第16話

 下駄箱で靴を履き替えた千佳は目立たぬように後ろの扉から教室に入っていったのだけど、香奈は待っていたように派手に手を振った。

「どうだった?何か言われた?」

 周りも気にせず一番前の席から千佳に駆け寄った香奈を教室の生徒たちが興味ありげに見遣った。級友は香奈が修介の処分撤回運動をしていることを知っているみたいだった。

「あ、うん・・・」

 みんなが聞いている中で答えていいものか千佳が迷っている時、吉田が教室に入って来た。

「起立」

 日直の声に千佳と香奈は慌てて席へと小走りに駆けた。

「礼」

 頭を下げる。頭を上げた途端に吉田は声を上げた。

「みんなにいいニュースがある。さっき警察から連絡があり佐地は無罪と決まって、謹慎処分は解けた」

 そう言いながら吉田は千佳を見遣ると小さく頷いた。教室内で拍手が起こった。一番熱心に手を叩いているのは香奈だった。

「そう言う事だから、みんな落ち着け。中西も・・・分かったな」

「はい、先生」

 香奈は明るい声で答えると、千佳を見てにっこりとピースサインを作った。


「香奈があんなことすると思わなかった」

 購買から買って来たパンと牛乳を、校庭の芝生の上で一緒に食べながら千佳は香奈を見遣った。

「・・・っていうか、一番縁遠い人かと思っていた」

「まあね」

 香奈も頷いた。

「でもさ、佐地君とあんたの仲を煽った人間として・・・ね。一応責任あるしさ」

「ありがとう」

「何の役にも立たなかったけど、でも結構面白かった」

「ううん、すごく嬉しかったよ」

 そう言って頭を下げた千佳に、

「ところでさ」

 と香奈は唇をへの字にした。

「なんで、井戸とか行っていたの?っていうか、いったいどういうわけであんな事になったのよ?先生たちもさ、詳しいこと教えてくれないし・・・」

 千佳はかいつまんで話をした。井戸の記憶が自分にあったことはちょっと伏せて。それは未だに千佳自身にも謎のままだったからだ。だからどうして井戸の中を探ろうか、と考え始めたところはあまりうまく説明できなかったが、香奈はその点に特に疑問を持った風でもなく、なぜその調査が悪者たちの興味を引いたかにもさして関心がなさそうに

「それって・・・デートなの?」

 と言って千佳を見た。

「井戸の調査とかさ、千佳のおじいさんまで一緒だったんでしょ?」

「ああ」

 千佳は首を傾げた。

「まあ、デートっていえばデート・・・じゃない?」

「違うと思うよ」

 香奈はあっさり否定した。

「デートと、井戸とかおじいちゃんと一緒ってのは食い合わせだよ。デートっていうのは一緒に手を繋いで歩くとか、ご飯を一緒に食べるとか、そういうもんでしょ?」

「そうかも・・・」

 千佳は自信無げに俯いた。

「ぜんっぜん、進展していないな」

 香奈は千佳を睨んだ。

「すいません」

「まあ、千佳らしいっていえば千佳らしいけど」

 その時、スマホがプルプルと震えた。

「あ・・・」

「こら、スマホ禁止でしょ、うちの学校」

 香奈は先生みたいなことを言った。さっきはすとらいきみたいなことをやっていたのに・・・。

「ごめん、慌てて家から持ってきちゃった」

「隠さないと、ちくられるよ」

「うん・・・・」

 そう言いつつ、スマホの電源を切ろうとしたとき、メッセージの送り手が修介だと気づいた。

「あ、修介からだ・・・」

 言いながら電源を落とそうとした千佳の手を香奈は押さえた。

「ちょっと、なに?スマホ禁止って香奈が言ったんでしょ」

「彼氏からの連絡は例外」

 ・・・。そんな例外作ったら意味ないじゃん、と思いつつもやっぱり修介からの連絡は千佳も確かめたかった。なんせ、いくらこちらからメッセージを送っても返ってこなかったんだから。

「じゃあ・・・」

 辺りをそっと見回して、千佳はメッセージを開けた。

「吉田先生から連絡を貰った。みんなにありがとう、って伝えてください。あと、明日、学校を休む。先生には連絡済。千佳もつきあって休んで」

 ?

