3-6 ヴェラムリオの楽曲士

 日も落ち始めていたこともあり、パランとの話はいったん中断させてもらったカノンたちはとりあえずの宿を確保できたことを報告すべく、レイヤーがいるはずの資料館へと向かった。


「なんとか確保できたけど、隣人に難ありね」


「せっかく貸してくれたんだし、感謝しなきゃだろ」


 そんな会話をしながら一行は資料館の近くまで来ると、突然ティファが足を止めた。足音が途絶えたのにタクトが気づいて振り向くと、ティファは何かに驚いたような表情のまま立ち尽くしていた。


「あれ、どうしたのティファ。早く行くよ」


 直後、タクトの鼻孔をくすぐったのは懐かしい匂い。あの日の日常を形作っていた、油の匂い。


 一瞬舞ったその匂いのもとを辿るべく振り返ったが、そこには資料館の入り口しかなかった。カノンも既に入っているようで、誰も出入りしていない。


「……父さん?」


 タクトはもう一度ティファを見たが、もう既に喋らない以外はいつも通りの彼女だった。


 タクトは微かな故郷の匂いに後ろ髪を引かれつつ中へと入っていった。


 中では既にカノンがレイヤーを見つけており、先ほどまでのあらましを伝え終わっていたところだった。


「それはそれは。なかなかファンタジックな出会いじゃないですか」


 レイヤーは初めて出会ったときのように目をキラキラさせながらタクトたちの報告を聞いていた。


「ちょうど第一楽章の解釈が分からず、組合に第一の音について詳しい人を紹介してもらおうと思ってたんですよ。いやぁ、嬉しいな」


「あ、でも楽機が嫌いな人が一緒にいるし、話をしに行くなら気を付けなきゃだめよ。私も早速ひと騒動あったばっかりだし」


 カノンが苦々しげに語る。相当頭に来ているようだ。


「いいえ。彼女たちにとっての楽機はそれほどのものなのです。最初に創られたひととしてのプライドもありますし、歴史的にも楽機がもたらした傷跡というのはまだまだ癒えてはいないのですから」


「そんなに、〝言葉を話すこと〟が悪いことなのか?」


 タクトはつい口を滑らせた。


「まあ、その話は宿についたときにでも」


 レイヤーは『ここでは何ですから』と言わんばかりに書きかけの楽譜をしまうと、受付で退館の手続きを済ませ、タクトたちと共にミドローインへと向かった。




「この度は間借りさせていただき、感謝いたします。私、彼らの所属する楽士団の団長で、レイヤーと申します」


「これはご丁寧に。ウチらはヴェラムリオ楽士団。儂は団長のパテーノと申します。数奇なご縁と聞いております。祭典期間中は居りますゆえ、ご自由に使つこうてください」


 ゆっくりとした発声はむしろ明瞭な発音を伴ってパテーノは返事を返した。とても見た目の老齢さからは考えられない声量である。


「やはり第一の音チューリンの皆さんは高齢であっても美しい声をお持ちで羨ましく思います。ところで、皆様の中で古い楽譜に見識のある方はおられますか? 実は資料館より古い楽譜を拝借したのですが、表記ゆれが多くて難儀しておりまして」


「ほれやとネンディがよく知っとります。将来作曲を生業とすることを考えとるモンでして。パラン、ネンディを呼んでくれんか?」


 パランは少々苦い顔をしていたが、レイヤーからも熱い視線を向けられて仕方なくネンディを呼びに行った。


(団長、ネンディっていう子はさっき私が話していたメンバーさんですよ)


(なら尚更です。こちらの事を少々誤解しているなら、むしろもっと話の場を設けるべきです)


 ほどなくして見るからに気が進まない雰囲気をまとったネンディがやってきて、パテーノ団長に説明を受ける。


「初めまして、ネンディ言います。ウチに何を見てほしい言うんは何ですやろ?」


「この楽譜で、もうかなり昔のものなんですけどね……」


 レイヤーが差し出した楽譜を見たネンディは目を丸くする。


「これ、第一楽章サレインズスコアやないですか! ウチ、一度見てみたかってん! あ、確かにこの書き方は第一の音ウチら側から見ても古い書き方やなぁ。他のモンには馴染みのない書き方やさかい、ニュアンスが読み取れんくなってるんやな」


 そこからネンディは火のついた花火のように話し出した。彼女自身はまだ二級楽士に上がったためにまだ資料館が使えず、読める楽譜に限界がある事、自分たちヴェラムリオ楽士団は第一の音だけで構成されていることが誇りでありこだわりでもあるが、それが原因で新規入団者が現れず解散の危機に瀕していること。


第一の音ウチらはそれ以降の人たちと比べて長命なんで悠長な者が多いうえ、今の時代にも音楽をしよう言う人は少のうなってしもてて、ましてどこかの楽士団に入ろう思うとる者はめったにりません。この楽士団を含めても、純粋な第一の音だけの楽士団はもう片手に収まる数まで落ちましてん」


「なら、楽譜の読み解きのお礼も兼ねて、何かお手伝いできることはありませんか?」


 レイヤーの提案に一瞬ネンディは何かを考えたようだが、すぐに真顔になって答えた。


「そもそも、荷物の礼が先や。それが楽譜コレやし。この上何かしてもろたらこっちが貸し増えてまうやん。今は何もなしでええよ」


 それならば、とレイヤーは『続きはまた明日』と話を終え、その日は解散となった。

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