる冒険者が自分たちを超えてBランクになる。Aランクに手が届いた者もいた。

 誰しもに才能があるわけではないと、フーラウ達は冒険者を資金稼ぎの手段と割り切っていたが、カリルは諦めなかった。


 剣を握って歩んできた十五年を自分自身が諦めてしまったら、居ても居なくてもいい十五年になってしまう。

 切羽詰まって、カリルは様々な流派の道場を渡り歩いた。自分に合う剣術流派がどこかにあるかもしれないと。

 冒険者としての依頼がない日は必ずどこかの道場で鍛錬し、入門を断られれば道場破りとして乗り込んだ。何度叩きのめされてもその技を見て盗んだ。

 剣を握って二十年、立ちふさがった才能の壁は破れず、二十五年経って三十歳になったカリルは依頼で腕を失った。


 ――二十五年間は無駄になった。



 正眼で構えるリオを前に、カリルは左腕で酒瓶を斜め下に向けた下段の構えで応じる。


「何も剣をやめろって話はしてねぇよ。他のことにも目を向けろって話だ。才能がないと分かってるなら、他の分野に目を向けて今のうちから腕を磨け」


 カリルの言葉を無視して、リオはすっと後ろに下がって距離を取る。

 構えたまま様子をうかがってくるリオを眺めて、カリルは舌打ちした。

 カリルの全身を視界に納め、隅々まで観察して行動の起こりを捉えようとする目。道場破りをしていた頃の自分を思い出す目だった。


「嫌な眼をしやがる……」


 カリルは呟いて、瞬間的に右足を地面から離し、リオへと踏み込みながら重心を体の前に出す。強烈な踏み込みに反してほとんど無音に近い軽い足音が鳴る寸前、カリルが左手に握った酒瓶がリオの木剣を下からたたき上げた。


 リオが思わず仰け反るほどの剛剣。それが片腕で繰り出された事実にリオが目を見開く。

 しかし、足捌きを練習していただけあってリオの復帰は早かった。叩き上げられた剣を手首の柔軟性で切り返し様、足捌きで素早く後方に下がって追撃に備える。器用なことにカリルの正面から斜め四十五度に外れるように動いていた。


 だが、練り切れていない素人のリオの動きなど、ただ小賢しいだけだった。

 カリルが膝を曲げ、瓶底をリオに向ける。


「剛剣をお前が盗めるわけねぇだろ」


 踏み切ると同時に突進力を酒瓶の底に集中させる。リオが木剣で横から叩き落とそうとするが、不安定な姿勢とただでさえ足りていない腕力頼みの木剣は弾き返された。

 カリルはリオの鼻先で酒瓶を止める。


「……分かったか、リオ。お前は片腕相手に弾かれる程度の力しかない。小型の邪獣までならともかく、大型の邪獣相手だと刃も通らない。剣にばかり時間を費やしてないで、他の道を探せ」


 突き付けられた酒瓶に臆することなく、リオはカリルを睨んではっきりと言う。


「カリルは本当に惨めだな」

「自覚してるよ。だからこそ、お前に同じ轍を踏ませないように悪役をやってるんだろうが」

「違う。今まさに、カリルは同じ轍を俺に踏ませようとしてる。自分を慰めたいなら一人でやってろ。みっともない」

「……なんだと?」


 まだ分からないのかと、カリルは聞き分けのない子供を見るようにリオを見て、その強い眼差しに怯んだ。

 カリルが聞き分けのない子供を見る目をしたように、リオはカリルにダメな大人を見る目を向けていた。


「才能がないから、なんだよ? 俺は最初から、今ある剣術を極めようなんて欠片も思ってない。自分の身を守るための剣術をただ楽しいから作ってるんだよ。カリルはただ、才能がないのを言い訳に剣をやめた自分と傷をなめ合う相手が欲しいだけだろうが。人の努力に水を差して中途半端に終わらせるように言ったかと思えば、利口ぶって他の道を探せだと? 腕一本でも振れる剣を作ってから抜かせよ、半端者!」


 まくし立てたリオは興味を失ったようにカリルから視線を外し、木剣での素振りに戻る。

 呆気にとられたカリルはリオの背中を見つめて口を半開きにしていた。

 才能の壁を乗り越える方法ばかりを考えたカリルの二十五年に、リオは壁を迂回する方法を提示した。

 カリルは酒瓶を持った左手をだらりと下げる。


 自分の二十五年間が半端だったとは思わない。

 だが、腕を失った時、剣の道を断った瞬間にカリルは半端者になった。

 居ても居なくてもいい存在の自分が、居た証拠を残したいと剣を取ったのなら――腕が一本無くなろうと剣の道は断たれていなかった。

 酒瓶を握れるくらいなのだから、剣を握れる。


 リオを見る。

 なぜ、嫌な目だと思ったのか。


 過去の自分を思い出させるから?

 違う。才能の無さを埋める手段を探すリオの目は、カリルがまだ剣を握れると突き付けてくるからだ。

 リオがふと、剣を振る手を止めてカリルを振り返る。


「カリルは剣の才能がなかったって言ったけど、剣を振る人間を見る才能ならあるんじゃないかな。俺にした助言はいつも理に適ってたよ」

「……剣を諦めろって助言は聞き入れられなかったんだがな?」

「道場でやってるような剣術は諦めろって話でしょ」


 あっさりと言って、リオは素振りを再開する。

 そんなリオの姿を見て、カリルは盛大にため息を吐き出した後、声をかけた。


「助言してやるよ。半端者でよければな」

「今、半端者を卒業したんじゃない?」


 憎まれ口を叩くリオの頭に、カリルは左ひじを乗せる。


「生意気だ、剣術馬鹿」

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