 脇から香奈が覗き込んだ。

「なんか、彼氏からのメールじゃないみたい」

 香奈は文句を言った。

「どちらかというと・・・クラブ活動の業務メール」

 ぐっ、と千佳は呻いた。自分もそう思っていたところだ。

「付き合って休めって、どういう事かしら」

 香奈が首を傾げ乍らそう言ったので、千佳もうーんと首を捻った。

「聞いてみるよ」

「そうしなよ、業務メールみたいにさ。付き合って休めっていうのはどう言うご趣旨でございましょうか、とかさ」

「うーん、そうした方がいいのかなぁ」

 首を傾げた千佳に

「冗談よ。あとで電話した方がいいよ。メッセージだと一方的になっちゃうからさ」

 香奈は笑った。

「そうだね」

 そう言って千佳は電源を切った。それにしても休めって、何があるんだろ?


 放課後、学校を出るとすぐそばにある小さな公園で千佳は修介に電話をした。呼び出し音二回目で修介が出た。

「や・・・」

 もそもそっとした声で、電話の相手は、ちょっと待って、と言ってからしばらくすると、

「はい、もう大丈夫」

 と答えた。

「修介?」

「そうだよ。千佳?」

「当たり前じゃない・・・なんで・・・」

「この前、千佳のスマホから電話が来た時、別の人間が出たからさ」

「あ・・・」

 誘拐された時、千佳はスマホを取られて、その上暗証番号まで言わされたのだった。そしてあいつらは・・・千佳の電話で修介に電話を掛けたのだった。だから一時的に電話を掛けた証拠として千佳のスマートフォンは一時的に警察に預けられ、返してもらった時も

「念のために通話履歴は決して消さないでください」

 という条件を付けられた。

「だから、千佳って聞いたのさ」

 修介の冗談に、

「違うよ。なんで、って言ったのはなんで私のメッセージに返事よこさなかったかっている事」

「だって、謹慎中だったからさ」

 修介はあっさりと応えた。

「え?そんな理由?」

「謹慎中は他の生徒と許可なく連絡を取っちゃいけないっていう規則」

「そうなの?」

「うん、でもありがとう。何回も読み返したよ」

「あ、へへ」

 香奈には甘いっ、とか叱られそうだけど、千佳は照れた。

「それとさ、明日休めってどういうこと?」

「え?メール読んでいないの?」

「メール?」

 アドレスは持っているけど、メールで連絡を取り合う事はないので、滅多に開かない。

「君のおじいさんから代行でメールを送っただろ?その返事が来ているじゃないか」

 あ、そうだった。相島教授っていう人にメールを送ったんだった。

「読んでいないけど・・・」

「今、その相島教授が来ている。僕も謹慎が解けたんで、そばにいる」

「どこに?」

「病院さ、おじいさんと一緒にいるんだ」

 だから、もそもそとした声で答えたんだ。

「何が起きているの?」

「君が送った写真を見て、すっ飛んできたんだって」

「すっ飛んで・・・?」

「画像を見ただけで間違えなく本物だって確信したんだそうだ。新聞社の記者を引き連れて、今確認作業をしている。病室に飛び込んだもんだから病院の人を怒らせちゃってさ、でも院長先生が院長室を使わせてくれている」

「ふうん・・・」

 何だか別世界の話だ。

「で、なんで明日休まなきゃならないの?」

「記者会見を開くんだ」

「記者会見?」

 千佳の声のトーンがあがった。

「それに僕たちも出るのさ。せいぜいオシャレをしてきてくれ」

「え、私も?」

「うん、あ、教授が呼んでいる。どうやら終わったらしい、じゃ一旦切るね」

 あ、ちょっと、という千佳の声もむなしく電話は切れた。

「オシャレって、どうすればいいの?それに・・・どこでやるっているのよ」

 スマートフォンの画面を見ながら千佳は途方に暮れたように呟いた。


 修介から電話があったのはそれから二時間後、千佳が家で母親相手にお茶を飲みながら、話をしていた時だった。

「お母さん、おじいちゃんから何か聞いていない?」

「ん?何も連絡ないわよ」

「佐地君から連絡があって、明日、記者会見をやるんだって。おじいちゃんも一緒だと思うけど」

「記者会見って・・・何の?まさかあの事件の?」

「違うと思う。たぶん、私たちのみつけたもの。源氏物語の定家本なんだって」

 歌舞伎揚げをお茶で喉に流し込むと、母は不思議そうな目をした。

「本ってみんな定価で売っているんじゃないの?」

 あ、おじいちゃんに教養ないって言われるよ、お母さん・・・。心の中で思ったが千佳は黙っていた。

「電話、鳴っているよ」

 母が上を指した。

「そう?」

 耳を澄ますと確かにミッキーマウスマーチが聞こえた。千佳のスマートフォンの呼び出し音に間違えない。母は耳が良い。

「スマホ、上に置き忘れたんだ」

 慌てて立ちあがると千佳は階段を駆け上がった。

「ごめん、お茶していて聞こえなかった」

 電話に出るなり、修介と名前の出ている画面に向かって千佳は謝った。

「ああ、構わないよ。それでさ、明日の時間と場所が決まった」

「・・・それだけど、私も行かないとダメ?」

「もちろんさ。発見者は三人という事になっている」

「あ・・・そう」

「緊張することないさ。殆どは相島教授が仕切ることになっている。世の中の教授っていうのがあんなにおしゃべりだとは思わなかった」

「そうなの?」

「もう大変さ。興奮しちゃって」

 電話の向こうで修介が苦笑した。

「ふうん・・・」

「で、急遽市役所で会見することが決まった」

「市役所?」

「ああ。市長室で」

「ええっ?」

 市長って、市で一番偉い人でしょ?偉い人は・・・校長先生だって苦手だっていうのに。

「仕方ないんだ。市長さんからぜひって君のおじいさんに電話がかかってきてね。ぜひ市長室を使ってほしいって・・・。いわゆる政治的配慮ってやつかな」

「・・・」

「でも考えようさ。向こうが政治的に利用しようっていうならこっちも政治的に利用すればいい。沼田の逮捕で工事は多分中止することになるけれど、市長を味方に付ければ永遠に工事なんかできなくなるからね」

「そうね」

 千佳は頷いた。

「君のおじいさん、市長の知り合いみたいだし」

「そうなの?」

「うん、親しげに話していたから電話を終わったあとで聞いたら小学校。中学校の同級生なんだって」

「へぇ・・・」

「それからおじいさんから伝言がある。お母さんに頼みごとがあるんだって。電話してくださいって伝えて」

「分かった・・・。あの・・・」

「ん?」

「修介は何を・・・着ていくの?」

「・・・。学生服」

 修介は暫く考えてからそう答えた。二人が通っている学校は制服はあるものの、基本服装は自由で学生服を着ている子も着ていない子もいる。修介はいつもは着ていない。千佳も卒業式とかイベントがあるとき以外は着ないのだが、

「ああ、いいね。私もそれにする」

 そう言って電話を切った。気が一つ楽になった。


 だが、記者会見は緊張の連続だった。突然、記者会見を仕切ることになった市役所の広報の若い職員も同じだったらしく緊張のあまりつかえたり、祖父や千佳の名前を「せりざき」と読んだりしてあたふたした挙句、途中から相島教授が殆どマイクを握りっぱなしで会見を仕切っていた。

 七十代と思われる痩身で白髪の教授は、暑いのに袖の擦り切れたツィードのジャケットと糊のきいたボタンダウンのシャツを纏って、まるでできの悪い学生相手に教え込むかのように、些か興奮気味に声を張り上げていた。年を取ったライオンみたいだわ、と千佳は思った。

「定家本のうち幾つかの帖は既に同定されております。ですが、定家自身が書いたと記しているのに見つかっていない帖もあります。具体的には明月記に書かれている帖の幾つか、例えば桐壺や紅葉賀などですがこれらは散佚さんいつして見つかっておらず、京が火事・強盗などが多かった街であることを考えると既に現存しないものだと考えられてきたのです。だが今回発見されたものはこの常識を覆すものでした。全部で十五帖、その中には桐壺も紅葉賀も入っております」

 朗々と喋る教授に

「すいませんが」

 集まった記者の一人が手を上げた。

「教授はここに昨日われわれと一緒に来られた。まだ、ご覧になって時間が経っていないと思いますが、定家本と断定していいのでしょうか?その根拠は何でしょうか」

「いい質問ですね」

 教授はにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「定家本に関しては池田亀鑑先生による定義があります。具体的にはこうぞ紙、もちろん鎌倉時代としての品質の特徴を持ったものであり、更に胡蝶こちょう装であること、表紙が鳥の子色であることなどの書物としての外的要素があげられます。また書式などの特徴、勘物、つまり奥付などが挙げられております。今回発見されたものはその特徴の殆どを有し、その上私が見た限り書体その他の特徴が定家自筆と断定可能な奥付と極めて近い部分があること、これらが顕著なことからほぼ断定して差し支えない。その上・・・」

 教授は声を張り上げた。

「この書物がこの地に移されることになった経緯が書いた覚え書が同時に発見されており、解読可能な部分を読んだ限りにおいて極めて興味深い事実が書かれており、歴史的に検証が可能な部分において事実と相違ない事象が記載されています。この覚え書だけでも十分な歴史的価値があるものです」

「これは正式なものと捉えてよいのでしょうか?」

 同じ記者が質問をした。

「問題ない。ですが、もちろん様々な研究者に鑑定をしてもらうつもりです」

「どの位の価値があるものですか?」

 別の記者が質問した。

「価値?君が値段の事を言っているなら・・・」

 その記者を睨みつけるように教授は言うと、

「そんなことは答えるつもりはないが、本物と決まれば間違えなく国宝と言えるでしょう」

 国宝?そんな凄いものなの?目を丸くした千佳だったが、教授は当然とでも言うように言葉を続けた。

「ここに列席されている著名な郷土史家の芹沢さん、聡明な高校生である佐地君、そして芹沢さんのお孫さんで知的美人・・・といったらルッキズムと批判されるかな、だがそうであることに違いない芹沢千佳さんのお三人が発見されたものはおそらく令和で最も重要な発見の一つとなるでしょう」

 大げさだわ、と千佳は恥ずかしくなった。令和でもっとも重要な歴史的発見はともかく、知的美人というのは・・・ちょっと。

 照れている千佳と修介に向かってさっき教授に睨みつけられた記者が、

「芹沢さんによれば高校生のお二人が発見のきっかけを作ったという事ですが、どのようなきっかけで発見に至ったのでしょう?」

 突然の指名に言葉を失った千佳だったが、修介が

「それは僕がお答えします」

 と一礼すると教授からマイクを受け取った。まさか・・・きっかけが私の夢だなんていわないよね?そう思いながら千佳が見つめていると修介は

「僕たちはあそこに産業廃棄物の処理場ができるという噂を聞いたのです。ですがもし、あの城跡に重要な遺物が残っていたら、その計画を失くすことができるのではないかと考えて調査を始めました。幸にここにいる芹沢さんのおじいさんが城跡の土地を所有していると聞いて調査ができたわけです」

 そう言うと修介はお辞儀をしてマイクを置いた。

「その事ですが・・・」

 突然、それまで黙っていた市長が声を上げた。

「現段階において産業廃棄物処理場に関する正式な申請はでておりません。ですが噂があったことは事実です。もっともその事業者がここにおられる高校生のお二人を拉致監禁したために逮捕されるという事案が発生しましたし、当該処理場の近くにこの画期的な発見をされた城址があるため、処理場の設置は現実的なものではないと考えられます」

 市長の言葉に修介が、やったというように千佳を見て笑った。

「拉致監禁で逮捕・・・?どういうことですか?」

 騒めきたった記者の追及に相島教授が青筋を立てて怒鳴った。

「君たち、何の取材に来ておるんだ?これは国宝級の書物の発見に関わる記者会見だぞ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る